最期
アーサー・エリスはイギリスからカナダに移住した死刑執行人であった。1912年から1935年まで死刑執行人としての職務を全うした。その三年後、1938年に死亡した。
1938年2月某日。カナダ、モントリオールには、くるぶしの上まで積雪があった。アーサーは雪の積もりにくい裏路地に座り込み、どこで拾ったかも忘れた服を、できる限り重ね着をして、ただ生きていた。雪の降る日は人通りが少なく、あまり寄付がもらえない。わざわざ表の路地で座る必要はない。このように、ただ苦しみに耐えるだけの日もある。彼は寒さであまりよく動かなくなった頭で、己の身の上を考えていた。
天国にいけるなどと思ってはいなかった。そういう仕事をして生きてきた。牛や鶏を殺している者とは違う。温かい食卓を彩り、人間に活力を与えるための、誰かがなさねばならない高貴な仕事の人間とは違う。表立って礼賛する人は少ないだろうけれど、社会生活をしている者ならば、その仕事を為す者に心から感謝しているはずだ。私の仕事はごみ処理と表現したいが、ごみ処理の仕事はやはり社会に必要とされる大事な仕事であるので、そのような表現はできない。疎まれるだけの、心苦しい愛想笑いの人々に励まされる仕事だ。
今や読む本もなければ、暖を取る金もない。冬になってから着替えていない服を着た人間など店員は入れてくれないだろう。昔は金があった。仕事をしている時も十分に家賃も支払うことができていたし、気分の落ち込むことがあれば、チョコレートケーキを買う余分なお金があった。仕事を辞めてからも少しの間はあった。しかし、やはり私は罪悪感から逃げることができなかったのだ。散財をして気持ちを誤魔化そうとしてしまったのだ。遠くへ旅行にでも行って、そこで、何か仕事を見つけてその日その日を生きていけばよかったのかもしれない。でも私はそうするしかなかった。それしか思いつかなかった。何も考えたくなかったのだ。
私はどうしてこんなことになったのかと思っていた。けれども、時と運命の流れがそうならざるを得ないように私を導いたのだ。苦悩が私の首を絞めつけようとする度に、私は自分にそう言い聞かせて納得させてきた。
アーサーは顔の半分以上をマフラーで覆っていて、ニット帽を二重に被っている。彼の眼だけが彼を服の塊ではなく、人間だと通りすがりに、ちらと裏路地に目をやる人間に、彼が人だと認識させる唯一の部分であった。自分の吐いた息で暖を取って、少し頭の働きを鈍くさせることで、彼は一日を誤魔化して生きていた。
あの輪を首にかける前に、ほとんどの人間は何も言わなかった。彼らは私と同じだったのだろうか。そうならざるを得ないのだ、と彼らも自分に言い聞かせていたのだろうか。彼らも天国へ行けないと思っていたのだろうか。だが、数人の反例もいた。泣き出す者もいた。どうしても納得できず、なぜこうなってしまったのか、と思っていたに違いない。そこに言葉はなかった。ただ涙を流して情けなく泣いていた。不思議なことだが、泣き出す者に限って、家族を刺し殺していたり、本人とは何の関係もない人間を痛めつけてから殺していたりしていたものばかりであった。
因果が理解できていない。悟性がない。昔知人の勧めてくれた哲学書に書いてあった気がする。そう言われると納得のいくこともある。やはり犯罪組織の頭領や何人もの人間を貧困に陥らせた詐欺の考案者は、納得した様子であった。こうならざるを得ないことをわかってはいた。そういう覚悟をした顔をしていた。人間の客観的な諸部分に、その人間の思想と歴史が滲み出る。私がこの仕事をしていて、知ることのできた人間に対する一つの真理である。私はこれを見つけたことを内心喜んでいたのだが、自分の心の中に秘めておいた。私の職業柄、私の発言が必要以上に深く考えられて、人間に関する含蓄の富んだ名言のように捉えられることがあって、私の感じてほしい通りに受け取られないことがあったからだ。この真理が私の手を離れて、私の名を置き去りにして、受け取られたときに納得されるものであってほしかったからだ。もうそんな機会も失われてしまったが、私はこの発見を私の人生の誇りの一つにしている。
