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「悪役令嬢のお前は楽でいいな」と婚約破棄されたので、王太子殿下の礼服も外交文書も返上します

掲載日:2026/04/17

「おい、セレナ。俺の礼服は?」


 王太子アルベルト殿下は、朝から不機嫌な声を出した。


 王宮の控えの間。

 今日は隣国リーベルンの使節を迎える、大事な会議の日だった。


 いつもなら、私は前夜のうちに殿下の礼服を確認している。

 皺を伸ばし、襟元の勲章を並べ、袖口の紋章を整え、剣帯の金具に曇りがないかまで見る。


 王族の正装は、ただ着ればいいものではない。

 勲章の順番を一つ間違えれば、相手国への無礼になる。

 色合わせを誤れば、派閥への意思表示と受け取られる。

 贈答品と衣装の格式が噛み合わなければ、王家そのものの教養が疑われる。


 だから私は、いつも整えていた。


 けれど今日、私は何もしていなかった。


「セレナ。聞こえているのか。俺の礼服はどこだ」


「申し訳ございません、殿下」


 私は静かに頭を下げた。


「そちらは、今後ご自身でご準備ください」


「……は?」


 殿下の眉が跳ね上がる。


「何を言っている。今日は使節との会議だぞ。お前は俺の婚約者だろうが」


「昨日、殿下は私との婚約を破棄すると宣言なさいました」


「あれは、身内の場で言っただけだ。正式な式典ではない」


「公爵家、侯爵家、宮廷書記官、近衛騎士、侍従長が同席しておりました。証人としては十分かと」


 殿下は舌打ちした。


「相変わらず、可愛げのない女だな」


「……」


「だからお前は悪役令嬢などと呼ばれるんだ。俺の隣に立っているだけで、少しも場が明るくならない。ミリアのように笑えばいいものを」


 ミリア。

 私の義妹であり、殿下が新しい婚約者にすると宣言した少女の名だ。


 可憐で、涙もろく、愛らしい。

 殿下に守られることが得意な子。


 そして、礼法の試験を三度落とし、隣国語の挨拶文を一行も書けず、夜会の席次を毎回間違える子でもある。


「お前はいいよな」


 殿下は私を見下ろした。


「王宮にいて、王太子妃教育を受けているだけで。俺はこれから国を背負う。会議も外交も政務もある。お前のように、家で楽をしている暇はないんだよ」


 私は少しだけ目を伏せた。


 王太子妃教育を受けているだけ。

 家で楽をしているだけ。


 そう見えていたのなら、きっと本当に、私は見せ方を間違えていたのだろう。


「では、殿下」


 私は顔を上げた。


「本日をもって、私が担っていた礼服管理、晩餐手配、夜会席次、外交文案、贈答品選定、王族礼法の事前確認を、すべて返上いたします」


「……何だと?」


「婚約者ではなくなった者が、王太子殿下の身の回りを整えるのは不適切ですので」


「ふざけるな。では、俺の礼服はどうする」


「ご自身で」


「使節への挨拶文は」


「ご自身で」


「今夜の晩餐は」


「新しい婚約者様に」


「ミリアにできるわけがないだろう!」


 殿下は言ってから、自分の言葉に気づいたように唇を閉じた。


 控えの間にいた侍従たちが、そっと視線を伏せる。

 誰も笑わない。

 けれど、誰も驚いてはいなかった。


 みな、知っていたからだ。


 ミリアができないことを。

 殿下もできないことを。

 そして、その穴を誰が埋めていたのかを。


「おい、セレナ」


 殿下は一歩近づいた。


「実家に帰るつもりか」


「はい。本日中に公爵家へ戻ります」


「俺の晩餐はどうするんだ!」


「料理長にお尋ねください」


「俺の予定管理は」


「侍従長に」


「使節への返礼は」


「外務官に」


「外務官はお前の下書きがないと動けないだろうが!」


「では、殿下が直接ご指示ください」


 殿下の顔が赤くなった。


「お前、俺が困ると分かってやっているな」


「はい」


 私ははっきり答えた。


「困ると分かっております。なぜなら、困らないように私が整えていたからです」


「……っ」


「ですが、殿下は昨日、私を不要だとおっしゃいました」


「悪役令嬢のお前など要らないと言っただけだ!」


「では、悪役令嬢が担っていたものも不要でしょう」


 殿下の背後で、侍従長が小さく咳き込んだ。

 宮廷書記官ヴァイス様は、額を押さえている。

 近衛騎士の一人は、明らかに「始まったな」という顔をしていた。


 そこへ、扉が開いた。


「殿下。リーベルンの使節団がお着きになりました」


 外務官が青い顔で入ってくる。


「それから、歓迎の文案ですが……」


「セレナが書いただろう」


 殿下は当然のように言った。


