サタン・キリング 〜焔の天使、慈悲の堕天使〜
―天使が恋に落ちた。
天使の命を救った一人の青年に、天使の心は奪われた。
天使は青年の恋人となり、妻となり、青年の生涯を共に過ごした。
しかし、神はこれを許さなかった。
怒りを顕にした神は、天使を天界から追放した。
天界から追放されたことにより、天使は人となった。
それでも尚怒り続ける神は、世界を破滅させることにした。
神の御使いである熾天使が、ラッパを吹いた。
すれば世界は未曾有の大洪水に呑まれ、地上から人はいなくなった。
しかし、その災害の中で生き残った人類、ノアとその家族がいた。
生き残った家族たちは、子を育み、動物を育て、世界を復興させた。
そして神は、自らの知恵を振り絞ったノアと、その家族たちを祝福した。
========
「これが所謂、みんなの知ってる『ノアの箱舟』の大まかな内容ね。
実際には記述される書物によっては中身が違うみたいだけど、まぁメジャーなのだけ覚えとけばいいわ」
教壇の上で、教科書を持った女教師が黒板に文字を書き込んでいる。新入初日から約1週間なので、授業の担当教師の名前もまだ覚えきれていない。
ただ、綺麗な茶髪をしている女の先生だなということはわかる。
高校生になっても、生活は中学の頃と大して変わらない。
朝起きて、学校に行って、授業を受けて、帰って寝る。それの繰り返しだ。
変わったとすれば、昼食が購買になったから金の出費が多くなったことと、宿題がなくなったことぐらいか。どちらも大した変化ではない。
毎日をのうのうと過ごし、人生をなあなあと消化していく。
自分の人生に、意味なんてあるんだろうか。
「···ほんっと、なんの為に生きてんのかねぇ···」
黒板に走るチョークの音にすら掻き消されるような、小さな声で呟いた。
―――――
「おつかぇしたー」
やる気のない声で店長に挨拶をして、バイト先の裏口のドアを閉めた。
午後10時。バイトで疲労困憊の体を引き摺ってどうにか家までの道のりを乗り切らないといけない。
中3の頃から密かに始めていたバイトで、今年の3月に、バイトで貯めた金で一人暮らしを始めた。
親に黙っていたせいでこっぴどく叱られた。一人暮らしの準備で家を借りる際にも、親は保証人の印鑑を押してくれなかった。
結局、ちょうど海外の出張から帰ってきていた姉に保証人をやってもらうことになった。
もし俺が今バイトを辞めたら、姉に迷惑が掛かる。だから、生活バランスを崩してでもバイトは続けている。
連日出勤、10時間労働は当たり前。酷い時は2週間休みが無い時もあった。
まぁ俺が希望してやっていることだ。別に文句は言えない。
···だけど。
こんな生活をしてでも、俺は親元を離れて生きていこうと思ったけど。
こんな生活に、生きてる価値なんてあるんだろうか。
別に、きついならアパートの契約を解約すればいい。だけど、そうすればまた実家に帰ることになる。
姉の家に住み込むという考えもあったが、姉は既に結婚している。姉夫婦に迷惑は掛けたくない。なにより居心地が悪そうだ。
あの実家には、ろくでなしの父と母がいる。俺を育ててくれた肉親だが、自己中心的な両親だった。
俺や姉を育てたのも、世間体を気にしてのことだったのかもしれない。もし二人がその気になっていたら、俺は施設に預けられていたかもしれない。
···俺が生まれてきた意味なんて、あるんだろうか。
「···」
家のアパートの前で、足を止める。
ブロック塀を背に、蹲る1人の少女が苦しそうにしている。
「はァ、ハァ···」
「···大丈夫ですか?」
放っておくのもアレなので、声を掛けてみる。
少女は俺の存在に気付くと、苦しみながらも驚いたような小さな悲鳴をあげた。
一体なんだ、この少女は。
―月を隠す雲が晴れる。
そして、目の前の少女の姿がハッキリと照らされる。
「なっ···?」
その姿を見て言葉を失った。
少女の背中には、翼が生えていた。
純白で、空を翔べそうな、大きな翼。おそらく、少女の等身と同じ程度のサイズだ。
しかし、その翼の先端は暗褐色に澱んでいた。
少女が座っている周りにも、その色は広がっている。
体を見ると、少女が着ている服も暗褐色になっている。それが元の色では無いことは、腹部に出来た刺突の後からわかった。
つまり、この少女は今、死にかけている。瞬時にそう判断した。
「急いで救急車を···!」
右ポケットからスマホを取り出し、緊急連絡の画面を開く。
「やめ、ろ···」
『119』と番号を打ち、コールボタンを押す寸前で、スマホが叩き飛ばされた。
「なっ!?」
誰がやったのかと思ったが、どうやら少女が翼で叩き飛ばしたようだ。
翼が、動いた···?
「本物···?」
「···まさか、人間にこの状態を見られるなんてね···、グフッ」
少女が喋ると、口から血反吐が吹き出る。
アニメのような状態だが、現実で血反吐を吐く所なんて初めて見た。
「救急車がダメなら、せめて止血だけでも···!家から包帯持ってくる!」
「やめときなさい···。やっても無駄よ···」
アパートの通り道を、翼で阻害される。その翼、少し便利すぎんか?
「それより、この場から早く逃げなさい···、“サタン”がやって来る···」
「サタン?」
翼の少女が、掠れた声で呟いたその時。
ズガンッ!!
と、俺と少女の後ろ側からアスファルトが抉れるほどの轟音が響き渡った。
「今度は何事っ!?」
後ろを振り返り、音の正体を確認する。
「···“サタン”」
その正体に、俺は夢を見ているのかと錯覚した。
黒の翼にアルビノ色の肌、黒髪をオールバックにまとめたヘアースタイルはどこか若者の雰囲気を漂わせる青年。
翼の少女を“天使”と呼ぶのなら、この黒の翼の男はまさに“堕天使”と呼ぶに相応しい。
少女の翼と青年の翼。
細かい所や色は違うが、どちらも元は同じものだったのだろう。
その青年は、地面に突き刺さった右腕をゆっくりと抜くと、体を逆に思い切り反らし、そして体を真正面に向けてこちらの存在を認めた。
そして、青年の口から言葉が紡がれる。
「―ハァイ、ウリエルちゃァん?
