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私とドレスと子爵令嬢

やっぱり、私って運が悪くはないかしら?


私は厳しい顔のリオ殿下を見つめて思った。


「ジャクリーン嬢。よかったら答えてくれないか? あなたのそのドレスが一体いくらするのか。でなければ気軽にまた作ればいいだなんていうはずもあるまい?」


この人、意地悪だわ……! 未だ声変わりしていない少年の中性的な、美しい声が私を糾弾する。


「……わかりませんわ」

「では、彼女のドレスは?」

「わかりません……」

「それは驚いた。あなたは値段もわからないものを弁償すると言っていたのか。金を出すのは自分でもないのに」

「……!」


そばにいたマリア様は涙をポトリと落とされた。私も少し泣きたくなってしまったわ。


「……殿下! お言葉ですが……妹は当事者ではありません。それに……少し、言い過ぎではないかと……」


お姉様は気丈にも私をかばうように進み出て、おっしゃられた。殿下はそんなお姉様をジロリと一瞥し、


「……私が聞いた話では、マリア嬢がポアナ嬢のドレスにワインをかけてしまい、そのドレスが彼女の母の遺品だというから謝罪を乞うているというものだったが、なぜかその途中にジャクリーン嬢が乱入し、「謝らなくてもいい」と言ったらしいというものだ。何かおかしなことを言っているか? 私は話すべき相手を間違えていないつもりだが」

「……いえ」

「想いのこもったものは金銭的な問題ではない。私にはポアナ嬢がそれほど的を外した要求をしていないと思うが」

「……」


お姉様は何か想いに沈むように俯いてしまわれた。その艶やかな黒髪がベールのように顔を隠してしまい、お姉様が何を考えているのか伺え知ることができなかった。


このくらいで負けを認めればいいのに、私ったら負けず嫌いで、思わず言い返してしまったの。


「……だって、マリア様はもう謝ったのに、この人がしつこく食い下がってくるんですもの」

「謝った? おかしいな。そうなのか?」


ジャン様は殿下をしっかりと見つめて頷いた。


「確かに謝りはしました。でも、私にとってこれは本当に大切なものなんです。弁償はしなくてもいい、だから、あのお嬢様にはちゃんと反省して、ちゃんと私に謝って欲しいんです」

「……そうか。本当にそのドレスが大切なんだな」


殿下はかすかに微笑んだ。その微笑みはまるで天使のようで、私はこんな時であるというのに、見ほれてしまった。


「わかってくれてありがとうございます。リオ殿下」


わかり合ったように頷く二人を、私は不思議な心地で眺めた。わからないもの。

お姉様もいなくなった前妻様の髪飾りをいつまでも大切に持っているの。私には理解ができない。だって髪飾りは髪飾りでしょう。売ったら幾らかの金貨になるだけだわ。

私にはそんな大切にしているものなんてないわ。替えが効かないものなんてない。お部屋の花瓶も今胸元にある首飾りも、仕えくれる侍女もお父様もみんな替えが効くの。たった一人、お姉様……あなただけが私にとって特別なんだわ。



「そうですね。マリア様」


何か考えていた様子のお姉様はようやくお顔をあげなさった。


「私の思い違いでなかったら、マリア様は犬を飼っていらっしゃいましたよね?」

「え、ええ……ペスというゴールデンレトリバーですわ」

「はい。私は遠くから拝見しただけですが、とても立派な毛並みでしたね」

「え、ええ……」


マリア様は戸惑ったように頷いた。どうしてお姉様はこんな時にペスの話なんて……?


「でも、ペスのしている首輪は素朴な革一本で、何も飾りもついていない。伯爵家であれば、もっと立派な、ペスを引き立てるような首輪も作れるでしょう?」

「そ、それは……あれは亡くなったおばあさまがペスのお母様のために作って、ペスに受け継がれたものだからよ」

「そう。その通りですよ」

「えっ」


お姉様は慈愛の篭った微笑みをこぼされた。


「もしある日、突然誰かにその首輪を踏まれて、壊れてしまった。そして、その人はすごくお金持ちだったとしましょう。その人は、宝石のついた首輪を弁償するとだけ言って、帰ってしまった。その時、マリア様はどう思いますか?」

「すごく……悔しいわ。それに悲しい」


マリア様はハッとしたようにジャン様を振り向いた。そして深く腰を折った。


「私がジャン様にしたのはこういうことだったのね……ごめんなさい!」

「わわ、伯爵家のお嬢様のお辞儀なんて恐れ多い! 私はただ、金で解決しないで欲しかっただけです。マリア様がわかってくれたのなら、私もこれ以上しつこくしたりしません。こちらこそ、頭に血が上っていたとはいえ、いろいろ失礼なこと言っちゃって……」

「いいえ。あなたに言われなかったら、私はとっても嫌な人になっていたわ。ありがとう、ポアナ様」


マリア様とジャン様は手と手を取り合って、目を合わせてニッコリと笑った。

二人の和解で周りの空気もすっかり和らぎ、だんだんと人垣が崩れていった。



あら、なんてこと? 私、途中から空気になってなかったかしら……もう責められずにすむの?


