断章 3
「しかし、本当にやるんですか?」
「ああ、そうせざる負えないだろう。同士フォルサエ」
むっとしたように眉をひそめた。一人の同士フォルサエ。
しかしと声を上げかけるのを、もう一人が咎める。
「ドイツが誇る、恐るべき異端へ対抗するためならば、やむを得ないだろう。それとも、お前も神を信じない口か?」
「俺が言いたいのは、我らの怨敵を助けるというのは、どういうことだって言いたいのさ。あの女狐は、少し人間より体が強く、少しだけその場の人間より勇ましかっただけだ。
神の教えに従わない異端の徒が、いまやバチカンでも、押しも押されもせぬ聖女として輝いている」
1920年。
フランス出身の枢機卿により、彼女は、敬虔なる神の信徒として崇められることになった。くしくも、前年に、フランスは、ドイツからの失地回復を果たした。
その輝かしき出来事には、記念となる象徴となる存在が必要だった。
そして、彼女が過去に成したことは、未だに色褪せず語り継がれていた。その輝かしさが象徴に忘れがたい彩りを添える。
正に適任だった。
そこまでは理解できるし、同士フォルサエの言葉も憤りも十分に理解できる。
「ああ、そうだな。
だが、記述に、
『主なる神の御前に沈黙せよ。主の日は近い。』
とある。
同士フォルサエ。神は沈黙を愛するぞ。」
むっとしたが、一文を引用され、反論されてはそれ以上の議論は不要と考えたのだろう。アンカーの確認をしてくる。とだけ告げて、同士フォルサエはその場を立った。
「あなたが感情的になるとは。彼女とは何かあったのですか?」
声に、ふぅっと息を吐いた。さっきまで、獲物である斧を磨いていた同士フォルサエが声をかけてきた。
「何事もないさ。ただ、彼女は、確かに異端ではあるが、この戦いの為に必要なピースだ。それに異を唱えるものなどいないさ。いかにあれが邪悪極まりない存在であったとしても、それだけで排除するというわけにはいかないからな」
「まあ、彼女が本気を出したら、今の我々で相手になるのかはわからないですけどね。もしそうだとしたら、今のうち、棺と神父と聖書を用意しておきましょうか?」
同士フォルサエが、錯乱性の精神ガスグレネードを用意しながら問いかけた。少量の神性化合物が入っているそれは、逃亡の際に、十分に役に立つはずだ。もちろん、自分が吸い込んでは元も子もない。
「十分に、そして必要以上に足りているだろう。さて、そろそろ時間か。ルーブルは残念だったが、他は大丈夫そうだな」
アンカーの準備をしていた同士フォルサエから起動準備よしと声がかかる。
さて、準備は完了といったところだ。
聖句を唱えよう。
我らフォルサエの、誇り無き戦いの為に。
「主よ、境を定め給うた御方。
我ら、ここに立ちて祈る。
あなたの御手により、
王たるもののの御名において、
我らは、神の門の側。
置かれた者なり。
我らは内に属さず、外に属さず、
ただ、境に属する者。
見よ、影より来たるものあらば、
我らこれを知る。
忍び寄るものあらば、
我らこれを聞く。
越えんとするものあらば、
我らこれを拒む。
主よ、我らを散らし給え。
水の中に。
土の中に。
木の中に。
石の下に。
人の目の届かぬところに。
目を我らに、見張りを我らに、
閉ざす手を我らに与え給え。
我らは剣にあらず、裁きにあらず。
ただ、門に立つもの。
主よ、守り給え。
沈黙のうちに命じ給え。
我ら、その沈黙に従わん。
主よ、――」
最後の聖句が出る前に、何かが近づく気配を感知。全員が、うなづくと、即座に身を隠す。
静寂と近づいてくる音。
やがて、落下音。
確かに見た。落ちてきたのは、救助対象だった。
灰の中でもがく姿は、哀れとしかいうしかなかった。右手で、同士フォルサエの止めの銃撃を制する。
うなづき、うなずき返す。
「主よ……われらを守り給え。」
十字架を握り締めると、灰の山をかき分けた。
その瞬間、手が当たった。
引き上げる。
真っ黒な顔は、哀れなものだ。
「くしゃみはできるか?」
すぐに反応した。
くしゅん。くしゅん。
場違いなほどに、かわいらしいくしゃみだ。この場にあっても、自らを乙女と演じているのか。真っ黒な顔に、布を当てる。そこから出てきたのは……。
神が創りし造形だった。黄金律と、黄金比そのすべてを備えている顔。
一瞬看取れる。
そして、これは、敵だと気が付く。
おぞましく。そして怖れるほどの敵だということ。
声が詰まる。皆が緊張している。
「ジャンヌダルク。お前意外と……かわいかったんだな」
何とか、しぼりだした口に出した声は、小さかった。
だが、相手には、十分に伝わっていたようだ。
「40後半のおばさんに……おかしなことを言うんだね。寝ぼけたのかい?それとも、頭にエスプレッソが足りていないのか?」
皮肉な声。変わらない声。
ああ、私は知ってしまう。
あなたは、変わった。だが、変わらなかった。あなたは。超えた。境を。そして、戻ってきた。
これは事象が起こしたことなのか、それとも、偶然の産物なのかは不明だ。
この建物から出てきたときには、ジャンヌダルクは、我らの敵になっているはずだった。
だからこそ、故に言おう。
レジスタンスたるジャンヌダルクよ。
汝の帰還を我らは歓迎しよう。
我らの待ち望んだものよ。
これが、奇跡なのだとしても。
「奇跡か。
めんどくさいことになりそうだ。
まあ、そんなものは信じたいと思ったことはないが……ともあれ、ここは脱出を優先しよう。同士フォルサエ。準備はできたか?
救出ではなく、ジャンヌダルクの脱出を最優先とする。
異端の杭は、すぐに使用する。脱出するぞ。
ガス用意。近接戦闘用意。
ここから。今すぐに。」
美しい顔がゴム面とゴーグル。そして、ろ過機の奥に消える。声は聞こえない。
ジャンヌダルクの声は聞こえない。
「主よ。我等を赦したまえ」
神性偽装が始まる。起動したアンカーから漏れ出した神性が神の虚像を作り出す。そこにガスを投下。パリの各所でも、同様の行動が行われているはずだ。
「シオンヒルの誓約に基づき、我らは行うを行う。」
そう、端的に言えば、逃げる。この瞬間に。
この機会に。
セーヌの水よ。神性にも、その上位にもとらわれぬものよ。
我らに脱する術を与えたまえ。