そんナ重体を引き摺ッて、ヨくここまで逃げ切れましたねェ???」
その視線は、俺の後ろの少女のみを捉えていた。
俺の事は眼中に無いようだ。
「···ザドキエル、何故だ。
何故お前ほどの智天使が···、クフッ」
「何故?理解しかねますねェ。
天使が堕天スルノに、理由なんテ求めちゃいけませんよォ?」
「アヒャヒャ」と、とち狂ったような不快な嗤い声をあげ、“ザドキエル”と呼ばれた青年は首を振り回す。
そんな意味不明で狂気を感じさせる動作も、突然ピタリと止み、そしてゆっくりと翼の少女を見据える。
「···と言ッても、アナタには分かりマセんか。
何せアナタは熾天使の階級。堕天など、するハズもありませんもんネぇ?」
「···、ザドキエル···」
翼の少女は今にも意識が途切れそうな様子で、ただ茫然と、黒の翼の青年を見つめる。
「···サて、そろソろ終いにしましょウか。
次にボクを裁く時にハ、別の熾天使サンを連れテきて下さイねぇ?」
そうザドキエルが言うと、彼の両の手のひらに光が集まり、やがて一つのシルエットを作り出す。
ナイフ。素人目の俺には、その両手に握られた光のシルエットは『ナイフ』としか認識出来なかった。
ナイフの形をした光のシルエットは、形成を終えると光の粒子を撒き散らし、実物のナイフとなった。
「直属の上司だっタからと言って、手心なんテ掛けませんよォ!」
そしてザドキエルは、両手に持つ2本のナイフを、傷付いて身動きの取れない翼の少女へと、躊躇無く、勢いよく投擲した。
ザドキエルの手元を離れた2本のナイフは、風を切り音を切り、翼の少女の命を奪う為にただ突き進む。
「危ない―!」
気付けば、体は翼の少女を狙うナイフの軌道を遮るように、躍り出ていた。
眼前には2本のナイフ。後方には翼の少女。
ここで俺がどけば、ナイフは間違いなく、少女の息の根を止めるだろう。
なら、ここをどくわけにはいかない。
例え虫の息だとしても、少女の命を助ける為なら、誰かの役に立つ為なら、俺の命にでも意味がある。
どうせ死ぬなら、誰かの役に立って死ぬ。今がその時だ。
「カハッ···」
「なっ······.??!」
2本のナイフは、俺の左胸と右太腿をいとも容易く突き刺さり、血飛沫が傷口から勢いよく飛び散る。
急速に意識が遠のいていく。頭が働かない。
俺は刺さったナイフを抜くことなく、その場に崩れ落ちた。
「······.ンンンンンンンン???????」
ザドキエルの不思議そうな声が鼓膜に響く。
まるで、俺の存在を不可思議だと言わんばかりの奇声だ。
「···馬鹿、天使なんかを助けるために、自分の命を投げ出すな···」
遠のいていく意識の中、翼の少女の声が微かに聞こえる。
「―オイ、人間」
気絶しかけていた時、突然何者かに胸ぐらを掴まれ、意識が少し戻ってきた。
「···なにしてくれてんだよォ!!アァ??!!」
が、その意識はすぐに吹き飛ばされる事となる。
胸ぐらを掴まれた俺は、ボールを投げるように軽々とぶん投げられて、ブロック塀に激突した。
「ガッ、···!」
背筋に激痛が走る。おそらく、背骨がイってしまった。
血みどろで満身創痍の俺を、声の主は構わず、容赦なく足蹴にする。
「人がキモチよく、上級の天使を殺そうって時にヨぉ!!?なに邪魔してくれテんダよぉ!!!えぇ!!?
お陰でストレスが溜まっちまッたじゃねェか!!!」
2発、3発。7発、8発と、言葉を続けながらも俺を蹴る足を止めることは無かった。
声の主が何かを言っているのは分かる。怒鳴り声からして、怒っていることも分かる。
だが、もう俺に言葉を理解出来るような意識は無かった。
「···アレェ?
よくよく考えたら、ボクってヒトじゃありませンでしたァ!」
夜の住宅街に、男の嗤い声が響き渡る。
消えゆく意識の中、最後に男は何かを言っていた。
「···まァ、スッキリしましたシ?
ウリエルちゃんはまタ後日殺すことにしまァす」
男の、呟きのように囁いたその言葉を最後に、意識が途絶えた。
―――――
ゆっくりと、目を開ける。
「···あれ」
真っ先に目に入ったのは、白い天井だった。
家の天井ではない。自慢ではないが、うちの天井はもっとシミが点々とまばらに広がっている。
至って清潔。純白の、シミ1つない眩しい天井。
そう、まるであの翼の少女のような―
「―目は覚めた?」
隣から、女性の声がする。
どうにか動かせそうな首を回して、声の方を見やる。
「···お前は」
翼の少女だ。
燃えるような、輝くような金髪に、碧の左眼と朱の右眼のオッドアイ。美少女と称されるに等しいその顔立ちが、さらにその魅力を引き立てる。
身に纏う服、いや布は、昔の偉人が絵に描いた天使のような、純白の布を何枚か重ねて形成されている。一体どうやってバランスを保っているのか、と言わんばかりの作りをしていて、少しでも動けば大事な部分を隠しているその布ははだけてしまいそうだ。
見えたところで反応を示すのは、そっち派の一部の人ぐらいだろうが。
その背中には、その服装や容姿にも勝る主張をしている、少女の身長と同じほどの純白の翼が生えている。
先程見た、暗褐色の滲みはきれいさっぱり無くなっていた。
天使。俺でなくとも、彼女の容姿を見ればそう結論づけるだろう。
コスプレも、ここまで技術進歩したのか···。
なんて冗談はおいといて。
「ここはなんだ?
天国か?冥府か?」
「病院よ、何勝手に死んでんの」
「死んでないの?」
俺の記憶が正しければ、確かザドキエルという青年のナイフから少女を庇う為、俺が代わりにくらったハズなんだけどな。
普通の人間、2ヶ所も刺されれば命を落とすけどな。しかも心臓に刺さってたし。
「ええ、確かにあんたは一度死んだ」
「やっぱ死んでんじゃねぇか」
俺が間髪入れずにツッコむと、少女は「はぁ」とため息をついて、面倒くさそうな顔で説明を続けた。
「人の話は最後まで聞きなさい···。
いい?あんたは確かに一度命を落とした。ザドキエルのダガーによってね。
死んだはずのあんたの命を蘇らせたのはわたし。神の祝福を使って、あんたの命を天界から呼び戻した」
「はいストップ」
「···何よ」
色々と突っ込みどころが多すぎる。何から聞けばいいんだろうか。
「···まず、あなた何者ですか?」
もう話を聞いているだけで薄々予想はついているが、一応齟齬が無いようにハッキリとさせておく。
「天使よ」
まぁだろうな。
「その天使さまが、どうして俺なんかを?」
「それはこっちが聞きたいんだけど。
普通、見ず知らずの女、それも背中から羽が生えてる人間なんか助けようと思う?」
「いや、そりゃあまぁ···」
どうなんだろうか。
普通だったら、凶器を持った人間が目の前にいたら一目散に逃げ出すか。
でも、少女を見捨てたくないという思いもあった。あの時は「守らなきゃ」とも思った。
正義感、なんて大層なものは持ち合わせていないが、目の前で瀕死の少女に、止めをさそうとする奴がいたら、普通は「やめろ」ぐらいの言葉は掛けるはず。
そうでなくとも、警察に通報ぐらいはするはずだ。
「···自己満足?」
結局、結論はそれしか出てこなかった。
何故少女を助けたかったのかは知らないが、あの時は咄嗟に体が動いた。
助けたい、なんて思考もせず、気付けば体が前に出ていた。
そういえば、あの時「死ぬなら今しかねぇ」みたいなイキったことを考えてた気がする。
少女も救って俺も死ねる。一石二鳥だと考えて身を投げ出したような気もする。
自殺願望があるわけではない。しかし、このまま無駄な人生のまま生涯を終えるよりは、誰かの役に立って死にたいと思っている。
つまり、俺が少女を助けたのは「自己満足」だったわけだ。
「はぁ···。人間って、ここまでバカなわけ?これならまだ野犬の方が生存本能は高いわ」
そーですか、俺は野犬以下ですか。さいですかさいですか。
「それで?天使のあんたがなんでここにいるんだ?」
「あんたのせいでしょうが」
「?」
なんか知らんが、突然責任を擦り付けられた。
「あんたの命を助けるために祝福を使ったわけだけど、わたしもあの状態だったし、力を全部振り絞ってやっとだったの。
下界で肉体を維持する力が尽きたから、勝手で悪いけどしばらくあんたに憑依させても」
「はいストップ」
「今度は何よ···」
少女の言葉を遮り、疑問を問いかける。
「一体、どうして憑依する必要があった?