 私は鞄から一枚の羊皮紙を取り出した。


「こちらですね」


「そうだ。早く渡せ」


「これは私が、アルヴィス公爵家の令嬢として作成した私的な草案です。王家へ提出する義務はございません」


「お前……!」


 私は羊皮紙を折りたたみ、鞄に戻した。


「こちらも返上いたします」


 控えの間が静まり返った。


 外務官の唇が震える。


「殿下。代替の文案は……」


「お前が書け!」


「リーベルン語の格式文は、セレナ様が最終確認をなさっておりました。私どもでは、今すぐには」


「なら、ミリアを呼べ!」


 殿下は叫んだ。


 ほどなくして、ミリアが控えの間へ駆け込んできた。

 桃色のドレスに白いリボン。

 朝から涙ぐんだ目をして、いかにも守られる姫君という姿だった。


「アルベルト様、どうなさったのですか?」


「ミリア。お前が歓迎文を読むんだ」


「歓迎文?」


「リーベルン語だ。未来の王太子妃なら、それくらいできるだろう」


 ミリアの顔から血の気が引いた。


「り、リーベルン語……ですか?」


「お前はセレナと違って、明るくて民に愛される王妃になるんだろう」


「で、でも、わたくし、まだ挨拶の一文しか……」


「一文?」


 外務官が思わず声を漏らした。


 ヴァイス様が書類を開く。


「殿下。確認のため申し上げます」


「何だ」


「ミリア様の王太子妃教育課程は、礼法、外交語学、紋章学、席次、会計基礎、いずれも未修了です」


「黙れ」


「対して、セレナ様は全課程を修了済みです。さらに、殿下の外交文案の七割を補助し、夜会席次の全件を監修し、贈答品台帳の修正も行っております」


「黙れと言っている!」


 殿下が怒鳴ると、ミリアがびくりと肩を震わせた。


「お姉様……」


 彼女は私を見た。


「助けてくださいますよね? いつものように、少し直してくださるだけでいいんです。わたくし、悪気はなかったんです」


「ミリア」


「はい」


「もう、あなたの課題の代筆はしません」


 ミリアは唇を開いたまま固まった。


「代筆……?」


 殿下が低くつぶやく。


 私はヴァイス様へ視線を送った。

 彼は静かにうなずき、別の書類を広げる。


「ミリア様の提出課題ですが、筆跡鑑定の結果、過去六回分のうち四回分にセレナ様の筆跡が混じっています」


「混じっているのではありません」


 私は言った。


「私が直しました。提出できる水準ではなかったので」


「お、お姉様が勝手に……!」


「ええ。勝手にしました」


 ミリアは目に涙を浮かべた。


 以前なら、その涙を見た殿下は必ず私を責めた。

 私が冷たい。

 私が厳しすぎる。

 私がミリアをいじめている。

 そう言って。


 だが今、殿下は何も言えなかった。


 なぜなら、目の前にリーベルンの使節が来ているからだ。

 なぜなら、今日失敗すれば、恥をかくのはミリアだけではなく王家だからだ。

 なぜなら、今この瞬間、殿下自身が私の仕事を必要としているからだ。


「セレナ」


 殿下は声を抑えた。


「分かった。今は怒らない。今回は助けろ」


「お断りいたします」


「命令だ」


「婚約者ではありませんので」


「なら王太子として命じる」


「アルヴィス公爵家は、すでに婚約破棄裁定の申し立てを行いました」


「裁定……?」


「王家側の不当な侮辱、婚約者教育の過度な負担、昨日の婚約破棄宣言、そして本日の脅迫に備えた証言書。すべて貴族院へ提出済みです」


 ミリアが小さく息を呑んだ。


 殿下の顔色が変わる。


「お前、まさか最初から」


「いいえ」


 私は首を振った。


「最初からではありません。最初は、耐えるつもりでした」


 王太子妃になるため。

 公爵家のため。

 国のため。


 私が少し我慢すれば済むなら、それでいいと思っていた。


 礼服を整えた。

 晩餐の献立を確認した。

 殿下の失言を文書で補った。

 ミリアの課題を直した。

 彼女の礼法違反を、体調不良ということにした。

 殿下が会議で読めない資料は、前夜のうちに要約した。


 それでも、私は悪役令嬢と呼ばれた。


 可愛げがない。

 冷たい。

 陰険。

 地味。

 いるだけで空気が暗くなる。


 そう言われ続けた。


「ですが昨日、殿下は私を不要だとおっしゃいました」


「感情的に言っただけだ!」


「私も、感情ではなく手続きを取りました」


 私は鞄からもう一通、封書を出した。


「アルヴィス公爵家は、私の帰還を受け入れます。婚約破棄後の保護、名誉回復、慰謝料請求、すべて進めます」


「ふざけるな!」


 殿下はついに手を振り上げた。


 瞬間、近衛騎士が動いた。