手袋をしつつ、手をポケットに入れていても、寒さはどこへも行かなかった。アーサーの体温は確実に下がっていた。昨晩から何も食べておらず、体に活力がみなぎるはずもなかった。彼にはもう何も残っていなかった。金銭や住まいは当然なく、帰る場所も彼のために泣く者も希望すらもなかった。人間の幸福を構成するものはおろか、不幸から遠ざけるためのものもなかった。安らかな眠りが彼を迎えに来ようとするときに、彼の意識は優しさを思い出していた。
数日前に、私の目の前を過ぎ去ってゆく者達の中に紛れた憐れみを失わぬ人達が置いていってくれた小銭が6ドル貯まった。客の少ないことことを外から確認して、できる限り、酒も薬物も使っていないと誇示するように背筋を伸ばして、笑みを浮かべてカフェでベーグル2つを頼んだ。口がぱさぱさするだろうから、公園で水を飲みながら食べようと思った。私の注文を聞いてくれた大学生ぐらいの茶髪の男の子が受け取り口で少し待つように言った。通報されはしないかと私は心配だった。私はもう感じなくなってしまったが、間違いなく異臭を放っていることだろう。数人いる客の視線を感じる。すぐに出ていく、我慢してくれと思った。注文を受けた男の子が私にベーグルを持ってきた。彼の手には飲み物も握られていた。彼はホットチョコレートをくれた。
嬉しかった。しかし、私には受け取る資格がない、と断った。私は君のような人間の優しさを受け取れる手を持っていない。彼はこう言った。
「いえ、注文を間違えて作ってしまったのです。カフェではよくあることですが、私はこれで今日二回目の失敗なのです。さっきラテを飲んでしまったのです。もうお腹がいっぱいで飲めません。失敗が店長に知られると怒られてしまいます。貴方が外で処分していただけませんか。」
「そうか。そういうことか。ありがとう。ありがとう。」
私は心からの感謝を述べて、店をすぐに出た。振り返ってガラス越しに見ると、客が彼の肩を掴んで何かを熱弁している。店員の男の子は困った顔をして、はにかんでいる。私は嬉しかった。流れ出て、止まらなくなった涙を拭ってその場を後にした。
味のいまいちわからなくなった温かいホットチョコレートを飲んで、私はベーグルを食べた。その暖かさと彼の優しさを感じ、私はお母様にもう一度会った気がした。お母様の作ってくれた卵のスープを思い出した。小さな手でたどたどしくつかんだスプーンでスープをすくう私を頬杖付きながら眺めているお母様の優しいお顔がもう一度見えた気がした。私はあふれるほどの愛をもらっていた。私が転んで怪我をしないように、いつも中腰で私の頭のそばに手を伸ばしてくれていたあの優しさをまた感じることができて私は涙が止まらなかった。あのように。愛が極限まで純化して、あらゆる世間のしがらみを取り払ったのなら、生きていてくれという願いに収束するだろう。私は自分の一切を後ろめたく思うことなく育った。育てていただいた。仕事上の人間なら誰でもする失敗という言葉では済まされないほどの失態を犯してしまったときにも、母を思い出して、何とか乗り越えていた。不安の手が私の体を抱いて、怠惰と断念の中に飲み込もうとするときに、お母様は信じなさいと言ってくれた。何をとは言わなかった。ただ私はその言葉を何一つ疑うことなく、何かを信じた。
数日前のことをアーサーは遠い過去と絡めて、愛おしく思い出していた。そして、今、限界の空腹と酷寒の中、彼は少なくなってゆく自分の吐き出す息を感じながら、目を閉じた。眠りに帰っていった。
翌朝、アーサーは目覚めた。彼はもう自分は死んだと思っていた。しかし、朝日が道を照らして雪を少し溶かし、つるつるとした歩道の上を用心しながら通り過ぎてゆく人たちを見て、彼は自分は生き残ったのだと思った。運命が私を生かした。それが優しさか気まぐれか、考えはしなかった。ただそういうものなのだ。彼は人通りの多いところへ歩いて行った。腹のところに入れていた甘い香りの残ったカップを手に持っていた。
1938年7月某日。アーサー・エリス、本名アーサー・バーソロミュー・イングリッシュはモントリオールで貧困死。マウントロイヤル墓地に埋葬された。