表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/47

フランス篇 前章7

 それから後――かい?


 なんてことはないよ。

 そう、なんてことはないんだよ。


 情けなく気絶したウルティマの後継者が引きずられていく。

 おそらく、拷問。

 だけど、それは、心に何の波を立てることもなく、視界の外に消える。

 傷みと安堵、そして恐怖。

 それがぐちゃぐちゃに混ざりながら、ドイツ兵が近づいてくるのが分かる。手には麻袋。ぼやける視界の中、その顔がはっきりと見え、声がかけられた。

 うなづく。

 暗闇が私の全てになる。

 

 眼を閉じるべきだ。休息というものは、取れる時にとっておいた方がいい。それは解っている。ただ、きっとこんな感じだったら思い出してしまうんだろう。

 うんざりだ。

 目を覚ました後のことなど……考えたくないほどに。


 

 1914年某日 20:03 バッシ―通りから裏路地に入る


 ――ドイツ占拠時のパリ


 入ってきたのは、ドイツ帝国の兵隊だった。店の中の全員の目が釘付けになる。

 だが、そいつは臆さなかった。

 あの頃は、嫌悪感くらいは覚えたさ。でも、今は違うよ。おそらく、彼は、職務に忠実でながらも、あまり真面目ではなかった。

 正直、今思い出しても、その判断は正しかった。おそらく、彼だけが、店の中の状態をきちんと把握していた。だから、そういう判断を下せた。

 実際に、そうなってから思うのは、私はそれをできていないということ。きっと彼がいたら、叱咤位はされたと思う。彼、そして、彼らはえらいと思うよ。名前1つ知らないのに。


「ここにレジスタンスがいると、情報があった。店主、確認をしたい」


 ああ、あれは、早く帰りたいから、そう言えという合図だったんだろうね。だから、お母さまは、安堵の声を上げたんだ。


「ここにそんな奴はいないよ。他をあたりな」


「情報感謝する。念のために、店の中を見せてもらう」


 あれは、合図だったんだ。

 私が、膝の上で何も知らずに震えている間も、お母さまは戦っていられた。

 ほんの僅か、ただ、今日いた客のことをふっと忘れてしまっていた。いや、そいつは客でもなかった。


「お前ら、なにを探すだって?」


 何気ない一言が、ウルティマの逆鱗に触れた。


「れじす……た――――」


「お前らも俺を。テキサスの田舎から帰ってきたって。

 お前は、牛の頭って!!


 馬鹿にするんのか!!!」


 何もないはずの一言が、ウルティマの逆鱗に触れた。

 兵士が叩きつけられ、人間の形を失う。隊長の怒号と共に、銃声が狭い店の中に響く。悲鳴。嘆き。それを遮る声が聞こえた。

 

 ダイナマイト!用意!


 声が聞こえた。逃げないとと思った。でも、それで終わりだった。


 爆風と熱波が――。パリでの私の人生を終わらせた。一度に全部を失った不幸。その中でも最も不幸だのは、彼女に庇われた事だろう。


 瀕死の重傷を負ったそれは、ジャンヌダルクと名乗った。


 瀕死の彼女は、その有様でありながらも、

「私が、ジャンヌダルク。

 その人だ。」

 と、名乗ったのだ。


「そしてあなたが、――」


 もう、これ以上は思い出したくない。

 そう思ったときに都合よく夢から覚めるものだ。今回もそう。朝のひかりが、網膜を焼いた。



 1939年10月25日 9:22 パリ某所?



