イギリス篇 中章 1
「グレンターク・佐藤・シュレッター。ふむ。青島戦線で行方不明になったシュレッター軍曹の息子か……。ドイツには、両親のことを先祖に伝えに来たと。」
「ええ、そうです。父の最期の言葉が、『お前のルーツは、ドイツにあるんだぞ』って言われて。居てもたってもいられずに。あ、写真撮っていいですか。」
税関職員が、苦笑いの後に拒否のジェスチャーを浮かべたのを確認しながら、あたりに何となく視線を這わせる。
ヨーロッパの覇者取りつつあるドイツ。
その見解に公然と異を唱えるものなどいないだろう。今も世界を焼き続けている世界恐慌の残り火すら、この税関の前では、恐れるに足りないと感じる。
各入国審査の前には長い列ができている。その顔は、押しなべて同じ。
希望に満ちている。
「おい、お前」
そんな感傷に囚われようとした時だった。ブレンドが声をかけた。なんだと、言いかけて、思わず目を見開いた。その顔が、怒りに満ちていたからだ。
「さっき、ドイツにルーツがあると言っていたな。あれはどういう意味だ」
ドスの利いた声。こんな枯れたやつと2か月も一緒にいた。だが、ここで、まさか後れを取るとは思っていなかった。
「え……あ~」
「お前がきょろきょろするから、俺まで田舎帰りだと思われているじゃないか。
冗談じゃない。
ライン会議の幹部ドゥルニルから直接に招待を受けたのに、これじゃあんまりだろう。
おい、あんた。そうだよ。あんたもそう思うだろう。
見てみろ、お前がこんなに手間取っているせいで、仕立てた服がめちゃくちゃになる。
お前、これをどうしてくれるんだ!」
一瞬、ポカンとしてしまった。見ると、管理官もポカンとした表情を浮かべている。視線をかわす。乗っかれと、指示が出ていた。アイ.サー。
「そうだ。そうだぞ。
上を出せ!!後ろの奴もこんなに困っているんだ。
俺を通せない理由を出してみろ」
理不尽に。特に理不尽に騒ぎ立てる。場内の視線が釘付けになる中、何人かが、その場から立ち去ったのを感じる。おお、さっさと上官に言いに行け。こんな哀れで、無害な抵抗を止めること……。
音を立てて、扉が開いた。その瞬間を覚えている。空気が変わった。ゆっくりとそちらをむく。
入ってきたのは女性士官だった。手に厚い書類を抱えている。そして、肩章には、黄金の穂の天秤。
次の言葉を喉の奥に押し込み、思わず、口を閉じた。お互いに考えていることは、同じだったらしく、ブレンドもこちらにに倣った。だが、その視線は、じっとそれを見ている。
「……」
小声のドイツ語が聞こえた。さすがに、単語くらいしか、聞き取れなかった。
だが、ブレンドは。
――ブレンドにとってその言葉は、そうでなかったようだった。じっと、その2人を視線がとらえていた。瞬き一つせずに。
その2人が交わす言葉を聞き漏らすまいと。耳と目を見開き。
ただ、何も言わずに、聴いていた。
税関職員が、書類を受け取り、女性士官が退室する。本当に短い時間。
書類をめくる音と、他の窓口で思い出したように検査が再開される。だが、先ほどまでの、喧噪は嘘のように静まり返った中、淡々と検査が進んでいく。
そして、不意に。本当に不意に。
ドイツの税関職員が顔を上げた。
「グレンターク・佐藤・シュレッター。並びに、ブレンド・ヤーヌワーズ様。大変申し訳ございませんが、別室に移動をお願いします」
そういうとその職員は立ち上がった。職員がワゴンに俺の荷物を置き、ブレンドに、荷物を渡す様に優しく催促した。ブレンドは、ゆっくりと鷹揚に荷物を職員の手に乗せる。
「さて、では、着いてきてください。はぐれないように」
ゆっくりとその場所から離れる。背中に浴びる視線は、あまり愉快なものではなかった。
長い廊下を歩く。
それまで、素朴な木でできているはずのその場所は、白く磨かれた大理石のような廊下へと変わっていた。コツコツと足音だけが響く。ワゴンに置かれているのは、2人の荷物だけではない。その書類も、置かれていた。
会話もなく、誰も視線を合わさない。そんな時だったからこそ、それを読んだ。
とはいっても見えている部分はただの署名の部分。
A.H.S
とA――。
という文字が見えるだけだった。これでは、情報の取りようもない。
「あまり見ない方がいいですよ。あなたに開かれているものではないですからね」
いきなり口を開いた。前から視線を全く動かさなかったその職員。ただの税関職員ではないのか?そう考え……。
「ああ、見えてしまったら。
仕方ないですよね」
一応、ばつの悪そうな顔位は造る。それを察しているのかいないのか、職員はこちらに視線の一つもむけずに、言い切った。
「ええ。私の不注意でもありますね。
だからこそ、注意だけはしておきました。」
不遜な態度と物言いに、一瞬だけむっとした。
「あなたは、少し勘違いされている。
あなたは、おまけなんですよ。
グレンターク……さん。
あなた様がこの場に招かれるのは、大慈によるもの。そのことはお忘れのないように。」
相変わらず、こちらを見ようともしない。ゆっくりと歩を進める。ブレンドを盗み見ると、難しい表情を浮かべていた。
そのいつまでも続くと思った廊下に終わりが訪れた。まるで招かれるように、ゆっくりとドアに近づいていく。そんな最中だった。
「……明日の天気は……聞かなくていいのか」
ブレンドが口を開いた。
しばらく沈黙が続いた。
やがて、ドアの前に立つ。3人。
「……。ええ、今は直接教えてもらえていますから」
兵士は、そう応える。ブレンドは、そうかと。何か納得したようだった。
やがて、ドアが開く。
重く天より垂れる雲は、自らの行いの難しさを示す様であった。
「雨が来るな」
「ええ、お気をつけて」
兵士はそういうと、ドアを閉める。ワゴンを押し去る音だけが、そこに残った。
1940年12月10日 11:34 ベルリン




