序章 ミーミル 4
「どうだったかね。感想は……」
言葉の出ない天才たちに、声をかけることができたのは、そのたぐいまれな意志からだっただろうか。最初に口を開いたのは大統領その人だった。
「理論的には可能だろうが、人知を超えている。そうとしか言えない」
フォンが、硬い表情のまま言葉を何とかひねり出した。
「これは、世界の摂理から、赦されざるもの。我々の目にはそう見えます」
アルベルトの言葉は冷静なままだが、そこには確かに怒りがにじんでいた。
「これを造ったものは、すでに人ではないと考えた方がいいかもしれません」
メルルは、強く言葉を出したが、その端々には怯えのようなものを感じることができた。
4人は再び資料に、目を落とす。
ミーミル(仮)
機長:約450m
翼幅:約300m
※日によって大きさが変わることがあるため、中央値を記載。
エンジン:超大型エンジン搭載。(型式不明)
翼部に補助エンジン2基。
機体材質:アルミニウム合金によく似ているものの、ありとあらえるテストにて、鋼鉄以上の数値を記録。
操縦方法:一般的な操縦システムの付近に用途不明の装置と配線がありエンジンに直結している。詳細は不明。
武装:小口径砲 4門(給弾方法などは不明)
機体重量:不明(0キログラム~200tまでの間でランダム)
特徴:機体の一部にツェッペリン型硬式飛行船の構造を使用。おそらく、飛行船の原理にて浮遊が可能。
機体下部に大きな空洞を確認。おそらくウェポンベイと推測される。
推定巡航高度:1万5千メートル~2万メートル
補遺:機体全体にまんべんなく意味不明な文様が彫られている。描画方法、意図は不明。おそらく迷彩にすぎないと考えられる。
その端的な情報それだけがこの資料に書かれたすべてであった。
フィンは、その不定形差を許すことなどできなかった。人類の歩みと数学が結合した存在。人間の心すら、数式で解き明かせると思っていた彼に、といわれる揶揄は、いつしか、真に彼の人生そのものに成った。
それでも夜を明かし、夜を渡り。時に解き明かした数式。その数数千。否。数万といったところ。
だが、それは、人知を否定した。激高。それこそ、彼の許された残された人間性の挙げた咆哮であった。
アルベルトは、その結果に怒っていた。人間の思考。今でこそ、地にある争いに向けられてたものの。それは、そんなところにとどまっているものではなかった。宇宙の隅々、星の端々。そこにこそ、人間の思想が及ぶものがあるはずであった。
この作成者は、大層な叡智の持ち主であろうと考えている。理解こそはしている。だが、それだからこそ、赦すことなどできるはずもなく。その事実に立ち向かうことこそが、自らの運命であると言わざるおえなかった。
ミルルは、脅えていた。第一次世界大戦のころ、魔女たちの中では中位に属していた彼女は、自らを売り込むために、様々な場所へ自らを売り込んだ時期が確かに存在した。
裏切りにより逃げ出した場所が、そこで目を光らせていた。まるで過去から逃げることなどできないとでも言いたげに。
見た瞬間、即座に気が付いた。ミーミルは危険な存在だ。それが解っていても、彼女は今は何も言うことはできなかった。それ以外に方法はないと知っていたから。
全員が落ち着くのをルーズベルトは、静かに待った。そして口を開いた。
「私も同感だ。今日まで一週間に120時間。
この資料を読み込み、そして、理解しようとした。
だが、無理だったのだ。
故に、わかる。
憤りも。
怒りも。
怯えをも。
さて、時間も押している。メルル君。君に役に立ってもらう時が来た。あれの起動を頼む。」
メルルの目からためらいのゆらぎはすでに消えていた。うなづき、立ち上がると、円卓の中央の泉に手をかざす。そして、目を閉じると、精神を集中させる。口から洩れるのは、かすかな呪文。演出も盛り上がりもない時間が過ぎる。彼女はやはりペテンなのかとと、フィンが考え始めた瞬間だった。
水面がゆっくりとメルルの手を中心に盛り上がり始め。
