3.魔法の練習と、魔物召喚
ダンジョン運営まではもう少々お待ち下さい
「えーと、それで練習って何をすればいいの?」
「そうですね、まずは魔力を感じることが出来ますか?」
魔力を感じる……? 眼に見えないものを感じるっていうのも、よくわからん。
「難しいようですね。魔力も見えていないのでしたか」
「全く見えてないなあ」
「それでは少し荒療治になりますが、失礼します」
「えっ、なに?」
メリルが近づいて来て、手のひらで俺の目を包むように掴む。っていうかまんまアイアンクローだなこれ。
「ではいきます」
「あっつぅ!?」
目に熱湯をさしたような感覚が走る。反射的にメリルの手を振りほどいてしまい、俺は目を押さえて悶える。
「ななな何が!」
「大丈夫です、すぐに落ち着きます」
少し経つと確かに落ち着いてきた。まだ少し目が熱いような気がするけど。
「一体何を?」
涙目になりながらメリルの方を見る。
「魔王様の目に魔力を流しました。少々乱暴なやり方でしたが、これで魔力が見えるようになったと思います」
「あ、確かになんかメリルの周りに赤いもやみたいなのが見える……」
「見えているようですね。私は火属性の魔力が濃いので、赤く見えるのでしょう」
「じゃあ俺は……?」
言いながら自分を見るが、よくわからない。陽炎のようなもやがうっすらと見えるが……
「魔王様は特に属性を帯びていないのでしょうね。なので純粋な魔力だけが見えるのだと思います」
なるほど、属性で見え方も変わるのか。
「属性帯びてると何かあるの?」
「はい、特定の属性を帯びているものは、その属性の魔法を発動させやすく、属性のこもった道具を使うときも親和性が高いため、効力がよくなります。私の場合ですと、火属性魔法が強化されますね」
「じゃあ俺は特に得意な属性はないのかー」
ちょっと残念な気分である。赤いもやを纏うメリルを見ると尚更だ。
「とはいえ属性を帯びているのが必ずしもいいかと言われると、そんなことはありません、この世界では属性の強弱関係があり、不得意属性の魔法は発動しても威力が弱くなるなどの弊害があります。私の場合、火属性魔法は得意で上級の魔法も使えますが、水属性の魔法は下級の物がいくつか使えるだけで、中級以上はほとんど使えませんね」
ふむ、そういう属性間の関係もあるのか。
「なるほど、ちなみに属性の強弱関係ってのは?」
「火は土に強く、土は風に強い、風は水に強く、水は火に強いという四大属性の関係と、光は闇に強い、闇は光に強いという二大反属性の関係があります。また、どの属性にも特に影響を受けない無属性もあります。ちなみに魔界の住人は全般的に闇属性が得意で、天界の住人は光属性が得意です。そして人間界の人間は無属性に適正があるようですね」
「ふうん……俺は人間だから無属性魔法が得意なのかな?」
何気なくそう言った瞬間、ピシリと空気が固まったような気がした。
「あ、あの、メリル……さん?」
「……魔王様、魔王様はランドゲルズ様から力の継承をされたときに、魔王になったのです。自分は人間などと、あんな下等生物と同じなどと、間違っても言ってはなりません」
やばい、メリルがなんだかよくわからないけどとても怒っている、そんなに自分が人間だって言っちゃいけないことだったのか。しかも、今のメリルの発言だと、俺は人間を辞めたことになってるのか? なんてこった。
カタカタ震えながら見ていると、メリルはふぅ、と溜息をついた。それと同時に空気もやわらいだものとなる。
「失礼いたしました、少々取り乱したようです。魔王様はまだこちらの世界に来たばかりで、魔界の住人と人間の関係には詳しくないのでしたね」
「は、はい……ごめんなさい」
思わず謝ってしまう俺。
「いえ、今のは私の説明不足でした。まず、魔界と人間界ですが、仲は悪いです」
