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第四話

 説明会は、病院の一角にある多目的室で行われた。

 診察室ほど緊張感はなく、かといってセミナー会場ほど軽くもない、中途半端な広さだった。


 椅子は円形に配置され、前方にスクリーンがある。

 参加者は十人ほど。年齢も性別も、ばらばらだった。


 琥珀と碧は並んで座った。

 互いに何かを話すわけでもなく、ただ同じ資料を受け取る。


 《生物学的男性形態化技術(BMPT)説明会》


 表紙には、技術の写真も、成功例の家族写真もない。

 文字だけの、簡素な資料だった。


 担当医師は、白衣ではなく、落ち着いた色のジャケットを着ていた。

 年齢は四十代半ばだろうか。声は低く、淡々としている。


 「今日は、“決断の場”ではありません」


 最初に、そう言い切った。


 「この技術を受けるかどうかを決める必要はありません。

 理解するための時間として、使ってください」


 その言葉に、琥珀は少し肩の力が抜けた。


 BMPTは、性別を変える医療ではない。

 生殖機能の一部――精子形成に必要な機能だけを、人工的に補う技術だ。


 スクリーンには、簡略化された図が映し出される。

 体細胞から生殖幹細胞を再構築し、精子形成に必要な遺伝子機能を代替する。


 「外見や社会的性別は、原則として変化しません。

 ホルモン調整も、希望しない限り行いません」


 琥珀は、資料に視線を落としながら聞いていた。

 文章は、会社で読んだものと大きく変わらない。


 けれど、ここでは数字の横に、人の存在がある。


 「現在、この技術は運用開始から三年が経過しています。

 昨年は、全国で三十件の実施例がありました」


 その数字に、会場がわずかにざわつく。


 「全員が、所定の経過観察を終えています。

 ただし、これは“安全を保証する数字”ではありません」


 医師は、そこで一度言葉を切った。


 「BMPTは、リスクがゼロになる医療ではありません。

 だからこそ、事前の説明と、考える時間を重視しています」


 琥珀は、碧の横顔を盗み見た。

 碧は、真剣にメモを取っている。


 「この技術を選ぶ理由は、人それぞれです」


 医師は、スクリーンを切り替えずに続けた。


 「“子どもを持ちたい”

  “遺伝的なつながりを残したい”

  “選択肢を知っておきたい”

  どれも、正しい理由です」


 正しい、と言い切られたことが、琥珀の胸に残った。


 説明は一時間ほどで終わった。

 質問時間は設けられたが、強制ではない。


 何人かが手を挙げ、具体的な手続きや条件を尋ねた。

 琥珀は、聞くだけに徹した。


 会場を出ると、外はすっかり夕方だった。

 空の色が、ゆっくりと変わっている。


 「どうだった?」


 建物を出てから、碧が聞いた。


 琥珀は、すぐには答えなかった。

 歩きながら、言葉を探す。


 「……思ってたより、普通だった」


 碧は、少し笑った。


 「うん。“特別な決断”って感じじゃ、なかったね」


 それが、琥珀にとって一番大きかった。

 この選択肢は、人生をひっくり返す爆弾ではない。


 けれど、無視できるほど軽くもない。


 帰り道、二人は手をつないだ。

 いつもと同じように。


 ただ、同じ資料を知り、同じ時間を共有したことが、

 静かに関係の重さを増していた。


 まだ、答えは出ていない。

 それでも――

 考える土台だけは、確かにできていた。



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