第1話:席次と黙殺のサバイバル × 不良貴族の乱入
王宮の奥深く、陽光が降り注ぐ壮麗なガラス張りのサンルーム。天井から下がる豪奢なクリスタルのシャンデリアが、昼間から眩い光を乱反射し、色とりどりのシルクのドレスに身を包んだ令嬢たちを照らし出している。空間を満たしているのは、南方から取り寄せられたという希少で最高級な茶葉の芳醇な香りだ。しかし、末席に座らされている令嬢・アメリアにとって、ここは優雅な戦場であり、息の詰まる牢獄でしかなかった。
「お聞きになりまして? 〇〇公爵家の……」
「ええ、本当に素晴らしいドレスですわね。それに比べて……」
主催者である王妃の姪、イザベラ公爵令嬢が扇子を優雅に揺らすたび、取り巻きの令嬢たちが追従の笑いをこぼす。お茶会は単なる親睦の場ではなく、貴族社会のヒエラルキーが可視化される「相互監視のパノプティコン」である。
誰が上座に座り、誰がどのタイミングで口を開くか。すべてが厳格なルールで縛られていた。そして今日、アメリアに与えられた役割は「見せしめのスケープゴート」だった。
イザベラは意図的にアメリアを話題から外し、視線すら合わせない。それは周囲の令嬢たちに対する『彼女に話しかければ、派閥から追放する』という無言の圧力であり、踏み絵だった。誰もがアメリアを透明人間のように扱い、彼女のティーカップにはお茶すら注がれていない。
(……耐えるのよ。ここで取り乱したら、お父様の顔に泥を塗ることになるわ)
アメリアは膝の上で固く拳を握り締め、必死に完璧な淑女の微笑みを顔に貼り付けていた。扇子を開き、微細な表情の変化すら悟られないようにするが、圧倒的な孤立感と冷たい空気に、今にも呼吸が止まりそうだった。その、完璧に計算された陰湿な静寂が最高潮に達した時――。
バァンッ!!!
無作法な音を立てて、サンルームの重厚なオーク材の扉が蹴り開けられた。
「きゃっ!?」
「な、何事ですの……!?」
悲鳴を上げ、パチンと一斉に扇子を閉じる令嬢たち。そこに響き渡ったのは、ふかふかの絨毯にはおよそ似つかわしくない、重鈍で荒々しい足音だった。
コツ、コツ、コツ。
ピカピカに磨き上げられた紳士靴ではない。土埃の匂いがしそうな、年季の入った分厚いウェスタンブーツ。現れたのは、肩まで伸びた無造作な長髪の青年だった。カチッとした正装のはずのジャケットは肩に引っかけられ、シャツの第一ボタンは外されて襟が立てられている。そして極めつけは、ヨーロッパ貴族の常識をあざ笑うかのように締められた、右上から左下へと流れる、
逆向きのストライプタイ。
グランチェスター公爵家の異端児にして、アメリカからやってきた不良貴族――テリーだ。
彼は、青ざめて言葉を失っている上座のイザベラなど完全に無視し、退屈そうに首をポキッと鳴らした。そして、獲物を探すような鋭い目でぐるりと部屋を見渡すと、真っ直ぐにテーブルの一番端……誰も寄り付かない、アメリアの座る末席へと歩みを進めてきたのだった。
「テリー様……!」
誰かが小さく息を呑む音が聞こえた。主催者であるイザベラの顔が怒りと屈辱で歪むが、絶対的な権力を持つグランチェスター公爵家の跡取りである彼に、面と向かって文句を言える令嬢などこの場にはいない。テリーは上位の席など見向きもせず、誰も寄り付かないアメリアの隣の空席にドカッと乱暴に腰を下ろした。長くしなやかな脚を無造作に組み、呆然と見つめるアメリアに向かってニヤリと片角を上げて笑う。
「ここが一番、風通しがいいぜ。上座の連中は香水と建前の匂いがキツすぎて、息が詰まりそうだからな」
静まり返るサンルーム。お茶会の厳格なルールや、席次に込められた陰湿なメッセージなど、彼にとっては紙くず以下の価値しかなかった。ふと、テリーはアメリアの前に置かれた、一滴の紅茶も注がれていない空のティーカップに目を留めた。意図的な黙殺。その陰湿さに気づいた彼は、チッと小さく舌打ちをする。
「……喉、渇いてるだろ?」
言うが早いか、彼はジャケットの裏ポケットから使い込まれた銀のスキットルを取り出した。蓋を開け、アメリアの華奢なティーカップになみなみと琥珀色の液体を注ぎ込む。途端に、サンルームの優雅な茶葉の香りを乱暴にかき消すように、強烈で野性的なアメリカン・バーボンの匂いが広がった。
「あの、これ……お酒では……」
「消毒にはちょうどいいだろ」
むせて咳き込むアメリアをよそに、テリーは自分の分をスキットルから直接呷り、ふう、と満足げに息をつく。そして、冷ややかな、しかし獲物を射抜くような鋭い視線を上座のイザベラたちに向けた。
「おい、お前ら」
低い声に、令嬢たちがビクッと肩を揺らす。「鳥カゴの中で綺麗に鳴く練習ばっかりしてねえで、たまには外の空気でも吸ったらどうだ? 退屈なインコ共め」
鼻で笑い飛ばすテリーの言葉に、令嬢たちは屈辱で顔を真っ赤にして扇子を震わせたが、恐怖で一言も反論できない。完全に場の支配権は、乱入してきたこの不良貴族の手に落ちていた。
「ケッ、しらけるぜ」
テリーは退屈そうに立ち上がると、バーボンの匂いと突然の出来事に顔を真っ赤にしているアメリアを見下ろした。そして、その大きな手でアメリアの頭をポンと、少し乱暴に撫でる。
「お前はインコにはなるなよ…じゃあな」
ウインクを一つ残し、彼は来た時と同じように荒々しいブーツの足音を響かせ、嵐のようにサンルームから去っていった。
残されたのは、完全にヒエラルキーが崩壊したお茶会と、テリーの残り香であるバーボンの匂い。そして――頭に触れられた男らしい手の感触に、心臓を早鐘のように鳴らして俯くアメリアだけだった。
(第1話 完)