メリルが言い切る。
「それはどうして?」
「魔界側は人間界にあるダンジョンを運営しておりますが、基本的に人間など眼中にありません。まぁ、正しくは人間界の住人全てが眼中にないのですが……それはというのも、人間界の住人は我々魔族に比べ脆弱であり、それよりも大きな脅威として本来の敵である天界という存在があるためです。しかし、そんな状況であっても、人間たちは数だけは多いものですからダンジョンに勝手に入ってきては危険と言って魔物を殺し、我々が集めた宝物などを強奪していくのです、もちろん防衛用の魔物も配備しているのでそうやすやすと突破はされないのですが、人間たちの中に稀に現れる力の強いものや、あるいは人間の国から派兵される大量の兵といった存在に、ダンジョンの奥深くに侵入を許すこともあるのです」
これだけ聞くと完全に人間が侵略者みたいな感じだけども……人間側からはどういう風に感じているんだろうか。気になるが、やぶ蛇になるような気がするので、今は訊かないでおく。
「話し合いとかで解決出来ないの?」
ビキリと、先程よりも不穏な空気を漂わせて、再び部屋の空気が固まった。
「……話し会い……? 話し会いですか……?」
「ごごごごめんなさい!」
冷徹な目をしたメリルにまたしても謝ってしまう俺。
「遥か昔、人間の王にダンジョンを作るが危害は加えない、代わりに兵を寄越すのはやめてくれと交渉した魔王がおりました。その魔王がどうなったかわかりますか?」
怖い顔でメリルが問う、もちろん俺はその魔王がどうなったかなんて知らない。
「い、いや……」
「その魔王はですね、話し合いに赴いた人間の城で、大勢の不意打ちにあって討たれたのですよ。その後、その魔王が管理するはずだったダンジョンの結界陣は破壊され、二度と使えないようにされました。その事件があってから、魔界には人間と交渉はせず、侵入者は残さず排除するという方針が出来たのです。人間を根絶してしまう案も出ましたが、そんな大規模な戦いとなると魔界側の被害も大きく、天界側に付け入る隙を与えることになるので、そちらは廃案になりましたが」
「それは、確かに酷い……」
話し合いのテーブルに出向いた相手を殺すなんて、俺でも許せないと思う。でも、この世界のではないといえ、人間である俺には、メリルから人間に対して向けられる負の感情が、自分にも向けられているようで複雑な気分である。
「そういう訳ですので、人間は敵であり排除すべき存在。そして魔王様は人間ではなく魔王、これをしかと心にお刻みくださいませ」
「わかった、わかったよ。そういえばさっきも気になったんだけど、魔王って種族扱いなの?」
人間に対しては思うところもあるが、今はその話をすべきタイミングではない、なので別のことを訊こう。
「いえ、ダンジョンを運営する能力を持つもの……大きな基準としてはある程度以上の魔力量を持つものが魔王級の存在と呼ばれていますね、それ以外にも色々とあるのですが、基本は魔力量で判別されます」
「じゃ、じゃあさ、怒らないで聞いてよ? 俺って種族は人間ってことになっちゃうんじゃないの?」
「……いえ、正しくは異世界人でしょうね。恐らくはランドゲルズ様が、この世界の人間にはない何かを基準に貴方様を選んで力の継承をなさったのでしょうから」
「なんだか理屈っぽい気もするけど……それでいいのかなあ……」
「良いのです。それに、魔界で自分は人間だなどと言えば、大騒ぎですよ? 殺されてもおかしくありません」
真面目な顔をしてメリルが告げる。
「う……それは怖い」
「でしょう。今後も発言にはお気をつけ下さいませ」
「わかったよ……ちなみにメリルは何の種族なの?」
「……」
何故かメリルが黙ってしまった。ひょっとして、またまずいこと訊いた?
