9.買い出しに行こう!
魔王になってから三週間近く。今日俺はダンジョンに一番近い人間の村に来ていた。ちなみにメリルには内緒である。食材を確保してくると伝えてダンジョンを出てきたので、嘘は言ってない、うん。
しかし、ダンジョンを出るときにアーシャが怪しげな笑みを浮かべていたのが気になる。アーシャはかなりの不思議ちゃんなので、何を考えているんだかよくわからないのが怖い。悪い娘ではないのだが……
この間も地面に這いつくばって廊下でもぞもぞしていたが、何をしているのかと訊いたらモフ助の気分を味わっていると言っていた、色んな意味で失礼なやつだ。大きめの胸を強調しながら四つん這いで「もふもふしますか?」と訊かれた時に思わず頷いてしまいそうになったが、多分あれは策略だと思う。よく耐えた俺。
さて、それはともかく俺が人間の村に来ているのは、当然逼迫する食糧事情のためだ。通貨はこの間メリルから貰った金貨と銀貨が一枚ずつ。貨幣の価値については訊き忘れたが、何も買えないってことは無いだろう。
しかしメリルの人間に対する敵意はかなりのものなので、バレたら叱責は必至だ。どうせ帰ったらバレるのだが、ダンジョンを出る前に発覚すると外に出させて貰えない可能性があったので、言わなかった。
少々罪悪感もあるが、この世界の人間が本当に悪なのか、自分の目でも確かめてみたいという気持ちが俺を突き動かした。それを確認して、どうするのかというところまではまだ考えが及んでいないのだが。
俺は一応の警戒心を働かせて、未だ安定しきらない隠蔽魔法を、ダンジョンを出た瞬間からずっと使って移動してきた。魔力の無駄遣いもいいとこなのだが、俺の魔力量はメリルよりも遥かに多いらしいのでこれくらいはへっちゃらへーだ。
そしてこの世界にきてからもしかしてと思っていたのだが、どうやら身体能力が上がっているようだった。恐らく魔王の力を継承した時に強化されたのだと思うが、以前の体ならダンジョンから近隣の村までの数キロから十数キロ歩き通しでほとんど疲れがないなんてことはなかったはずだ。
力なども強くなっているようだが、細かくスペックを確認したわけではないので、あまり本気を出して動くと強化された体に振り回されそうな気がするのでやっていない。とはいえいずれは確認しておきたいところだ。
そうして村に着いた俺だが、まだ隠蔽魔法をかけたまま村の様子を遠巻きに確認している。木の柵で囲まれた小さな村だ。幾つかの家屋と畑、家畜などがいるくらいで、これといった特徴は見受けられない。
とりあえず村人の様子を見る限りは、いきなり襲いかかってきそうな野蛮人には見えない。地球でも昔あったであろう牧歌的な村といった感じだ。
人種的には北欧系の人が多い感じに見える……しかし、アジア系の人種もちらほら伺える。これなら怪しまれずに村に入れそうだ。外見的な特徴も、地球人とほとんど変わらないように見える。
そう考えた俺は街道近くの藪で隠蔽魔法を解除し、村に入ってみる。
近くにいたアジア系の村人がこちらの様子を伺っているが、特に何も言ってくることはない。
俺は村の中を歩きながら、軒先に野菜を並べている商店らしき店に向かった。
「おばちゃん、ここって買い物出来る?」
「うん? あんたこの村の人間じゃないね。こんなとこに何しに来たんだい?」
商店の中にいた恰幅のいいおばちゃんが返事をする。やはり小さな村だけあって、外の人間だとすぐに気づかれてしまった。
「俺は旅の研究者でさ、森の中で野営しながら動植物の研究をしてるのさ」
旅の研究者というのは自分で考えた設定だ。メリルも前に言っていたが、見たところ森の中には凶悪な猛獣などはそれほどいそうになかったので、そういう設定にしておけばよそ者でも怪しまれないかと思ったのだ。
「へぇー、若いのに大変な仕事をしてるんだねぇ」
「まあ好きでやってることだからさ、しかし、食料がピンチでね、買い物が出来ると助かるんだが」
「ああ、今の時期は色々と収穫出来ているからね、たくさん買っていっておくれよ」
「金貨と銀貨しか持ってないんだが、大丈夫かね」
「ああ、問題ないさ。金貨なんてこの店じゃ使い切れないと思うけどね」
「そうか、そりゃ安心した。んじゃあ買い物させてもらうかね」
予想はしていたが、金貨の貨幣価値は中々高いようだ。とりあえず野菜を適当に選んでいく。地球で見たことがあるような野菜もあれば、なんだかよくわからないものもある。そんな中から、なるべくダンジョン内で見たことのある食材を選ぶ。ダンジョンから持ちだした手持ちの袋が一杯になりそうくらい選んだところで、店のおばちゃんに会計を頼んだ。
