未来の話
僕は複雑な気持ちで彼女の膝に頭を擦り付けて甘えるペットの「マー君」を見た。
* * *
二人っきりになるのは久しぶりだった。
彼女の家に来るのも一ヶ月ぶりだ。
二人とも社会人で忙しく、休日がなかなか重ならない。
今日は珍しく休日がかぶったため、彼女の家に御呼ばれされた。
彼氏として、そこはどうしても期待してしまう。
なんせ一ヶ月ぶりだ。
男として溜まるものも溜まっているし、彼女だってきっと期待している。
一日中二人で睦み合ってだらだらと過ごす。
想像するだけで最高に幸せな休日に、なるはずだった。
なのに、だ。
そんな僕の期待に反して、ソファーに座る彼女はさっきからペットに夢中だ。
彼女が一月前に購入したペットは「犬」だった。
子犬は手がかかるから成犬を購入したと彼女は嬉しそうに電話で報告した。
値段はそれなりにかかったそうだが、それも会社でのストレスを癒してくれると思えば、安い買い物だと彼女は言っていた。
僕も早く見たいな、と電話では返したけど、正直雄の犬に興味はなかった。
その犬は確かに格好よかった。
ふわふわな茶色い耳に不思議な光りを湛える瞳。
犬用のパンツからはふさふさのしっぽが生えている。
鼻にかかった犬独特の鳴き声は、女性には大変甘く聞こえるらしい。
先程からくぅんくぅんと、甘えた鳴き声で彼女の膝に埋もれたり、ペロペロと舌で舐めたり鼻を擦り合わせたり。
犬だからこそ、なんとも生意気だった。
犬と張り合うのは大人気ないし、意味がないのはわかっているけど、やっぱり少し嫉妬してしまう。
だけど彼女は犬に夢中。
この一ヶ月間ずっと彼女の肌が恋しくて、何度も自家発電をしていた僕とは違い、彼女はぴんぴんとしている。
まさか犬に慰めてもらったのではないかと、妙な勘繰りまでしてしまう始末。
そろそろ我慢の限界なのだ。
犬のくせに彼氏の僕よりも彼女にべったり寄り添っているのが気に食わない。
舌でペロペロ舐めている姿を見るとわざと僕を挑発しているのではないかと思ってしまう。
疲れているから、こんなくだらない妄想までしてしまうのだ。
…これは、彼女に慰めてもらわないと。
* * *
隣りに座る彼女との少しの隙間が寂しくて、僕はその肩にもたれかかった。
犬がぴくっと耳を反応させたけど、また何事もなかったかのように彼女の膝に擦り寄った。
なんとも生意気だ。
「…くすぐったくないの?」
「うん、少しね」
彼女の耳元に分かりやすい意図を持って囁いてみた。
吐息をわざと当てるようにして囁くと、彼女は頬を染めてクスクス笑った。
「なぁーに?ヤキモチ妬いちゃった?」
「…まさか。相手は犬だぜ?」
「ふふっ。犬は犬でも、マー君は、そこら辺の男の子よりもずっと格好いいわよ?」
「そりゃ、犬だもん。格好よくなきゃ、売れないさ」
「え~?でもペットショップには不細工な犬とか猫もいたよ?」
「あれは一部の人向け。ブスが好きな人もいるの」
分かんないな~と彼女は子供みたいに悩みながら僕の胸に凭れ掛かった。
そうすると、店でよく調教されたらしい犬は場を読んで彼女から離れた。
「あっ。マー君が行っちゃった……」
「空気が読める犬でよかったよ」
彼女の口を黙らせて、まだこっちの方を見ている犬を軽く睨んで追い払った。
久しぶりの恋人同士の逢瀬を邪魔しないように、今度は僕がきちんと躾けてやろう。
そして僕を散々ほったらかしにした彼女にも、お仕置きをしなければならない。
* * *
犬よりもずっと甘い、鼻にかかった鳴き声を発していた彼女も、今は上機嫌に僕の腕枕に鼻を擦り寄せている。
彼女は犬というよりも猫に近い。
「ふふふっ。やっぱりヒロ君、ヤキモチ妬いてたでしょ?」
「…別に」
「うっそだぁ。いつもより意地悪で激しかったもん」
汗をかいている僕の胸板に悪戯をするように彼女はちゅっとキスをした。
噛み癖のある彼女のおかげで、身体中歯型だらけだ。
そこだけは犬っぽい。
「ねぇー…ヒロ君も犬を飼ってみない?」
「僕が?」
「そう。ヒロ君が雌の犬を飼って、私が雄のマー君を飼う」
「…」
「…それで、二人が結婚したら、その子達も夫婦にして、子犬をいっぱい作ろう?」
「結婚」というワードで彼女は顔を赤くして目を逸らした。
僕は、まさか彼女の口から明確な将来の話が出るとは思わず、不覚にも感動してしまった。
「…ヒロ君、嫌?」と上目遣いに言う彼女に、僕がNOと言うわけがない。
僕は心底彼女に惚れているんだから。
「雌犬だからって、浮気しちゃダメだよ?」
「しないって。犬に浮気してどうするんだよ」
「…私より可愛い犬は選んじゃダメ」
「はいはい。でも犬を飼うんだったら黒毛がいいな」
「黒毛?髪が黒い子?耳と尻尾も黒い子?」
「そう、肌は白いのがいい」
「うわー、そのタイプはきっと高いよ?それになんかスケベ」
「えー…」
「マー君は途中で移植されたタイプだからまだ安いけど、ヒロ君はきっと最初から配合された子がいいでしょう?」
「まぁね。昔は同じ『人間』だったっていうのは…考えが古いかもしれないけど、どうしても受け付けられないな」
「うちの会社のお局さんもそう。もう、法律が出来てから20年以上は経つのにね」
「人権擁護団体って、まだ一部でいるらしいしな」
「ペットに人権もないのにね…」
時代遅れな人ってまだまだいて怖いね、と彼女はぎゅっと抱きついてきた。
こういう甘えたなところに惚れてしまった僕は内心ニヤつきながらも「警察がその内全員逮捕してくれるよ」と慰めた。
「あっ。雌の犬だから、ちゃんとブラジャーとか、そういう下着も買わないとダメだよな…あとは雌だから、生理用ナプキンとかも必要かー……」
「裸で侍らしていたら軽蔑するから」
「……」
「犬だけど、耳と尻尾、脳みそ以外は人間なんだから。ムラムラって来ないようにね」
「…いくら人間の身体でも犬に欲情しないよ」
「でもいるでしょ?雌のペットに欲情して色々しちゃう飼い主」
「はいはい。僕はしませんよ。君だけで充分です」
「よろしい」
可愛らしいリップ音を立てて彼女は僕にキスをした。
キスは激しくなり、二人の呼吸がどんどん荒くなる。
まるで犬のようだと二人で笑った。
隣りの部屋でくぅ~んと甘えるようにマー君が鳴いた気がした。




