表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
誘われる人、誘う人  作者: 下心 薫
見えない出口
5/12

見えない出口 SIDE-A

 木枯らしが吹くある日、駅のホームで彼女に会った。


 大学時代の同級生、同じ学部、同じクラスに在籍していた理系女子、1クラス50名のうち女性は僅か3名しか居なかったから、彼女の事は覚えている。

 だけど、これと言った()()も、()()()も見当たらない。

 強いて言えば、卒業式の日、謝恩会が終わった後に、店の前で仲間との別れを惜しんで居たら、傍に居た彼女が右手を差し出してきて、握手を交わした事くらいだ。

 それだけなのだが、何故かその時のひんやりした手の感触は、今でも思い出せる。


 僕に気付いた彼女が声を掛けてきた。

「やっぱり、そうだよね……」


 彼女が誰であるかを思い出すのには、少々時間が必要だった。

 白衣を着て過ごす事が多かった、殆ど素顔の学生時代。その頃とはガラリと変わって、明らかに彼女は垢抜けていた。


 少し赤み掛かった髪の毛、パッチリとしたアイライン、鮮やかな紅色の唇……

 行き先が逆方向だった僕と彼女は、僅か数分の立ち話で別れた。

 別れ際に、お互いの名刺を交換した。

 僕のほうから連絡するつもりは無かった。だから、続きは無いと思っていた。


 ところがその晩、彼女から電話が掛かってくる。

 大した接点のない僕たちが話をしたところで、長続きはしないだろうと思っていた。

 だけど、予想外に電話は長くなった。

 それは彼女の話題の作り方が上手で、僕の心を引き付けたからだと思う。


 ごくごく自然な話しの成り行きで、僕は彼女と会う事になった。

 木枯らしのあの日、駅のホームで偶然出会ってから三日後の金曜日、僕と彼女は会った。


 横浜駅の西口で待ち合わせをした僕らは、洒落たイタリアンレストランで食事をした。

 彼女が話題を作り、それに僕が答える。

 大して面白くもない答えを、彼女が上手に拾い上げ、話を膨らませていく。

 僕にとって、それは居心地の良い空間だった。


 だけど時間が経つにつれて、それが息苦しさに変わっていく。

 二軒目に入ったオーセンティックバー、その店の雰囲気と、その店の雰囲気に調和しようとする彼女の仕草や言葉遣いが、僕の心を次第に重くしていった。


 僕は出口を探し始めた。

 仮にこれをデートと呼ぶのならば、このデートをどういう形で終わらせるべきか、僕の頭はその事で一杯になる。

 今日、誘ってきたのは彼女のほうだ。僕はそれに応じた。

 彼女はこのデートの出口を何処に求めているのだろう……

 久しぶりに会った男と女が食事をする。それだけで終わるのは不自然なのだろうか……

 そんな事を考え始めると、彼女の話が聞えなくなってくる。


「ねぇ、聞いている?」

「あぁ、ごめん…… ちょっと別の事を考えていた」

「女性との会話中に別の事って……」

 何かを含んだような笑顔を浮かべて、彼女は頬を膨らませた。

 何とも言えない嫌らしさを含んだ、意味深な笑顔だった。

 その表情を見た瞬間、僕の心は決まった。

 この店を出て、今日のデートを完結させよう、と。


 大学時代に大して交流の無かった女性と、何年かぶりに会い、その日にベッドを共にする。

 僕の恋愛モラルの中にそういう流れはあり得ない。

 好きになった女性と、じっくり愛を育み、しかるべきタイミングで男と女の関係に発展していくのが、恋愛のあり方だと、僕は思っている。

 だから食事をして、会話を楽しみ、今日はそれで終わる。

 きっと続きは無い……

 だけど、潤んだ瞳で僕を見つめる彼女は、別の出口を求めているように思えた。


「そろそろ、行こうか……」

 彼女がトイレから戻ったタイミングを見計らって、僕は言った。

「どこへ……」

 彼女の艶っぽいイントネーションに緊張感が漂う。

「どこって…… そろそろ終電の時間だし……」

「これでおしまい…… なの……」

 僕の腕に、彼女の腕が絡みついた。

 誘われている……

 僕が求めている出口と、彼女が求めている出口は明らかに違っている。

 薄々、感じていた事だが……


「今日はこれでおしまいにしよう……」

 そう言えば良かったのかもしれない。

 だけど誘っている彼女のプライドを傷つけてはいけない、そんな余計な気遣いをした僕は、「どこかへ行く?」、と思わず口走ってしまう。


 コクリと頷く彼女。

 そこから先は、彼女に導かれるがままだった。

 僕に出来るのは、男としての本能を呼び覚ます、ただそれだけ……

 大型のシティーホテルにチェックインした僕らは、自然な流れに抗う事無く、激しく抱き合い、そして朝を迎えた。


 随分とぐっすり眠った気がする。

 連日の激務から解放され、疲れが出たのかもしれないし、彼女との情事が、眠りを深くしたのかもしれない。

 窓から差し込む朝日に目を覚ますと、彼女はすっかりと身支度を整え、大きな鏡の前に座って化粧の仕上げをしていた。


 鏡に写った彼女と目が合う。

 鏡の中の彼女は僕に微笑み、「おはよう」、とひと言呟くと、口紅を引き始めた。


 凛とした佇まい……

 昨晩、身体を求め合った彼女とのギャップに何故だか胸が痛んだ。

 この痛みは…… 何……


「朝イチの会議があるから、先に出るね」

 口紅を引き終え、完璧な女性に仕上がった彼女は、そう言うと少し冷ややかな微笑を浮かべた。

 昨晩、オーセンティックバーで魅せた艶っぽさは、微塵も感じられない。

 それがまた、僕の胸をキュッと締め付ける。


「そんなに悪く無かったでしょ…… もしも続きがあるのなら連絡ちょうだい……」

 彼女はそう言い残して、部屋を出て行った。

 静かな音を立てて、ドアが閉まった瞬間、彼女の香水の匂いが微かに漂った。


 僕が望んでいた出口とは、違うところへ出てしまった気がする。

 思い描いていたのとは違う場所だったが、そこは新鮮な景色で、少し刺激的な香りがした。


 別れたばかりなのに、彼女が恋しくなっている自分に気づき、苦笑いが浮かんだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