「ごめん! 嫌なら言わなくていいから!」
「……いえ、私はダークエルフです」
「へ、へぇー、ダークエルフなんだ。耳長いしね」
なんだか気まずそうな顔をしているメリルを見て、困らせてしまったかとことさら平静を装って言ってみる。
「魔王様はご存知ないと思いますが、私はエルフと魔族のハーフなのです」
「ええと、それに何か問題が?」
「基本的に繁殖活動は、魔界は魔界の住人同士で、天界は天界で、人間界は人間界でと決まっています。しかし、エルフが住んでいるのは……人間界です。魔界ではありません」
つまりメリルは魔界の住人と人間界の住人のハーフ……ということは。
「……メリルはあまり、魔界では歓迎されてない?」
「はい、炎の悪魔族である私の父が、人間界でさらってきたエルフの女性を妾にし、その妾から生まれた子が私なのです。家族は優しくしてくれましたが、周りの風当たりは厳しかったですね」
さらりと告げられるその内容の凄さに、思わず絶句してしまう。
「そうなのか……もしかして、このダンジョンへの派遣も何か思惑が……」
「いえ、周りから見れば言えば左遷みたいなものでしょうが、私は自分の意思でこのダンジョンに来ることを選んだのです」
「そっか、良かった」
自分が悪いわけではないのだが、もしいやいや左遷されてきたのなら、なんとなく罪悪感のようなものを感じてしまう。
「魔界で周りに睨まれながら仕事をするのも、疲れていたところですしね」
「俺、ちゃんと出来るかわかんないけど、魔王として頑張るからさ!」
気休めな台詞しか出てこない自分の口がなんとももどかしい。でも、メリルは悪い人ではなさそうだし、何か力になれればいいとは思う。
「ありがとうございます、魔王様。それでは、話が大分ずれてしまいましたが、魔法の練習をしましょうか」
「よろしく!」
気を取り直したようにメリルが言い。俺も同意する。
「とはいえ、魔力が見えていればそんなに難しいことではありません。最初のうちはそうですね、手のひらに魔力を集めて<<火よ灯れ>>と唱えていただけますか?」
そう言うとメリルの手のひらに小さな火が灯る。
「なるほど、魔力を集める……集める?」
手に力を入れたり、念じてみたり、色々やってみるが魔力が全然集まらない。
「えっと、コツとかないの?」
「すみません、魔力が見えれば苦労せず出来たので、コツなどは少し……」
困ったように告げられ、本当にコツなどないのだとがっくりする。
「うう、簡単って言ったのに」
「魔法がない世界から来られたので、魔力の扱いが無意識下に根付いていないのかもしれません」
「つまり?」
「練習あるのみ、でしょうか」
俺が魔法を使えるようになるには、まだかかるのかもしれない。
「魔力を扱えない状態ではダンジョン運営は難しいので、先にダンジョン内の施設についてご案内いたします」
「……はい、よろしくお願いします」
あの後、色々と試してみたが結局魔力を操ることは出来なかった。くそぅ。
「とはいえ、先代の魔王様は晩年力の衰えが激しかったため、ダンジョンはかなり縮小しておりますが」
「えっ? ダンジョンってちっちゃくなるの?」
初耳だ。一体どんな仕組みになってるんだ?
