18.魔王ハインド
場所を城内の練兵場に移し、俺はハインドと十数メートルの距離を空けて向かい合っていた。
相手は元から準備していたのだろう、不思議な質感の黒い防具を身に着けていた。自然な立ち振舞をしており、顔には余裕の笑みが浮かんでいる。また、武器のようなものは何も持っていない。
一方俺はと言うと、ちゃんとした鎧など持っていなかったので、兵士が使う鎧を拝借している。そのため、自前の装備は武器だけだ。
相手は冥夜族の魔王、種族はヴァンパイア。それも純血らしい。多種族との混血は他の種族の特徴を得ることがあるため、一概に純血のヴァンパイアが強いという訳ではないのだが、ハインドの一族は古くから貴族として血筋の徹底的な管理を行なってきたため、魔界でも有数の力を持つらしい。
そして魔界における純血のヴァンパイアというものは、俺が知っているようなヴァンパイアの特徴とは大きく異なる。
まず、太陽や十字架が弱点だったりはしない。光属性魔法には抵抗力が低いようだが、それは魔界の生物全般においてそうであるため、種族の弱点とは言いづらい。
他には、人間を吸血しなくても普通の食事で生きることが出来る。むしろ人間の血は嫌いらしい。ただし、魔界にはヴァンパイア達に売るための魔物の血液などが取引されているのだとか。
弱点については実はよくわからない。再生能力が非常に高いことについては知られているのだが、首を切ったり心臓を潰したりしても殺せるのかどうかは不明だそうだ。一節では個体ごとに弱点が異なるという話もある。
これらメリルからの情報を考えると、一筋縄ではいかない相手であることがわかる。
いくら不愉快な相手であるとはいえ、本気で剣を交えるつもりなどなかったのにどうしてこうなってしまったのか。
「両者とも準備は良いか」
色々と考えているところに、審判役であるダグラスが訊いてくる。
「問題ない」
「あ、ああ」
今回の勝負、決着が着いたと判断されたらダグラスが止めるらしい。だから本気でやれと言われたが、そうそう簡単に止められるものなのだろうか。正直不安である。
大体相手は俺のことを痛めつけてやるつもり満々のようだが、皇帝の突飛な発言で先程までの怒りが沈静化してしまった俺は今も戸惑っている状態だ。だって勝負と言っても、真剣を使って魔法の使用もありってことは、殺し合いと何も変わらないじゃないか。元々争いごとが苦手な俺からすれば、はっきり言ってやりたくない。
魔界では様々なことにおいて力量を競い合うというのは普通のことだそうだが、当然その中で死ぬものも出てくるわけだ。だが、それについては容認されているらしい。俺からすればとんでもない話である。
そして種族的な特徴を考えても勝ち目などないようにも見える戦いを俺はしないといけない。
とはいえだ、もはや今更逃げることは出来ない。ならば俺は自分のために戦うのではなく、メリルを侮辱したことを後悔させてやるために戦うことにしよう。
必ず一発はぶん殴ってやる。
「それでは、始め!」
開始の合図を聞いた俺は、姿勢を低くして飛び出した。
相手は武器を持っていない、恐らく魔法がメインの攻撃手段なのだろう。ならば先手を取られるのは不利だと考えたのだ。
遠距離でやり合えるほど、俺の魔法行使能力は高くない。
「ふっ!」
そうしてまずは小手調べとハインドの左腕に振り下ろした剣は、いとも容易く肉を裂き骨を断って、腕を切り落とした。
「は?」
あまりにもあっけない手応えに、思わず疑問の声を上げてしまう。
「何を呆けている」
だが相手は全く痛がる素振りも見せず、残った右腕で俺の横腹を殴り飛ばす。
「げふっ」
かなりの力が込められたそれに、俺は数メートルふっ飛ばされてしまう。
「ってなんだよそれは!」
体勢を整えてハインドの方を見てみれば、切り落としたはずの左腕は何事もなかったかのように繋がっていた。血の一滴すら流れていない。
再生能力が高いってレベルじゃないだろう!
「はっ、純血のヴァンパイアを舐めるなよ! 貴様ごときの剣で我に手傷を負わせられると思うな!」
避けるだろうと思った斬撃が普通に当たって、しかも相手は無傷だなんて予想していなかったので、これからどうしようと考えてしまう。
首を切ったり心臓を潰したりするのは、流石にやばいんじゃないだろうか。かといって他の攻撃が効かないとなると、どうやって戦えばいいのか。魔法を使ってみるか?
「次はこちらから行くぞ」
ハインドはそう告げると、右手を前に突き出した。
「<<闇の力よ、黒き弾丸となり敵を穿て>>」
使われたのは闇属性中級魔法ダークバレット。手のひらに収束した闇が爆発したかと思うと、猛烈な勢いで無数の弾丸が飛来する。
「<<光の守り>>!」
俺は咄嗟に光属性初級魔法ライトシールドを発動させ、ダークバレットの弾丸から身を守る。
ガリガリとライトシールドの表面を闇色の弾丸が削っていく。防御出来ていたかに見えたが、使った魔法に初級と中級の違いがあるため、全ての弾丸を防ぐことは出来なかった。
「いつつ……」
とは言え、威力の減衰した弾丸は俺に大きな傷を与えるには至らない。身につけた防具と元々の頑丈さのお陰だ。
「<<漆黒の槍よ、敵を貫け>>」
だが、ハインドは僅かな間も置かず、続けて魔法を使う。
放たれたのはダークランス、先ほどのダークバレットのようにライトシールドで防ぐには威力の大きすぎる魔法である。
「うおお!」
それを横に飛び退ることで避けて、俺は距離を詰めようと試みる。
「そらっ、まだまだ行くぞ! <<真空の刃よ、敵を断ち切れ>>!」
だが、そうはさせまいと更に風属性中級魔法ウィンドカッターがいくつも迫る。
目に見えぬそれを、俺は魔法で対応するしかなかった。
「<<土の守り>>!」
かろうじて頭の中に記憶していた属性相性を思い出し、それに合わせて土属性初級魔法アースシールドを使用する。すると直後に土の壁が目の前に立ちはだかり、ウィンドカッターがそれにぶち当たる。
相性的には間違っていないのだが、魔法行使の不得手な俺と得意なハインドでは大きく差があるのだろう。やはり全て防ぎきることは出来ず、アースシールドを貫いてきたいくつかの風の刃が俺の体に薄い切り傷を刻む。
もはや明白だ、遠距離では魔力の集中スピードに違いがありすぎて勝負にならない。近寄らなければまずい!