現界出来なくなったなら、一度天国に帰ればいいだろ」
「···あんたは、社長直々の命令を受けて、成果も得ずに手ぶらで帰れるわけ?」
わーお、なんてわかり易い例え。
「要するに、あの天使を倒さないと帰れないわけか···」
「あれは天使じゃない」
「え?でも同じ翼が生えてたじゃないか」
少女は俺の言葉に首を横に振ると、少女とあの青年、ザドキエルについて説明をしてくれた。
「―わたしたち天使には、3種類の天使がいるわ。
1つが“聖天使”。わたしみたいに神に仕える、天界で過ごしている天使たちの事を言うわ。
2つ目は“人天使”。···ざっくり言ったら、あんた達みたいな人間のことね」
「人間が天使?」
「ええ。とは言っても、天使が使えるような力は何一つとして持っていない。聖天使と同じようなところがあるとするなら、その名の通り『脳』ぐらいね。
···そして3つ目、“堕天使”。
あの狂った天使、ザドキエルがここにあたるわ」
「堕天使···」
「堕天使は、人天使がなり得る可能性がある。
聖天使の場合は、天界から神に追放された天使を総じて“堕天”と呼んでるわ。
人天使の場合、突然変異で天使の力を発現させた人間の事をそう呼ぶ」
「突然変異って、誰にでも起こるのか?」
「さすがにそうポンポン起こるもんじゃないわ。過去の事例でも、3回しか起こってないみたいだし。
ただ、聖天使が堕天するのはよくある話。堕天して人天使となった聖天使は、天使の力を剥奪されて、人間界に落とされ、人天使と同格の扱いになる」
「その人天使が突然変異によって、堕天使へと変貌する···。そういうことか」
「話の理解が早くて助かるわ」
しかし、一体どうして突然変異なんか起こすんだろうか。
···理由が分からないから『突然変異』なのか。
「しかし、今回は異例のケース。
堕天した聖天使は下界に落とされるわけだけど、まさか2日程度で堕天使に変貌するとはね」
「···さっき、人天使が堕天使になることはあまり無いって言ってたよな」
「あくまで、生まれが完全に下界の場合に限るけどね。聖天子から人天使になった、つまり堕天した天使に限って言えば、大体の確率で堕天使に変異する」
ふむ。
要するに、
①聖天使→②人天使→③堕天使 はよくある話だけど、
①人天使→②堕天使 は起こりにくいというわけか。
生まれが天国か地上かによって、堕天する確率も大きく変わるわけだ。
「堕天使と聖天使では、扱いが全然違うわけか···」
天使のしくみについてはなんとなく理解出来た。
要は、この少女は聖天使で、良い奴。あのザドキエルとかいう青年は堕天使で、悪い奴。
オレ、オマエ、シンライ。オレ、アイツ、コワイ。
信頼に足る人物かどうかはさておき、少なくとも、あんな胡散臭そうな話し方をする堕天使に比べたらよっぽど信用出来るな。
「···で、なんで堕天使に付け狙われてたんだ?」
ザドキエルの言葉の中には、少女の方から奴に仕掛けてきたという旨の発言をしていた気もするが。
返り討ちにあっていたのだろうか。
「わたしは神の命で、堕天使となってしまったザドキエルを浄化するために、下界に降り立った。
それで、ザドキエルを見つけて、あとは斬るだけってなったところまではいいんだけど···。
こちら側が不利なフィールドに上手く誘い込まれて、返り討ちに遭ってしまったの」
やっぱり返り討ちだったのか。
どこで戦闘していたかは知らないが、よくうちの前まで逃げ切れたものだ。
そもそも戦闘なんて、浮世離れしすぎて話自体に信憑性はないが。
天使サマが言うのであれば、きっとそうなのだろう。
「···あんたが気絶した後、奴は何処かへと消え去ったわ。
わたしたちの動向を知らない奴は、あんたの事はきっと死んだと思い込んでいるはず。これまで通り、普通の生活を送っていけば、奴と遭遇する確率もグッと抑えられる」
「普通の生活、って言ったってよぉ···」
―天使という存在を知って、果たして普通の生活が送れるのかね。
「それに、アイツはどうすんだよ。あんたが力を発揮出来ないなら、アイツ、きっと人を襲うんじゃないか?」
「それは他の天使たちに任せるわ。
本来ならわたしが片付けるべきなんだけど、今の状態じゃ仕方ないわね。わたしが今あんたの中から抜け出したら、あんた死ぬし」
今サラッとヤバいこと言わなかったかコイツ?
「とりあえず、あんたは今まで通りの生活をしなさい。体が完治したらわたしはあんたの中から抜けてくから」
完治するまでは一緒にいるのかよ···。とんだ疫病神、ならぬ疫病天使だ。
···美少女と一緒に生活するからって、恋なんかしないんだからね!
少女は、手を差し出す。
「ひとまず、仮契約とはいえパートナーには挨拶しとかないとね。
『聖天使騎士団 堕天使浄化部隊 補佐官』のウリエル。階級は“熾天使”」
ウリエルと名乗った少女は、俺に握手を求めるようだ。
···俺が拒否しようが、ウリエルとはしばらく行動を共にすることになる。
仕方なく、ウリエルの差し出した手を取り、俺も自己紹介をする。
「天。
派 天。階級なんてのはねぇ」
「ソラね。
人間にしてはオシャレな名前してるじゃない。親御さんに感謝しなさい」
と、ウリエルの言葉で右手を止めた。
「···感謝、ね」
果たして、俺は親に感謝出来るんだろうか。
例え親が生き方を180度変えたとしても、俺にしてきたことは変わらない。
いや、何もしていないこと、か。
「どうしたの?」
「···いや、何でも」
あの親のことは、出来る限り頭の中に入れたくない。
ウリエルのせいで少し思い出してしまったが、すぐに忘れることにした。
―――
「―で、普通の生活ったって何をすればいいんだ?」
「···あんた、人間なのに普通の生活してきてないの?
てかそれを天使のわたしに聞く?」
そういえばそうだった。俺人間だったわ。
天使にこんなことを聞くのも筋違いだったな。
点滴が沢山刺さった腕を眺め、自分の状態がどんな状態か考える。
点滴の数が1、2、3···。
···点滴多すぎね?
その数はゆうに10を超えていた。
いくら重症だからって、これはさすがに使いすぎなのでは?
それとも、生命に関わる重症ならこれぐらいは普通なのか?
おしえて、かんごふさーん!
