第10話:ディープステートのお茶会 × 盤面の破壊者
王宮の地下深く、王族すらその存在を知らないとされる隠しサロン「黒薔薇の間」。窓一つないその密室では、数人の上位貴族の令嬢たちが、最高級の紅茶を傾けながら優雅な、そしてあまりにも恐ろしい「遊戯」に耽っていた。
「ふふっ。先日のカイル殿下の婚約破棄騒動、見事にシナリオ通りに進みましたわね」
「ええ。あのマリエッタという小娘、まさか自分が私たちの描いた『悪役』の台本通りに動かされていたとは、夢にも思っていないでしょうね」
部屋の中央に置かれた重厚なテーブルには、貴族たちの顔写真が貼られた巨大な相関図と、それをチェス盤に見立てた無数の駒が広げられていた。彼女たちこそが、この王宮の社交界を裏で完全に支配し、他人の運命をゲーム感覚で消費する真の黒幕—— 深層令嬢であった。
新興男爵家の令嬢であるニーナは、部屋の隅でガタガタと震えながら、彼女たちの会話を必死に羽ペンで記録していた。一度だけ相貌を褒められたという理由で「書記係」として無理やりこの場に引きずり込まれたニーナは、知ってしまったのだ。
先日のお茶会で令嬢にワインがかけられた事件も、扇子で集団無視をされた陰湿なイジメも、すべてはこの深層令嬢たちが「退屈しのぎ」に裏から手を回して起こした悲劇だったということを。
「さて、次はこの駒を孤立させてみましょうか。ニーナ、次の標的のリストを」
「ひっ……は、はい……!」リーダー格である公爵令嬢オクタヴィアの冷酷な声に、ニーナは涙目で羊皮紙を差し出そうとした。
逆らえば、明日にでも実家の男爵家ごと社会的に抹殺される。この人たちの知略と情報網は完璧で、絶対だ。貴族社会のヒエラルキーも、令嬢たちの涙も、すべてはこの深層令嬢の盤上の遊戯にすぎない。誰も、この絶対的なシステムから逃れることなどできないのだ。
ニーナが完全に絶望に呑み込まれそうになった――まさにその瞬間だった。
ドゴォォォォンッ!!!分厚い鋼鉄で補強され、厳重な魔法陣のロックまで掛けられていたはずの黒薔薇の間の扉が、ひしゃげた音を立てて内側へと豪快に蹴り破られた。
「きゃあッ!?」
「な、何事ですの!?」
舞い上がる土埃の中、オクタヴィアたちディープステートの令嬢が一斉に悲鳴を上げて立ち上がる。開け放たれた扉の向こう側から、一つの影が悠然と姿を現した。
彼が秘密のサロンへと歩みを進めると、そこに響き渡ったのは、貴族の隠し部屋にはおよそ似つかわしくない、重鈍で荒々しい足音だった。
コツ、コツ、コツ。
大理石の床を乱暴に叩くウェスタンブーツ。そして彼の胸元では、今日も「右上がり」の伝統的なレジメンタルタイではなく、反逆の象徴である「左上がり」のアメリカンストライプのネクタイが緩く結ばれていた。グランチェスター公爵家の異端児にして、アメリカからやってきた不良貴族——テリーだ。
「な、貴方……! テリー様!?」
オクタヴィアが信じられないものを見るように目を剥いた。「なぜ貴方がここにいるのです!? この部屋の存在はごく一部の者しか……それに、外に配置していた近衛兵たちは!? 幾重にも張り巡らせた結界のパスワードはどうやって……!」
パニックに陥り、矢継ぎ早に問い詰めるオクタヴィア。完璧なセキュリティと知略を誇るディープステートにとって、彼の存在はあり得ない「バグ」だった。
しかし、テリーは呆気にとられる彼女たちを一瞥すると、心底どうでもよさそうに鼻で笑った。「どうやって入ったか? 知るかよ、そんなもん」
テリーはズカズカと部屋の中央へ歩み寄りながら、退屈そうに首をポキッと鳴らす。
「お前らの小賢しい悪巧みの匂いが、ここまでプンプン臭ってきただけだぜ。扉に鍵がかかってたから、ちょっとノックさせてもらった」
蹴り破られて蝶番から外れ、無惨に床に転がっている鋼鉄の扉。それが彼の言う「ノック」の結果だった。
「ひっ……」と令嬢たちが後ずさる中、テリーは躊躇いもなく、オクタヴィアたちが何ヶ月もかけて組み上げた「完璧な相関図のチェス盤」が広がるテーブルの上に、泥だらけのブーツでドカッと足を乗せた。
「な、なんてことを! 私たちの完璧な計画の盤面が……!」
「盤面だァ?」テリーのブーツが、チェス盤の「キング」や「クイーン」の駒を無情に踏み砕く。
彼はテーブルの上に散らばっていた、次の標的が書かれた『極秘のターゲットリスト』の羊皮紙を無造作に拾い上げると、ポケットから使い込まれたZippoライターを取り出した。
カチン、ジャキッ。
親指で弾かれたライターからオレンジ色の炎が上がり、テリーはあろうことか、その国家の裏の権力が詰まった極秘文書の端に火をつけた。チリチリと燃え上がる羊皮紙。
テリーはそれを自分の口元に寄せ、咥えたタバコに火を移す。そして、燃えカスとなった羊皮紙を、チェス盤の上にポイと投げ捨てた。
「他人の人生を駒にして遊ぶおままごとは、もう終わりだ。裏ボスの姉ちゃんたち」
テリーが天井に向けて無作法な紫煙を吐き出すと、秘密のサロンは一瞬にしてタバコのむせ返るような匂いと、羊皮紙の焦げる匂いに支配された。
何万という言葉と策略で作られた「ディープステート」の絶対支配が、ただの「アメリカの不良」によるたった数秒の物理的暴力と無関心によって、文字通り灰にされたのだ。
「あぁ……私たちの、システムが……」
これまでの余裕を完全に失い、燃えるチェス盤の前で膝から崩れ落ちるオクタヴィアたち。テリーは彼女たちにはもう一瞥もくれず、「ケッ、湿っぽい部屋だぜ」と吐き捨てて踵を返した。
壁際でそのすべてを傍観していたニーナは、震えが止まらなかった。それは恐怖からではない。絶対に勝てないと思っていた、貴族社会のシステムそのものである深層令嬢。
それを、理屈でも政治力でもなく、ただ己の野性と暴力だけで真っ向から踏み躙って去っていく、その広くて孤独な背中。
遠ざかる荒々しいブーツの足音を聞きながら、ニーナは、理不尽なまでに自由な「アメリカの嵐」の存在に、密かに、しかし激しく胸を高鳴らせていたのだった。
(第10話 完)