「そうですね、ダンジョン全域に魔王の魔力を通せなくなると、その部分は結界陣の魔力収集領域からは外れてしまいます。このダンジョンの場合、一度地下八層までは開拓が進んでおりましたが、力の衰えと共に地下三層までは埋められてしまいました」
俺、ちゃんとダンジョンに魔力通せるのかなあ……
「あれ? 今の話だと地下二層までは大丈夫みたいだけど、俺魔力とか通してないよ?」
「恐らくは力の継承の際に、現在の魔力収集領域には魔力が通されたのではないでしょうか」
あくまでも予想ですが、とメリルは続ける。
「なるほど、でも地下三層以下も埋めなくてもいいのに」
そのままだったら魔力の続く限りダンジョンに注ぎ込めば、結構簡単に拡張出来るんじゃないかと思う。
「魔王の魔力が通ってない空間は、魔力による補強がないため地盤が不安定になりやすく、危険なのですよ」
なるほど……便利だなぁ、魔王の魔力。
「もしかすると、力の継承で体に起きた感覚を思い出せば、魔力の扱い方のきっかけが掴めるかもしれませんね」
「おお、なるほど!」
案内が終わったら再挑戦してみよう。
「では行きましょうか、まずは地表にあるダンジョンの入口ですね」
洞窟から出てみると、森林のまっただ中だった。周りには背の高い樹木がうっそうと生い茂り、耳には鳥や虫の鳴き声が届く。少し湿度の高い空気からは、かすかに草の匂いを感じる。気候的には日本の春くらいだろうか。俺は今シャツとジャケット、ジーンズといった格好だが特に暑さも寒さも感じない。
ダンジョンへの入り口は広く、高さ、幅共に十メートルはあるように見える。巨人でも通れそうだ。
「周辺は野生動物の住処ですね。人間は滅多に来ません。時折道に迷った木こりが来る程度だと聞いております」
「それはじいさんが?」
「はい、資料に残されていました」
なるほど、とりあえずいきなり攻められてゲームオーバー、なんて事態はなさそうだ。とはいえ油断は禁物だけども。
「んじゃ、次行こうか」
「はい、続いては第一層の魔物詰所ですね」
「魔物の待機場所みたいなもんか」
「はい、第一層の守備を担当する魔物の生活スペースですね」
案内されたそこは簡易な生活スペースとなっており、いくつかの部屋に寝台、テーブルや倉庫らしきものなどがあった。
「今は誰もいないね」
しばらく誰も訪れていないのだろう、テーブルの上にはうっすらと埃が積もっている。
「晩年の力の衰えにより、ほとんどの魔物は魔力に戻したと資料にはあります。他は最重要施設である結界陣の守備に残っているだけですね」
「魔物って魔力で出来てるんだ?」
「はい、結界陣が集めた魔力を使って、魔物を召喚します。召喚された魔物は魔王の魔力が通っているダンジョン内に居れば、基本的に飲食は不要です」
なんと便利な。魔力で腹が膨れるのか。
「お腹とか減んないのかな」
「空腹感はあるようですが、定期的にダンジョンの魔力を摂取していれば、それもあまり感じないみたいですね」
「普通の食べ物も食べられるの?」
「はい、通常の生物と同じく、肉体を持っておりますので、消化器官などもちゃんと存在します」
へぇ、魔力から出来ていると言っても、一度召喚したらちゃんとした生き物なんだな。一体どんな原理で魔物召喚が行われているのだろう。
「死んだらどうなる?」
「ゴースト系の魔物などを除き、基本的に死体は残ります。魔力として還元するためには、結界陣を使ってしかるべき手順を踏む必要がありますね」
「ふむふむ」
「人間などは魔物の死骸を持ち帰り、素材を武具に加工したりすることもあるようです」
「魔界の人はやんないの?」
色んなゲームで魔物の素材を使って武具を作るっていうのは定番だけど。
「自分より魔力量の低い魔物の素材は、すぐ壊れてしまいあまり役に立ちませんから」
「じゃあ人間は魔力が少ないのかな?」
「そうですね……たまに人間も魔力の多い個体が発生するようですが、基本的には魔力をほとんど持たない者ばかりです」
「なるほど……」
先ほどのメリルの説明でもあったが、この世界の人間は弱者っぽいなあ。
「第一層はこの程度ですね、次は第二層に参りましょうか」
「わかった」
先ほどまでいたじいさんの執務室も第二層にあったので、戻ってきた形になる。
「第二層、というより最下層にはダンジョンの重要施設が並ぶことになります。魔王様の執務室、寝室、更に結界陣へと続く転送陣、宝物庫などですね。後はダンジョンの運営方針にもよりますが、ダンジョン運営に携わる幹部の個室なども含まれる場合があります」
「最下層ってことは、地下を掘るたび移動していくの?」
「そうなりますね、新しい階層を開拓する際には、安全な場所に重要施設は移動します。ただし、結界陣は移動出来ないので、結界陣がある場所は厳重に防御措置を施し、また物理的には道を作らないで、ダンジョン内で最も安全な位置に移動用の転送陣を作成します」
「なるほど、安全な場所=最下層って訳か」
「はい、これはあくまで基本的には、ですが。上の階層のほうが安全な場所などでは、当然逆の作りになります」
「例えばどんなダンジョン?」
「有名なところだと、天まで届くほどの高さを誇る塔型ダンジョン<バベル>などでしょうか」
なんか神様に壊されそうで嫌な名前だな……
「最初に魔王様が寝ていた場所が寝室で、その後執務室に移動しましたね。ですから次は宝物庫を見てから、転送陣を使って結界陣を見に行きましょうか」
「宝物庫かあ……何があるのかな!」
ダンジョンで宝物庫と言えば、金銀財宝や特殊な力を持った武器防具など、夢が膨らむよなあ!
