私とプライドと帝国学園
「では、リオ殿下、リンネ様、マリア様、みなさま、ごきげんよう」
私はちょこんと可愛らしいお辞儀をし、迎えの馬車に乗り込んだ。
もうすっかり夕方だ。夕日がとんがった屋根の向こうに吸い込まれていくのを眺めながら、
「ね、お姉さま。今日はとっても楽しかったでしょう?」
「そうね。まさか、私と話が合う人がいるだなんて思わなかったわ」
「リンネ様ね。あの方はいろんなことを知っていて、みんな尊敬しているのよ」
「そうなのね。確かに、美しさと賢さを兼ね備えていたわ……また、会えるといいのだけれど」
そういうお姉様のお顔は窓から差し込んだ夕陽のせいで、なんだかとても寂しそうに見えた。
「まあ! なんてことを言うの? リンネ様もお姉さまとぜひお友達になりたいって言っていたじゃない!」
「そうかしら? 自分の話がつまらないって自覚があるもの。合わせてくれているだけかもしれないわ」
「リンネ様はそんな方ではないわ?」
「でも……」
お姉さまったら、またねがてぃぶしんきんぐ? なのだわ。どうして昔から人の好意が信じられないのかしら。自分が他人から好かれるわけがないと確信しているかのよう。こういうところは少し、話していて疲れてしまうわ。
私は内心で溜息をつき、話題転換を試みた。
「それに、リオ様ってすごく美しい方だったわ」
「ええ……でも、なんだか恐ろしい人ね」
「そうかしら? あんなに綺麗なお顔をしているんだもの! きっと噂は嘘に決まっているわ」
「噂?」
お姉さまは訝しげに私を見た。
「ええ、お姉さま、知らないの? リオ様が戦神と呼ばれているのはご存知でしょう? 幼い頃から戦場にいたせいで、人を殺めるのに全く躊躇しなくて、自分が気に入らない人は、すぐに殺してしまうのですって!」
ああ恐ろしい、と私は大げさに身震いしてみせた。お姉さまは首を傾げなさって、
「そんな方には、とても見えなかったけれど……」
私には、全くその通りに思えたけど……。
「あの方の目は冷たいように見えて、奥に暖かさが隠されているように思えたわ。無表情だから、そんな風に誤解されてしまうんじゃないかしら」
「まあ、お姉さま。一度会っただけなのにそんなことまでわかってしまうの? すごいわ!」
ーーそう手を合わせながら、私は密かに冷や汗をかいていた。嫌だわお姉さま、まさか、殿下に恋をしてしまったって言わないでちょうだい。公爵位までは私も協力できる自信があるけど、王家は流石に厳しいわ。
それに、あのリオ殿下は勘弁したいわ……怖いもの。
お姉さまはきっと誤解をしていらっしゃる。確かに、あの殿下は自分に、国家に利する者には優しいだろう。でも、その反面……自分に害がある人間やその進む道に立ちはだかる者には容赦がない。あれは冷酷な合理主義者の目だ。
お姉さまが優しいと感じたのは、きっとお姉さまが優性な国民だったから。私のような愚か者には蔑みと嫌悪しか与えられなかったもの。
でもーー幾ら何でも13の小娘をあんなに殺気の漂う目で見ないわ……? もしかしたら、その辺は殿下の出自と関係がーー
ガタン、と馬車が止まり、思考が中止された。
「ありがとう、トーマス」
お姉さまが御者に手を振り、御者はだらしなく緩んだ顔で会釈をした。
わざわざ御者の名前を覚えているのがいかにもお姉さまらしいわ。私は長年勤めてきた召使い数人の名前しか覚えていないもの。だって普段呼ぶ機会なんてないんだから覚えるだけ手間じゃない?
ただお姉さまがして私がしないって言うのも人聞きが悪いわね。
「いつもお疲れ様! トーマス!」
ニコッと笑うと、御者の冴えない顔が沸騰したように赤くなった。
いいのよ、私は可愛いから!