「ふぅ···」
ガララと、俺の病室のドアがスライドされた。
噂をすればなんとやら、その奥からピンクのナース服に身を包んだ看護婦さんが、変な袋を沢山持って入ってきた。
看護婦さんは、俺とウリエルの姿を見て目を見開き、手に持っていた袋を全部地面に落としてしまった。
袋からは液体が飛び出す。おそらく、点滴に使うパックだったのだろう。
「え、うそ、もう気が付いたんですか?!」
「おかげさまで」
看護婦さんは、俺が目覚めていたことに驚愕していたらしい。
いやいや看護婦さん。俺の右にもっと異常な奴がいるでしょ。
チラリ、とウリエルの様子を見てみる。
「あ。
言い忘れてたけど、わたしの姿はあんた以外には見えてないし、声も聞こえてないから」
「は?」
そういうのは先に言いんしゃいな。
「···あの、本当に大丈夫なんですか?」
腫れ物にさわるような様子で、看護婦さんが話し掛けてくる。
それもそうだ。
意識不明の人間が急に目覚めたと思ったら、急に何も無いところを見つめ始めて、何も言っていないのに「は?」とか言い始めたんだ。
普通に考えたら、そいつは頭ヤベェ奴だ。
俺なんだけど。
「大丈夫ですよ」
看護婦にそれだけ言って、少なくなっていた点滴を全て取り替えてもらった。
―――――
それから、入院生活を始めて5日が経過していた。
担当医の話によると、俺が緊急搬送された時には心臓と右太腿の神経がザックリ貫通していたらしい。
救急車では脈拍ゼロで死亡確定だったらしいが、突然脈拍が極微ながら戻り始めて、病院で外科手術をしてどうにか一命だけは取り留めたらしい。
しかし、手術に成功しても俺は植物人間状態になるだろうと推測されていたらしい。あの看護婦が驚いていた理由はそれだったみたいだ。
俺が意識不明だった期間は約1日半。植物人間から回復するだけでも奇跡なのに、この短期間で意識を取り戻したことに担当医は「神の奇跡」と呼んでいた。
確かに、神の祝福ではあるんだけども。
「···で、実際のところどうなんだ」
病院の多目的ホール。
人があまり寄り付かない隅っこで、俺はスマホを耳に当てていた。
通話相手なんていない。
ただ、ウリエルとの会話を自然なものに見せるだけの付け焼き刃のような手段だ。
病室で話していたら、いつ看護婦さんが来るかわからないしね。
「神の奇跡のくだり?それなら本当。
あんたは現在、わたしを経由した神の祝福によって、無理やり命をつなぎ止めているようなもの。普通の生活は送れるレベルだけど、わたしがあんたの肉体から分離したら、あんたは間違いなく即死する」
「お前が元気になるまで、一体どれくらいの時間が掛かる?」
「自分が重症なのに、他人の心配ね···。
そうね、あんたの完治に優先して力を使うから、わたしが再び肉体を得るのは2年ぐらいか」
「2年?!」
さすがに時間が掛かりすぎだ。俺が完治したなら、とっとと天界に帰って力を取り戻せばいいものの。
ウリエルの話によれば、聖天使は“使力”とよばれるエネルギーをみんな持っているらしい。
天使によって大小の強さの違いはあるが、ウリエルが現界した際に得た肉体も、この使力を使って維持していたらしい。
天界に帰れば使力はすぐに回復して、すぐにでも活動再開出来る。
だがウリエルはそうせずに、俺の完治に併せて自分の使力の回復を図るようだ。
そんなに手ぶらで帰るのが嫌かねぇ?
変にプライドが高いというかなんと言うか。
「···ちなみに、俺の完治に掛かる日数は?」
スマホのマイク部分にささやく。
俺が話し掛けてるのはスマホではなく、あくまでウリエルに、だ。
「そうね、早くて1ヶ月ってところ」
「1ヶ月···」
ウリエルの使力の回復に比べれば、まだ全然早いが。
1ヶ月で終わるなら、本当に一度天界に帰ればいいのに。
別に神様に怒られるわけでもなかろうて。
「仮契約ならそれぐらいが妥当ね。本契約すればもっと早くなるかもだけど、神様から「あまり人間に干渉するな」って言われてるし」
バリッバリに干渉してますやん。
言いつけ破ってまで助けなくても良かったのに。
「···その“契約”とやらは、何か変わるのか?」
目覚めた時にも言っていたことだが、ウリエルと俺は契約関係にあるらしい。
と言っても、仮契約とやらがどういうものか分かっていない。天使と契約することで、何か影響があるのだろうか。
「そういえば話してなかったっけ。
わたしたち聖天使が人間に憑依するには、人間と“契約”する必要があるの。
“仮契約”は、わたしたち聖天使側が人間の許可なく勝手に契約を結んでいる状態。本契約と違って、仮契約の状態では聖天使の力は一部しか使えない」
ウリエルは、また人間には到底理解出来そうにもないことを話し出した。
「仮契約では何が出来るんだ?」
「そうね、せいぜい一部の祝福を使えるぐらいかしら。
例えば、今あんたが授かっている『蘇生の祝福』とか」
蘇生って、やっぱ俺死んでんじゃねぇかよ。
ウリエルが俺から去っていったら、多分死ぬだろう。
「本契約の場合は?」
「“本契約”の場合は、わたしたち聖天使がそれぞれ固有で持っている技能が使えたりするわね。
わたしと契約したとしたら、『天啓』とか『雨晴らし』とか。
ただ、本契約は仮契約と違って、一度契約したら堕天使を一定数“浄化”しないと解除出来ない。
まぁ、わたしたちの力を貸してあげてるんだから、それぐらいは協力してもらっても当然よね」
「なるほど」
厨二チックな単語が盛り沢山な説明だったが、なんとなくでしか理解出来なかった。
要するに、人間と天使が本契約すれば、人間に憑依した天使の力が使える、ということか。
今の説明を聞いて、果たして「やりたい」と言う奴がいるのかどうか。
俺だったら、分かりきった面倒事にわざわざ首を突っ込むのはゴメンだ。
「···そういえば、あの後堕天使はどうなった?」
「あっちから分からないのに、こっちに分かるわけないでしょ。
今頃、どこかで殺人でも楽しんでるか、わたしを探しているんじゃない?」
殺人を楽しむって···。
天使がそれを見過ごしてていいのかよ。俺がウリエルの行動を縛ってるんだけど。
「もしあんたが、わたしと本契約するって言うなら、すぐにでも探しに行けるんだけどね」
「探しに行ったところでどうする。結局、また返り討ちに遭うのがオチだぞ」
彼女のさっきの説明だと、堕天使と戦うのは、聖天使であるウリエルではなく、ただの人間の俺。
戦闘経験はおろか、武術や護身術を一切習ったことの無い俺が、堕天使なんて凶悪な存在に勝てるのか。
否。勝てる訳が無い。
ウリエルだって、不利な状況だったとはいえ、奴に一度敗走している。
階級がどうとかは知らないが、一度優劣がついてしまったものは、そうそうひっくり返すことは出来ないはずだ。
「ま、そうかもしれないわね」
半ば諦めたような苦笑いを浮かべて、ウリエルはため息をついた。
「とにかく、奴に関しては他の天使に一任するしかない。
あんたも、外を出歩く時は最大限警戒しなさい。奴に見つかったら今度こそ終わりよ」
「蘇生の祝福は効かないのか?」
「この祝福は、死んでいる体を無理やり復帰させて、本来なら少しずつ回復していく祝福なの。奴に見つかって、回復中の肉体にダメージを与えられたら次は無い」
「二度目は無い、か」
それもそうか。
死んだはずの命を、一度取り留めただけでも現実離れの奇跡だ。
同じ奇跡は、二度も起こらない。次死ねば、俺は今度こそあの世行きだ。
「俺が死んだら、お前はどうなるんだ?」
「わたし?
