断章 4
1940年某月某日 イギリス ロンドン塔
ノッキングテスト……MI6の最終試験。
それは、今までの何かを測るテストとは、一線を画するもの。
だが、その出題は、非常に単純である。
”MI6の門を叩け”
「さあ始めよう。これができたのならば、君たちは、晴れて我々と共に仕事をすることができる。」
これがテストの合図だ。そして、始まるのは、はじまりのないテスト。
このテストは、MI6創始者のマンスフィールド・カミングが当時の女王陛下に対して発したとされる言葉をもとに作られている。
「私は、休日にはたっぷりの時間を取り、紅茶を楽しむことにしています。
その時には、MI6の扉は女王陛下の臣民であれば、誰にでも開かれています。」
この言葉の通り、試験は行われる。
問題は、ロンドン市民ならば誰しも知っているMI6の門。それを叩くことが正解ではないということだ。
MI6は、イギリスの諜報機関である。これは、誰しも知っている。
MI6の本部は、ロンドン塔に設置されている。これは、誰でも知っている。
MI6の本部は、ロンドン塔で1月に1度、市民防衛講習を開いている。護身術や暗号解読、交渉術などの実践的な講習をイギリス国民は受けることができる。これは、ロンドン市民ならば誰でも知っている。
MI6の本部は、市民防衛講習の日を採用の最終試験日にしている。これは、試験者に対して、情報の錯綜と状況の混乱を目的にしたものである。これは、MI6の試験を受けるに足るものであればだれでもわかる。
情報の錯綜と状況の混乱を発生させる、本当の目的は、MI6の本部が、本当にロンドン塔に存在する。ということの証左ではある。これは、試験者が少し考えればわかる。
この試験は、正しい情報の精査と障害の排除、そして、最後に行動を起こすことのできる勇気と一生を捧げる忠誠。それを測る試験である。MI6の門を叩くときに、そのことが理解できる。これは、合格した試験者が考えればわかることである。
それまでのテストでは、俺の周りの試験者が、優秀だったことが、その時の俺の救いだった。
昔から、俺は、手を通して光を感じることができる特別な力が備わっていた。父と母は気味悪がった。だが、当時、健勝だったころの祖父にそれを伝える。それは、賜り物だと喜んでくれた。
祖父が話したところによると、言葉を濁したが、妻である祖母がそのような能力を持っていたらしい。
あいにく、祖母はすでに鬼籍に入っていて、会うことも話すことも叶わなかった。
祖父は、あまり親族内でも評判は良くない人間であった。それは、常に若い黒髪の女性を近くにはびらせていたからだ。奥方を亡くしたのに、すぐに若い娘と。と陰口を叩かれる祖父ではあったが、会いに行くと、その女性はとても、優しく俺に接してくれたし、気難しいことで知られていた祖父も俺には優しかった。
その女性は、当時の俺の話を真摯に聞くと、どうしたいかと聞いてきた。おれは、これを生かせるのならば生かしたいとそう告げた。
祖父と女性は、嬉しそうにうなづいた。そして、女性は、ひどい訛りのある、教養の欠片もない英語で俺にこうアドバイスしてくれた。
「絵画の修復家は、手を通じて絵画と会話するという。
お前は、手を通じて、世界を探求するとよいだろう。そのためによく学ぶとよい。かつて、紫式部や清少納言がしたように、お前は……お前の世界を探求する資格がある。」
学業と日常の中で、俺は、自分のことをよく学んだ。
女性の指導は大体厳しく、そして、時に優しかった。
そして、手を通じてものを見る。それの意味すること。そして、探求することの意味。それがどのようなことなのか学んだ。
そんな中、祖父は亡くなり、家族から疎まれていた、彼女は消えた。
哀しみを紛らわせるように、俺は、そんななかで、サイレント映画のスパイフィクションに夢中になった。
来る日も、来る日も映画を見に行く中で、さすがに目についたのか、父から提案された。
「MI6になってみないか?」
もし、今の俺がいれば、全力で否定する選択肢だろう。だが、たった1年前の俺はおろかだった。その否定するということすらも思いつかないほどに、ただ――愚かだった。
おそらく、父も母も、そこに行き着けるなど考えていなかっただろう。だが、その試験会場こそが、俺の個性を生かせる最後の場面だった。
だが、俺以外の全員は、そんな異能に頼らなくても自らの力のみで、その試験に挑んでいく。
カンニングをしているような……実際にしているのだが、自分の力では何も成していない。その虚無感を感じながらも、憧れに向かい、一つ一つ試験をこなした。
最終試験ノッキングテスト。
それにも、俺の異能は適応した。後ろ目に見た試験官が消えたドアに入り、後をつける。一番乗りで、たどり着いた。
皆が、情報を集め、必死になって頭を使っている最中。
俺は、ただ一人、何の努力をすることもなく、門を叩いた。
だからだろう、憧れていたMI6にせっかく入れたというのに、後ろめたさを感じるのは。
一度上がったものが、ずるずると堕ちていくのはたやすいことだった。
有能だと思ったものが、意外に使えないとわかれば、組織は切り捨て、新しいものを入れようとする。それは、新陳代謝としては正しい。
俺は、その切り捨て対象まで……底の底まで一週間で堕ち切っただけだ。
おれは、おおよそ、その資格のない……ただの一般人で。
これから、その報いを受けるのだ。




