イギリス篇 前章2
「さて、優良とされた茶葉には、非常に興味深い特徴があります。紅茶が最も喜ぶとされる温度未満でも……つまり、人肌程度に温められるだけでも、紅茶は自らを開き、示すのです。
さて、ここに一握りあります。では、良の方から」
ぎゅ、ぎゅっと、握る音だけが部屋に響く。先ほどは、古茶器についてのうんちくだったが、今度は茶葉についての蘊蓄らしい。すでに、1時間近くが経過している。それでも、この紅茶係は何も慌てていない。
まるで、それこそが目的であるというように。
「よろしければ、嗅いでごらんなさい」
従い嗅いでみる。飲みなれたその匂いがした。
「いつもの紅茶の匂いがします」
「ええ、それで結構です。では、次は、最良のほうを。今日、満州国から届いた、皇帝献上の逸品です。もちろん正当な鑑定書もついています。さて、あなた方も、歴史の講義で聞いたことがあるかと思いますが、この茶葉をもむ間、あえて、少し講義させてもらいましょう。」
誘うような口調。視線から目を背けられないまま、うなづく。
「かつて、我らは、陽の沈まぬ帝国と呼ばれていたことは、当然知り得ていますよね。」
言葉に、首是で返す。それを察知したのか、ヴィンセントは口調を少しくだけさせた。
「ええ、そうです。香辛料と茶葉。私たちは、それを求めて、世界全土を行脚しました。中には、黄金を求める国もあったようですが、我々は決してそのようなものを求めてはいませんでした。ゆえに、彼らは、略奪者と呼ばれ、我らは支配者と呼ばれている。それは、理解されていますか?」
口調は、決して荒くはないが、有無を言わせない威圧がその中にあった。思わず、うなづいていてしまう。蹴行とでも言いそうな顔で、そのまま続ける。
「かつて香辛料と茶葉だった交易品は、鉄と血に置き換わり、そして、現在にも続いています。これは、かつての帝国が欲し、そして、今の国民が欲しているもの。
ここまでは理解できましたか」
すっと、紅茶係の手の平が開く。そこには、過去を支え、そして、今を語る茶色い葉山が握られている。匂いがほどけるように部屋に広がる。そして、それを見定めた様に。そして、見せびらかす様にポットにそれは注がれる。
「これで分かったでしょう。あなた方にも」
ポットの茶葉の状態を見ながら、紅茶係はそう問いかける。
之には、わかるしかない。解らないならば……それを聞くのが怖い。うなづくと、室長は優しい笑みで返してくれた。
「では、」
瀟洒な仕草。温められたソーサーが並べられて、そこに、適温に温められた茶器が並ぶ。そこに、紅茶が注がれる。そう思った瞬間であった。室長は、ゆっくりと机の下から、大きな瓶を取り出す。
「イギリスに生きるものでしたら、唯のティータイムではつまらない。それは、わかりますよね。ドイツの友人より、譲り受けたミルクです。よく選ばれた草をはみ育った乳牛のミルクは。紅茶を誇り高く味わうことは重要なもののひとつとなります。ですが。
君たちの尽力。それに――報いる。それは、必要なことでしょう。
1か月よく努力されましたな。ささやかながら、これは、報いになります」
ゆっくりと器が傾けれられる。白い液体が、茶器をたたく音だけが、その音だけが。この部屋に満ちる。すっとそのまま、器を持ち上げると、白い糸が、残滓のように細く垂れる。
「われわれは、紅茶を飲んでいるのではないのです。この器には、この一杯には、宿っています。歴史が、文化が、そして、使命が」
出来上がる。それが出来上がる。
「さあ、よろしければ……」
目の前に、それが現れる。波紋が美しく白磁を揺らしていた。
ゆっくりと持ち上げた。一方の110は、その茶器をじっと見たまま固まっている。
波紋が、茶器の白とミルクと混ざり合った紅茶の薄赤色を静かに際立たせる。そして、それが醸し出す臭いが……まるで、それを自らの口に運ぶように言っているように感じる。
ほぉ……。
ため息ではなく、これから、これを飲みますという意思表示のようにそれは出た。ゆっくりと口を近づける。
その場にいる、自分以外の二人に注意など向かないままに。




