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第7話:オセロの逆転劇 × 地雷爆発と孤独な背中

挿絵(By みてみん)

王宮の南庭に位置する、白亜の円形ガゼボ「睡蓮の亭」。池の水面を吹き抜ける涼やかな風が、令嬢たちの纏う最高級の香水の匂いを運んでいく。だが、その優雅なティーテーブルの上の空気は、目に見えない火花が散るような極度の緊張状態にあった。



「……信じられませんわ。まさか、皆様まであのような新参者に同調なさるなんて」



社交界の頂点に君臨してきた侯爵夫人ジョセフィーヌが、怒りで震える手で扇子を「パチン!」と荒々しく閉じた。彼女の鋭い視線の先には、末席からいつの間にか上座のすぐ隣へと席を移していた、男爵令嬢のベアトリスが静かに微笑んでいる。



お茶会は、貴族社会における陣取りゲーム——まさに盤上のオセロである。数ヶ月前まで、ベアトリスはジョセフィーヌの派閥から徹底的な黙殺と嫌がらせを受けていた。しかし彼女は決して屈することなく、派閥の末端で冷遇されていた下位貴族の令嬢たちの悩みを、持ち前の知略と実家の商会が持つ独自の流通網を使って次々と解決していった。



珍しい薬草の手配、流行のレースの独占供給、果ては領地の借金問題の仲介まで。ベアトリスが恩を売るたびに、お茶会の席次は少しずつ、しかし確実に変化していった。昨日までジョセフィーヌに追従して扇子を鳴らしていた令嬢たちが、次々とベアトリスに頭を下げ、寝返っていったのだ。



そして今日、盤面の石は完全にひっくり返った。ジョセフィーヌの周囲には誰も寄り付かず、ベアトリスを中心とした新しい巨大な派閥が、かつての女王を完全に孤立させていたのである。



「武力や血筋だけが貴族の力ではありませんわ、ジョセフィーヌ様。時代は変わるのです」



ベアトリスが紅茶のカップを優雅に傾けながら、静かに、しかし決定的な引導を渡す。周囲の令嬢たちも一斉に扇子を開き、今度はジョセフィーヌに対して無言の圧力をかけ始めた。完璧な、知略による勝利だった。だが、長年権力をほしいままにしてきたジョセフィーヌの自尊心が、この屈辱的な敗北を素直に受け入れるはずがなかった。



彼女の顔は怒りと羞恥でドス黒く歪み、行き場のない悪意の矛先を必死に探して周囲をギョロギョロと見回した。



——その時である。ガゼボの入り口の柱に背中を預け、この権力闘争の結末を退屈そうに眺めている人影があった。彼が令嬢たちの輪へと歩みを進めると、そこに響き渡ったのは、貴族の庭園にはおよそ似つかわしくない、重鈍で荒々しい足音だった。



コツ、コツ、コツ。



大理石の床を乱暴に叩くウェスタンブーツ。そして彼の胸元では、今日も「右上がり」の伝統的なレジメンタルタイではなく、反逆の象徴である「左上がり」のアメリカンストライプのネクタイが緩く結ばれていた。グランチェスター公爵家の異端児——テリーである。



彼はスキットルからバーボンを一口煽ると、「へぇ、やるじゃねえか」とベアトリスの見事な下克上を鼻で笑って称賛した。



しかし、その態度が、プライドを粉々に砕かれたジョセフィーヌの逆鱗に最悪の形で触れてしまった。彼女は立ち上がり、血走った目でテリーを指差した。



「何がおかしいのです、この公爵家の面汚しがッ!」



突然の金切り声に、ガゼボの空気が凍りつく。ベアトリスたち令嬢が息を呑む中、ジョセフィーヌは歯止めが効かなくなったように、溜め込んでいた猛毒を吐き出し始めた。



「泥水のような酒を飲み、作法も知らず、貴族の集まりを土足で荒らし回る……! グランチェスター公爵もとんだ不良債権を抱え込んだものですわね! ええ、無理もありませんわ。何せ貴方の半分は、あの野蛮なアメリカ人の血なのですから!」



