8.とある一日
服を注文してから三日目の朝、トレンティア商会から連絡が入ったとメリルが伝えてきた。
宿の一階で朝食を摂っていた俺は、口の中に入っているふんわり焼きあげられたパンをもぐもぐと咀嚼しながら頷いた。
少し海藻のような変わった香りがするが、中々美味しい。ダンジョンでは食べたことのない味なので興味深い。アーシャに聞けば知っているだろうか。
「それじゃあ朝ごはん食べたらトレンティア商会に顔を出そうか」
「はい」
メリルが返事をしながら、出された朝食に手を付ける。
今朝のメニューはバイコーン──二本の角を持つ、牛と馬の中間みたいな魔界に生息する動物らしい──のシチュー風煮込みと、今朝採れたてだという野菜のサラダ。それから先ほどのパンである。
バイコーンは少し筋っぽい肉質をしているそうなのだが、じっくりと煮こまれているためか驚くほどに柔らかい。口の中に入れたらとろけるようになくなってしまうくらいである。また、味付けはしつこくなく、パンにつけても大変美味しい。
そんな宿の食事に舌鼓をうちながら、今日の予定についてメリルへ訊く。
「今日の予定は商会に行くだけかな?」
「そうですね」
メリルが頷く。
「魔王会議まで後四日か……もう準備は大丈夫かな」
「ええ、問題ないと思われます。どちらかと言えば心配なのは、会議が始まってからでしょうね……」
憂いを帯びた表情でメリルが呟く。
「まぁ、色々言われることは覚悟しておくよ。そういえば魔王会議って、誰が出席するんだ? 人間界の魔王だけ?」
準備に追われてばかりで、肝心の会議内容をよく知らない。今回の会議は俺の顔見せみたいなものらしいが……
「いえ、人間界の魔王とそれをまとめる大魔王に加え、軍の関係者とそれを支援する貴族もおりますね。それと恐らく挨拶だけだと思われますが、皇帝もいらっしゃるのではないかと」
「そんなに大勢いるの? しかも皇帝って……」
俺は正直もっと小さな会議だと思っていた。
「人間界の魔王というのは、人間界軍の一軍を指揮する存在ですから、魔界の軍の中でもかなり高位の地位なのです。ですから魔王様の就任式も兼ねたこの会議は、それなりに大勢の魔族が関わってくるのですよ」
メリルが丁寧に説明してくれる。
「うわぁ……俺、もっと小さな会議だと思ってたよ。作法とか全然知らないんだけど、やばくないか?」
皇帝が来るって聞くだけで、変な汗が出てきた気がする。
「作法については私がお教えいたします。それほど難しいものはありませんので、あまり気負わなくても大丈夫ですよ」
優しい表情をしたメリルが俺の気分を落ち着かせるように告げる。それを聞いてちょっと安心した。
「いつもすまないねぇ……」
俺はおじいちゃんのような口調で喋る。
「……? 私は魔王様の補佐が仕事ですから」
一瞬不思議そうな顔をしたメリルだが、特に何も言わずに同意した。残念である。そういう場合は「それは言わない約束だよ、おとっつぁん」と返して欲しかったのだが。いや、知らないネタだろうし無理か。
「まぁ、とりあえずトレンティア商会に行きますか」
気を取り直すように言葉を発して、席を立つ。
「はい、参りましょう」
三日ぶりに訪れたトレンティア商会では、既に頼んだ服が用意されていた。
それを試着室で着替えようとして……して……
「これ、どうやって着るんだ……」
着方がわからなかった。
「魔王様? どうかなさいましたか?」
メリルが何事かと訊いてくる。
「い、いや、ちょっと服の着方が……」
どうやら黒地に金の刺繍が施された軍服のような服なのだが、装飾がやたら多いのとマントがついているお陰で複雑な構造になっているみたいだった。
「わかりました、失礼いたします」
「えっ?」
下着姿で思案しているところに、突然メリルの台詞が聞こえてきた。何事かと試着室の扉に目をやると、メリルが入ってきているところだった。
「きゃああああああ!」
思わず女の子のような声を上げながら、手に持った服で体を隠してしまう。
「お静かに」
普段と変わりないメリルの反応に余計混乱する俺。
「なっ、なっ、なぁ!?」
「何故かですか? 魔王様が服の着方をご存じないということなので、私が着付けをいたします」
「ひ、一人で頑張る! 頑張るから!」
女性に裸を見られながら着替えるのなんてどんな羞恥プレイだ!
「大丈夫です、すぐ終わります」
「そういう問題じゃねぇ!」
やめて! 俺の持っている服を奪わないで!
「いいから寄越してください」
バッと手に持った衣服を奪われ、下着姿をメリルに晒してしまう。
「待ってくれぇ!」
「あまり騒ぎますと、無理やり着せますよ」
じろりとメリルに睨まれ、動けなくなってしまう俺。まるで蛇に睨まれた蛙である。
「はい、ではそのままで居てくださいね」
騒がなくなったことを良しとしたのか、メリルがてきぱきと服を着せてくる。
「うう……、もうお嫁に行けない……」
しばらく後、服を着させられた俺は、自分の姿をチェックすることもなくさめざめと泣いていた。
「婿の間違いでは?」
メリルの正直すぎるツッコミが耳に痛い。
しばらく隅っこで落ち込んだ後、数分かけてようやく再起動し、俺は自分の格好を確認した。
「うーん、派手だ」
基本は黒地で、ところどころに金の刺繍が施されている。形として似ているのはやはり軍服だろうか。全身が黒で、ネクタイも黒、そしてやはり黒の編み上げブーツにズボンの裾が入れられ、全体として見るとかなりいかめしい感じである。
マントは裏地が赤で表が黒。やはり細かく刺繍が施されており、これだけでも結構な重量がある。
また、服の背中側にはちゃんと剣を固定する剣帯がつけられていて、全てを身につけたフル装備になると戦隊物に出てくる悪役みたいな感じの格好である。
「似合っていますよ」
変じゃないかと思っていたところに、メリルの率直な賛辞が耳に届いて面映い気持ちになる。
「そ、そうか、ありがとう」
「この出来なら、魔王会議も問題ありませんね」
メリルがそう言うなら間違いないのだろう。トレンティア商会はきっちりと仕事をしてくれたようだ。
「後は細かいいくつかの点を調整してもらいましょうか」
「わかった」
俺が頷くと、メリルは何故か俺が着ている服に手をかけた。
「えっ?」
「では、脱がせます」
「ちょ、ちょっと待って! 脱げるから! 一人で脱げるから!」
「いえ、脱げないと思いますので、私がやります」
「そ、そんなぁ!」
結局脱がされてしまう俺である。
やっぱりもうお嫁に行けない……




