アメリカ篇 前章7
きしむ床板が教えている。
お前は、家族ではない。
お前は、ここにいるべき人間ではない。と。
同時に告げている。
彼に会ってほしい。
貴方と彼の出会いは必然だ。
貴方には、彼が必要で。彼にも――あなたが必要だ。
会ってほしい。
そして、
見届けて欲しい。
空が二人を別つまで。
軋む廊下を抜けて、階段を上る。外見からしっかりとした立派な建物ではあると感じてはいたが、年相応の古さは感じる。ただ、手入れはされているのか、木で修繕されている割には、しっかりとした強度を保っている。
それは、ドアの一枚一枚にもいきわたり、今にも、人が出てきそうだ。
だが、私にはわかる。
ここに住まうものは誰もいない。ここは、朽ちていくべき空き家である。
その事実を。
ゆっくりと階段の手すりを撫でると、かすかに釘が引っ掛かった。ところどころに、まだ詰めの甘いところがある。きっと、この修繕をしたものは……見栄えよりも、ここを残すことに執着したのだろう。
私にはそれが分からない。過去にこだわっても良いことなどない。それを知っているからだ。過去とは、今の自分の無力さを責めるものだ。今の自分がいかに衰えているのかを見せつけてくるものだ。
だから、未来が必要だった。私には。
どうしても必要だったのだ。
「いけないな」
感傷に浸りすぎるのは、この体が限界を迎えつつあるからだろうか。あの戦い。いや、ただの蹂躙と勝者ゆえの大仰な慈悲。だからゆえに、私は、助かり。故にすべてを失って、こんな所になどいる。感傷に浸るのは、必要だ。しかし、今は、一刻も早く情報が欲しい。
MIDT末席の私に、なにができるのかなど知りたくもないが。早く、情報が欲しい。縋る気持ちが、足を早まらせ、やがて、私は、そこにたどり着く。
この先に、情報提供者がいる。そのはやる気持ちを抑えて、私は、ドアをノックした。
開いたドアの先にあったのは……空だった。
「遅かったじゃないか。見た目通りの魔女殿と言わせてもらうよ。ようこそ、私の観測室へ」
「ええ。お招きいただき、ありがとうございます。今日は、よろしくお願いします」
老人と会話を交わす。心が温まるのを感じた。たったこれだけのことに、もっと早く気が付くべきだった。
私が欲しかったのは。こんな瞬間だったのだと。でも、その時の私は、気持ちを踏みにじって芽を摘みその気持ちを見ないように、気が付かないふりをしていた。
だから、こんなに後悔している。だから、こんな簡単なことに気が付けなかった自分をひどく……そう、ひどく悔いている。
もし気が付くのが、もう少し早かったのならば。
いや違う。私が、すべてを怖れてさえいなければ。ほんの些末なことにも、怖がってさえいなければ、こんな手段で拒絶を示していなければ。きっと。もっと。もっとよくできていた。そう考えている。目の前の老いたる彼だけではない。これから出会う、若き彼らの未来も変えられたのではないかと。もしかしたらなどという驕った考えさえ、頭に浮かぶ。
でも、わかる。そんな資格も力もない私が、それを考えることは傲慢だと。
それを違うと言えなかった。それが、私がたどるべき道筋を運命という導に刻み込んだのである。
まあ、それはさておきではあるが、その時間から、ひっきりなしに来訪者が現れた。老若男女問わずだ。その格好も、その持っているものも様々だ。望遠鏡を持ってきているものもいれば、どこかの横流し品だろうか、軍用の双眼鏡を持ち込んだものもいる。そんなものを持たなくとも、キャンバスを持ち込んだものもいれば……、ただ語り合うことが目的なのだろうか、自らの未来の伴侶以外を持ち込まないものもいる。
皆が、部外者で、明らかに浮いている私の姿を見た。しかし、それは、自然と集団の中に溶け込んでいく。皆、それぞれにここに集まっている。たった十数人の集団ではあるが、その中で私は浮いている存在であった。
「ああ、少し待っていてくれ。魔女様。同好の士が集まったところですからな」
私はうなづく。きっとあの輪の中には入れない。
老人は語る。今わかりたる宇宙の事実と知らない真実を。その語りは心地よく、芯にまで響いてくる。聴きやすく、そして、解りやすい。
その中には、私の認識していない話も含まれている。そうかな?そうだったかも。という、一瞬のゆらぎと、自らの知識がせめぎ合う。心地の言い空間が、そこにあった。
瞼が閉じていく。
ああ、だめだ。きっと夢を見てしまう。
1940年4月6日 20:21 ワシントンDC
目が開くのを感じる。天窓から注ぎ込むのは、星の光。夢は見なかった。
いや、夢を見たことを憶えていないだけだろうか。
半身を起こすと、月明りに浮かぶ老人の姿があった。
「起きましたか。」
確認でもなかった。うなづく。老人が、席を指す。そこには、マグカップが置かれている。老人のものと同じ図案であるが、一回り大きい。起き上がり、のろのろとその席に向かう。マグカップの中は、黒い液体で満たされていた。すでに香りは飛んでいるものの、それが、コーヒーと悟る。
「アルコールもいいものです。ですが、天候と天文学を友とするものは、眠っているわけにはいかない。魔女殿。あなたもそうではないのか?」
あっっと、声が出てしまう。図星を突かれたようだ。コーヒーに手を伸ばす。ひどく甘い。カップ底に砂糖が残るほど入れてある。そして、今の私には、とっても苦い。
「なぜ、私に……」
「いま、皆さんは、天体観察に夢中です。
ここには、私と貴女しかいません。
魔女殿。貴女は、何かを知りたい、何かを得たいとただもがいている。それが我らをここに引き合わせた。運命とでもいうべきかな?」
その言葉にむっとし、コーヒーを呷る。甘さと苦さ。それがごっちゃ混ぜになって、現実感を失わせる。なぜ、どうしてと。疑問が浮かぶ。涙を見せないようにコーヒーと共に飲み込む。
「ああ、魔女殿は、メルル様でしたな。儂の名を伝え忘れていました。儂は、デダロ。しがない民間気象学者で、趣味は気球を飛ばすこと。それにしか、情熱を注げないものです。さて、貴女のことを甥っ子が待っていますから。今日はここまでとしましょう。出口まで、お送りします。
魔女殿。まだ、明日があります。
まだ、明日はあるのですよ。」