「期待しているところ申し訳ないのですが、その、ランドゲルズ様は変わり者でしたので、一般的な宝物はあまりないかと思われます」
「がーん」
「ま、まあ、とりあえず参りましょうか」
やってきました宝物庫。
「研究資料しかないやん?」
「……そうですね」
色んな資料がまとめてドーンと置いてあるくらいで、金銀財宝はおろか、光物が何もない。
「きっと貴重な資料なんだろうけどなあ……」
「内容に関しては、私にも少々理解が及びませんね」
メリルに理解出来ないんじゃ、俺には到底無理だ。だが不思議な事に、書いてある文字は日本語ではないのに、どうやら読めるようだ。……読めるというより、意味が理解出来るという方が正しいのかも知れないが。
そういえば言葉も普通に通じているが、メリルが日本語を喋っている訳がないよな?
じいさんに召喚されたときに、じいさんが何事かをつぶやいていたが、あれは理解出来なかった。もしかして、魔王の力を継承した際に何かが行われたのだろうか。
実際のところはわからないが、とりあえず言語の壁を越えられるというのはありがたい、細かいことについてはおいおい考えていけばいいだろう。
「次、行こうか……」
「魔王様、そんな露骨に落ち込まないでください。これから魔王様が色々と収集すればいいのですよ」
「そうだね……侵入者は木こりくらいだろうけど、頑張るよ……」
さっきメリルが言っていたことを返してみる。
「……」
目をそらされた。酷い。
微妙に暗い雰囲気を漂わせたまま、最後の案内場所、転送陣に到着した。転送陣は魔王の寝室と執務室よりも奥にあり、なるほど最も安全な場所、という感じだった。
「結構殺風景な場所に設置してあるんだね」
「目立ってもいいことありませんから」
それもそうか。わざわざ狙ってくださいという作りにする意味もないし。
「では、結界陣へ参りましょうか」
「えーと、どうやって?」
「この転送陣を起動することにより、結界陣の間へと繋がります。今回については私が転送陣を起動しますが、魔力が扱えるようになったら基本的に転送陣は魔王様が許可を出した者以外には使わせないようにしてください」
「悪用されると困るもんね。メリルは信用してるけど」
あくまでも今のところは、であるが。
今後も裏切られないことを期待したい。
「ご信頼をいただけるのはありがたいですが、くれぐれもお気をつけ下さいませ」
「わかった、肝に銘じとく」
「では、転送陣を起動します」
メリルから赤い魔力が転送陣に流れてゆく、すると転送陣から光が溢れ、明滅を始めた。
「これで転送陣が一定時間起動しました。後は乗るだけです」
「なるほど、魔力を流すだけでいいのか」
「はい、ただし起動するにはそれなりに多い魔力が必要になるので、ご注意ください」
「俺でも大丈夫かな?」
「魔王様の魔力量は私より遥かに多いので、問題ありませんよ」
そうだったのか、魔力量とかはまだよくわからん。
「そっか、なら安心」
「では、参りましょう」
転送陣に足を踏み入れると、一瞬閃光に包まれた後、俺が初めて召喚された祭壇へと転送された。
「ああ、確かにここで召喚されたんだな」
「実感がありますか?」
「うん、なんだか魔力が馴染むような気がする」
なんていうのかな、血行が良くなったような感じ。
「ここがダンジョンの心臓部ですからね、魔力の通りも一番良いのだと思います」
「そういやじいさんはどうなったんだ? 力の継承をした後にぶっ倒れちまったみたいだが」
「ランドゲルズ様は私が介抱して、様々な引き継ぎを済ませた後に、息をお引き取りになりました」
