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序章 ミーミル 6

 深き森の中。

 それはあった。

 古の触れざる神の装束を纏い。

 そは。


 故に。

 故に立っていた。

 

 その願いは故に一つ。

 見を発する。

 是似見出す。


 知恵は、その力にならず。だが。そこにあった。

 在る冪にシテ。アリ。


 故二有。



 以是天似有。




 像が。像が。結ばれる。鍛冶の目が。こちらを向く。

 白装束が向きなおる。


 ああ。ああ。故に為る。故に為りうる。




 旧きヒュルトゲンの森が口の端から垂らす血すら感じ得ずに、皆が、それに見入っていた。泉の魔法使いも、見える映像にただただ驚きを隠せずにいた。

 やまとことば(理解不能な言語)と古代ケルト語の混じったその祝詞が謳われるたびに、その鉄に神秘と魔術の轍が刻まれる。それは、冒涜的で、侮蔑的で。しかしながら、憧憬と郷愁を掻き立てるそれは。

 あまりに甘美であった。


 それは、ゆっくりと立ち止まった。

 まるで知りたいのだろうとでも言うように立ち止まった。ゆっくりと、ゆっくりとした




 ゆっくりとした時間の末に、それは、振り返った。



 フードをおもむろに外す。


 知らないものなのいないはずもない。それにあったのは、見知った顔であり、そして、見知っているはずの顔であった。



 アドルフ・ヒトラー


 弱者の国の王。

 その姿が、そこにはあった。


 ただ、だからこそか。その顔に刻まれた笑みは能面のように深かれど、ただ記号のようであった。



 その映像が流れた瞬間、まるで掻き消えるように映像が切り替わった。旧きヒュルトゲンの森と呼ばれていた魔女メルルは、椅子から弾き飛ばされるように吹き飛ばされている。そのまま、まるで自らの身体から血を絞り出さんかのように大量の出血が生じていた。

 映像が乱れ、アメリカ(あちら)側の動きが慌ただしくなる中で、散会の申出がなされた。泉の魔法使いは、それを受け、チャーチルはただ頷いた。

 

 

「……淦色の黄金か。」


 映像が消え、静かなただの水たまりとなったそれの周り。皆が、アドルフヒトラーの名をかたる中、チャーチルはただ、紫雲を纏っていた。映像の先から、魔女の手から残骸となったミーミルに伸びる、淦色の黄金の光を見た。その瞬間に心にあったのは、あの日の記憶。上海感じた、確かな死のにおい。

 机に山と積まれた資料にはただ1か所のみプラグ止めをしていた。そこにあったのは、チャーチルの違和感。その言葉が、意図したものか、それとも、無意識なものか定かではない。だが、彼の男は、明らかに2つの呼ばれ名を持っている。


「総統と……ドイツの親父殿。もしくは、父。あるいは、父と仔と精霊か。

 三位一体の思想。

 ――ヒトラーが父で、ドイツ国民が仔。精霊は、隠れてこの舞台を動かしている。

 我々に見えていないだけで確実にそれはいる。」


 


「……有りますか」


 泉の魔法使いの声が、耳元で聞こえ。チャーチルは、その思考を切り上げる。珍しく表情を顕わにするその焦った声に、満足げに再び葉巻を咥えこんだ。

 そう、見たことがある。そして、それを感じたこともある。だが、そのことを泉の魔法使いは、この巨人から、何1つ読み取ることはできないのだ。


「上手いな。実にうまい。寝るのが惜しくなるほどだ。」


 大きく息を吸い。たっぷりと紫煙を口より吐き出した。その口元は大きくゆがんでいた。かすかに、そのゆがんだ口元から嗤うとも呟くともつかない声が漏れた。

 

「この物語を書いたものに敬意を払おう。

 そして、ひっくり返す犠牲を払うに足る。」

 

 それは一瞬のことだったように元に戻った。

 

 彼は、政治家だ。真実に毒を混ぜ、嘘に真実を混ぜる。国益のためにならば誰かを死地に送り出すことには、一片の躊躇いもなく、この重大な局面での決断に緩みなどあろうはずもなかった。


「窓際の彼。故郷は、 そこだったな。」


 その一言で察した。

 手に持った葉巻は少し灰色を長くしながら、紫煙をたなびかせている。

 その時間の経過に気が付かなかったことに驚きながらも、泉の魔法使いは、ゆっくりと首是するしかなかった。


「その職員。休暇を与えようではないか。故郷へ帰る旅に出る。実に良いことだ。そしてもう一人。同じ故郷の出身で。故郷に帰りたいと願っているものがいる。彼はね。実に哀れな被害者だ。


 我が国に逃げてきた哀れなものでありながら、狂信者の手先とかなんとか言われ。それでも沈黙を貫いていると聞いている。


 それを聞くたびに思うのだよ。人道を掲げるわが国でそのようなことが平然と行われているのは、

 あまりにも矛盾しているのではないか。とね。


 これでは、ユダヤ人を排除するドイツとこの偉大なる国は。変わらぬではないかとね。


 君は。

 そう思わないかね。


 彼の国と、この偉大な国は違う。

 

 そうであろうと……」


 

 まるで恩赦を与えるように、温和な笑みと声色のまま、チャーチルが言い切った言葉。それに泉の魔法使いが感じたのは、唯温度が音を立てて下がる気配だけだった。

 チャーチルは、耄碌した老兵などではなく、動く必要のないほど肥大した権力の捕食者である。

 チャーチルが、知ろうと思い知れないことはない。欲すれば、それに皆が答え、その足元に供物をささげるだろう。歓喜(よろこび)と共に。


「彼らには、この旅で実に……多くのものを……見つけて欲しいからな」

 

 ゆっくりと大仰な仕草で、チャーチルは、再び葉巻を咥えなおす。この件については、これ以上話すことはないと言う仕草。そこにあるのは、葉巻を咥える好々爺の図。それは、一見穏やかなようでありながら、確かに冷たさを感じる空気が残っていた。


 その中に、静かに紫煙が立ち上る。

 

 食われたくないのならば、動くしかない。

 権力者の命ずる旅という言葉に、碌なものがないことは、経験上よく知っている。

 魔法使いは、その2人に心から同情した。

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