···そうね、あんたが死ぬ前に契約解除すれば、わたしだけは助かるわね」
「ひっでぇ野郎だな」
コイツにとって、俺はどうでもいい存在のようだ。
きっと、俺を助けたのもコイツからすればちょうど手頃な場所に、依代がいたから利用しただけに過ぎないのだろう。
「いつから天使が善良な存在だと認識していたの?」
「···よく堕天しないな、お前」
天使とは到底かけ離れた、どちらかというと悪に近い考え方をしている。
「そりゃ熾天使ですから」
ドヤ顔で、ウリエルは無い胸を貼る。
熾天使とか智天使とか、そんな階級なんて俺は知らんよ。名前からして偉そうな感じはするが。
「っと、そろそろ昼飯の時間か」
多目的ホールのテレビの直上にある壁掛け時計に目をやると、短針が昼飯が運ばれる12時手前を指そうとしていた。
ソファから立ち上がり、2本の松葉杖を片手で抱えて歩き始める。
一応、俺は名目上『重症人』ということなので、病院から松葉杖を使用するように、と言われている。
だが、俺の体は健康そのものだ。松葉杖を使う必要はない。使おうにも、普通に歩けるならただただ疲れるだけで、わざわざ使おうとは思わない。
なので、持ち歩きだけはしておく。
「···人間って、食事をしてないと生きていけないわけ?」
「天使サマは食事を摂る必要なさそうでいいですね。
後その質問今日で3回目だぞ」
ウリエルと行動を共にして5日。分かったことが1つある。
どうやら、天使ってのは想像以上に人間に対する知識が無いらしい。
―――――
それから2日。
瀕死の重症を負った人間としては異例の、たった1週間ちょいでの退院となった。
「ではソラ君、今後は夜道に気をつけるんだよ」
「お世話になりました」
医療費その他諸々は、姉が払ってくれた。
先に両親の方に連絡したが、いつ連絡しても不在着信、携帯にかけても出ることは無かったという。
俺が飛び出してからの約1ヶ月間の内に蒸発でもしたか、姉の方から連絡しても電話に出なかったそうだ。
大方、「家出した人間など家族ではない」とでも言い張るつもりだろう。そんな道理が通じるかは知らんが。
「念の為、これも処方しておこう」
先生は、デスクの上に置いてあった錠剤の束を、袋に入れてこちらに渡してくる。
「なんすかコレ?」
「精神安定剤。
君、院内で『時々虚空に向かって話しかける精神異常者』って呼ばれてるよ?」
「···」
うん···、まぁ、そうですね···。
まさか、そんな異名がつけられるとは···。
「ありがとうございます···」
先生の心配そうな表情に、俺はただ苦笑いすることしか出来なかった。
受取拒否をする訳にも行かないし、仕方なくその精神安定剤を受け取った。
「では行きなさい、外でお姉さんも待ってるだろう?」
「いえ、姉は急な出張でしばらく海外です」
「迎えは誰もいないのかい?」
「そうなりますね」
別に、迎えなんてなくてもここの病院は家からそう遠くない。
電車を使わない分、学校よりこっちの方が近い。
「うーん、そういう子を退院させるのはちょっと···」
あ、コレまずい。帰れなくなるやつだ。
「あ、大丈夫ですどうもお世話になりました失礼します」
丸椅子を勢いよく立ち上がり、そそくさに応接室を後にする。
「あ、ちょっと―」
その言葉を聞き終える前に、応接室の扉を閉めた。
―――
「あ、終わった?」
「お前のせいで俺は精神異常者認定だよ」
「開口一番、随分なごあいさつね」
病院入口、外で待ってもらっていたウリエルと合流した。
「で、何その袋」
「精神安定剤」
「なんでそんなのが必要なのよ···」
だからお前のせいじゃて。
「あんたの家に帰るの?」
「ああ、運動はしばらく控えろって言われちまったしな。しばらくの生活は貯金を切り崩すしかないか」
退院は(半ば強引に)出来たが、先生からは「傷口が開く危険性もあるから、しばらく派手な運動は控えなさい」と口うるさく言われた。
派手な運動、バイトもしばらくは休暇を貰った方がいいだろう。
幸いにも、バイト先は一年以上勤務しているし、いい子ちゃんもしてきたつもりだ。
事情を話せば、多少のワガママぐらいは通してもらえる、···はず。
貯金も、極限まで切り詰めたら1ヶ月生活出来るぐらいの額はある。
ウリエルが言っていた、俺の体の完治に掛かる日数も約1ヶ月。ギリギリ足りるはずだ。
最悪、姉の夫、つまり義兄から借りるという手もある。
姉よ、結婚してくれてありがとう。人脈が広いってのはいいね。
―――
「下界のものを色々見てみたい」
ウリエルがそんな事を言い出すので、俺は電器店に来ていた。
電器店なら、テレビとかクーラーとか、天界にとって珍しそうな物が沢山あると思ったからだ。
実際、俺の読みは当たったらしく、ウリエルはテレビの画面に釘付けになっていた。
「ね、ねぇ!!こんな薄っぺらい箱の中に人間が入ってるんだけど!!どうなってるのコレ!!」
ウリエルは、展示品の液晶テレビをバンバンと叩いている。
「ちょ、何してんのー?」
それ売り物なんだけどー?
てか病院でも見たろうが···。
そういえば、病院のテレビは今更珍しいブラウン管だったか。
チューナーを繋いで、色褪せた画面で爺ちゃん婆ちゃんが集まって見ていたような気がする。
そのくせ、病室のテレビはちゃっかりカードを買わないと見れないタイプの奴だった。
まず広間のテレビを新調しろよ···。
「―――では、次のニュースです。
『切り裂きジャック』の事件から1週間、――県――市にて新たに殺人事件が発生しました。
1週間前の事件では、被害者の――――さんは四肢を切断された状態で、――市――区8丁目の路地裏にて警察の手によって発見されました。
今回の事件では、―――市―区の住宅街のゴミ箱から、同じように四肢が切断された状態で、近所に住む――さんの通報により発覚しました。
被害者は――市在住の――――さん
―――」
テレビのニュースで、不穏な事件の報道が流れた。
「···ウリエル、これって···」
ウリエルも、先程までテレビをうるさく叩いていた手を止め、ニュースに耳を傾けていた。
「断定は出来ないけど、きっとアイツね」
殺人事件。
ウリエルの嫌な予想の方が当たってしまった。
奴は嬉々として殺人を犯していた。
それも、時期的には俺を殺したほぼ直後のようだ。
テレビのニュースに気を取られていて、俺に歩み寄る存在に、気付くのが1歩遅れた。
そして、その遅れは最悪の事態を招いてしまった。
「···あれェ?
もしかシて、アナタどこカでお会いしマしたぁ?」
後ろから掛かる声に、背筋が凍りつく。
心臓の鼓動が加速する。嫌な汗が額を伝う。
この声。忘れもしない、狂気を帯びた青年の高い声。
「···あらあラ、よく見タらウリエルちゃんもご一緒じゃないですかァ。道理で見つからナいと思ったら···」
「···ザドキエル!」
ウリエルが叫び、声の主を確認する。
振り向けば、そこには黒のパーカーにフードを被った、アルビノ色の青年が、ニタリと笑いながらこちらをじっと見つめていた。
「ハァイ♪
アナタだけのアイドル、ザドキエルちゃんでぇす♪」
その見た目、言動も相まって、気味悪さはより一層酷くなっていた。
その狂気的なしぐさ、言動、動き。一つ一つの行動全てに体が凍りつく。
逃げ出したい。その気持ちでいっぱいだった。
「···さてはウリエルちゃん、アナタ契約しましたねェ?
