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序章 ミーミル 1

 1940年2月25日 フランス リヨン(ドイツ占領下) オー・ブルー湖南岸低森林地帯 時刻 深夜


 銃撃の雨が基地の中を通り過ていく。始まりは、豪雨だったものが、今や小雨程度に落ち着いている。やがて、雨は上がり、間もなく静かな夜が訪れることだろう。

 ジャンヌダルク6世はそう思うと、かすかに目を閉じた。目元に刻まれた深いしわが彼女のたどってきた年月の長さと過酷さを物語っている。

 夜の基地に潜入した仲間たちからは、制圧完了の報告が断続的に寄せられている。それに、大きな損害もない。それは喜ばしいことだ。

 だからこそ、彼女は、可能な限り基地の制圧に努め、来るであろうドイツ軍の反攻に備える必要があった。未だ、基地司令官らしき人物を捕らえた、または殺害したという報告は上がっていない。焦りはあったが、それを見せることなく、脳内で作戦の推移について反芻する。

 前日の偵察で判明した地上部分はほとんど制圧が完了している。残るは……


「地下かね。――滑走路」


 ジャンヌダルク6世は、偵察の成果である手書きの地図に視線を落とす。そこにあった違和感。格納庫の数に対して、不自然なほどに長い滑走路が自然と視界に飛び込んでくる。


「やはりですか。となると、当初の見立て通り、この建物が怪しいと考えた方がいいですか」


 滑走路の先に不自然に配置された小屋。航空管制やパイロットの休憩に使うにしては、設置場所に疑問が残るものであった。付近に人の出入りもなかったため、制圧は後回しにしていた。


「ジャン・リヨン15から23は、私についておいで。マリー・リヨン5は、ここで情報の収集に努めな。戦闘は終結に向かっているとはいっても、まだ敵さんは、どこかに潜んでいるかもしれないからね」


「了解しました。仲間を散々に狩ってくれた連中です。

 今度はこちらが同じことを返す番です」


 頼もしいね。と声をかけ、立てかけてあったすっかりと手になじんだルベルM1886を手に取り、Ⅿ1873リボルバーをホルスターに収める。全員声を発しないが、決意は固い。

 ウルティマの仇を撃ったといわれるパリレジスタンスの生き残り。

 

 その伝説の出撃である。


 あいつは、どうしようもない奴だった。

 

 腕力だけが取り柄で、頭の中は腕力にささげたのか空っぽだった。

 

 あいつは、守護者なんて柄じゃなかった。


 ただ、腕力に物言わせて殴っているだけで、皆が寄り付かなくなった。


 あいつは、英雄なんて柄じゃなかった。


 恐れる奴から巻き上げた金品で、店で一番高いアブサンを幼い私に、お酌をさせるのが好きだった。


 あいつは、讃えられるような奴じゃなかった。


 店にあいつらが来た時も、何も考えずに殴りかかっていった。


 あいつは、死んだ。


 だから、もう、思い出す事などないはずだった。


 あいつは、死んだ。


 でも、伝説に成った。



「あんたはどうなんだい」


 角待ちしていた若い兵士。すでにこと切れている。腹に銃弾を喰らったらさぞかし、痛かっただろうに。苦しかっただろうに、とどめが欲しいと言った。

 最後の言葉は、「ハイル・ヒットラー」

 人間らしい言葉が欲しいとは思っていないし、求めてもいなかったが、それでも、その一言は少しばかり胸に響いた。


「ヒトラーが、そんなに偉いのかね」


 人間の死に顔は見飽きていたが、やすらかな微笑みで死ぬ人間は。ろくなものじゃない。


「ジャンヌダルク、……」


「ああ、わかっているよ」


 地下は思ったより狭いらしい。残されたドアは2つ。真正面のドアと、廊下の横にあるドア。暗い中でも、真正面にある重厚な金属のドアからは威圧的な感じすら受ける。


「15と22は真正面のドアに向かいな。後の連中は、私に続きな」


 ドアの中には、話し声からして司令官が一人。そしてもう一人。


「2人いる。ぬかるんじゃないよ」


 小声で話した次の瞬間だった。


 行動。蹴破る音。銃声。悲鳴が1つ。



 制圧は、あっという間だった。



 質素な部屋だった。応接用のローテーブルと自らの机。壁にかかるのは、紋章。もはや見飽きたハーケンクロイツ。その隣。麦の穂の天秤の紋章が並び立てかけられていた。


「制圧完了」


 室内を確認していた24番が声をかけた。トイレとクローゼットの中をくまなく確認していた。おそらく間違いなどないだろう。


「馬鹿な、2人いたはずだよ。よく探しな」


 考えが正しいように、振り返った先にはコーヒーと貴重な甘味がローテーブルで存在感を放っている。コーヒーからはいまだ湯気が上がり、甘味には、一度手を付けた形跡があった。確かに、そこに誰かがいたそれがまぎれもない事実としてある。それなのに、何の形跡をも見出すことができなかった。


「司令官の意識戻りました」


 そっと告げられた事実に、それ以上の思考が深まることを避けた。意識は戻ったが、おそらく瀕死なのだろう。床に寝かされた司令官は、かすかに悶えながら低く悲鳴を上げるだけであった。


「意味のある言葉が聞けるとは限りませんが」


「構わないよ」


 そういうとその近くにかがみこんだ。おそらく視界に影が入ったことをに気が付いたのだろう。こちらに視線を向ける。


「……ああ、親父殿。約束を守れず」


 どうやら、誰かと勘違いしているらしい。そのまま黙って続けさせる。


「親父殿。ドイツの復活を。……ミーミルに、ラインの黄金を――。」


 司令官は、それだけを言うとこと切れたのか、気絶したのか目を閉じた。手を口元にかざすとまだ非常に弱弱しいが息は続いている。


「ミーミル。ラインの黄金。聞いたことのやつは?」


 その言葉に、一人手を挙げた。17番。たしか、ルーブルで学芸員見習いをしていたはず。


「知恵の巨人です。ケルト神話……ドイツの神話の。あと、ラインの黄金は、ニーベルングの指環。または詩の中に登場するラインの乙女がもたらしたものです。その力は、未来と運命を変える。」


 冷たい何かが、怖れと共に、腹の底からこみあげて着るのを感じる。

 第一次世界大戦が、超人と人類の闘いであり、超人の力をまざまざと見せつけられた戦いであった。


 では、これは……。

 足音が近づく。皆が緊張する中、聞き覚えのあるノック音が響いた。


「22番です。15番よりジャンヌへ伝言。扉が開きました。15番が、電気工事ができる奴を求めています。移動を。」


「さすがだね。こっちは終わったよ。移動しよう」


 机の上の資料をまとめ、そして、束ねる。最低限の人数を残し、皆が部屋から出る。


 最後に振り返った。

 ローテーブルの上のコーヒーは、いまだに主人の帰りを待っているように湯気を上げていた。

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