第9話 魔物はびこる夜
まだ宴は続いていた。
ネネも楽しんでいたが、途中でエイカンに寄りかかるようにして眠ってしまった。
彼女を寝室へ連れて行き、クーパー夫人に後を託して、エイカンは屋敷を出た。
今日ぐらい、客間で眠ったって許されるだろう……そう、思わないではない。
だが、そういう贅沢をする気分には、どうしてもなれなかった。
亡くなった三人の農民兵。
息子たちの死を知った両親や兄弟たちの愕然とした顔。
それに、今更のように、戦いの中で敵騎兵の首を刺し貫いたときの手応えが甦ってきて、思わず震える思いがする。
柔らかい羊毛をふんだんに使ったマットに、同じく羊毛の暖かい毛布。
そんな恵まれた寝台で眠ることなど、とてもできるわけがない。
エイカンはいつもの、納屋の軒下へと向かった。
外はもうとっぷりと暮れている。
魔物がいるから、みんなもうどうせ家には帰れない。
皆、朝までグレイス屋敷で過ごすつもりだろう。
屋敷の窓にはあかあかと明かりがともり、村人たちの笑い声と歌声が、屋敷の外にまで聞こえていた。
◇
あの畑で目覚めた日から、あまりにめまぐるしい日々だった。
あれから何度も、自分が何者なのか、思い出そうとした。
だが、あの赤い光に取り込まれる前のことを、何も思い出せない。
俺にも、家族がいたのだろうか?
恋人がいただろうか?
あるいは、ネネ殿と同じように、天涯孤独の身だったのだろうか?
はじめは夢かもしれないと思っていたが、夢だとしたら長すぎる。
誰かを待たせているとしたら、心が痛む。
どうにかして、俺は生きている、と知らせたい。
だが、自分が何者かを思い出せなければ、それもできない。
鎧を着て馬に乗ることには難儀したが、あの場所で、戦場を俯瞰するような感覚で農民兵と共に戦うのは、楽しかった。
ここを攻めれば敵が崩れる。
これ以上深追いしたら敵に取り囲まれる。
押せ。引け。交わせ。突き進め。
『戦術』という言葉が頭の中に浮かんでは消える。
俺は、戦の仕方を知っている。
兵たちを動かす楽しさとやりがいを知っている。
どこでそれを知ったのか。
どこでそれを学んだのか。
ダメだ。やっぱり思い出せない。
そろそろ、ここでどうやって生きていくか、真剣に考えなければいけないのかもしれない。
だとしたら、記憶を失う前の自分が、天涯孤独の身であったことを願わずにいられない。
誰かがエイカンを探していたり、エイカンのことを待っているとしたら……
それはあまりに切ない話しだ。
今のエイカンにとって、孤独は心地よい居場所だった。
いや……本当にそうだろうか?
脳裏に、エイカンの肩によりかかり、安心しきった顔をして眠っていたネネ様の顔が思い浮かぶ。
グレイス村に帰り着いたときの、出迎えてくれたネネ様の笑顔。
いや、それどころか、あの畑で倒れていたエイカンを起こしてくれたときに見た、あのネネ様の顔は今でも印象深く覚えている。
自分の心の中に、ネネ・グレイスという少女が少なくない場所を占めていることを、認めざるをえない。
──『定めの者』
あの夢の中で聞いた、その言葉が甦った。
ネネ様との縁は、定められているものだとでもいうのだろうか?
だとしたら、誰によって?
俺は、ただ定めに流されていくだけでいいのか?
誰によって、一体、何が定められているというのか……
俺は、ネネ様の、なんなんだ?
そう思いながら、空を見る。
月が、穏やかにエイカンを見下ろしていた。
いつもの寝床——納屋の軒先の地面——に横たわる。
疲れがどっと押し寄せてきた。
エイカンは、ネネの笑顔を思い浮かべたまま、静かに穏やかに眠りへと落ちていった。
◆
夜半。
納屋の軒先で深い眠りに落ちているエイカンに、ゆっくり忍び寄る影がある。
不気味に光る赤い瞳。
六つ。いや、八つか?
足音はない。
しかし、その荒い息づかいに混ざる興奮したようなグルルという音と、動くたびにカチャカチャと甲冑や鎖帷子の揺れる音が、静まりかえった夜に粗雑に響いていた。
四匹の毛むくじゃらの獣たちが、ソロリ、ソロリと、エイカンに近づいていたのである。
その姿はまさに、獲物を狩る野獣。
ただ、その辺の野生の生き物とは明らかに姿が違う。
彼らは甲冑を身につけて、二本足で歩いている。
一匹が、ススッと前に出てエイカンに近づいた。
納屋の手前で、ピタッと足が止まる。
そこには、淡く青く光りながら地面に突き立てられている剣があった。
ネネが張った結界だ。
結界の先には踏み入ることができないようだ。
だが、獣は獲物をあきらめられないのか、納屋の周り、結界の外側をウロウロと歩き回った。
獲物——エイカンは目の前だ。
手を伸ばせば、いつでも獲物を屠ることができるだろう。
だが、納屋の四隅に置かれた青く光る大剣と、同じく輝く水差し——その結界のせいで、獣たちは手が出せないでいる。
エイカンが、うなされて声を上げた。
「ん……んん……」
獣たちが飛びすさる。
エイカンが、眠ったままもにょもにょと何かを言い出した。
「トマス…… だめだ…… 退け…… トマス……」
寝言を言いながら、エイカンが大きく寝返りを打って仰向けになった。
大きく足を開き、大の字になった。
その足先は……結界の外。
鋭い爪が生えた、毛むくじゃらの腕が、エイカンの左足に伸びた。
獣はエイカンの足首をガッとつかみ、ウォオオオオオオオーンと遠吠えのような声を上げながら、エイカンの体を一気に引き寄せた。