「これでいくらくらい?」
「随分選んだねえ、ちゃんと持ち運べるのかい?一応値段は八銀貨だね」
おばちゃんが心配しながら値段を告げる。だがこの世界に来てから身体能力が上がっている俺にとっては、このくらいの重さはなんともない。
「じゃあ金貨で支払うよ」
「それじゃあ、お釣りの二銀貨だよ。まさか一回で金貨一枚近く買い物されるとは思わなかったよ」
こんなに買うとは思っていなかったのだろう。感心されながらお釣りを受け取る。
「力には自信があるんだ」
「そうみたいだねぇ、でも気をつけなよ、なんだがガラの悪い連中がちらほらこの村に来ているみたいだから。ふらふら歩いてぶつかったりすると事だよ」
「ガラの悪い連中?」
俺以外にも外部の人間が来ているということだろうか。
「辺境都市のほうから来た冒険者や傭兵らしいけど、こんな村に何の用事があるのかねぇ……」
なんだか嫌な予感がする。ひょっとして彼らの狙いはうちのダンジョンだったりしないだろうか。メリルの話ではここ数十年はほとんど侵入者がいないということだったが、状況が変わったのかも知れない。
「彼らはどこに?」
「この村には宿屋なんて上等なもんはないから、村の中央にある集会所で寝泊まりしてるよ」
「なるほど、気をつけるよ。ありがとねおばちゃん」
「あいよ! またご贔屓に!」
商店から離れつつ考える。このまま急いで帰るか、それとももう少し冒険者だという連中の情報を探るべきか。俺は地球ではただの人間だった。誰かと殴り合いの喧嘩をしたこともないし、格闘技の経験もない。身体能力はこちらの世界に来て上がっているようだが、戦闘経験などないのだ。
手持ちにあるのは豊富な魔力と下級呪文、それにいくつかの中級呪文といったところだ。武器も持っていないし、防具もつけていない。今身に着けているのはただの服だ。
村を見た限りでは科学技術が現代日本より発達しているとは思えない。冒険者達の装備はファンタジーの世界よろしく剣や弓といったものだろう。もしかしたら簡単な構造の銃くらいはあるかも知れない。それと未知数なのは地球にはなかった魔法だろうか。魔法は俺の常識でははかれないほどの利便性を誇る。安易に相手の戦力を判断するのは危険だ。
しかし、危険を冒してでも冒険者達の目的を確認しておいたほうがいいとも思う。もちろん、自分が死ぬような危険を冒す必要はないと思うが、多少怪しまれるくらいで相手の目的を調べられるのなら、それに越したことはない。最悪二度とこの村に来なければいいという選択肢だってあるのだから。
そこまで考えて、結局俺は最初から情報を探る気だったんだなと思い至る。危険は避けたいが、不安を抱えたままダンジョンに戻るのも癪だ。
そうして俺は物陰で再び隠蔽魔法を発動し、冒険者達が寝床にしているという村の集会所へ向かった。
さほど大きくない村だ、集会所の場所はすぐにわかった。この村の家屋よりやや背の低い建物、しかし広さは二倍以上あるだろうか。恐らく二階部分がなく、一階部分を広くとってあるのだろう。
俺は隠蔽魔法を発動させたまま、集会所の裏手に回る。そこで窓を見つけたので、その下にしゃがみこむ。
身体能力が強化されたときに思い至ったのだが、ひょっとしたら感覚器官も強化されているのではないかと思い、よく耳をすましてみる。
すると、今までは聞こえなかった虫のざわめきや、風の音などがよりクリアに聞こえてきた。
そんな中に、集会所の中にいるであろう、冒険者達の声が聞こえてくる──
……
「この村はほんと何もねえな。宿も酒場もないなんてよ!」
苛立ちを募らせた声が集会所の中に響く。
「まあ、予想できたことだ、野宿にならなかっただけありがたいと思うしかないな」
なだめるような別の男の声が聞こえる。
「村の連中はあからさまに厄介者がきたってぇ顔をしやがって、全くムカツクよぉ」
更に別の男が、やはり苛立ちを滲ませながら呟く。
「でもよ、他の奴らに遅れを取らなくてよかったじゃねえか、訊いたところによると俺たちが一番乗りみたいだしよ」
「それはそうだな、一番乗りなら宝物にありつける可能性も高い」
前の三人とは異なる、理知的な雰囲気を漂わせる声が同意する。
「さっさとダンジョンに侵入して、お宝をかっぱらいたいもんだね」
「とはいえダンジョンに突っ込む際は引き際が肝心だ。あんまり調子こいて奥まで行っちまうと、魔王やら幹部やらに軽くぶっ殺されるからな」
「あいつらはおっかねえなあ、昔出会った魔王はちびっちまうほど恐ろしい気配をしてやがった。俺ぁ他の奴らを囮にして一目散に逃げちまった」
