第9話:未知の兵器「マカロン」の恐怖 × ジャンクフード愛好家
王宮の北翼、全面ガラス張りの「水晶の温室」で開催された王妃主催のお茶会。男爵令嬢のクララは、部屋の隅の目立たない席で、嵐が過ぎ去るのを待つ小動物のように息を潜めていた。
今日のお茶会は、いつもの扇子を鳴らし合うような陰湿な派閥争いとは、根本的に空気が違っていた。広間の中央に渦巻いているのは、むせ返るような「欲望」と「計算」の匂いだった。
「……素晴らしいわ、ソフィア。外側は薄氷のようにサクッと軽く、中はしっとりとして、果実の香りが口いっぱいに広がる……。この『マカロン』というお菓子、本当に貴女が考案したというの?」
上座に座るこの国の王妃が、恍惚とした表情で頬に手を当てていた。その視線の先で優雅に微笑んでいるのは、最近社交界で頭角を現し始めた新興伯爵令嬢のソフィアだ。
彼女の前の銀のケーキスタンドには、赤、黄、緑と、まるで宝石のように色鮮やかで愛らしい、見たこともない丸い焼き菓子が並べられている。
「勿体なきお言葉、光栄の至りに存じますわ、王妃様。このマカロンは、我が領地で栽培した特産のアーモンドプードルと、厳選された果実のコンフィチュールを使用しておりますの。製法は我が商会の完全なる『特許』でございます」
ソフィアの言葉に、周囲の由緒正しき上位貴族の夫人たちの顔色が一斉に変わった。これまでの令嬢の戦いといえば、ドレスの流行や刺繍の美しさを競うものだった。しかし、このソフィアという令嬢は違う。
彼女はこのお茶会という社交の場を、完全に「新作スイーツのプレゼンテーションと、特許独占の商談の場」へと変貌させてしまったのだ。
「王妃様さえよろしければ、このマカロンの王宮への独占納入権と、それに伴う新たな関税の免除、ならびに我が商会による新流通網の構築を……」
「ええ、ええ! 構いませんよ。これほど美味なるものを独占できるのなら、安いものです」クララは、壁際で震え上がっていた。
目の前で起きているのは、魔法でも物理的な暴力でもない。たった数センチの「未知の甘いお菓子」という兵器によって、何百年も続く貴族のヒエラルキーと国家の経済権力が、たった一人の令嬢に掌握されていくという、あまりにも恐ろしいパラダイムシフトの瞬間だった。
誰もソフィアには逆らえない。彼女がこのマカロンの供給を止めれば、王妃の寵愛を失うことと同義だからだ。お茶会は今、彼女の完全なる独裁空間と化していた。息の詰まるような、絶対的な権力構造が完成しようとした——まさにその時だった。
ガチャンッ!!! 温室のガラス戸が、外側から乱暴に蹴り開けられた。
「きゃあッ!?」令嬢たちが短い悲鳴を上げ、商談の熱狂に水を差されたソフィアが不快げに眉をひそめる。彼が温室の中へと歩みを進めると、そこに響き渡ったのは、貴族の優雅な空間にはおよそ似つかわしくない、重鈍で荒々しい足音だった。
コツ、コツ、コツ。
磨き上げられた大理石の床を乱暴に叩くウェスタンブーツ。そして彼の胸元では、今日も「右上がり」の伝統的なレジメンタルタイではなく、反逆の象徴である「左上がり」のアメリカンストライプのネクタイが緩く結ばれていた。グランチェスター公爵家の異端児にして、アメリカからやってきた不良貴族——テリーだ。
彼は、王妃がいようが、空気が張り詰めていようが、全く意に介する様子がなかった。首をポキッと鳴らしながら、ズカズカと広間の中央——王妃とソフィアが座る、権力の中心テーブルへと真っ直ぐに歩み寄っていく。
「テ、テリー様? 一体、何のご用で……」
ソフィアが計算高い笑みを浮かべて立ち上がろうとした。——と、その時だった。テリーは、うやうやしく銀のスタンドの頂上に飾られていた、最後の一つの「特別な木苺のマカロン」に向かって、無造作に手を伸ばした。
「あッ……!?」
ソフィアが悲鳴のような声を上げる。それは、これから王妃に献上して最後の契約をもぎ取るための、権力の象徴そのものだった。しかしテリーは、ハンカチを使うでもなく、銀のトングを使うでもなく、あろうことか素手でその宝石のような菓子をひょいと摘み上げた。そして、ポイッと一口で口の中に放り込んだのだ。
ガリッ、ボリボリッ。
「な、なんて食べ方を……!」
「素手で、しかも一口でだなんて野蛮な!」
周囲の夫人たちが一斉に扇子で顔を隠し、悲鳴と憤慨の声を上げる。繊細に味わうべき芸術品を、まるでそこらの木の実か何かのように噛み砕く無作法。しかしテリーの蛮行はそれだけでは終わらない。
彼は「喉が渇いた」と言わんばかりにジャケットの裏から使い込まれたスキットルを取り出すと、強烈な匂いを放つバーボンを直接煽り、口の中のマカロンを強引に胃の腑へと流し込んだのだ。
王宮の温室に、甘い菓子の匂いを掻き消すような野性的なアルコールの香りが広がる。テリーは手の甲で乱暴に口元を拭うと、あからさまに顔をしかめ、ペッ、と舌を出した。
「なんだこりゃ。甘ったるくて吐きそうだ」
「な、なんですって……!?」
自身の最高傑作であり、国家の権力すら動かしたマカロンを全否定され、ソフィアの完璧な仮面がボロボロと崩れ落ちた。
「このマカロンの価値がお分かりにならないのですか!? これは我が商会が誇る最高の——」
「砂糖の塊じゃねえか」テリーはソフィアの金切り声を鼻で笑って遮った。「こんな胸焼けする代物より、俺はニューヨークの街角で売ってる、マスタードを死ぬほどかけたホットドッグの方が何百倍もマシだね」
ホットドッグ。
その聞き慣れない異国のジャンクフードの名前が、令嬢たちの頭上に疑問符として浮かぶ。テリーは呆気にとられる王妃とソフィアを尻目に、ズボンのポケットから無造作に銀貨を一枚取り出した。
「味見代だ。釣りは要らねえよ」
親指で弾かれた銀貨が、放物線を描いてテーブルの上に落ちる。
チャリン、チリリリリ……。甲高い金属音を立てて、銀貨がマイセンのティーカップの横で独楽のように回り、やがてパタリと倒れた。
それは、国家の経済を揺るがすほどの「未知の兵器」に対する、これ以上ないほど強烈な侮辱だった。何億という金が動くはずだったマカロンを、テリーは「ただの安い駄菓子」として銀貨一枚で払い捨てたのだ。
「じゃあな。甘い匂いは頭が痛くなるぜ」
テリーは誰の返事も待たず、来た時と同じように荒々しい足音を響かせ、嵐のように温室から去っていった。残されたのは、完全に毒気を抜かれ、銀貨一枚の前に沈黙するソフィアと王妃たちだけだった。
壁際でそのすべてを傍観していたモブ令嬢のクララは、震えが止まらなかった。お茶会という盤面を支配し、誰もがひれ伏した「未知の権力」。それを、理屈でも政治でもなく、ただ己の「舌」と「野性」だけで木っ端微塵に破壊してのけた男。
クララは、テーブルの上で鈍く光る銀貨を見つめながら、その圧倒的なスケールの大きさと、何者にも縛られない自由な彼の背中に、言い知れぬ憧憬と熱狂を感じていたのだった。
(第9話 完)




