さようなら、日常
「は? いきなり何言って……ドッキリでしょ、盛大な仕掛けで……!」
楓の心臓は鼓動を早め、呼吸は少し浅くなる。極度の緊張状態手前だ。
震える両手を、胸の前で握りしめて抑えつける。
そんな中、作業着の女は、甲胄男に投げつけた工具を回収して、布で拭き上げ、リュックサックへ仕舞う。
「外を見たい」
作業着の女が男2人に告げると、彼らは頷いた。
――そうよ、この仕掛けがどうなってるかわからないけど、外に出たらあの駅の駅前広場で、慌てて駅に行って電車に乗る羽目になるんだわ、もうすぐ終電だもの。
金髪の男が、楓に自分のマントを被せる。
「外は寒いので、すこしでも凌げるように……」
困った顔感じの笑顔を向けられる。
――おわ、イケメン! 外人さん?! タレント?! すっごい美丈夫……じゃなかった……! 見惚れてる場合ではない。早くこのドッキリを終わらせて、帰ろう!
こんなタレントまで使って、盛大なドッキリを一般人に仕掛けるなんて、テレビ局に苦情入れてやるわ! それともヨーチューバーの仕業かしら……どうあっても、ただの大迷惑でしかないわ!
と、心の中で意気込んでいる楓のその横では、もう1人の大男が、作業着の女へマントを差し出そうとして、断られてた。
大男は断られても、なお食い下がろうとするが、彼女はマントを掴み取ったかと思えば、すぐさま大男へ突き返す。大男は項垂れた。
しょぼくれた熊みたいに見えて、楓は少し面白かった。
自分たちがいた所から見ると奥側にあった扉を進むと、石の階段が続いてる。階段を進むにつれ、どんどん寒くなり、やがて肌を突き刺すような痛みの寒さになった所で、外に出れた。
外は暗い。そりゃ深夜だものね、と思って周りを見ると、楓の目は見開かれた。
辺り一面銀世界だ。
――嘘だ、私のいた所は夏の終わり、と言っても、まだまだ蒸し暑くて、それに冬だったとしても、こんな銀世界にならない。
北海道や東北でも、この季節こんな雪になるはずないし……
楓は、頭の中でひたすら、目の前の景色を否定する。外の寒さとは、違う震えがまた出てくる。
「地球じゃないな、コレ」
作業着の女が空を見て、白い息を吐きながら言った。
その言葉を聞いて、楓は青褪めながら、彼女を見る。
女は空を指差した。その指を目で追うと、すいっと線を3回描く。
「天の川っぽいのが3本だ。月が2つだ。空に浮かんでいる星は、北半球は勿論、南半球の星座でもない」
――何で、この人は、こんなに冷静なの? 怖くないの?
自分でも泣きそうになってるのがわかってる。震えて声が出ない。
そんな私を、困った笑顔で見てくる彼女。酷く申し訳なさそうに顔を歪める男2人。
女は真っ白い息とともに口を開く。
――これ以上何かを聞いたら私は泣いてしまう……。
そんな確信を持ちつつも、彼女から出る言葉を待った。
「腹減った」
全員がぽかんとして彼女を見た。
――そう言えば、私も残業中にご飯食べなかった。地元の駅のコンビニで、夕飯を買うつもりだったから……
「この世界についての質問でも、我々を糾弾するでもなく……不思議な人だな、貴女は……! ひとまず、この先に町があるので、そちらで暖をとりましょう」
金髪の男が、くすくす笑いながら答える。
「あんたの言うように、本当に異世界なのであれば、わたしらは金を一切持ってない」
すかさず彼女は口を開く。
――何だろう、この適応力……すごいわ。あとで秘訣を聞こうかしら……
「女性に金を出させるなど、無粋な真似をするわけがなかろう」
大男が慌てて答える。
――190センチは確実に超えてる。デカすぎだわ……。低音ボイスが見事にマッチしてる。そしてこの人も紳士だし、イケメン。
金を出させないなんて、そんな事言われたのなんて、ずいぶん久しぶりだわ。
この年になると奢ってもらうより、タカられる方が増えるのよね。遠慮がない後輩が多くて、一回奢って財布がカラになって泣きかけた記憶が……。って私も何だかんだパニックにならずに済んでる……。
とりあえず、現状を把握しよう!
頭の中で色々脱線しながらも、楓はマントの中で拳を握り、足を踏み出した。が、つるっと滑る。
さっきまでいた建物は、小高い丘にあり、ドヤ顔男や仙人達がやって来た時に、踏みしめられたであろう雪の地面は、この気温でツルッツルに凍ってた。
氷の坂をパンプスで踏ん張れるわけがなく、楓は坂を滑っていった。
「きゃああああ!!!!!!」
少し滑ったところで、坂道から足が外れて、体が宙に投げ出された。
――これ、絶対痛いヤツ!!! 氷に激突は絶対に痛い。
靴が滑って、不安定な体勢のまま、また足が滑って、空中にいる楓。全てがスローモーションのように見える。
痛みに耐えるべく、目と唇をギュッと閉じた。
が、いくら待てど痛みは来ない。恐る恐る目を開けると、金髪の男が、楓を横抱きにして、坂の下までゆっくり歩いてた。
「あ、ありがとうございます……」
転んだ(未遂)恥ずかしさと、横抱き……お姫様抱っこの恥ずかしさで、凍てつく気温など気にならないほど、顔が熱くなっていた。
「雪に不慣れの方へ気遣いが足りず、申し訳ありません」
楓が勝手に滑って、転びかけただけなのに、助けてくれて、謝罪まで出来て……なんて紳士だ! と、感動と寒さに震えてる楓の視界の端には、氷の坂なんてモノともせず、重たそうなリュックサックを背負い、カートを持ち上げて歩く女が見えた。