結局私のしたことに意味なんてなくて、余計な口を挟んだだけ? 

あの時マリア様は泣きそうになっていたのに、誰も助けなかったから、私が助けただけよ。私は何かおかしいことしたのかしら……? どうして? だって、そんな大切なドレスを着てくること自体おかしいでしょ? 

それを汚したとして、弁償すると言う精一杯の誠意は示したわ。どうしてあの人は、さもマリア様が間違っているかのように振る舞ったの? どうして? どうして周りの方々はあの人が間違っていると指摘しないの? だって、だってその方、子爵家よ? 伯爵家のマリア様に、どうして逆らうことができるの?


「ねえ、ジャクリーン」


お姉さまはタレ目の瞳を優しげに細め、私に語りかけた。


「今回のこと、お友達をかばったあなたの行動はとっても立派だったわ」


パッと顔を輝かせた。やっぱりお姉さまはわかってくださるんだわ! 

ところが、その薔薇のような唇からこぼれたのは、私を咎める言葉だった。


「でもね、お友達が間違っていることをしていた時は、それを正してあげないとダメよ」

「でもっ、お姉さま」


マリア様は間違っていたのーー?


そう言いかけた私の愚かな唇を縫い止めたのは、やはりリオ殿下だった。彼のその強烈な視線で、私は一言も発することはできなくなっていた。

マリア様とジャン様が手を取り合って、何かを楽しくおしゃべりしている奥で、彼は腕を組んで私をみていた。その目が発していたのはまるで憎しみだった。憎しみ、蔑み、悲しみ、怒り。全ての負の感情が彼の昏い夕闇から渦巻いているようだった。

私がそれをみたのは一瞬で、彼はすぐに目をそらしたが、体の震えが止まらなかった。

どうして? 何故そんな目で私を見るの……?



「ジャクリーン? どうしたの?」

「……なんでもないわ……」


お姉さまが心配そうに覗き込んだ。気がついたら全身に冷や汗をかいていた。


「なんだか顔色が悪いけど……」

「……いいえ、マリア様とジャン様が仲良くなれて、わたしも嬉しいわ」

「そうね。みんなこうして身分の垣根を超えて仲良くなれたらいいのにね」

「うんっ、わたしももーっといろんな人と仲良くなりたいわ!」

「ええ」


お姉さまは嬉しそうに笑った。私は同じように笑いながら、心の底では無理難題だと思っていた。



そんなことがあったけれど、パーティーは概ね和やかに進行した。私は同じ趣味の令嬢、つまり、王子様が好きなメルヘンな子や、劇団を見るのが好きなミーハーな子と最近の流行りなんかについて語ったのだわ。


「ええ、『オスカルド物語』の最新刊でなんとオスカルド様の正体がバレてしまうのはとってもハラハラするわね。」


「まあ、劇団「長靴の猫」が新しい劇を上映しているの? 一体どんな話かしら?」


「なんですって、デザイナー軍団【オーエン】が新作を出したの? どんなに素敵なジュエルでしょうね。」


そんな相槌を打ちながら、私はさりげなく周りを見回していた。仲間に入れない子がいたら、輪に入れてあげなくっちゃ。だってみんなでお話しする方が楽しいでしょう?


すると、先ほどいたジャン様と、マリア様がまだ談笑しているのが見えた。意外だわ、あの二人って話が合うのね。

マリア様はあまり外に出ない方だから、日焼けをしていて気が強そうなジャン様とは話題がないと思っていたわ。ジャン様は、マリア様に着替えを用意してもらったのか、あのださ……流行が過ぎた重い赤のドレスを脱ぎ去り、爽やかな若草色のドレスを着ていた。私のきているものに少し似ているわ。もちろん、私の方が百倍可愛いけれど。


少し興味が出てきた私は、


「ごめんなさい、少し席を離れてもいいかしら?」


とお友達に声をかけた。


「あら! もしかしてリオ様の所に行くの?」

「まあ! そうなの? ならわたくしも行きたいわ!」

「私も!」


全然違うわ!!? あんなに恐ろしいリオ殿下にはもう近づきたくないのに……。でも、期待でいっぱいのお顔をみたら何も言えないわ。みんなリオ殿下が恐ろしいから、一人ではいけないのね。


リオ殿下は、いとこのリンネ様とお話をしていたわ。どちらも無表情だけど、楽しいのかしら?


