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誘われる人、誘う人  作者: 下心 薫
背中合わせの恋
4/12

背中合わせの恋 SIDE-B

 背中に強い視線を感じる。

 徐に振り返ると、彼は嬉しそうに笑顔を浮かべた。


「北海道出張で買ってきたお土産なんだけど……」

「くらなま? 初めて見るお菓子ですね。旭川ですかぁ……」

「いつも一緒だと芸がないからさ…… たまには変わった物を選んでみようと思って……」

「いいですねぇ、それじゃぁ、お茶淹れますね、あっ、コーヒーの方がいいですか?」


 彼は毎月、何度か出張に行っている。

 北は北海道から南は九州まで、営業職の彼は日本中を飛び回る。

 そして出張先で見つけたお土産を買ってきては、私に渡してくれるのだ。

 最初の頃は、貰ったお土産を家に持ち帰っていたのだけれど、毎度、毎度、渡してくれるので申し訳なくなり、一緒に会社で食べる事にした。今ではそれが恒例になっている。


 彼は、私の先輩で、背が高くて、短く刈り揃えられた髪形が清潔感を漂わすスポーツマンタイプだ。

 彼と膝を突き合わせて、お菓子の評論をするひとときは、忙しないオフィスワークの中に、束の間の安らぎをもたらせてくれる。

 きっと時間を計ったら5分とか10分とか、せいぜいそれくらいなのだと思うが、それが会社へ来る楽しみのひとつになっているのは間違いない。


 彼は結婚している。お相手は高校ラグビー部時代のマネージャだそうだ。

 結婚したのは三年前、私が入社して間も無い頃だったと思う。

「随分と長い交際期間があったんですね」

 私は聞いた事がある。

 でもそれは間違っていて、高校、大学時代には付き合っていなくて、同窓会で再会したのが切っ掛けになり、結婚へと発展したそうだ。

 家庭での事を楽しそうに聞かせてくれる彼、愛妻弁当を持って出社する彼、その姿はとても微笑ましくて、憧れを持たせてくれる理想の夫婦だなと思っていた。

 だけど、最近は家の事を全く話してくれなくなり、いつの間にかお弁当も持ってきていない。

 どういう状況になっているのか、聞いてみようと思った事がある。だけどそこは深入りしないようにした。何と無くそれがお互いの暗黙のルールになっている気がするからだ。


 私にちょっとしたトラブルが起こった翌日、彼に食事に誘われた。

 オフィスに残っている社員が私と彼の二人だけになった日の事だ。

 もっとも、そうなるように仕向けた私の()()()()行動があっての事だが……


「どこかで一杯飲んでいかない」

 彼はそう言った。

 背中合わせの席になって二年半、これまで一度も食事に誘われた事など無かった。

 誘って欲しい…… そういう思いが、これまで無かった訳ではないが、欲望と言える様な強い感情ではなかった。

 私には彼氏がいるし、彼には奥様が居る。二人で食事に出かけるなんて、やっぱり少し高いハードルだと思っていた。

 だけど、この日は違った。

 明らかに私は彼を求めていた……


 切っ掛けは彼氏との喧嘩だった。

 浮気を咎めていたら逆切れされ、それに怒った私はテーブルの上にあったコップを投げつけた。それが彼の眉間に当たると、逆上した彼はそれを投げ返してきた。

 一瞬、目の前が真っ暗になり、次に襲ってきたのは痛みと熱さだった。

 目尻から夥しい量の血が流れ、病院に駆け込み、傷を縫い合わせてもらった。

 想定外な事になって慌てふためいた彼の姿は、もはや好きだった頃の面影さえ失われていた。


 終わりを予感した。いや予感ではなく、それは確信だった。

 驚いたのは、この事に失望していない自分だった。むしろ私は清々しさを感じていた。

 彼氏に対する思いが最初から浅かったのか、交際していくうちに浅くなっていったのか、それは分からない。いずれにしても彼氏との関係は終わった。


 これで全て終わったのだ。そう思ったら、これまで背負ってきた重荷を下ろすことが出来たような気分になり、同時に背中合わせの彼に対する思いが急激に膨らんで来た。


 焼鳥屋のカウンター席で過ごした彼との時間、それは、どこまでも楽しかった。

 彼が話すひと言、ひと言が私の胸をキュンとさせ、身体中がこそばゆくなり、熱くなり、やがて湿っていくのが分かった。終電時間が過ぎても、閉店時間になっても離れ難い彼との空間。


 成り行きで入ったラブホテル…… 誘ったのは私のほうだ。

 力いっぱい抱きしめて欲しかった。

 だけど、そうならない予感があった。

 彼は、成り行きで間違いを犯すような人では無いから……


 私が思いを剥き出しにして彼に向かっていったなら、彼は私を抱いてくれたかもしれない。

 彼は、私が欲しがっている物を理解してくれる人だから……

 だけど私はそうしなかった。

 私自信は、どうなっても良いと言う覚悟は持っている。

 だけど、彼を煩わしい事に巻き込むのは憚られた。

 彼と奥様との関係を私が壊す訳にはいかない。


 ラブホテルのベッドに並んで寝転がって、プラネタリウムのように輝く星座を見上げ、私たちは、朝までずっと話し続けた。好みがどこまでも重なる私と彼だから、話のネタが尽きる事は無かった。

 朝になってホテルを出るとき私は言った。精一杯の笑顔を作って……

「二人だけの秘密が出来ちゃいましたね」

「二人だけの大切な思い出にしようね」

 複雑な笑顔を浮かべて彼は言った。

 その言葉と彼の表情を見たとき、私の目から涙が溢れそうになった。


 そんな事があってからも、私と彼の関係は変わっていない。

 彼の視線を背中に感じて振り返る。

 彼の笑顔に癒され、束の間の会話を楽しむ。


 下心があるのが恋で、真心があるのが愛ならば、背中合わせに互いを気遣いあう私たちの関係は何になるのだろう?

 ふとそんな事を考えると、また目に涙が浮かんだ。

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