 痛みが、体を覚醒させる。全身が痛い。


 それも、そのはずだ。今の私に、傷を負っていない場所など存在しない。古傷も今負った傷も等しく痛みを呼び起こしてくる。

 全く。こんな年になっても、戦場に出るなんて考えもしなかった。

 ひとしきりシーツの中で見悶える。

 やがて、落ち着く場所を見出す。痛みを避けて、少しでも楽に過ごせる場所。そういうところが重要なところだ。見悶えるといったが、せいぜい体の位置を変えることが精いっぱいで、ほとんど最初の場所から動いてもいない。


 その体制のまま、少しだけ、あの時のことを思い出す。

 ウルティマの後継者は、そのまま連れ出されていく。それが視界から消えるのに時間はかからなかった。

 その後袋を持っていたドイツ兵。彼が、見せた表情。


「安心してほしい。あなたの……身は、私が護る。それは約束しよう。ジョッペルのことは残念だったが、貴女に、私は彼のようなことはしない。そう、あなたの身の安全と、保障は、私が責任をもって……いやこういういい方はおかしいか。

 僕に護らえてもらえないだろうか?

 どうかな?信用してくれるかな?」


 その真剣でありながらも、いたずらぽいまなざしに、思わずうなづきそうになる。それを肯定と判断したのか、頭から、何かをかぶせられ、視線が遮られる、担架に移される。私が覚えているのは……そこまでさ。

 ただね、あれだけ、ぐちゃぐちゃな心のうちでありながらも、ここ10年の間で一番。


 熟睡してしまった。


 私は、一番。安心してしまった。

 そう、この日まで、微睡んでしまうほどに。欲していたんだろうね。安心を、安寧を。


 欲していたんだ。

 自分でもわかっていた。


「さて、検診のお時間です。おっと、起きられましたか!」

 

 ドアが開いたのか、驚いたような声が聞こえた。首だけを動かしてみると、そこには、温和な笑みを浮かべる医師がいた。ただ、わかる。こいつは、町医者ではない。

 軍医だと。

 どうやら、ここは、ドイツ軍の施設らしい……。

 そういう、考えを巡らせている間にも、医者は、脈をとったり、心音を確認したりと大忙しだ。その襟元の金色の穂の天秤が揺れている。それを、私は、ただ瞳だけを動かしながら、静かに見ていた。


 やがて、診断が終わったのだろう、医者は、道具を直すとこちらに向きなおった。


「問題ありません。呼んでまいりますので、少しお待ちください。

 ……まあ、その必要もなかったようですがね。」


 ワゴンを押す音が聞こえてくる。音が止まる。

 医者は、近くに控えている看護婦に、視線で合図を送る。

 看護婦は、察したように、視界から消える。そのすこし後、ドアの開いた音が、静かな室内に響いた。

 

 不意に香ってきたのは、甘いミルクと麦の香りだった。

 ひどく懐かしさと、郷愁を感じる。その匂い。


 医者が立ち上がると、敬礼をする。返例を返したのだろう、医者は手を下ろす。


「そろそろ来ると思っておりました。副作用こそありますが、健康そのものです」


「ならば良し。

 気苦労を賭けたな」


 ドイツ兵の声に、医者の顔が穏やかになる。


「あの地獄に比べれば大したことはないですよ。さて、私は当初の任務に戻ります。

 父と仔の御名の元に」


「我ら精霊の加護のあらんことを」


 そのまま、医師は足元のカバンを持ち上げると、足音が遠くなっていく。そして近づいてくるワゴンが床をこする音。


「待たせたね。」


 あのドイツ兵だった。温和な笑みはそのままだった。ただ、どこかでけがをしたのか、肘のところには少し厚めに、包帯が撒いてある。

 こちらのむっとしたような視線に、彼は、またあいまいな微笑みを浮かべていた。ただ、その様子は、うれしそうに見えた。


「少し、テロリストの対応で、時間を取られてしまって、ここに来るのが遅れたことはお詫びしよう。

 さて、貴女のことは、なんとお呼びしようか?

