第6話:夜会の断罪と連鎖する濡れ衣 × バルコニーからの鉄拳
煌びやかなシャンデリアが降り注ぐ、まばゆいばかりの王宮の夜会。しかし、その輝きさえも凍りつかせるような、王太子カイルの冷酷な宣言が広間に響き渡った。
「マリエッタ! 貴様のような醜悪な女との婚約は、今この瞬間をもって破棄とする!」
カイル殿下は、守るように抱き寄せた愛らしい聖女リリアを背に、私を忌々しげに睨みつけた。
「聖女のドレスをワインで汚すだけでは飽き足らず、命まで狙うとはな!」
「……何のお話でしょうか」
「しらばっくれるな! 先日のお茶会のことだ!」
カイル殿下の怒声が響く。周囲の貴族たちがざわめき、扇子で顔を隠しながら好奇と侮蔑の視線を向けてくる。先日のお茶会で、確かにリリア様のドレスにワインがかけられるという痛ましい事件が起きた。しかし、それを実行したのはヴィクトリア侯爵令嬢の取り巻きの男爵令嬢であり、私——公爵令嬢マリエッタは、離れた席でただ静観していただけだ。
「殿下、恐れながら申し上げます。あの日、私は彼女に近づいてすらいません。それに命を狙うなど、まったくの濡れ衣ですわ」
「言い訳など聞きたくない! お前が裏で糸を引いていたことは明白だ! 自分の立場を脅かす聖女が憎かったのだろう!」
カイル殿下は私の論理的な反論を強引に遮り、さらに声を張り上げた。彼を取り囲む側近たち——近衛騎士団長の息子の剣士や、宰相の息子の魔術師も、一斉に私へ憎悪の目を向ける。逃げ場のない閉鎖空間で主人公を糾弾し、多数派によって社会的制裁を加えるこの構図は、貴族社会における最も残酷な断罪の儀式であった。
「あんな陰湿な嫌がらせをするとは。公爵家の恥さらしめ」
「さっさと罪を認め、この場から消え失せろ!」
男たちがよってたかって、私一人を言葉の刃で切り刻む。カイル殿下の背中に隠れたリリア様が、「あの、殿下、マリエッタ様は……」と何か言いたげに震えていたが、殿下は「もう怯えなくていいぞ、リリア」と勝手に解釈して彼女を強く抱きしめるだけだった。
要するに、カイル殿下は新しい恋人であるリリア様を自らの権力で庇護し、正婚約者である私を悪役に仕立て上げることで、この身勝手な婚約破棄を正当化しようとしているのだ。
(……なんて理不尽な。これが王室のやり方というの?)
私は唇を強く噛み締めた。ここで感情的になって取り乱せば、彼らの思う壺だ。完璧な淑女の仮面を被り、毅然と立ち続けるしかない。しかし、華やかな夜会の中心で、誰一人味方のいない完全な孤立感は、確実に私の心を氷のように冷たく、重くしていった。
「衛兵! この魔女を捕らえ、地下牢へ連行しろ!」カイル殿下が勝ち誇ったように命じた。
——と、その時だった。
「……うるせえな。さっきからギャーギャーと」
夜会の喧騒を切り裂くような、低く、ひどく面倒くさそうな声。広間の空気が一変した。声の主は、広間を見下ろす内バルコニーの暗がりで、手すりに腰掛けて銀のスキットルを傾けていた。彼は呆れたようにため息をつくと、バルコニーからひらりと身軽に手すりを飛び越え、数メートル下の広間へと直接降り立った。
ドサッ、という重い着地音に、令嬢たちが悲鳴を上げる。
彼が令嬢や貴族たちの輪を掻き分けて歩みを進めると、そこに響き渡ったのは、貴族の華やかな夜会にはおよそ似つかわしくない、重鈍で荒々しい足音だった。
コツ、コツ、コツ。
磨き上げられた大理石の床を乱暴に叩くウェスタンブーツ。そして彼の胸元では、今日も「右上がり」の伝統的なレジメンタルタイではなく、反逆の象徴である「左上がり」のアメリカンストライプのネクタイが緩く結ばれていた。グランチェスター公爵家の異端児にして、アメリカからやってきた不良貴族——
テリーだ。
彼は片手をズボンのポケットに突っ込んだまま、真っ直ぐにカイル殿下たちの前へと歩み寄った。その全身から放たれる圧倒的な野性とプレッシャーに、側近の男たちが思わず一歩後ずさる。
「テ、テリー……! 貴様、王太子の裁きの場に乱入するとは何事だ!」
「裁きだァ?」テリーは鼻で笑い、ズボンのポケットから使い込まれたZippoライターを取り出して手の中で弄んだ。
チャキッ、と無機質な金属音が鳴る。
「よってたかって男が束になって女一人いじめて、お前らそれでも貴族かよ。見てて反吐が出るぜ」氷のように冷たい、殺気を孕んだ声。カイル殿下の顔が屈辱で真っ赤に染まった。
「き、貴様……! 罪人を庇うというのか! 騎士団、この野蛮な無礼者を叩き出せ!」
殿下の命令に応じ、側近の近衛騎士が剣の柄に手をかけ、猛然とテリーに殴りかかった。
「死ね、アメリカの野良犬が!」
凄まじい拳が風を切る。しかし、テリーは微かに首を傾けただけでそれを躱すと、すかさず騎士の胸ぐらをガシッと掴み上げ、強烈な拳を顔面に叩き込んだ。
がはッ……!「口ほどにもねえな、お坊ちゃん」
大理石の床に崩れ落ちる騎士。テリーの容赦のない野生の暴力に、広間は阿鼻叫喚のパニックに陥った。宰相の息子の魔術師が慌てて詠唱を始めようとするが、テリーは近くのテーブルにあったワインボトルを無造作に掴み、魔術師の足元に叩きつけて牽制した。
ガチャン!という破砕音と飛び散る赤ワインに、男たちは完全に戦意を喪失する。
「ひぃッ!」とカイル殿下が後ずさる。テリーは血走った目で殿下を睨み据え、その胸ぐらを掴もうとゆっくりと腕を振り上げた。
(ダメ……! これ以上は!)
王太子に直接手を出せば、いかに公爵令息といえど不敬罪でただでは済まない。私はドレスの裾を翻し、咄嗟に駆け寄ってテリーの振り上げた腕にすがりついた。
「やめてください、テリー様! 私のために、貴方がこれ以上罪を犯す必要はありません!」
私の必死の叫びと腕に伝わる震えに、テリーはピタリと動きを止めた。彼は振り上げた拳を下ろし、大きく息を吐き出すと、チッと不機嫌そうに舌打ちをした。
「……しらけたぜ」
先ほどの揉み合いで騎士の拳が掠ったのか、テリーの形の良い口元の端が微かに切れ、一筋の血が滲んでいた。彼は親指で無造作にその血を拭い取ると、震える私を見下ろした。怒りに満ちていたはずのその瞳は、驚くほど静かで、不器用な優しさに満ちていた。
「こんな張りボテみたいな奴ら、お前が相手にしてやる価値もねえよ」
それは、婚約破棄の泥沼に突き落とされ、誰からも見捨てられていた私を、確かに引き上げてくれる力強く温かい言葉だった。テリーはそれだけ言い残すと、カイル殿下たちには二度と一瞥もくれず、踵を返した。
遠ざかっていく、荒々しいブーツの足音。
静まり返った広間に取り残された私は、彼から発せられていたタバコとバーボンの残り香に包まれながら、胸の奥底でかつてないほど激しく打ち鳴らされる心臓の音を、ただ呆然と聞いていることしかできなかった。
(第6話 完)