「そっかー……ちょっとは会話してみたかったな」
色々聞いてみたかったから、ちょっと寂しい。現状を理解するためにも訊いておきたかったことも沢山ある訳だし。
「魔王様の召喚にかなり無理をされたらしいので……」
「……ちなみに、遺体は?」
「私の父が引き取っております。生前から仲が良かったので」
「なるほど、なら安心なのかな」
「はい、丁重に扱ってくださると思います」
メリルが大丈夫だと頷く。
「なんだかここに来たことで、魔力が扱えるようになりそうな気がする。戻って練習してみるか」
「わかりました、一度執務室へ戻りましょうか」
じいさんが何を思って俺を魔王にしたのかはわかんないけど、とりあえずは頑張ってみるよ。
場所は戻って再び魔王の執務室。本と紙の匂いが充満する室内で、机の上にあった本の山を押しのけてスペースを作る。
「あれ、そういや結局結界陣を守っている魔物って見てないんだけど」
「ご紹介し忘れました。転送陣に向かう途中、石の彫像があったのを覚えておりますか?」
「ああ、あの怖そうな奴、確か四体あったっけ」
「あれはガーゴイルの一種で、敵意あるものが近づくと襲い掛かるようになっております」
「そうだったのか……動くのかあれ……」
捻くれた角の生えた強面の彫像だったから、今度から通るときは緊張しそうだ。
「それでは魔法の練習をしましょうか」
「今度こそ使ってみせる!」
先ほど結界陣で感じた感覚を思い出す。皮膚感覚が延長されたような感覚、ざわざわと、自分の表面に見えている魔力がうごめいているような錯覚を覚える。いや、錯覚ではなく、実際にうごめいているのかもしれない。それを意識して右の手のひらに集める、一分以上の時間をかけて、ようやく手のひらに魔力が集まったと言える状態になった。そして、呪文を唱える。
「<<火よ灯れ>>」
すると、手のひらの魔力の塊が急激に燃焼を起こして……燃焼!?
「<<水の守り>>」
メリルの声が聞こえたと思ったら、俺の手のひらにあった火は跡形もなく消えていた。
「おおお!?」
「魔王様、魔法の発動、確認いたしました。しかしながら魔力を込めすぎです」
「メリルが止めなかったら危なかった?」
「そうですね、今のはただ火を起こす魔法なのですが、流石に規定量の五十倍も魔力が込められていたので、軽く爆発くらいは起こっていたかと」
あ、あぶねえ、そんなのが右手で起きたら腕が吹っ飛んじまう。俺の背筋に冷や汗が流れた。
「た、助かったよメリル、ありがとう」
「どういたしまして、しかし、魔法に関しては練習が必要なようですね。ここでは少々不便ですので、広間で練習しましょう」
うん、それがいい。執務室でボヤ騒ぎなんてなったら、じいさんの研究資料が燃えてしまうかもしれないし。
「でもその前に、食事にしましょうか。魔王様が召喚なされてから、大分時間も経ちましたし」
「ああうん、お腹空いていたんだ、助かるよ。そういえば、食材とかって普段はどうしてるんだ?」
「当面はランドゲルズ様が準備してくださった食材がございますが、なくなった後は魔界から買い付けるか、ダンジョン近隣で狩りをするか、人間の集落から略奪するか、などですね」
略奪は……最後の手段にしたいなあ……交渉とか言ったらまたメリルが不機嫌になりそうだし、うーん、どうしたものか。
「魔界から買い付けるっていうのは簡単に出来るのか?」
「結界陣を使って魔界とゲートをつなげる必要があります。しかし魔界にゲートをつなげるには膨大な魔力を消費するので、頻繁につなげるのは難しいですね。ダンジョンの規模が大きくなれば収集出来る魔力も増えるので、その分つなげやすくなりますが」