 マリーデ?それとも、ジャンヌ?ダルク?――。」


「マリーデでいい。」


 そういう大仰な名前で呼ばれているは、本当は、あまり好かない。



 認めてもらえるって大事よ。



 お前の意見は聞いていないし、特にお前に言われたくはない。

 背中に手が入れられるとやさしく起こされる。

 いつの間に準備したのだろうか、サイドテーブルには、深皿が置かれ、その横には、小さなヨーグルトの容器が置かれて、切ったみずみずしい赤いフルーツが盛られていた。

 ザクロとリンゴ。

 私の好きなものだ。


「ずいぶんな重傷で、治療は大変だったよ。ドクには後で感謝の言葉をかけておくことにする。

 助かってよかった。


 多分、空腹じゃないかと思って、持ってきた。」


 ドイツ兵が深皿を持つと、あの甘い香りがぷんっと鼻腔の奥をくすぐった。

 ああ、これは、覚えがある。

 私が、熱を出した時に作ってくれた麦かゆだ。贅沢にミルクに砂糖を溶かしたその麦かゆ。初めて食べた時、あまりにおいしくって、以降は体調を崩していなくても母に、作ってくれとねだったものだった。

 鍋の底に残った麦の粒を、弟と奪い合ったのも、いい思い出。


「さあ、お食べ。」


 ゆっくりと皿をかき混ぜていたドイツ兵は、私の口元に匙を持ってきた。

 思わず口を開きたくなるのを、ぐっとこらえる。


 私のその様子をみて、ドイツ兵は困ったような表情を浮かべた。


「全く。……疑うような予知なんてないと思うんだけど……ああ、そうか」


 何かに気が付いたように、ドイツ兵は、そのスプーンの麦粥を自らの口にゆっくりと運んだ。ゆっくりと口を動かすと、それを嚥下する。

 一息。


「毒でも入っているんじゃないかって。

 そう思われたのか。まあ、仕方ない。」


 その表情は少し寂しげだった。

 わずかに、罪悪感で胸が痛んだ。

 新しい匙に、麦かゆが救われる。



 食べた方がいいと思う。賜り物だよ。



 ……仕方ない。

 こうしていても、仕方ないんだ。


 口を開ける。

 次の瞬間、口内に広がったのは、あの幼い日に食べたそれと、まったくのそん色のない。

 懐かしい味だった。


 口が進んでいく。

 途中に酸っぱい酸味が混じる。甘く酸っぱい。まるで、子供の味だ……。だが、もう、止まらない。また自然と口が開く。それを察したように、匙が差し込まれる。

 よく噛み、嚥下する。


「――。――なんだから」


「――――。少し、――――。」


 不意に、ジャンヌダルクにより奪われた。なんてこともない。でも、取り戻すこともできない、喪われた日常の記憶の端がほどける。

 そう、そういう時代もあった。

 心地よい食後感と、心地よい記憶が、その時間を最高の時間に変えて。そして、あっという間に奪っていった。


 皿は空になっていた。

 私は――――。


 満足していた。


 息をつく。ドイツ兵がよく似た表情で安心しているのが見える。

 ゆっくりと視線を這わせる。

 入口右手に旗、そして、そのまま右手に這わせると、暖炉の近くにアッシュシュートがあった。この大きさの暖炉だ、一日の灰の量は相当なものだろう。

 自然と這わせられるのは、そこまでだ。ドイツ兵に視線を戻る。

 

 なぜか、視線を逸らせなくなる。

 言いたいことも、問い詰めたいことも。たくさんあったはずなのに、その顔から……視線が外せなくなる。


「ああ、よかった。その麦粥好きだったからね。」


 ただただ、ぞっとした。

 冷たい汗が背筋を堕ちる。


「……。」


「中尉。少し来てくれ。物わかりの悪い客人が来てる」


 その口から、言葉が出る前に、事態が動いた。――らしい。


「ああ、わかった。


 お願いだ。

 そのまま、じっとしていてほしい。

 すぐに戻る。


 すぐに戻る。座って……ああ、もしきついようならば、シーツをかぶっても構わない。

 目を閉じたら、すぐに戻る。


 約束する。


 

 客人は?ああ、ナチス(ドイツ国民党)か?親衛騎士で対応は。難しいと……。すこし、厄介だな。」


 そのドイツ兵は、名残惜しそうに、私を見ていく。ドアが閉る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