いいわ。みんなといるから、リオ殿下も怖くないもの! ……嘘だけど。とっても怖いけど。


私たちは五人で固まって、ジリジリとリオ殿下への距離を詰めていった。あと一メートルというところで、リオ殿下はジロリとこちらを一瞥なさった。前から気づいていたけど、いい加減鬱陶しくなったって感じなの……ううっ、恐ろしい。しかも私への視線だけやたら厳しい気がするわ。


「あのっ、先ほどは失礼なことをしてしまって、申し訳ありませんわ!」


私は先制攻撃とばかりに勢いよく頭を下げた。正直失礼なのはジャン様だと今でも思ってはいるけど、リオ様に睨まれてもいいことないもの。早めに謝っておくに限るわ。それに、あの視線は心臓に悪すぎる……。


「私への謝罪は結構だが、他に謝る人がいるんじゃないのか?」


リオ殿下は平坦な声でおっしゃった。誰のことがすぐには思い至らなかったけど、私はすぐにうなだれて、


「はい。おっしゃる通りですわ。私、ジャン様の気持ちも考えないで、失礼なことを言ってしまいましたわ」

「その割には、随分と楽しくおしゃべりしていたようだが?」


とリオ殿下は周りのお友達をジロリと眺められた。かわいそうに、耐性のない子は顔が真っ青になってしまっているわ。

ていうか、このかた、一体なんなの?? 私がどうしようと私の勝手でしょう! 謝るだのなんなの、ずっと監視していたの? お顔に似合わず、気持ちの悪い方! 謝ればいいんでしょう、謝れば(ええ、わかっているの。本当は悪いのは私だというんでしょう? このかたはただ公平であるだけだって。でも、この時の私は生まれて初めて、謝ることを強要されたんですもの。少しは大目に見て欲しいわ)。


私はニッコリ(お父様やお母様には天使の微笑みだと言われている。もちろん、殿下は眉ひとつ動かさなかった)し、殿下に淑女の礼をした。そしてマリア様と何かを楽しげに話されているジャン様の元に向かった。

かわいそうに殿下の元に取り残された四人は、売られていく子牛のような目で私を見ていた。でも、売られているのは私のほうよ? 


「失礼しますわ。お話しよろしいかしら?」

「まあ、ジャクリーン様。ちょうどいい所にいらしたわ」


マリア様はふわりとお花のような笑みを浮かべて、私を向かい入れてくださった。それと対照的に、ジャン様の方はあからさまに態度には出さないけれど、明らかな愛想笑いを浮かべていたわーー下手くそな笑い方。

思い返せばこのかた、どうしてか最初から私のこと、あまり好きではないようだったものね。でもね、奇遇ね。私もあなたのこと、あまり好きではないわ。


「ジャン様、先ほどはあんなこと言ってしまって、ごめんなさい。反省しているの」


私は一番自分が可愛く見える角度で、上目遣いをした。


「あ、いえ。気にしないでください。侯爵家のお姫様に頭を下げられたって知られたら、お父さんにげんこつされちゃいますよ」

「まあ、ポアナ様ったら、面白いのね」


マリア様がころころと笑い声をたてた。

冗談じゃないんだけどな……とジャン様はぼやき、頭をガリガリとかいた。不潔……。


「あのドレスはどうするの?」

「まあ、そりゃ、なんとか取り繕いますよ。あたし、裁縫は得意なんで」


裁縫を使うような傷はなかった気がするけれど。


「なんとか綺麗になると思います」

「まあ! よかったわ。お母様が残してくれた大切なドレスですものね」

「はい。結婚式もあれを着る予定なんです」

「素敵ね」


マリア様は目をキラキラさせているけど、私は気が遠くなってしまったわ。あんな型落ちした似合わないドレスで結婚式??? 悪夢みたいな冗談ね。

あ、そうだ。


「ではあの肩を覆う重い薔薇の刺繍をバッサリ切ってしまってはどう? 多分今よりは素敵になるわ!」

「えっ、いや……」

「それとも、他の色に染めてしまうのはどう? 薄いピンクをアクセントとして入れても素敵よ」

「だ、だから」

「でもーー」


ええ、認めるわ。私は調子に乗っていたのね。あの重くて、ダサいドレスを改善できるあいであがたくさん湧いてしまって、あら? 私ってもしかして才能あるのかしら、なんて思っていたの。

だからね、私は唇を可愛らしく尖らせて、こう言ったの。


「ーーーーあのドレス、ダサいわ」


「……あなたは、きっと物の大切さを教わらずに、今まで生きてきたんですね」

「え?」

「そんなあなたのことを、あたしはかわいそうだと思います」


子爵家の令嬢ジャン・ポアナは、その大きな瞳に静かな光をたたえて私を見ていた。その中には私に対する憐れみと同情がありありと浮かんでいた。

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