そして、それは音もなく飛び上がると、メルルのかざした手を貫いた。
目の前の光景に言葉を失った、フィンとアルベルトだった。ルーズベルトは顔色一つ変えることなくそれを見届ける。メルルは表情一つ変えることない。その呪文は止まらない。
やがて、血と混ざり合った水が盆に落ち波紋を造る。水盆の縁にあたり戻る。その動きに不自然なところなど存在しないが、そこから作り出される波紋は、科学的な基礎を持たず、それでいながら完成された数式のような美しさをたたえていた。
その美しい波紋が、折り返しぶつかりまた離れる。その一連の動きの中に一つの異変が生じつつあった。
ゆっくりと、確実に。水の作り出す波紋では説明できない影が生まれていた。
アルベルトはその人物に驚きながらも、その仕組みに対する仮説を作成していた。フィンは波紋の数式を作成し、再現性のあるものか検証をしていた。その形がしっかりすると、ルーズベルトが立ち上がる。それが景気であったように、メルルは、糸が切れた様に椅子に倒れ込んだ。
波紋が治まる。再び、水鏡のようになったそこに、その人物がいた。
「深夜の訪問失礼するよ。本来であれば、ワインでも手土産にしたかったのだが、今日の話は、浮かれた話ではないだろう。
如何にして終わるかを話し合う時が来たようだな」
窓の外には、暗闇が広がり、ガス灯の弱弱しい光がかすかに辺りを照らしているのが見て取れた。
「訪問感謝する。ウィンストン。こちらは、ようやく夜明けを迎えられそうだ。これから我々が話し合うことは、如何にして始めるかということだ」
カーテンの隙間から薄日が差す。日の出が近づいている。5時間の時差を二人はまざまざと感じながらもその映像から目を離すことはできなかった。
その水鏡の先にいたのは、連日のニュースで見ないことはない人物だった。ウィンストン・チャーチル。イギリスの首相がそこにいた。
「ああ、紹介しよう。
アルベルト・アインシュタイン。
フィン・ノイマン。」
アルベルトと、フィンが立ち上がり礼を取ると、チャーチルはその例に対して、簡易な返礼で返した。時間が惜しいといったことろだろう。
「メルル君と、MI6の神秘学室の相性は決して良くないことは、よく知っている。
君が、疲れていることも知っているし。
君が、彼のことを嫌っていることはよく知っている。
だが、今は我慢の時だ。いくつかのものを確認してもらえるかな?」
チャーチルの前に、一人の男が進み出る。MI6。それは数あるスパイ組織の中で、最も有名で、最も開かれていて、そして、最も秘密を抱えた場所である。その中でも、最も秘密主義の場所。それこそが、神秘学室である。通常、ルームとだけ言われるそこは、他スパイ組織では顧みられることもない、最も合理性から逸脱した分野。神秘に関する調査、時には介入を行ってきた。
その神秘学室の室長。その男が、水鏡に移り込んできた。
「ごきげんよう。旧きヒュルトゲンの森。久しぶりにお目にかかる。」
「その言い方が気にかかるが。今はこんななりだ。お前の暴言にも目をつむることにするよ。泉の魔法使い。相変わらずで何よりだ。」
メルルは不機嫌そうに眉をしかめた。それに対して、泉の魔法使いは、かすかに眉をひそめただけであった。
「では、これを確認してもらおう。」
画面が切り替わる。泉の魔法使いが、その水鏡を制御したのだろう。白い布の上に小さな金属片。
「この状態にするまでに、15人もの職員と5人の司教が犠牲になった。結果として、バチカンに借りを作ってしまった」
金属片には、無数の彫金の痕が刻まれ、意味のない模様を作り出している。泉の魔法使いの声を聞こえないようにメルルはそれをじっと見つめていた。
その視線はやがて上がった。
「……これは、何かの冗談か?泉の魔法使いよ。」
メルルの声に、沈黙が落ちた。
呼吸する音すら、部屋から消えたようだった。次の言葉を皆がただ待ち詫びている。
「力あるルーン。神の御業だ。失われた神の縁に誰が立ったのだ?」