熾天使ともあろウお方が、まサか自身の命を助けるためニ憑依するなんテ···」
「···なんとでも言え。
自分の欲求を満たすために人を殺すような、最早人天使ですらない貴様に、何を言われようが動じない!」
「···待てウリエル、挑発に乗るな」
動じないとか言っておきつつ、完全に相手のペースに飲まれている。
昂ったウリエルを宥めつつ、ザドキエルの表情を伺―。
「―!!?」
フードの下にあるその表情を見て、俺は本能的に命の危機を悟った。
殺。
まるでゴミでも見るかのような、見下したような表情に宿る意思は、殺意しか感じなかった。
恐怖した。
この場所にいたままでは、確実に殺される。今すぐ逃げないと···!
「···お前さァ、なんで生き残ったわけ?
っつッても、生かしておいたのはオレだけどさァ···。やっぱアの時、両手両足、ツイでに首も切り落として置くべキだったなぁ···」
気だるそうに首を鳴らす。
そして、次にこちらを見る眼には、俺に対する明確な殺意だけが宿っていた。
「んじゃ、今ココで殺すかァ!!」
予備動作もなく、パーカーの袖から取り出したダガーを3本同時に投げ飛ばす。
「『堅牢の祝福』!!!」
脳天目掛けて飛んでくるダガーを、謎の壁が遮断した。
壁に阻まれた3本のダガーは、弾かれた後に金属音を鳴らしてその場に滑り落ちた。
「···ウリエルゥゥゥウウウ!!!!」
「逃げるわよ!!ここは狭すぎる!!」
ウリエルの号令と同時に、全力で店の出口に向けて走る。
エスカレーターを無視して、手すりを乗り越えて3階から1階まで一気に飛び降りる。
「う、わああああああ!!!!」
考えなしに、ただ必死に逃げて飛び降りたせいで受身も何も取れない。
「『堅牢の祝福』!!」
1階のタイルにぶつかる直前、またも壁が俺を守る。
光の壁とタイルが音を立ててぶつかり合い、タイルが破片になって辺りに砕け散る。
「ハッ、ハッ」
「逃がすかァ!!」
3階から、ダガーの雨が降ってくる。
「『速射の祝福』!!」
ウリエルがそう唱えると、ダガーの雨と同じぐらいの光弾が、何も無いところから一斉に放たれてダガーを撃ち落としていく。
「―何してるの!!後ろはわたしが守るから、あんたはひたすら走りなさい!!」
「っ、任せた!!」
俺では、あの狂った堕天使と渡り合うことはできない。
女の子に任せるのは情けないが、ここはウリエルに全てを託すしかない。
俺に出来るのは、ただただ逃げ続けることだけだ。
膝に手をついて立ち上がり、出入口の自動ドアを潜り抜ける。
「なるべく人混みの少ない場所に移動して!」
「多いところじゃないのか!?」
「周りの被害も考えなさい!!あんた以外の人間まで庇っている余裕なんて無い!!」
「なるほど、分かった!!」
人混みの少ないところなら、路地裏が最適だ。
歩道を右に曲がり、路地裏へと侵入していく。
後はここで奴を振り切って、どこか安全な場所まで逃げ切ればいい。
奴がそれを許すとはとても思えないが。
3つの光が、路地裏の隙間から輝き放たれる。
「前っ?!」
「『堅牢の祝福』!」
目前に迫った銀の閃光は、ウリエルが使った祝福に防がれる。
ヒュッ、と何かが風を切り裂く音が後ろから鳴った。
「貰ったァ!!」
俺が認知する前に、ザドキエルは俺の懐まで迫っていた。
「『速射の祝福』!」
ウリエルの祝福で、奴が手に持ったダガーが腹部に刺される前に、どうにか攻撃を凌ぐことが出来た。
「チッ、さすガは熾天使―」
言葉が終わる前に、そこにあったゴミ箱を奴に蹴りつける。
「ハッ?」
鼻で笑ったのか、思いがけない攻撃に怯んだのかは知らないが、ゴミ箱の中身はザドキエルの視界を塞ぐようにして勢いよく飛び散った。
「キッタねぇなぁ!!このゴミクズが!!」
「でかした!今のうちよ!!」
眼にゴミが入ったようで、ザドキエルはその場でダガーを手放して目を擦っている。
一生そこで目を擦ってろ。
「飛ぶわよ、『飛空の祝福』!!」
「へ?」
俺が確認する暇もなく、ウリエルは新たな祝福を使った。
その瞬間、俺の体は宙に浮き、「前へ進む」と意識すれば、俺の体がそのまま高速で前進する。
「ちょ、ぶつかる!ぶつかるってええええ!!!」
「上!」
俺が意識する前に、俺の体はビルの壁にぶつかるスレスレの所で直角に上昇する。
「あぶぶぶぶぶ」
空気抵抗が物凄い。それぐらいのスピードを出しながら、路地裏を抜けて地上数十メートルの所まで飛翔する。
「人気のない所まで行きなさい!」
「俺がかよ?!」
さっきあなたが操縦してましたよね?
だったら、そのままどこか山奥まで飛んでいけばいいのに。
ヒュッ。
「うへぇ!?」
下から無数のダガーが、ガトリング弾のように俺に飛んでくる。
「右へ」「左へ」と、ダガーに当たらないようにどうにか空を飛ぶ。
「逃がサねぇよ!!」
路地裏のある区域あたりから、黒い翼を背中に生やしたザドキエルが、俺と同じように空を飛んで現れた。
翼は飾りではないということか。
「早く!わたしは奴の攻撃を捌くのに忙しいの!」
どうやら、ウリエルでも2つの祝福を同時に操ることは出来ないらしい。
「攻撃は任せた!」
奴の攻撃をウリエルに任せて、俺はどこか人気のない所まで飛ぶことに意識を集中させる。
「だァかァらァ、逃さねェつってんだろォ!!?」
ザドキエルは、もちろん俺たちをタダで逃がしてくれるはずもない。
何も無いところから無数に出てくるダガーを、際限なく俺たちに向けて飛ばしてくる。
「『堅牢の祝福』!」
ウリエルは、祝福でそれを防ごうとする。
「ソレももう見飽きたンだよぉ!!!」
ダガーの雨の中から、ザドキエルが盾の目の前にまで迫る。
「何っ!?」
「オラァっ!!」
ザドキエルが振り下ろしたダガーの一突き。
その一突きを盾の隙間に刺し込み、鍵を開けるようにしてダガーを90度回転させる。
そうするだけで、それまでどんな飛び道具も防いできた堅牢な盾は、いとも容易く分散した。
「『速射の祝福』!」
そのタイミングと同時に、ウリエルは光弾のマシンガンを、俺のほぼゼロ距離に迫ったザドキエルに放つ。
「当たるかよォ!!」
ザドキエルは、それを上に飛ぶことで全弾回避する。
ウリエルは、あちらこちら飛び回りながらもしっかり追いかけてくるザドキエルを、続けざまに撃ち続ける。
「っ、空では避けられるか!」
それらは、一発ですら奴に当たることはなく、空に、地面に虚しく消えていく。
空では、飛び道具は容易く避けられる。なら地上に降りるか?