 私が呼ぶより早かった。


「殿下」


 騎士が低く言う。


「それ以上は、脅迫では済みません」


「俺に逆らうのか!」


「証人が多すぎます」


 ヴァイス様が冷静に言った。


「今の発言と動作も、記録いたしました」


 殿下の手が宙で止まる。


 控えの間の空気は、もう彼の味方ではなかった。


「セレナ……」


 殿下は急に声を変えた。


「悪かった」


 私は何も言わなかった。


「俺が間違っていた。改心する。だから戻ってきてくれ」


 昨日までの彼なら、謝罪など絶対にしなかった。

 けれど、今の謝罪が私のためでないことは、もう分かる。


「俺の王太子としての体面はどうなるんだ」


 ほら。


「礼服も、晩餐も、会議も、夜会も、全部お前が整えていただろう」


「はい」


「なら戻れ」


「嫌です」


「俺たちは婚約者だっただろう!」


「あなたがそう思えたのは、私が裏で全部整えていたからです」


 殿下は愕然とした顔で私を見る。


「セレナ……」


「あなたが捨てたのは、私ではありません」


 私は一歩下がった。


「王太子としての体面を支えていた仕組みです」


 その時、控えの間の入り口から、落ち着いた声がした。


「話は聞かせてもらった」


 振り向くと、そこにはリーベルン王国の第二王子、ユリウス殿下が立っていた。


 銀の髪に、深い青の瞳。

 使節団の代表として訪れていたはずの彼は、穏やかな笑みを浮かべている。


「アルヴィス公爵令嬢」


「はい」


「あなたの文案を、先ほど外務官から一部見せてもらった。美しい文章だった。格式も、こちらへの配慮も申し分ない」


「恐れ入ります」


「我が国では、王宮儀礼と外交文書を扱える人材を探している。望むなら、客員顧問として迎えたい」


 殿下が目を剥いた。


「待て! セレナは俺の婚約者だ!」


「昨日、破棄したと聞いたが」


「それは撤回する!」


「撤回を受けるかどうかは、彼女の意思だろう」


 ユリウス殿下は私を見る。


「待遇は保証する。裁量も与える。研究費も、必要な人員も用意しよう」


 私は少しだけ考えた。


 いいえ、本当は考える必要などなかった。


「一つ、条件がございます」


「何だろう」


「私の名誉を、正式に保護していただけますか」


「もちろんだ。リーベルン王家の名において」


 私は深く礼をした。


「では、参ります」


「セレナ!」


 殿下が叫んだ。


「戻ってきてくれ。頼む。俺は変わる。改心した。だから、もう一度だけ」


 私は振り返った。


 殿下は、初めて私に縋るような目を向けていた。


 けれど、その目にあるのは愛ではない。

 不安だ。

 不便だ。

 自分の体面が壊れる恐怖だ。


 私は、それをもう愛情と間違えない。


「もうその手口は、貴族院にも、公爵家にも、皆に知られております」


「セレナ……」


「さようなら、殿下」


 私は扉へ向かった。


「待て!」


 背後で、殿下の声が響く。


 だが、近衛騎士も、侍従長も、外務官も、誰も私を止めなかった。


 むしろ道を開けてくれた。


 廊下へ出る直前、ヴァイス様が小さくつぶやいた。


「ですよね」


 誰かが咳払いをした。

 誰かが笑いをこらえた。

 ミリアは泣き崩れ、殿下は呆然と立ち尽くしている。


 私は最後に一度だけ振り返った。


「殿下」


「……何だ」


「礼服の勲章は、建国勲章を一番上に。リーベルン王家の前で間違えると、外交問題になります」


 殿下の顔に、一瞬だけ安堵が浮かんだ。


 まだ私が助けると思ったのだろう。


 私は微笑んだ。


「ですが、それも本日からはご自身で」


 扉が閉まる。


 王宮の中から、誰かの悲鳴のような声が聞こえた。


 けれど私は、もう戻らない。


 悪役令嬢と呼ばれた私が支えていた席は、今日で空いた。


 その席を誰が埋めるのかは、私の知ったことではない。


 もう遅いのだから。

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― 新着の感想 ―
AI小説なのすぐバレるのにどうしてそのまま載せるんだろう
実家の公爵家は見方なのか敵なのか。 義妹の行動を咎めないけど、セレナの味方みたいに見える。 公爵家は単に第一王子を陥れたかっただけなのでは・・・
侮辱したのに仕事をして貰えると思ってた王太子と義妹が屑過ぎる。 実家は姉を虐げてなかったみたいだけどこんな未熟な義妹を人前に出したのが間違いでしたね。義妹の教育失敗のツケで実家もペナルテくらいそう。
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