「ちなみに今はどれくらい魔力を収集すれば魔界にゲートをつなげられるの?」
「このダンジョンの規模ですと、半年から一年といったところでしょうか。ランドゲルズ様のご遺体を魔界に戻す際にゲートを使ってしまいましたので、現状ではゲートをつなげるのは無理ですね」
となると、俺とメリルの分の食料は、現在あるものを使い切ったら当面は魔界からの買い付け以外の手段でどうにかして確保しないといけないわけか。
地表周辺で狩りとか……出来るかなあ……
考え込んでいる俺をよそに、メリルは食事の準備を進めていた。
「魔王様、どうぞ」
メリルが用意してくれたのはサンドイッチだった。てっきり保存食みたいなものが出てくると思ったが、生ものが入っていて驚いた。訊けば鮮度が重要なものには保存の魔法がかかっており、日本で言う消費期限よりも遥かに鮮度が長持ちするらしい。
日本の食パンに比べると少し硬いパンに、ハムやレタスなどが挟まっている。まぁ、ちゃんとした名前を知らないから、全く別の食べ物かも知れないが。
「お、ありがとう。メリルはなんでも出来るんだなあ」
サンドイッチをもぐもぐと頬張りながら、メリルの手際に感心する。味も悪くない。
「いえ、料理は簡単なものしか出来ません」
「俺はからっきしだったからなあ、家にいても母親の料理の手伝いすら……」
母さん、心配するだろうなあ。寝て起きたら息子が失踪しているなんて、思いもよらないだろうし。父さんはどう思うだろうか。最近はあまりやんちゃなこともしなくなったから、何で俺がいなくなったのか悩むだろうな。俺よりも更に色々と考えこんでしまう質なので、きっと過大な心労を抱え込んでいるだろう。もう捜索願とか出されているかも知れない。まさか異世界にいるなんて思いつくわけがないから、それも無駄になっちゃうよな……
家のことをつらつらと考えていると、メリルが気遣わしげに訊いてきた。
「魔王様、元の世界に、家に帰りたいですか?」
「そりゃあ、帰りたいかと言われれば、帰りたいかな。でも、帰る方法もわからないし、魔王の仕事を放棄してメリルが殺されちゃうのも嫌だし、今は魔王として頑張ろうと思っているよ」
現状を理解するためにも、自分の居場所は必要だ。この世界の知識が何もないまっさらな状態で放り出されて生きていけるほど、俺はサバイバル慣れしていない。
「……お気遣い、ありがとうございます」
「いいのいいの、メリルにはこれからもたくさん迷惑かけることになるだろうし、さ」
「覚悟しておきます」
そう言ってメリルはくすりと笑った。初めて見るその笑顔は、とても魅力的だった。
願わくば、彼女とはこのままいい関係を続けていきたいものだ。
食事の後、数時間の魔法訓練を行い、なんとか出力する魔力量をある程度調整出来るようになったところで、メリルから提案があった。
「魔王様、もう遅い時間ですし、最後の仕上げとして魔物の召喚を行なってから、本日は終了としましょう」
「わかった」
魔王の大事な仕事、防衛戦力兼、戦争時の戦力でもある魔物の召喚か。
ダンジョン最奥部から転送陣を使い、結界陣へと移動する。ちなみに、今回の転送陣は俺が起動してみた。やはり規定よりも多めの量を流してしまったが、多い分には問題ないということで、気楽に行うことが出来た。
「さて、魔物の召喚ですが、結界陣の保有魔力、ダンジョンの規模、そして魔王の特性により召喚出来る魔物の種類や強さが変わります。当然魔力が多く、ダンジョンが巨大であればより強力な魔物を召喚することが可能になります」
「魔王の特性ってのは?」