振り返るとお姉さまは複雑な顔で私を見ていた。あら、ダメね。せっかくお姉さまの味方を作るいい機会だったのに、それを潰してしまったわ。
いけない子ね。
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「お嬢様、パーティーは楽しかったですか?」
「うん、とっても楽しかったわ! リカにも来て欲しかった」
「そんな。私ごときでは恐れ多いですよー」
リカが入れてくれた美味しいお茶を飲みながら、今日あった出来事を語る。
「今日ね、初めてリオ殿下にお会いしたの。とーってもかっこいい方だったわ」
「羨ましいです〜。でも、噂ではすごく恐ろしい人だって聞きましたよ? やっぱりガセだったんでしょうか?」
私は一瞬思案に暮れる。
正直に言って今日受けたリオ殿下への印象は決してよくないわ。でも、それを他者に話して本人の耳に入るなんて世にも恐ろしい出来事があってはならない。とは言っても、お友達の方々は少しリオ殿下に怯えているようだった。だから、私もその傾向を見せるべき? いいえ、帰り際、彼女たちはすっかりはしゃいでいた。リオ殿下自身も、自己紹介で良い印象を与えようとしていたようだった。
マリア様の件はもう決着がついたこと。引っ張るべきではないわ。
「ええ、きっとリオ様のあまりのかっこよさにやきもちを焼いたんだわ。だってすごく優しかったもの。表情が乏しいせいで誤解されやすいんだわ」
お姉さまも言っていたし、こんなんでいいでしょう。
「へ〜、いいなあ。私も一目でいいから拝見してみたいものです」
「そのうち会えるわ」
「もう、からかわないでくださいよ。貧乏子爵家の私が王子様に会えるわけないじゃないですか。他に何か面白いことございましたか?」
聞かれた私は、人差し指を口に当てて、小首を傾げた。
「そうね。とっても面白い令嬢にあったわ」
「へえ、どんな方なんですか?」
「簡単に言うと、身分にとらわれない方かしら」
「と、言いますと?」
「その前に、ちょっと小腹が空いちゃったわ。厨房からマフィンを取ってきてくれない?」
「わかりましたー」
パタパタとリカが駆けていく後ろ姿を見送って、私は一息ついた。
もう、うちに戻ってからずっと人目があるなんて、息が詰まっちゃうわ。
私は空っぽになったティーカップを持ち上げて、
ーーーーーーー思い切り床に叩きつけた。
絶対に許さない。
私に向かって? 「そんなあなたのことを、あたしはかわいそうだと思います」?
あらそう。あなたごときに可哀想に思われるほど哀れなのかしら? そう、あなたはさぞかし幸せな日々を過ごしているんでしょうね。数十年前の母親のドレスを結婚式に着ていく気ですものね。圧力がない生活を送っているようで羨ましいわ。
なんなの? 新しいものが好きなのってそんなに悪いことなの? 季節ごとにドレスを変えるのは悪?
お姉さまもよくおっしゃってるわね。ドレスにお金を使うのは勿体無いって!
うるさいわ!!!
侯爵家なのよ? そこらの零細爵位じゃないのよ? ジョボいドレス着てたら舐められるでしょ!