「ウリエ」
「黙ってあんたは空を飛ぶことに集中しなさい、あんたが気にすることじゃない」
「···」
どうやら、ウリエルも俺と同じ考えを持っていたようだ。
なら他に策もあるのかもしれない。
「もう無駄ダぁ。
仮契約の聖天使ニ使える祝福は、その3つだけだかラなぁ!」
「···は?」
「事実よ。
『堅牢の祝福』『速射の祝福』『飛空の祝福』、仮契約の天使と人間では、実戦で使えるのはこの3つだけよ」
···おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい。
「···だったらどうすんだよ!」
盾も、攻撃も通用しない。
空を飛んだって、ザドキエルはどこまでも執拗に追いかけてくる。
このまま逃げ続けるだけじゃ、いつか必ず殺される。殺されなくても、休みが無ければ餓死で死ぬ。
俺は天使とは違って、ただの人間なんだ。無尽蔵に動けるわけじゃない。
「アッハッハッハッ!!
惨めだなァ!ここまデ必死に逃げてキても、頼みノ綱の天使が役立たず!どう足掻いてモ結局死ぬんだからなァ!!?」
俺に勝ち目がないのも、生き残る術がないのも、奴は全て判っている。
ここまで逃げてきたのに、こんな形で死ぬなんて。
どれもこれも全て、天使の存在に関わったからだ。
「···違うわね」
高笑いするザドキエルを無視して、ウリエルが俺に語り掛けてくる。
「···あ?」
ウリエルは、俺にこう聞く。
「―あなた、生きたい?」
···この状況で、この天使は何を聞いてくるんだ。生きたくない人間なんて―。
「―」
俺は、どうなんだろう。
今まで人生に価値を見出せず、ただのうのうと生きてきた。
死にたいと思うことすらあった。いや、それは今でも心のどこかで思っているのかもしれない。
なら、今この場の状況はむしろチャンスなんじゃ?
目の前に俺の事を殺してくれるという奴がいるんだ。俺が「死にたい」と望んでいて、奴が「殺したい」と望んでいるなら、奴にとっても俺にとっても良い事ではないか。
「···俺は」
俺は。
そんな事では死にたくない。
確かに死にたいとは思う。
だけど死ぬなら、その死に意味を持って死にたい。
俺が死ぬことで世界が平和になるとか、俺が死ぬことで誰かが助かるとか。
そんな、誰かのためになるのなら、俺は喜んで命を投げ出そう。
誰かが俺を殺すとか、俺が死んで喜ぶ奴がいるとか。そんな理由では、絶対に死んでやる訳にはいかない。
ウリエルの問いに、俺は答える。
「こんな事で死ねるか」
ウリエルは俺の言葉を聞いて、
「ふん、少しはやる気があるみたいね」
と、何かを確信した笑みを浮かべた。
「···最期の会話は楽しめたかァ?だったラ殺すぜェ!?」
「わたしが盾を出す、そしたらあんたは思いっきり夕陽に向かって飛びなさい!」
「盾は奴に効かないぞ!?」
「少し時間を稼げればいい!」
薄汚い笑みを浮かべながら、奴はダガーを無数に投げ付けてくる。
「『堅牢の祝福』!!」
「っ、行くぞ!」
ウリエルが盾を張るタイミングで、俺は後方の夕陽に向けて全速力で飛び込む。
そのスピードに、ウリエルもしっかりと着いてきた。
「おま、足止めしたんじゃ?」
「【我、古に伝わりし神の御使い也。
今ここに、嘗ての盟友と契りを交わすべく天界より現れん。
我、熾天使の権を振るう天の御使い也。
汝、名を派 天、罪穢れた人の子也。
汝は我、我は汝。
契りを交わすこと是即ち、我が権を貸し与えんとす。
汝、我が権を欲するか?】」
「は?」
唐突に、ウリエルは訳の分からない口上を早口で述べ始めた。
真意を問おうとして彼女の眼を見るが、ウリエルはただ、真剣な表情で俺の答を待っているようだった。
「テメェら、させるかよォ!!」
ザドキエルがこちらに向けて、ダガーを飛ばしてくる。
先程の時間稼ぎによって、かなりの距離を開けたはずなのに、もう追いついてきたのか。
「ウリエル!」
と、彼女に合図するが、ウリエルは首を横に振ってただ俺をジッと見つめるだけだった。
「はぁ?!」
ウリエルが盾を張らないので、ダガーは空中で右往左往に飛んで回避する。
一体何を考えて―。
「テメェらが“契約”する前に、とっとト殺ォす!!」
ザドキエルが近接戦を仕掛けてくる。
契約。
つまり、先程の厨二めいた口上文は、契約を交わす為に必要なタスクなのか。
ウリエルが口を開かないのも、きっと契約の途中に関係ない言葉を口にしてはいけないから。
祝福を唱えれば、また最初から契約の準備をしないといけない。
さっきの時間稼ぎも、この為か。
「死ねェッ!!!!」
サクリと。
ザドキエルが、俺の胸にダガーを突き立てる。
痛い。
これで、心臓を貫かれたのは二度目だ。
「···へっ」
ダガーを持つザドキエルの腕を掴む。
そして、空いた右手で奴の顔をぶん殴った。
「ごっ···?!」
困惑したような顔で、ザドキエルはよろめく。
パンチの衝撃で手放したダガーを逆手に持ち、心臓から引き抜く。
意識が遠のいていく。この感覚ももう二度目だ。だからもう、とっくに慣れてしまった。
ウリエルはまだ、別の言葉を口にしていない。
なら、契約はまだ途中で中断されたままだ。
「···勝機はあるんだろうな?」
俺の問いに、ウリエルはコクリと頷く。
なら十分だ。
「なら天使だろうが悪魔だろうが関係ねぇ!
