12.皇帝からの呼び出し
波乱を感じさせる初日が終了し、俺達は城内にある客室へと案内された。
メリルによれば魔王会議の開催中は、魔王とその配下数名は城内に滞在することが許されるのだそうだ。
街で泊まった宿も凄かったが「これから会議中泊まる部屋です」と案内された客室もまた凄かった。俺、この部屋じゃ熟睡出来そうにない……
地球でこの客室レベルのホテルに泊まろうと思ったら、一泊何十万とかするのではないだろうか。枕によだれとかつけたら賠償を請求されるのではないだろうか。そんな考えばかりが頭に浮かんでくる。
ちなみに会議中は最初にあった皇帝陛下の挨拶から全然集中出来なかったので、同じ魔王の紹介すら頭に入ってない。一応自分が紹介された時に頭を下げたのは覚えているのだが。
とりあえず、明日からは皇帝陛下はいらっしゃらないそうなので、心の平穏は保たれそうである。
あんなプレッシャーを発する人と一週間一緒だったら、何もしてないのに毎日謝ってしまいそうだ。
会議の予定としては、二日目、三日目は食事会やら舞踏会やらが開かれて、軍を支援する魔界の貴族達が魔王や将来の魔王候補、大魔王候補と交流するものなのだという。
本来の魔王に与えられた責務についての報告などは、その後魔王と軍関係者のみを集めて四日目以降に行われるということだった。
そこで通常の魔王会議であれば大魔王の選出なども行われるのだが、今回の会議ではそれを行わないため、日程が少し短縮して早めに俺の魔王就任式を行うかもしれない、というのはメリルの言である。
そんな先々の予定を考えると頭が痛い。こういう行事ごとは苦手なのだ。その上今日は精神的にやたら疲れたし、もうさっさと眠ってしまおうかと考えていたのだが──
「え? 皇帝陛下から呼び出し?」
俺の客室を訪れた侍女が、聞くだけで厄介そうだとわかる用件を伝えてきた。
「はい、アース様をお連れするようにと」
逃げたい。非常に嫌な予感がするのでものすごく逃げたい。
「また今度って訳には……」
「いきませんね」
逃げの言葉は、にべもなく断られる。
「えーっと、あのー、そのー……」
「メリル様もご一緒です」
見苦しく言い訳をしようとした俺だったが、既にメリルは捕まってしまったらしい。
「わかりました、行きます……」
「ご理解いただけて何よりです」
にこりともしないで侍女が続ける。
この鉄面皮侍女め!
「恨むなら皇帝陛下をお恨みくださいませ」
俺は何も言ってないのにそんな台詞を言う。
「顔は口程にものを言うとおっしゃいます」
顔がうるさくて悪かったな!
侍女に連れられ、客室から皇帝の住んでいるという居館へ向かう。
客室から出た俺を迎えたのは、諦めたような表情を浮かべたメリルの姿だった。
やはり、言いくるめられたのだろう。いや、メリルの場合断るという選択肢はなかったか。どちらかと言えば何故自分も呼ばれているのかという疑問の方が大きそうだ。
そんなことを考えながら、先を歩く侍女の背中についていく。
そして城の奥、居館へと繋がる通路に差し掛かると、ガラリと雰囲気が変わった。
内装や調度品の高級さといったものは変わらないのだが、警備の人数がかなり多くなり、通路を歩く俺達へは鋭い視線が向けられる。
どう考えても友好的ではないその視線に、思わず体が固くなってしまう。
メリルも同様の視線を向けられているのだろう、やはり落ち着かないような空気を感じる。
そんな雰囲気をあまり意識したくなかった俺は、メリルへと小声で話しかける。
「なぁ、皇帝ってどんな人なんだ?」
「陛下は皇帝就任から千年以上経過していますが、あまり大勢の前に姿を見せることを良しとしないらしく、大臣や高官、身の回りの世話をするものしかその姿を拝見することはないと言います」
「じゃあメリルも見たことはないのか」
「はい」
まさか恥ずかしがり屋とかそんな理由な訳ないよな……
「他に何か知っていることはないか?」
「噂によれば歴代の皇帝の中でもかなり強い力をお持ちであるとか……」
「確かに御簾越しに目があったが、凄い威圧感だったな……、そういえば、皇帝ってどういう風に選ばれるんだ? ひょっとして、世襲?」
とは言え城の入り口に飾られていた肖像画は、種族がバラバラだったような気がするから違うだろうか。