ああ……ダメだわ。汚い心。きっとこんなだからお姉さまに会話を諦められて、お母様に「あの女の子どもに負けている」なんて言われて、お父様にも愛玩動物としかみられないのね。
変わらないといけないわ。
でも、心のどこかで、もう一人の私が囁いた。
ーー私は間違っていないわ。
私は本が嫌い。勉強も嫌い
あるのは可愛さだけ。
でも私に必要なのは可愛さだけよ。頭の良さとか転機がきくとか知識が豊富とか、そんなの必要ない。貴族の女にそんなの、求められていないわ。
私はお父様の言う通りにそこそこの家柄の男に嫁入りするだけ。幸せになる権利も自由も私にはないの。
「きゃっ、どうしたんですか!?」
「腕が当たっちゃって、カップを割っちゃったの。ごめんなさい」
「大丈夫ですか!? お怪我はないですか?」
「うん」
「よかった〜。お嬢様に何かあったら旦那様に怒られちゃいますよ」
「お父様ってば、過保護よね」
そうかしら? 昔、お姉さまと二人で木登りをして、私が木から落ちてしまった時。お姉さまをネチネチと責める時はずいぶん楽しそうだったけれど、私の容態を気にしてくれたの、お姉さまの前だけだったわね。逆にお姉さまに怪我がないってわかった時はこっそりホッとしていたの、バレていないとでも思っているのかしら? 好きの反対は無関心とは、うまく言ったものだわ。
リカがいそいそとカップの破片を片付けているのを眺めながら、
「リオ殿下は、これからまた戦場に戻るのかしら……」
恐ろしい人だけど、あんな美貌が戦死すると思うとやるせないわ。
「あっ、でも、今までは長く戦場にいらっしゃったけど、国境が安定してきたから、来年からは帝国学園に通われるって聞きましたよ?」
「えっ!?」
今まで考えていたことすべてが吹き飛んだ。
それってお姉さまが通う学園じゃない!!!!!?
嘘でしょ!!!
やだ!!! なんかの運命働いてる!! 無理! 無理!
お、落ち着いて。ジャクリーン・ハルバート。深呼吸するの。
「それって本当? どこから聞いたの?」
「友達が王宮で働いてて……どうも入学準備しているような気配があるって言ってました。学園長が来たり、採寸屋がきたり」
「そう……」
まだ決まったわけではなさそうね。
でも、本当だったらえらいことだわ。まさかお姉さまと同じ年に入学するなんて……普通に考えたら接点なんてない二人だけど、なぜだかあの二人の間には見えない糸でもあるような気がするの。
だってお姉さまったら帰りの馬車でもあんな思わせぶりなことをおっしゃっていたし……。
家族でひどい扱いを受けていた美しい少女が王子様に見初められる、なんてよくある筋書きだもの。でもあの人は絶対腹に何か飼っているしやめた方がいいと思うの……。
「ふふ、でもお嬢様が入学するのは三年後ですよ〜。まだまだ先ですからね」
「そうね。でも、嬉しくって……」
「よほどかっこよかったんですねぇ」
「ええ。リカも一度会ってみればわかるわ」
「学園に入っちゃったらもう無理ですよ〜。だって王都の方じゃないですか」
「ええ、確かに、そうね……」
由々しき事態なのだわ。王都の方だと、私は手が出せない。お姉さまがリオ殿下と何かあったとしても知ることができないってこと。いえ、リオ殿下でなくてもいいわ。
ーーお姉さまは学園にいる間に婚約者を見つける必要がある。
でないとお父様が選んだ相手と結婚することになると、お父様はすでに宣告している。と言うよりは、問答無用で嫁がそうとしたのをなんとか説得して学園に行かせることにしたの。お姉さまはそもそも勉強が好きだから学園に行くことができて嬉しそうだったけれど、婚約者を見つけられるかと言うと微妙なのだわ。お姉さまは見た目、性格、気品どれをとっても申し分ないけど、やっぱり積極性が欠けているもの。
あそこに入る貴族女子なんてどうせ縁組み目的なんだから、気がついたら売れ残り男子しかいなくなってしまう。
お姉さまならどなたかに見初められることもあるだろうけど、自分に自信がないお姉さまは、下手したらそれを断ってしまうかもしれない。
お姉さまにはお姉さまにふさわしい爵位と品性を持った男に嫁いで欲しい。最低でも金に不自由しない伯爵位だし、ジャックみたいなやつは論外も論外よ。
王都で、味方を作る必要があるわ。
誤字報告をしてくれた方、ありがとうございます。しれっと更新を再開しております。今回はヒロインの性格悪いところ全開ですね。
※ヒロインの家を伯爵家から侯爵家に修正しました。