第10話 魔物の爪、魔物の牙
片足を掴まれて、さすがにエイカンも目を覚ました。
すべてが逆さまで、起き抜けの頭が混乱する。
自分が宙吊りになったことに気がつくまで、数瞬の時間が必要だった。
エイカンはぶるんと幾度か首を振り、そして何が起きたのかと周囲を見回した。
月は雲に隠れて、周囲はほぼ闇の中だった。
その中に、赤く光る8つの目が、エイカンをねめつけていた。
——ブランデルフォークの戦場で……いや、もう帰ってきたんだ
なんだこいつら
なんで、俺は逆さまにぶら下がっているんだ……?
ようやく頭がすっきりしてきた。
とにかく、何やら異常な事態に巻き込まれているのは確かなようだ。
「お前ら……なんだ! 放せっ!!」
エイカンは体を揺らして抵抗を試みた。
気がつけば、エイカンを取り囲んでいるのは、人じゃない。
どこかで嗅いだような腐臭が漂っていた。
「お前ら……いったい何者だ?」
足首を掴む力が異様に強い。
がっしりと掴まれて、逃れられそうな気がまったくしない。
そんなエイカンに、人外たちが近づき、取り囲んだ。
雲の切れ間から、月が顔をのぞかせた。
エイカンの足を掴んでいるのは、オオカミのような顔をした人外。
大きな口から牙をのぞかせ、ジュルリと涎よだれを垂らしている。
向こうには、熊のような人外と、足を掴んでいる者と同じオオカミのような顔をした人外が二匹。
驚いたことに、皆、胸当てに籠手、脚絆を付けて、二本足で立って歩いている。
──こいつらが、ネネ様が言っていた「魔物」か?
直感で、そう理解した。
同時に、自分が喰われそうになっていることも。
まずい。
このままでは、命がない。
一匹のオオカミと目が合った。
エイカンは息をのみ、獣たちはフーッと大きく息を吐いた。
その息が切れるのと同時に、獣たちがエイカンに襲いかかった。
刹那、エイカンは体を思い切りひねり、左足首をつかんでいる獣の首に、強烈な回し蹴りを叩き込んだ。
「グエッ!」と奇妙な声を上げて獣がよろめき、思わずエイカンの足首を掴んでいた手を離した。
地面に転がり落ちるエイカン。
一瞬の猶予もない。
すぐに飛びすさって立ち上がり、青く光り輝いている大剣に駆け寄って地面から引き抜くと、 振り返りもせず、思い切り力を込めて、水平になぎ払った。
惜しい。
剣先は獣たちの甲冑をわずかにかすめて宙を切った。
獣のような人外たちが、思わず一歩飛び下がる。
その隙にエイカンは獣達に向きなおると、体勢を整え、大剣を両手で持って正面に構えた。
エイカンは人外たちに話しかけた。
「お前ら……魔物、だな?」
問うたところで答えはない。
四匹がジリジリと間合いを詰めてくる。
焦ってはいけない。
間合いを逃してもいけない。
一撃一殺。
四匹が相手だ。
一匹の魔物が、恐ろしいほどの跳躍力で飛びかかってきた。
エイカンは下がるなと自らに言い聞かせ、大きく一歩前に出た。
同時に、手にした大剣を、右に回り込もうとする一匹の首に叩き込む。
魔物の首が、胴体からちぎれ飛んだ。
「一匹っ!」
エイカンを飛び越えた別の魔物が、体勢を立て直してエイカンの背後から襲いかかってきた。
その鋭い爪がエイカンの首元を切り裂こうとした瞬間、エイカンはスッと体をかわして相手の懐に飛び込んだ。
そのまま腕をつかみ、相手の力を利用してグルリと投げ飛ばす。
魔物が、ドウッと背中から地面に落ちた。
すかさずその腹に馬乗りになって、魔物の首に思い切り大剣を突き立てる。
「二匹目!!」
だが、そこまでだった。
立ち上がろうとしたエイカンの首を、魔物の大きな毛むくじゃらの手が後ろからつかんだ。
「ぐっ! くそっ! 離せっ!」
魔物はそのまま、エイカンの体を高々と吊り上げた。
正面から、熊のような巨体の魔物がのっそりと近づいてくる。
興奮して、地響きのような大きなうなり声を上げている。
エイカンの首をつかむ魔物の手にも、力がこもる。
首をへし折られるのが先か、熊の魔物の鋭い爪で切り裂かれるのが先か……
エイカンの意識が遠のいていく。
ダメだ……
このまま……
死んでしまうの、か……
◇
「おやめなさいっ! 結界破りは重罪ですよっ!
その方を離して、下がるのですっ!!」
異変を感じて屋敷から飛び出してきた、ネネだった。
ネネの顔はキッと引き締まり、その声には、凛々しく、堂々として、有無を言わせぬ迫力があった。
ネネは思っていた。
魔物など、怖くない。
また、大事な人を失うことの方がよほど怖い。
神に救いを求めてもダメなんだ。
神を頼り、神に守られる御使いなど、意味がない。
神の御使いみつかいなら御使いらしく、堂々と魔物と対峙しなければ……
「その方を離せと命じているのが、聞こえませんかっ!」
ネネの迫力に気圧されて、魔物は、エイカンの首をつかんでいた手を離した。
ドサリと、エイカンの体が地面に落ちた。
気を失っている。
エイカンはピクリとも動かなかった。
魔物たちはそのままジリジリと下がり、そのまま森の中へと逃げ去った。
「エイカン様っ!」
ネネが、気を失っているエイカンの元へと駆け寄った。
「エイカン様っ!
エイカン様っ!
起きて!
お願いっ! 目を開けて!」
その首から、大量の血が流れていた。
◇
騒ぎの音を聞きつけて、屋敷から村人たちが続々と現れた。
寝静まっていたグレイス屋敷は、瞬く間に蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
とにかく屋敷の中へエイカンを運ぼうと、男たちが納屋の扉を外してエイカンを乗せた。
エイカンはぐったりとして意識がない。
首には鋭い爪が食い込んだ跡。
傷口から、血がドクドクと流れている。
何人もの男たちが戸板を担ぎ、エイカンをひゃしきの中へと運び込む。
ネネが「こちらへ!」と彼らとエイカンを食堂へ導いた。
食堂の大きなテーブルの燭台やら花瓶やらを払い捨て、ネネが叫んだ。
「ここへ寝かせてください!」
男たちが扉ごと、エイカンをテーブルに乗せた。
食堂の床が、瞬く間にエイカンの血で赤く染まっていった。