「いえ、悪魔族や死霊族、冥夜族など、それぞれ種族を束ねるいくつかの大貴族の中から、最も力の強いものが選ばれます」
「今の皇帝は何族出身なんだ?」
「悪魔族と聞いております」
ということは一応メリル──炎の悪魔族のハーフ──やアーシャ──インプと呼ばれる小悪魔──と同じと言うわけか……
「ちなみに俺達って何で呼ばれたんだ? なんか悪いことしたっけ……?」
「私にも検討がつきませんね……、どういうお人柄なのかもわかりませんし……」
二人して首をかしげる。
「着きました」
そうこうしているうちに皇帝の私室へと到着したらしい。侍女が扉の前で立ち止まって、中に伺いを立てている。
「よろしいそうです。どうぞ室内へお入りください。ただし、くれぐれも行動と言動にはご注意くださいますよう」
侍女はしっかりと俺達に釘を刺してから扉を開ける。
「し、失礼します」
俺は緊張で硬くなった手足をなんとか動かし、部屋の中に足を踏み入れる。
目に入ったのはやはりというべきか、御簾で区切られた空間があり、そこに人影が映っているということだろうか。
皇帝の私室というからどんな豪華絢爛な部屋なのかと思ったが、俺が通された客室とそう変わらない広さ、そして内装である。
俺からすれば十分豪華な部屋であることに変わりはないのだが、予想よりは質素というべきだろうか。
「よくきたのう。こちらへ寄れ」
そうして室内を眺めていると、扉の近くに立ったままの俺達に声がかかった。
「は、はい……」
ビクビクしながら、手と足を同時に動かしてまるでロボットのように御簾の近くへ寄る。
「これから御簾をどかすが、気絶などしないよう気をつけるのじゃぞ」
その言葉を聞いて、俺達は何が起こるのかと一瞬顔を見合わせ、事態に備えた。
そして御簾がどかされると、中の人物を確認する前に俺達へ凄まじい威圧感が吹きつけてきた。
「ぐっ……」
「……っ!」
俺達は思わず顔を伏せ、膝をついてしまう。
「こ、これは、恐ろしい魔力の波……ですね……」
メリルが小声で呟く。
なるほど、これは皇帝から浴びせられる強大な魔力の波なのか。
敵意の無いそれでも、平伏してしまいそうになる。
殺意を持ってこれが叩きつけられたら、確かにその場で気絶してしまいそうだ。
きっと御簾には魔力波を遮断するような加工がされているのだろう。こんなものが四六時中放射されているなら、そりゃ人前に顔も見せられなくなる。
「耐えろ。じきに慣れるじゃろう」
皇帝は会議の時に聞いたのと同じ、声変わり前の少年のような声で告げる。
そのまま数十秒、ようやく吹きつけてくる魔力の波に慣れた俺は、立ち上がって皇帝の顔を確認した。
「……子供……なわけないか……」
見た目はようやく十代になろうかという少女だった。
まるで絵本の中から出てきたようなその美しい少女は、緩やかなウェーブを描く漆黒の髪を持っており、白い肌を持った華奢な体は純白のドレスに包まれていた。
俺を見る闇色の瞳は、深淵を覗きこむような深い知性を湛え、可愛らしい見た目とのギャップを生み出す。
少女の見た目から感じられる印象を覆す気配は、確かにこの人物が魔界を支配しているのだと理解させることだろう。
「ほう、初めてにしては立ち直るのが早いようじゃの」
彼女が感心したように言う。
横を見れば、メリルはまだ膝をついたままだった。
「とは言え、全くの平気というわけではありませんが……」
今も魔力波が吹き付けているのだ。流石に表情が少し苦しそうなのは許してもらいたい。
「そうやって会話が出来れば十分じゃ、相手によっては御簾越しでも全然会話出来んときもあるしのう」
そりゃあこんだけ強烈な魔力波だったら、御簾越しでも意識を向けられたらきついだろう。会議の時に感じた重圧もきっとこれが原因だろうな。
「フレイ家の娘はまだ慣れぬか」
「……いえ、もう大丈夫です」
少し顔をしかめながら、メリルも立ち上がる。
「ハーフ故に魔力も少ないだろうに、良い魔力操作能力を持っておるようじゃな」
背筋を伸ばし、自身を見据えているメリルに対して、感心したような声を漏らす。
「これくらいしか取り柄がございませんので」
褒められたメリルはにこりともせず、返す言葉にも自信のようなものは見せない。事実がそうであると認識しているのだろう。
「ふふ、面白い」
