第2話:温るい紅茶と京都風マウント × 左上がりのネクタイ
王宮に隣接する、白亜の柱が美しいローズガーデン。満開の薔薇の香りが漂うテラスに用意された円卓では、今日も令嬢たちによる「優雅な腹の探り合い」が繰り広げられていた。
「まあ、素晴らしい香り。これは南方の特別な茶葉ですの?」
「ええ。我が侯爵領で特別に買い付けたものですわ。熱湯で淹れることで、この芳醇な香りが引き立つのです」主催者であるマーガレット侯爵令嬢が、白魚のような指でティーカップを傾ける。
他の令嬢たちのカップからも、ふわりと心地よい湯気が立ち上っていた。ただ一人、新興の男爵家から参加したエマのカップを除いて。
(……湯気が、立っていない)
エマは戸惑いながらも、作法通りに音を立てずにカップに口をつけた。——温るい。それは、抽出に失敗したというレベルではない。あきらかに淹れてから長い時間が経過し、冷めきった紅茶だった。お茶会において、あえて「温るいお茶」を出すことは、相手を明確に格下と見なしていることを暗に示す強力なメッセージだ。
エマが視線を上げると、マーガレットが扇子で口元を隠し、三日月のような目をして微笑んでいた。「あら、エマ様。お口に合いませんでしたか? 新しく貴族になられたばかりの貴女のお家では、熱いお茶を嗜む習慣はないかと思いまして、あえて飲み頃にして差し上げましたのよ」
親切を装った、刃のような嫌味。周囲の令嬢たちも扇子の陰でクスクスと嘲笑を漏らす。エマは唇を噛み締めた。ここで怒って席を立てば「やはり新興貴族は野蛮でマナーを知らない」と社交界の笑い者にされる。ぐっと耐えて、冷たい紅茶を飲み干すしかなかった。
「……お気遣い、感謝いたしますわ」
エマが震える手で再びカップを持ち上げようとした、——その時だった。
「なんだ、ずいぶんと湿っぽい席だな」
テラスの生垣をかき分けるようにして、不躾な声が降ってきた。令嬢たちが一斉に振り返ると、そこには庭園の散歩から抜け出してきたのか、ジャケットを肩に引っかけたテリーが立っていた。彼が令嬢たちの円卓へと歩みを進めると、そこに響き渡ったのは、貴族の庭園にはおよそ似つかわしくない、重鈍で荒々しい足音だった。
コツ、コツ、コツ。
大理石の床を乱暴に叩くウェスタンブーツ。そして彼の胸元では、今日も「右上がり」の伝統的なレジメンタルタイではなく、反逆の象徴である「左上がり」のアメリカンストライプのネクタイが緩く結ばれていた。
「テ、テリー様……ここは淑女の——」
マーガレットが抗議の声を上げるのも構わず、テリーはエマの背後にふらりと歩み寄った。そして、エマが手にしていたティーカップを、横からスッと奪い取ったのだ。
「あ……」
「喉が渇いてたんだ。もらうぜ」
テリーは、令嬢たちが息を呑む前で、エマの口がついたカップの紅茶を、まるで水でも飲むかのように一気に煽った。そして、端正な顔をあからさまにしかめて見せた。
「……ペッ。なんだこりゃ、不味いな」
「なっ……! グランチェスター公爵令息様といえど、あまりの暴言……!」激昂して立ち上がるマーガレット。しかしテリーは、空になったカップをテーブルに乱暴にガチャンと置き、氷のような視線で彼女を射抜いた。
「温度も、中身も、お前らの嫌味と同じくらい薄っぺらいぜ。こんなもん飲んでたら腹下しそうだ」
あまりの侮辱にマーガレットの顔が朱に染まる。彼女は怒りに身を震わせながら、テリーの胸元を指差した。「そ、そもそも貴方のその服装は何ですか! 伝統あるレジメンタルタイを逆向きに締めるなど、貴族への冒涜、恥を知りなさい!」
正論の追及。しかし、テリーは痛くも痒くもないというように鼻で笑い、さらにネクタイをぐいっと引き下げて胸元を大きくはだけさせた。「あ? アメリカじゃあこれが普通なんだよ。他人のアラ探ししか能のない、窮屈な伝統なんざクソ食らえだ」
誰も逆らえない圧倒的な公爵家の権力と、アメリカの野性が混じり合った強烈な覇気。マーガレットたちは完全に気圧され、言葉を失ってへたり込んだ。テリーは呆けたように自分を見上げるエマに視線を落とすと、フッと口角を上げて笑った。
「こんなぬるま湯に浸かってら風邪引くぜ」
胸が高鳴るエマにウインクを一つ残すと、テリーはポケットから使い込まれたZippoライターを取り出した。カチン、という小気味よい音と共に火をつけ、紫煙をくゆらせながら、呆れる夫人たちを置いて悠然と庭の奥へと消えていく。
(第2話 完)




