イギリス篇 前章5
店の中は、意外なことに非常に清潔を保っていた。さっきの玄関先がきれいであったのも、もしかしたら閑古鳥が鳴いている。
なんていうつまらない理由からではなく、この目の前の人物の努力の結果である可能性も高い。そう考えてもいいほどに。
不躾に開けたドアの先、広いスペースの真ん中に男が一人座っている。あたりは、山と積まれたジャガイモが無秩序におかれている。
ランタンの仄暗い明りの中に座る男は、体のところどころに鱗と獣毛を生やし、四本の足を器用にたたんで座り込んでいた。
男と、目が合う。しばし視線を交わして――見つめあう。まるでお互いを値踏みしあうように。
「開店前だ」
男はそれだけ言うと、再びジャガイモに向き合う。手に握ったナイフが鈍い光を放つたびに、それは身にまとった衣をはがされていく。芽を取り、光にかざすと無造作にバケツに放り込む。
「俺は、グレンターク・佐藤・シュレッターっていうんだが、――」
「開店前だ。帰って、化粧を落として寝ろ。ジョンブル」
むっとした顔を浮かべている俺を見もせずに、男は静かにナイフを滑らせていく。むっとしたが、ここで引くわけにはいかない。
「名高い竜騎兵に用事があってきたんだけど」
ぴくっと男の手が止まる。静かに視線が上がってくる。ランタンの明かりの中に男の顔があらわになった。鱗と獣毛が生えそろったその顔には、深いしわが刻まれていたものの、その眼にある光は鋭かった。
「扉くらい閉めろ」
どうやら、話くらいは聞いてもらえるようだ。第一関門を突破したそれを感じてほっと胸をなでおろした。
後ろ手にドアを閉める。それを確認して、男は顎でそこに座れと示してきた。
「開店前の仕込みだ。少し手伝え。シュレッター。」
どこまでこの人物は見抜いているのだろうかと不安を感じながらも、その言葉に従う。座ると、ナイフを渡される。ジャガイモに向き合う。久しぶりに握るナイフとジャガイモ。
1つ、2つと向くうちに、緊張がほぐれてくるのを感じる。そっと盗み見ると、男も、同じようにこちらを観察している。おそらく欲してるのは、お互いに同じであろう。
その言葉は自然と口から出た。
「ドイツに帰りたくないか?竜騎兵」
単刀直入に切り出した。こちらの素性がばれている以上は、言いくるめなどはしない方がいいだろう。
男は、少し黙り込んだ。この男は、20年もの間、この場所にいる。第一次世界大戦の後に、捕虜となっていたドイツ人たちと共に帰国することもできた。自由な行き来ができるようになった時期であれば、一時的に帰国することもできただろう。
亡命と言ったものの、この男には政治的な力も、求められるほどの財力も、お互いを欲されるような人脈などなかった。おおよそ、政治的な亡命者と呼ぶには弱い理由だ。
祖国が、かつての栄光を取り戻しつつあったのならば、帰っても良かったはずだ。だが、それを男はしなかった。その理由を推察するのは簡単なことだ。
「あの椅子。あの男のためのものなのだろう」
予約中の札がかけられている木の椅子。注意深く見ると、その椅子は周りの椅子よりもほんのわずかに高い位置に座する場所が設けられている。薄明りの中浮かび上がるそれは、南東の方角を向いていた。
「祖国のほうを向いているなんて気が向いているんじゃないか?」
「いくつか、忠告してやろう。まず俺は竜騎兵ではない。それを名乗っていいのは、一人だけだ。次に、あまりに人の詮索をしないことだ。お前の問いに答えるつもりはない。そして最後にだ。おしゃべりがすぎると厄介なものを引き寄せることになるぞ」
その言葉と同時にドアが開いた。そこには、泉の魔法使いが立っていた。
「ほら、言わんこっちゃない。まあ、年長者は敬えということだ。で、なに用だ。石の円卓の副代表兼代表が」
「信じて送り出した部下が、紅茶が冷めるまでに交渉をまとめられなかったので。上司が出てくるのは当たり前でしょう。ここをどこだと思っているのです」
男は苦々しく顔をゆがめると、剥き終わったジャガイモをバケツに放り込み、エプロンで手を拭いた。
「少し待ってくれ。椅子を用意する」
「ああ、結構。今日は話をしに来たのではないからね」
そういうと、泉の魔法使いは指を慣らす。そこには、一枚の紙が浮かんでいた。それは、目で追えるほど、ゆっくりとした男の元に向かう。受け取った男は、それを読み、眉をしかめる。
「で、俺のお守りがこいつっていうわけか」
そのまま、その紙を俺に渡す。
『暫定的国外退去命令』
紙には、竜騎兵の亡命は無効であり、市民権の停止をおこなう。再審査の必要があるため一時的に国外に退去を命じる。この審査は、竜騎兵が国外退去したときに開始され、帰国時に認められる。帰国時には、改めて市民権をあたえるものである。
「君の市民権審査をやり直したところ、疑義が生じたのでね。
法と秩序を守る我らとしては、君のここでの生活を尊重してあげたいところ――だが、瑕疵が付いた以上は、こちらも対応を行わないといけない。そう思わないかいかい」
「相変わらず、回りくどいやり方で。これだから、イギリス料理を食べて育ったジョンブルは嫌いなんだよ」
竜騎兵の辛辣な言葉も、泉の魔法使いには届かないようだった。その命令書はひとりでにくるくるとまとまると、虚空に消える。
「誉め言葉として取っておきましょう。すべての創造の基本は、食することにありますから。我々は、紅茶で誇りを創り、イギリス料理を食して叡智を造るのです」
これは、説得は無理だと感じたのだろう。竜騎兵は、こちらに向きなおった。
「もう一回聞いておこう。名前は」
「え。……ああ、グレンターク・佐藤・シュレッターだ」
「俺のことは、ブレンドとでも呼べばいい。
ここでは、皆そう呼んでいるからな」
ブレンドはそういうと、ゆっくり立ち上がり扉の奥に消えた。残ったのは、新兵と上司の二人。
「交渉とは、こうするものですよ。Mark127」
特に表情を崩すことなく立っている泉の魔法使いを見て、俺は、この初めての任務の本質が分かった気がした。この任務は、想像よりも命が軽い任務になるだろう。
どうあがいても、どんなにうまくいっても……おそらく――もう帰れない。