「これは魔法について説明した際にも話しましたが、得意属性があればその属性の魔物は呼び出し易くなります。逆に不得意属性であればほとんど呼び出せなくなりますね。また、魔王が特定の種族、例えばアンデッドキングやヴァンパイアロードなどの種族であれば、アンデッド系の魔物が呼び出し易いといった特徴があります」
「ふむふむ」
異世界人である俺はどんな魔物が呼び出せるのだろうか。
「魔王様の場合は異世界人ですので、この法則に当てはまらない可能性もありますが、恐らくは亜人や獣類、あるいは人型のアンデッドあたりが呼び出せるのではないかと思います」
なるほど、確かにその可能性はありそうだ。でもアンデッドはちょっと怖いからなんとなく嫌だなあ。
「じゃあ、とりあえずやってみるか」
「はい、では結界陣の上で<<我が眷属よ来たれ>>と唱えてください」
「OK……<<我が眷属よ来たれ>>!」
唱えた瞬間、結界陣がまばゆい光を放ち、視界が閃光に満たされる。そして閃光が収まった時、そこには
「犬?」
赤い毛皮をした大型犬がいた。
「いえ、魔界の狼ではないかと思われます」
どうやら狼らしい。
「毛皮が赤いのは、火属性を帯びてる?」
「そう……ですね、結界陣周辺にいた私が火属性を帯びていることと、魔王様の使える魔法が火属性のみ、というのが影響したのかもしれません」
「なるほど、色んな要因で変わるんだな」
「はい」
「しかし、それにしても……」
「それにしても?」
「可愛い!!」
思わず赤毛の狼に抱きつく。うっわー、毛皮もっふもふやん? なんかいい匂いするやん? たまらんなあ!
「……魔王様、それは最下級の魔物ですよ」
だらしない顔をした俺に、メリルが呆れた視線を向けてくる。
「弱くってもいいの! こんなに可愛いんだから!」
「はあ……」
「よし、こいつは俺が呼び出した魔物一号ということで、記念に名前をつけて俺専用のペットにしよう!」
「そんな、下級魔物に魔王様の寵愛を授けるなど……」
メリルは顔をしかめるが、俺は気にしていなかった。
「お前はモフ助だ! モフ助!」
毛皮もっふもふだしな!
「ウォン!」
モフ助も元気よく答える。
「……もう、好きにしてください」
その後モフ助の毛皮を撫でくりまわしていたら、いい加減他の魔物も呼び出してくださいとメリルに怒られた。あれはきっとモフ助の毛皮に嫉妬したんだな。
「……何か?」
俺の心を読んだのか、ギロリと切れ長の目で睨まれた、怖い。
その後、五体程魔物を呼び出してみたが、モフ助と同じく火の魔狼が三匹、人骨で出来た下級スケルトンが二体召喚出来た。
スケルトンの一体とモフ助は俺の護衛兼小間使いとして配置し、残りは第一層の警備に当てる。ただし、入り口から外には出ないように厳命した。もし人間に見られたら騒ぎになりそうだしね。
しかし、出てきたのがスケルトンで良かった。ゾンビだったら見た目と臭いとかで敬遠してしまいそうだ。まあ、いきなり目の前に理科室の骨格模型みたいなのが出てきて動いたもんだから、思わず叫んでしまったが。
本当はもっと色々召喚してみたかったのだが、俺の召喚やゲートの展開などで大分結界陣の魔力を消費していたらしく、これ以上は駄目だとメリルから言われた。次の召喚は一週間後あたりにしてくれとのこと。
それまでは魔法の練習をしつつ、魔王の生活サイクルに慣れていくことになった。
魔界からの管理者が定期的にダンジョンの様子を伺いに来るらしいので、それまでにはある程度防衛体制などを整えておく必要があるとも言っていた。まるで会社員だな。
そんな訳で、俺の召喚一日目は更けていくのであった……