フランス篇 前章4
そうだね。物語が進んでいない。
そう感じるだろうね。
ただ、語れることは、このくらいしかないんだよ。
そう。今回のパリ訪問の報告書。それとして出すのならば、この二文で終わりさ。
パリは破壊されつくした。
レジスタンスは、消息不明。
この二文で十分さ。それ以上は蛇足さ。何もいらない。
でも、それ以降が……あんたには必要なんだろう。
ならば、語ってあげるよ。あの日、なにがあったのかを。
まあ、いやでも聞かせるけど。
1939年10月22日 15時52分 バッシ―通り近辺
「ああ、それだ。そこに下がっている、ガチョウの燻製。それ、それだよ。え、10フラン?少し高くないかい?さっきの店では、7フランで売っていたよ。6フランくらいにならないかい?ダメ?7フランならいい。まあ、こちらも、交渉している身だからね。じゃあ、7フラン。2人分で16フラン置いておくよ。」
ほくほくで交渉をまとめて店を出る。バスケットには、すでに山盛りの食材たち。それをみて、ドイツ兵は、頭痛が痛いような表情を浮かべる。理由はわかる。でも、そのまま、苦悩に沈んでいろと言いたくなるような気もする。
「次は、何が必要ですか?」
「う~ん……歩きながら考えるわ。」
嘘ではない。見たかったのは……いや、欲しかったのは……それではないからだ。
夕市は活気に満ちている。店の特売品に眼を取られた風を装いながらすっと視線を這わせる。
占領統治下であれば必ずあるはずのもの。私たちが欲するそれ。
渇望するそれ。
混沌と反骨。小さな反発心。
それは、そこになかった。
奇妙な違和感と、背筋から這い上がる悍ましい嫌悪感。それを隠しながら、市場を見て回る。
固ゆで卵ときゅうりのピクルス。
買い物かごは重くなる。でも、望むそれはない。
最後に安物のワインとピートの利いたアイリッシュウィスキー。を仕入れる。
完敗だ。そう感じた。
相手を見る。
相手は、まだ余裕を残していた。
「この市場の食材。我らの父が、敗者と言えど飢えることを赦さずと用意してものであるそうです」
その瞬間から、語りだすドイツ兵。彼の肩賞には、ナチスの鍵十字と同列に、黄金の穂を天秤に見立てた勲章が輝いている。
「勝利は、奪うためではない。わが父は、そう言うと。我らにこの地を任せられました。
この戦いは……。戦いは。わが父にとって。闘争ではありません。
貴女も同じではないですか?」
答えられる問ではない。だから無視して、おまけでもらった小さなリンゴを口に放り込んだ。
「ジャンヌダルクは。
かのオルレアンの乙女は、堕とされしケルトの神。その眷族と信徒の下に拝したがって悦び蠢くドルイドとしての自らを欲していました。いま、その時代が訪れようとしています」
口に含んだリンゴが邪魔して、言葉を紡ぐことはおろか、出すこともできない。
「わが父は。我らの父は。
あなた方の願いを……すでに、すべてかなえています。
貴方は、もう夜に老婆の真似事などする必要はないのですよ。
貴方は、初代の心をいつでも継げるところにいる。
いつまで、立ち止まっているのですか?
いつまで、悩んでいるのですか?
私は、あなたに問うているのですよ」
リンゴを飲み込む。それくらいの時間は、待ってくれていたようだ。
「正直、あなたが、なにを言っているのかよくわからない。わたしは、あくまで、親せきに会いに来ただけよ。そんなことを一気に言われても、ドイツ訛りの強いのフランス語じゃよく聞き取れなかった。
もう少しゆっくりと、丁寧に、大きな声で言ってもらえないかしら?」
背に歓声を感じる。パントマイム芸人が、何か芸をしているようだ。子供の声、大人の笑い声……私たちが、護りたかったはずの日常は、よりによって占領軍に護られている。
この事実は――。
私たちにとって、とても重い。
「残念です。これから口説くつもりで。デートに誘ったつもりでしたが、袖にされました」
「こんなおばさんをデートに誘う?というか、もう少し人を見る目を養った方がいいんじゃなくて。ほら、周りを観なさいよ。もっと若い子がいるでしょう。」
その言葉に、ドイツ兵は。すこしだけ不機嫌でありながら、困ったような表情を浮かべた。ばつが悪そうな沈黙が流れる。
「まあ、年長者。……の、忠告は聞いておきますよ。
ところで、弟さんは、どうしたんですか?」
いやなことを聞く。その質問。思わず、渋面になる。
「弟はね。まあ馬鹿な子だったよ……って、なんでそんなことをあんたは知っているんだい」
少ししまったとでも言いそうにドイツ兵は、帽子を深くかぶりなおした。軽く咳払いをする。
弟……いた。母から聞いたことしか知らなかったが……、父と共にドイツに渡った。らしい。そこで、すべてが切れている。
「馬鹿な奴らだったよ」
母は、笑っていた。泣きながら、安酒をあおりながら笑っていた。
きっと、自分の人生を。
嗤うしかなかったのだろう。父の話をせがんだ自分を、深く後悔した。母の笑顔が見たかった。だから、それは、苦い思い出に消えた。
そのはずだった。
それでよかった。
そのはずだった。
私にとっては、終わった話だ。死人が生き返ってくるような話だ。
ありえない話なんだ。
「さて、ミセス・マリーデ。買い物は、もう十分でしょう。皆が待っています。
明日がありますから」
ああ、まったくもってそうだ。明日がある。
思い出したくもない、明日が来る。