「そんな奥まで行ったのかよ、命知らずな奴だな」
「いやそれが火山の麓のダンジョンに行ったんだけどよ、一層目でいきなり魔王に出くわしたんだ」
「そりゃついてねえな」
「ああ、全くだ」
……
やばい、あの冒険者達の狙いはやっぱりうちのダンジョンみたいだ。聞くことは聞いたし、早いところ帰ってメリルと対策を考えないと。
俺は荷物を担ぎなおすと、音を立てないように気をつけながら足早に村を立ち去った。
その時、俺の頭の中にはこのままダンジョンから逃げ去るという選択肢は存在していなかった。不思議に思う人もいるかもしれない、しかし、知り合いが一人もいない世界に突然放り込まれた俺には、心の拠り所と呼べるのは、ダンジョンにいるメリルとアーシャしか、存在していないのだった。
この決断がこの世界における俺の命運を決めたと、現在の俺には思い至ることは出来ない──
ダンジョンに戻った俺を待っていたのは、極寒の視線を向けてくるメリルだった。
「魔王様、どちらに出かけていたのか、説明していただけますね?」
「ちょっと近くの村まで買い物に……」
「人間と魔王が慣れ合うなどと!!」
メリルの怒りが俺に向けられる。いや、俺というより、俺の背後に人間の姿を幻視しているのかもしれない。
「しょ、食料がやばいのをなんとかしたくてさ、俺って見た目は人間だから村で買い物しても怪しまれないかなぁって」
「そういう問題ではありません!!」
「ご、ごめん、本当にごめん。悪いとは思ったんだけど、でも、これならうまくいくかなと思って」
「なぜ先に相談してくださらなかったのですか!」
絶対止められると思ったから、とは言わない。
黙り込んだ俺を見て、メリルはふぅとため息をついた。
「……魔王様は食料が少なくなっていたのを憂慮してくださったのですね、それを差し置いて、私が怒りを向けるのは筋違いでした、申し訳ありません。元々の責任は、この程度の問題を簡単に解決できない私の不甲斐なさが原因なのですから」
メリルはダークエルフで魔界からは爪弾き者だ、食料を人間界に存在しているという他の魔王から融通してもらうツテもないし、魔界とのゲートをつなぐ魔力を肩代わりしてくれるような知り合いもいない。
「そんなことはない! メリルはよくやってくれている」
「ですが、魔王様を人間の村に遣いにいかせるなどと……」
「それはいいんだ、俺が勝手にやったんだから。ってそれよりメリルに相談があるんだよ」
これ以上買い物についての話題は危険だ。このまま続けていると、お互い感情的になってしまいそうだし。
「……なんでしょうか」
「買い物に行った時、村の人から冒険者だか傭兵だかが来てるって話を聞いてさ、よくよく調べてみたらこのダンジョンに宝探しに来たみたいなんだよ」
自分で調査したなんていうとまたメリルを怒らせてしまうので、今は黙っておく。
「人間の冒険者ですか? おかしいですね、このダンジョンには久しく侵入者は来ておらず、最後に来た侵入者でも三十年は前、しかもただの木こりで、魔物とも遭遇せずにダンジョンの入口で一晩明かしてさっさと出ていったと聞きましたが……」
「俺も前にそう聞いた。でも、彼らははっきりとダンジョンに行く、と言っていたそうだよ」
「ここがダンジョンだと知っているものは、とっくの昔に寿命を迎えているはず……」
「資料とかに残されていたって可能性は?」
「百年程前に人間の国からダンジョンの調査団が派遣された際に、既にランドゲルズ様は力の衰えが進んでいたため、ダンジョン最奥部のみを幻術でごまかし、魔物はそこにしか配置せずにやり過ごしたと資料にはありましたね。それより前の時代の、ここが魔王のいるダンジョンだと記述されている資料が残っていれば、可能性はありますが……」
「普通、昔の情報よりも最新の調査情報を信じるよねえ」
「そうですね」
「つまり、どういうことなんだ?」
「……誰かが情報を漏らしたのかもしれません」
「魔界に内通者がいるってこと?」
「その可能性もありますね。ランドゲルズ様が亡くなって三週間程で、冒険者が近くの村にいるなど偶然にしては出来過ぎている気がします」
「魔王が代替わりしたのって、誰が知っているんだ?」
「人間界の他の魔王には通知が行っているはずです。それにランドゲルズ様と面識があったものは、魔界で話を聞いたことがあるでしょう。それに人間界の魔王を管理している大魔王様や、魔界の貴族達も恐らくは……」
「それだけ多いとどこから漏れたのかわからないな」