生き残る為の力を、俺に寄越せ!聖天使・ウリエル!」
俺が叫ぶ。
ウリエルは、それに答える。
「―【契りは今、ここに交わされた。】
さぁ、思う存分わたしの権を奮いなさい!」
―心臓の傷が、みるみるうちに治癒していく。
ダガーに刺された跡は、2秒もせずに全部塞がった。
「これが、天使の力···」
「いや、それは本契約の際に起こる“利子”みたいなものよ」
「利子?」
「そ。
あんたが契約した際に、それまでに出来ていた外傷は全て回復するの。その分、堕天使浄化の数は多くなるけどね」
「要するに、『借りたもんはしっかり返せ』ってことか」
天使のくせに、やっぱりこういうことになると、がめついというか何というか。
「···人が黙って聞いてたら、ペラペラと呑気に駄弁りやがってよォ!!!」
と、ザドキエルが両手に持つダガーで、左右から切り刻もうとしてくる。
「いや、お前は堕天使だろ」
ヒラリと、後ろに下がることで軽く回避する。
決して調子に乗っているわけではない。
だけど、負ける気はしない。寧ろ勝つ気しか起きない。
先程までは恐怖の対象だった、目の前のザドキエルも、今では“浄化”すべき堕天使であると分かる。
仮契約と本契約で、ウリエルの力が使えるか使えないかで、ここまで変わるとは思わなかった。
「『天斬剣』を使いなさい」
「『天斬剣』···」
ウリエルから、何かとんでもない厨二ネームが飛び出してきた。
が、今に始まったことではない。もう今更気にすることでもない。
右手に持ったダガーを投げ捨て、掌を天高く掲げる。
「来い、『天斬剣』!」
そう叫ぶと、俺の右手に光の粒子が剣の形状を構築し、やがてそれらは四散して、俺の手の中に実物の剣が握られていた。
「···」
···何というか、大してカッコよくないな。
俺のやり方も少しは原因があるだろうが、問題は剣の名前な気がする。
この剣、刀身が燃え盛っているのだ。なのに『天斬』て、なんかちょいミスマッチな気が。
剣自体はカッコイイけど、名前と呼び出し方のせいでオサレ度が低くなっている。
まぁいいや、次回からの反省点にしよう。
「テメェ、調子に乗んじゃねェぞ!」
「調子になんか乗ってない」
ザドキエルのダガーによる高速の連撃を、天斬剣で尽く受け流す。
剣戟の音が、空に響く。
「調子に乗るのもいいけど」
「だから乗ってないって」
確かに慢心はしているかもしれないが、別に思い上がっているつもりはない。
手加減せずに、今俺が出せる全力を、俺に出来る事全てをコイツにぶつけている。
出来る事ってのが、ただ剣を振るうことってだけだ。
「日が沈むまでには決着をつけなさい。じゃないと負けるわよ」
だからそういうのは先に言えやコンチキショウ。
「なら、一撃必殺でいく!」
ザドキエルのダガーを、2本まとめて弾き飛ばす。
「ハッ、コッチは無限に出てくんダよ!!」
「だけど、撃ち出す度に隙は出来る」
その隙さえあれば十分。
弾き飛ばして出来たザドキエルとの間合いを一気に詰める。
「馬鹿か、ダガーはどこかラでも出せるんダよ!!」
「知らねぇよ」
全方位から現れるダガーの雨。
「『堅牢の祝福』」
それを、全方位に盾を張ることで弾き返す。
「ハァッ!」
ザドキエルが、盾を解除した俺の目の前に現れ、100本のダガーをゼロ距離で放つ。
「空中戦で飛び道具は効かねぇって、お前が言ったんだぜ?」
瞬間的に速度を早めて、ゼロ距離射撃を高速で回避。
そして、ザドキエルの後ろをと陣取る。
「なっ―」
終わりだ。
「浄化しろ、堕天使・ザドキエル」
ザドキエルの背中を、下から斬りあげた。
「カハッ···!」
天斬剣に斬られたザドキエルは、翼を失い空中で身動きが取れなくなり、そのまま地上へと落下していく。
このまま見殺しにする訳にもいかない。
急いで後を追って、落下していくザドキエルを足から引っ張ってキャッチする。
「っ、あっぶねぇ···」
「自分の命を狙った奴を助けるなんて、とんだお人好しね」
「···俺も知っておきたいことがあるからな」
―――
「···何故、助けタ?」
最早、虫の息のザドキエルを、路地裏のビルの壁に持たれ掛けさせる。
ここで仕留めるのは簡単なことだが、最後に一つだけ、気になったことがある。
「なぁ、何でお前は堕天なんてしたんだ?」
ザドキエル。他の呼び名では『慈悲の天使』とも呼ばれている。
慈悲、なんて呼ばれるぐらいなんだから、悪いことするようなな天使ではないと思うんだけどな。
「ウリエルは何か知ってるか?」
「さあね。わたしたちにも、堕天した天使については一切の情報がないわね」
ウリエルにも、熾天使にも教えられないような理由。きっと、余程の事をしたに違いないはずだ。
「···ケッ、人間って、つまらないこトに執着しますねェ」
「探究心が強いんだよ、人間ってのは」
それまで息を荒くしていたザドキエルが、深呼吸した後、口を開く。
「···一つだけ、いい事を教えてアげましょう。
『この世は天使に優しくない』。
聖天使にとっても、人天使にとっても、もちろん堕天使にとっても、ネ···」
「どういう事だ?」
「『人間は探究心が強い』んじゃありませんでしタ?だったら、意味ぐらい自分で考エなさい」
意味は考えろって言っても。
そもそも、俺の質問への回答にすらなってないんだが。
「···ウリエル、この下界に長く留まってはいけませんよ。さもなくば、貴方まで堕天することになってしまうかもしれない」
「わたしが堕天?
ハッ、笑わせないで」
ザドキエルの言葉を、ウリエルは鼻で笑った。
「···杞憂でした。その様子なら、心配は要りませんね」
「···てか、お前正気に···?」
「堕天使は、“浄化”される寸前に元の人格を取り戻す。
これが本来の『ザドキエル』という天使の姿よ」
「ふふ、直属の上司に“天使”なんて言われると恥ずかしいですね···」
「言っとくけど、あんたがわたしに『ちゃん』付けで呼んだこと、忘れてないから」
「ふふ、それはすみませんでした」
ザドキエルは、苦しみながらも優しい笑みを浮かべる。
どうやら、先程までの狂気はもう彼の中には残っていないのは本当のようだ。
「···貴方の部下で、私は幸せでしたよ、ウリエル。
どうか、その穢れなき、純白の翼が、堕ちる日が来ないことを···―」
ザドキエルの体が、徐々に透けて光の粒子になっていく。
やがて、ザドキエルはゆっくりと目を瞑り、姿は完全に見えなくなってしまった。
「···浄化、出来たのか?」
「ええ。
きっと、彼の魂は神の元へと辿り着き、人天使として生まれ変われるわ」
「···そうか」
ザドキエルであった光は、夕暮れ空の彼方へと昇り、そして儚く消えていく。
きっと、生まれ変わったのなら誰にでも優しく出来るような、心優しい人になるのだろう。
「さて、浄化も終わったし帰るわよ」
ウリエルは表通りへと踵を返し、路地をスタスタと歩き去っていく。
「え、ちょ、なんか心傷に浸ったりしないのー?」
「何言ってんのよ。
あんた、まさかわたしと本契約を結んだ事、忘れてないでしょうね?」
ムスッとした顔のウリエルは、こちらに人差し指を向けながら、大声をあげて自信満々にこう言った。
「わたしが天界に帰れるようになるまで、あんたがパートナーになるんだから、しっかりしなさいよ、ソラ!」
「······」
そうだった。
本契約を結んだ人間と天使は、一定数の堕天使を浄化しないと契約解除出来ないんだった。
つまり、コイツはまだ俺に付き纏ってくるということに···。
「···こんの疫病天使が」
ボソリと呟いて、先を行くウリエルの背中を追いかけた。
―――――
それから。
わずか一日。
「堕天使が出現したわ」
「はいぃ????」
堕天使が出現した。
―――
「場所は北西25キロ地点ほどの場所。まだ出現したばかりだから、人を襲うとかはしていないみたいだけど···」
「分かるように地名で言えやボケ」
「地名なんて分かるわけないでしょ!いいからとっととスピード出しなさい!」
『飛空の祝福』で空を駆けながら、ウリエルから情報を受け取る。
また、あんな戦闘が起こるのかと思うと、あまり気乗りがしないが。
これも、天使と契約してしまった代償だ、仕方がない。
「···ちょっと、聞いてるの!?」
「うっせぇなぁ、聞いてるよ!今回は最下級の天使なんだろ?だったら速攻で終わらせる!」
右手に『天斬剣』を握りしめ、一躍スピードを速める。
「わたしが帰る為にも、しっかりと働きなさいよ?」
「すぐに倒してやるから早く帰りやがれ、このクソ天使」
「なんですってぇ!!?ぶっ殺すわよアンタ!」
そんな皮肉で皮肉を返すような、ウリエルとの応対を僅かに楽しみながら目的地へと向かう。
堕天使を浄化す為に。
俺とウリエルは、今日もまた空を駆ける。
気が向いたら続き作ります。