そんな俺達を眺めて、彼女はくすりと笑った。
「ところで陛下、何故我々は呼ばれたのでしょうか」
なんとか会話が出来そうになったところで、ずっと疑問に感じていたことを訊いてみる。
「ふむ、何故だと思う?」
逆に訊き返されて戸惑う俺。正直思い当たる節はない。
「何かまずいことでもしたでしょうか?」
考えられるのは、ダンジョンの運営で問題があったとか、会議中に何かまずいことをやらかしていたとかなんだが……
「いや、そうではない。余はな、お主達に訊きたいことがあったのじゃ」
「訊きたいこと、ですか」
皇帝の言葉をメリルが繰り返す。恐らく、メリルにも思い当たることは無いのだろう。
「うむ、お主達は当然ランドゲルズを知っておるな?」
「はい、俺……いや、私をこの世界へ召喚した張本人であり、<奇人の住処>の先代魔王……ですよね」
俺自身はじいさんと会話したことがないので、知っていることも限られる。
「ほう! お主は異世界人だったか!」
手をパンと打ち、驚いた表情を浮かべる皇帝。
「はい、そうです」
やべ、異世界人って言わないほうが良かったか? でも結局バレるし一緒か……などと考えていた俺だが、彼女はそんな俺に気づいた様子はなく、更に質問を続ける。
「知っているのはそれだけか?」
「私が召喚されて目を覚ました時には、既にランドゲルズ様は亡くなっておりましたから」
どうでもいいんだけど、普段じいさんを名前で呼ばないからなんとなく喋るときに違和感があるなあ……
「ならばランドゲルズの研究はどうなっておる」
「研究?」
確かに何かを研究していたと思われる資料はダンジョン内に沢山あるのだが……
「内容を引き継いだのではないのか?」
「いえ、それがですね。ランドゲルズ様の研究は複数の資料が複雑に関係している上に、高度な暗号化が至る所に施されていて、解読が不可能なんです」
そうなのである、文字は読めるし、資料に書いてある内容も読める……んだが、注釈に引用、転載、参考資料やらが複雑にからみ合っていて、しかも随所に施された暗号化によって資料同士の関係性もさっぱりわからない。あれは専門の暗号解読班を作って、地球にあるようなコンピュータでも使わなければ解読出来ないのではないだろうか。
「そのようなことが……」
それを聞いた彼女は肩をがっくりと落とし、この世の終わりを見たかのような表情を浮かべた。
「陛下、ランドゲルズ様の研究は私にも理解することは出来ません、ですが、ランドゲルズ様は亡くなられる前にこうおっしゃっていました。『わしの意志は受け継がれた』と……」
だが、そこでメリルから俺も知らなかった情報がもたらされた。
「そうなのか!?」
パッと顔を輝かせ、皇帝がメリルに訊き返す。
「はい、どのような意味なのかまだわかっておりませんが、ランドゲルズ様がそうおっしゃったのであれば、恐らくは何かの手段で研究は引き継がれたのだと思われます」
そこまで言って、メリルは俺を見る。
「その鍵がお主か……」
「お、俺?」
動揺したことで、思わず地が出てしまった。
それにそうは言うが、俺にそんな自覚は全くない。
「わざわざランドゲルズが異世界から呼び出した後継者じゃ、きっと研究に関する何かが関係しておるのじゃろう」
どうやら彼女も同じ考えらしい。
「そう……なのかなぁ……」
あんまり期待されても、それに応えられる自信がない俺からするとどうにも困る。
「まあ良いじゃろう、思っていた結果とは違っておったが、これからもお主達のことは注目させてもらうかのう」
うわあ、皇帝から注目するって言質をいただいちまった、嬉しくねぇ……
「お聞きしたかったことは以上ですか?」
顔をひきつらせている俺を無視して、メリルが訊く。
「うむ、そうじゃ。余はランドゲルズの研究がどうなったのか知りたかったのじゃ。望んでいた結果ではなかったが、研究が生きているということがわかっただけでも十分じゃ」
彼女は満足そうに頷く。
「はい、研究については、新しいことがわかりましたらご報告させていただきます」
「よろしく頼んだぞ」
「では、これで失礼させていただきます」
メリルはそう告げると、俺を促して部屋を退出しようとする。
「これからも楽しみにしておるぞ、魔王アース、そしてメリルよ」
背中にかけられた声は、隠しきれぬ喜色に満ちていた──