「はい、しかし一度ダンジョンの存在が知られると厄介です。人間達は生死に関わらず侵入してきますから」
「ダンジョンに入れないように、入り口塞いじゃうってのは?」
「すみません、ダンジョン内の魔力が不安定になるので、入口を塞ぐことは出来ないのです」
「どういうこと?」
「ダンジョン内は結界陣を通して魔王様の魔力が満たされています。それらは全てが同じ場所に留まるのではなく、ダンジョン内を循環しています。しかし、ある程度以上の広さがある入口がないと、魔力の循環が滞り、ダンジョン内に魔力が濃い場所や薄い場所が現れます。そうなるとダンジョン内の魔力を糧としている魔物の動きが不安定になり、指示に従わない魔物や、弱体化する魔物などが出てきてしまうのです。恐らく魔王様自身は問題ありませんが、私やアーシャなどは多少影響が出るでしょうね」
魔物は今のダンジョンでは貴重な戦力だ、使えないようにするのは惜しい。
「じゃあどうすればいい?」
「基本的には戦力を充実させて、その都度侵入者を撃退するしかないでしょうね、侵入者の強さにもよりますが、人間は魔物と比べるとそこまで強い相手ではありません、ただし、現在の状況的には厳しいと言わざるを得ませんが……」
「結界陣を守るためには逃げるわけにもいかないしな……」
「人間相手に逃げるなどありえません。一度でも逃げてしまえば魔界では末代まで笑いものですよ」
そう言ってメリルが俺に注意する。
「んじゃあ、トラップを配置しまくるとかはどうだ?」
「通常の物理的トラップは味方の魔物がかかってしまう可能性があるため使えませんが、ダンジョン内の魔力を加工した魔力トラップならいくつか設置出来ると思います」
「魔力トラップってのはどんなの?」
「そうですね、基本的には物理トラップと同じような効力を持つものが多いです。特定の場所を踏んだら魔法を発動させて、爆発や毒霧、閃光などを起こすものですね。ただし、落とし穴などの地形に変化を与えるものは設置出来ません」
「ふむ、んじゃあとりあえずそれを第一層に設置するか。それからまた魔物を召喚して……第三層の開拓と引越しは間に合わないか?」
「現状のペースですと厳しいですね。開拓ペースは早いですが、第三層の最奥部は広くなっていますので、これまでよりも時間がかかります」
「現状は第一層と第二層で対応するしかないか……」
「魔王様、冒険者は何人ほどいるかわかりますか?」
冒険者達の話を盗み聞きした時を思い出す、確か声の種類は四人分だったか?
「えーと、確か四人だったかな?後続も来そうな雰囲気だったけど、今はそいつらだけみたい」
「そうですか、ならばまずはその一パーティに対処すればいいですね、それならばなんとか現状の戦力で倒しきれるかと」
「わかった。じゃあそれで行こう」
「はい、では早速魔力トラップの設置準備に取り掛かります」
「頼むよ、俺はアーシャに買ってきた食料を渡してくる」
その台詞を聞いたメリルは、俺をひと睨みすると低い声で告げた。
「……落ち着いたら、詳しく話をさせていただきますからね」
「お、おう、お手柔らかに」
背中に流れる冷や汗を感じながら、俺は足早に第二層へと向かった。
第二層の調理場に向かうと、ちょうどアーシャが夕食を作っているところだった。
「あ、魔王様ぁ、おかえりなさぁい」
「おう、ただいま、食料買ってきたぞ」
「あ、やっぱり買い物に行ったんですねぇ、メリル様に告げ口しておいて正解だったー」
のほほんとした顔で聞き捨てならないことを呟くアーシャ。
「嫌な笑みだと思ったけど、やっぱり告げ口したのはお前かよ!」
そんな気がしたよ! まさか入り口で待ち構えているなんて思わなかったしな!
「えへへー」
「なぜ照れる……」
「そんなことよりー、それくださいー」
流れを一切無視して、アーシャが食料を催促してくる。
「俺が怒られたのはそんなこと扱いか……まあいいや、どうせバレると思ってたし。んじゃ、はい」
アーシャに買ってきた食料を渡す。
「……魔王様ぁ?」
中身を確認していたアーシャが不思議そうな声を上げる。
「ん、どうした」
「お野菜、好きなんですかぁ?」
「いや、肉も好きだけど……あっ」
「お野菜しか入ってませんよー?」
「失敗した……」
俺は買い物もまともに出来ないらしい。実家でもいつも母親が買い出ししていたしな。
「しばらくはお野菜中心の生活ですねぇ」
「け、健康にはいいんじゃないかナ」
「まあ、あたしはいいですけどねー」
俺はよくない。次からは気をつけよう。次がメリルに許してもらえるかわからないけど。