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間章 3

 1940年 8月21日 12:31 東京 海軍参謀本部



「ふむ、相も変わらず、いつ食っても。料亭 常盤 の仕出し弁当はうまいものだな。

 さて、弁当を一緒に食いたいという目的でここに呼び出したのでは、ないだろうよ。

 山本。


 何かあったのか。」


「当然のこと。多忙極まる方を呼ぶとすれば、実利以外にも、手土産は必要。」


 声を出したことを少し後悔でもしたように、空になった弁当箱を眺めた。そうであると知りながらも。一応は、礼節をわきまえた様に、手を合わせる。


「ごちそうさまです。陸軍が大喰らい。とでも言いたいのか、山本さん」


「いえ、そうではありません。むしろ、そうであって良かった。

 この時においても、喰する胆力。それが陸軍の強み。

 そう思っていますよ。

 山下さん」


 ちっと少し荒れ気味の山下に、部下が、楊枝です。と言い渡す。山下と呼ばれた軍人は、それまでの所業とは裏腹に、ゆっくりと、鷹揚な態度で、それを受け取った。

 ぞっとしたような笑みが、場の空気を換えていくことを、皆が緩慢ではあるが、確実に感じていた。


「山本さん。中国の奥地で、今週。三百人の部下が亡くなった。

 先週は二十人。

 この戦闘で、我々は、百m陣を後退させた。

 小さな村。小さな町。小さな街道。ゆっくり。

 ――ゆっくりと。

 いま、中国から大日本帝国軍は負けているんだ。今も、こんなうまい料理を……俺が食っている間も――


 兵士たちは死んでいるんだ。たった、一メートルの陣地を守るために。」


 葉巻を咥えるように、ゆっくりと歯間をしごく。ゆっくりと出した、それには、今食べたものが、垢のようにこびりついていた。


「こんなものも」


 部下の止めるのも聞かず、山下は口に運ぶ。山本は、表情を変えないままに、机下の手を握り締めた。ゆっくりと、音を立てて、嚥下する。それだけが、参謀本部(ここ)で聞こえた。


「食べられない、兵士がたくさんいるのだ。

 中国戦線は、崩壊しつつある。

 それを知っている。

 あなたが、そんなことを言うはずはない。


 嘘だと言ってくれ。山本さん。

 いや、山本提督。


 頼む。嘘だと言ってくれ。

 嘘でもいい、冗談だと言ってくれ。」


 ゆっくりと山本は目を閉じた。そして、そのまま、語りだした。


「特務機関からの報告で、欧州戦線。ヨーロッパでの戦況。それが大きくドイツ有利に傾くと報告があった。

 軍部の暴走も、それに伴い、すでに止め難い領域に入っている。


 貴君の部下がそうであるように、私の部下もだ。

 貴君の心中は、察するものこそあれど……」


「陸軍に。

 中国とアメリカ相手に、2正面作戦で闘えというのか。

 若き皇軍将校に絶対不利状況下で闘えと。

 徴兵された陛下の臣民に軍の暴走に付き合えと。

 

 それこそ……」


「そんなことは」


「内地の陛下の命にある。死ぬまで戦えと。

 

 あのキンカン頭の言うままに!」


 山下の言い分はもっともなものであった。

 大日本帝国軍は、初動こそ、中国大陸を制した。だが、軍閥割拠、いわば、群国乱立の状況。この状況に手を突っ込むということがいかに甘美に見え、それでありながら、最も、避けなければならない状況であったのかは、言うまでもない。

 まず、中国の軍閥は、全体が常に反発しあっているものではない。

 時には、まとまることもある。

 

 時に。それが、外敵とあれば、なおさらだ。


 密約、裏切り、呉越同舟。やがて統一。……それを4000年やってきた国だ。

 覚悟が足りないではない。足りなさ過ぎて、足り足りることなどないと知ったうえで闘わなければならなかった。群雄割拠の甘い蜜の下には、蟲毒が潜んでいる。

 そんな国に、我が国は、半端な覚悟でけんかを売ったのだ。

 当然、伏せ札をどこも持っていた。今軍師と飛将。これが、日中戦争の初期の戦場に姿を現さなかった。そこのことは、大日本帝国軍にとっては最大の幸福であり、最も、忌避すべき不幸でもあった。


 結果招いたのは、中国人民の大日本帝国に対する、正当なる怒り。その報いが、こちらの思惑の範疇に納まることなどあろうはずもない。


「決まったのだ」


 山本は、自らのカバンより、上等な風呂敷で丁寧に包まれた手土産を取り出した。

 風呂敷の紋は――菊。

 ゆっくりとその手土産が開かれていく。

 

 それでも、かすかな勝利の糸……いや、有利講和の糸をたどるためならば、こうするしかない。

 山本は、それを、山下に告げに来た。ただ、それ以上を持たない。

 それ以上を持ち合わせてなどいないし、それを考える。そのことは。

 

 我らの仕事の範疇を脱する。


「――アメリカ本土への攻撃提案が、許可された」



 湯呑から上る湯気が消えるまで、山下は動けなかった。

 それを親の仇のようににらみつけていた。


 如何に睨もうと、結果は変わらぬなどと揶揄するものはいなかった。

 静かな怒りと沈黙が広いはずの参謀本部に重くのしかかっていた。


「一度、手を出せば。

 もう、戻れない。


 海軍は、それを承知の上か」


 山本は、ここで一度返答の為に開いた口を閉じた。

 吐きかけた息は、声になる前に空気に消える。

 

 ゆっくりと目を閉じ、ただ、一度。また、ゆっくりとうなづいた。


「イエスか、ノーかで聞いている。


 犠牲を。それも、多大な犠牲を払う。戦争を、この戦争を未来永劫に続けるつもりか……」


「イエスだ。海軍は、その覚悟ができている。」


 山下の言葉を遮るように、山本は、はっきりとした部屋全体に染み渡るような声で答えた。山下は、ゆっくりと蛇が鎌首をもたげるように見回したのち、ゆっくりと着席した。その意味を察した事務官たちは、2人から視線を外し、机上の書類に集中を戻した。


「ならば。陸軍もイエスだ。東南アジアで。奴らの庭で。散々に暴れまわってやる。

 

 常勝の大日本帝国陸軍を作ってやる。

 

 だが、三か月だ。」


 山下が、小声で返した言葉。山本は、その言葉に静かにうなづいた。


 

 三か月しか持たないだろう。

 それが、どういう意味を持つことか。

 2人は――よく知っている。



 1940年11月21日 真珠湾攻撃命令――発令

前章部分は、これで終わりになります。

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