俺は覚悟を決めて、アースシールドを展開したまま、ウィンドカッターの第二陣へと強引に突っ込む。
「おおお!」
そして一気に加速した勢いをそのままに剣を左から右へと横薙ぎにする。
「無駄だ」
だが、相手の上半身と下半身を両断するその攻撃は、ハインドにはまるで効いていなかった。
そしてお返しとばかりに、切断されたままの下半身が蹴りを放ってくる。
勢いのないそれを俺は向かって左側──相手の右──にまわることで回避し、続いて首を狙う。
これは流石に避けるだろうと思われたその一撃も、ハインドは全く避ける素振りを見せなかった。俺の剣はハインドの首を切断し、そのまま横へと振り切られる。
そしてハインドは何事もなかったかのように右手をこちらへ向けていた。
「<<闇の力よ、黒き弾丸となり敵を穿て>>」
至近距離で放たれたダークバレットを俺は寝そべる程に身を低くして回避し、切断が駄目なら打撃だと足払いを仕掛ける。
「うお!?」
しかしなんということか、足払いを仕掛けた足は何の抵抗もなくハインドの足を通りぬけ、空振ってしまう。
「<<土塊よ槍となれ>>」
予想外の手応えに僅かに体勢を崩した俺の足元から、地属性初級魔法アーススパイクによる、土の槍が突き出す。
俺はそれを転がることでなんとか避けて、一度ハインドから距離を取る。
「おいおい一体何が効くんだよ……」
切断も打撃も、まるで手応えがない。
そして相手の魔法を使うスピード早すぎて、こちらは魔力を集中する隙すら与えて貰えない。お陰で使えるのは初級魔法だけだ。
「教えると思うか?」
「ごもっとも」
だが、遠くにいてはジリ貧だ。俺は近寄って接近戦をしかけるしか手段がない。
「はっ!」
魔法を使われる前に再び接近し、今度は手加減なしに相手の体を両断する一撃を振り下ろす。
ハインドはやはり避けずに体を左右に両断されるが、一瞬の後には何事もなかったかのようにくっついていた。
だが一瞬でも口、喉を切断されたため、魔法の詠唱は妨害出来たようだ。
俺はそれを見逃さず、ひたすら喉を狙って魔法を詠唱させないようにする。
「ちっ」
ハインドは効かないとわかっていても、攻撃を受け続けるのは癪なのだろう、舌打ちをしながら攻撃を回避しようとする。
「ぬおお!」
だが俺は更に速度を上げて、とにかく魔法の詠唱を妨害しようと頭部及び頸部に斬撃を浴びせる。
「なっ」
その速度はハインドの予想を越えていたようだ。驚きの表情を浮かべたハインドを、俺は細切れにせんとばかりに斬撃を繰り出し続ける。
これでなんとか魔法詠唱は妨害出来る、そう思っていた時だった。
「<<影の針よ相手を縛り付けろ>>」
詠唱は出来ないはずなのに何故、と思って見れば、なんとハインドの腰のところに第二の口があった。そんなのありか!?
そしてそれを確認したところで、俺は自分の動きが鈍くなったことに気がついた。……確か今の魔法は闇属性初級魔法シャドウスティッチ。対象の影に闇の針を打ち込んで、金縛りを起こす魔法だったか。
「ちょこまかと鬱陶しい……<<闇よ漆黒の檻となって、彼の者を閉じ込めろ>>」
シャドウスティッチによって動きを制限されたことにより、俺の攻撃を回避出来るようになったハインドは更に魔法を使う。
唱えられた魔法は闇属性中級魔法ダークプリズン、地面から伸び上がった闇色の檻が俺を閉じ込める。
「くっ!」
「これで終わりにしてやろう」
ハインドはそう告げると、魔力の集中を始める。
「だああ!!」
俺は魔法を食らってはたまらないとばかりに剣を檻に叩きつけるが、檻はぬるりと滑って俺の剣を受け流す。
「くそっ!」
このまま相手の魔法を食らうのはまずい、何とかしなくては。
檻からの脱出を一旦諦めた俺は、防御魔法の準備をする。
「<<強大なる重力の檻よ、大いなる力を持って、彼の者を押し潰せ>>……グラヴィティプレス!!」
「<<光の盾よ、何物をも寄せ付けぬ守りとなれ>>……ミドルライトシールド!」
俺とハインドの魔法は同時に発動し、俺を押しつぶそうとする重力の檻とそれに抗う光の防御壁がぶつかり合う。
ミシミシギシギシと凄まじい軋みを上げるシールドを必死に維持しながら、俺の視界は迫り来る黒色の重力の壁に包まれていった──