テリーは無表情のまま、スキットルの蓋をゆっくりと閉めた。しかし、ジョセフィーヌの暴走は止まらない。相手は絶対的な権力を持つ公爵家の子息だが、今の彼女は「異端児」を叩くことで自身の「正統な貴族としての優位性」を証明し、崩壊した派閥の威信を取り戻そうと必死だったのだ。



「母親が舞台女優だそうですね! 毎晩見知らぬ男たちの前で作り笑いを浮かべ、媚びを売り、あまつさえその体を商品として売り捌く! ああ、おぞましい! そんな路地裏の娼婦と同然の汚らわしい血が、この高貴なる王宮のお茶会に混じっていること自体が耐えられないのです!」



「ジョセフィーヌ様、それ以上は……!」あまりの暴言にベアトリスが制止の声を上げた、その瞬間だった。



——メキィッ!!!



鼓膜を破るような破壊音が、美しいガゼボに響き渡った。悲鳴を上げる暇すらなかった。テリーがウェスタンブーツで、重厚なマホガニー製のティーテーブルの中央を真上から踏み抜いたのだ。



バキバキと凄まじい音を立てて分厚い無垢材が真っ二つにへし折れ、テーブルの上にあったマイセンの高級なティーセットや銀のケーキスタンドが、ガシャン!とけたたましい音を立てて大理石の床に散乱した。



「ひっ……!?」



腰を抜かし、砕けた陶器の破片の中にへたり込むジョセフィーヌ。テリーは、先ほどまでのヘラヘラとした不良の顔を完全に消し去っていた。そこにあるのは、絶対零度の怒りと、相手を物理的に引き裂こうとする純粋な殺意だけだ。前髪の隙間から覗く氷のような青い瞳が、震えるジョセフィーヌを射抜いている。



彼はゆっくりと歩み寄り、へたり込む夫人の顔の横にある大理石の柱を、ドンッ!と拳で殴りつけた。



「ひぃッ!」柱にヒビが入り、パラパラと白い粉が落ちる。



テリーは夫人の耳元に顔を寄せ、地鳴りのような、低く掠れた声で囁いた。



「俺のことは、好きに言えばいい。野蛮だろうが、面汚しだろうがな。どうせその通りだ」その声には、怒りだけでなく、彼がこの異国でずっと一人で耐え続けてきた血の滲むような孤独が混じっていた。



ベアトリスはその凄絶な響きに、心臓を鷲掴みにされたように息を止めた。



「だがな……二度と、お袋をその汚い口で語るな。次にその舌が動いたら、引き抜いて犬に食わせるぞ」



「あ……あ、あ……ッ」圧倒的な暴力と殺気に当てられ、ジョセフィーヌは白目を剥いてその場に気絶してしまった。



完全に凍りついたお茶会。令嬢たちは恐怖で声も出せず、ただ震えて縮こまっている。



テリーは血の滲んだ自身の拳を一瞥すると、舌打ちを一つ落とした。そして、誰の顔を見ることもなく、破壊されたテーブルと気絶した夫人を跨いで、ガゼボに背を向けた。



「テリー、様……」



ベアトリスが思わず声を漏らしたが、彼は立ち止まらなかった。遠ざかっていく、重く、荒々しいブーツの足音。ベアトリスは、知略で派閥を制圧した自分のちっぽけな勝利など完全に忘れていた。



彼女の瞳に焼き付いているのは、誰も彼を理解しようとしないこの貴族社会の中で、たった一人で母親の尊厳を守るために牙を剥いた、傷だらけの獣のような彼の背中だった。



ただの不良だと思っていた。近寄りがたい異端児だと思っていた。しかし、あの荒々しい態度とネクタイの下に隠された、あまりにも純粋で、痛々しいほどの孤独に触れた瞬間——



ベアトリスは、自分が彼に対して、二度と引き返せないほどの決定的な恋に落ちてしまったことを自覚したのだった。



(第7話 完)

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