敗者たちの宴会
昼間のにぎやかな街の情景から一変――すべてがまるで一時の夢であったかのように王国の中心街は閑散としていた。大通りの大部分を埋め尽くすほどであった露店すら今は寂々とした空気に包まれる。商売道具をまとめ王国のどこかに存在する彼らの住処に戻る者、それができるほど住いの充実していない者は路上で夜を越すことになる。
まだ夜も浅い今ほどの時間では人々の生活の息吹を感じることができる。特に生活の安定しているこの中心街周辺では立ち並ぶ家々からの温かな光が窓を通してこの静まり返った冷たいレンガの道を照らしている。なお夜は邪な者たちの暗躍の時でもあるが、少なくともそれは王国の一部での話だ。
セリオン王国とそれを囲む大平原との境を成す大門の一つ。ピロー大森林に最も近い位置にある南東の第八門近く。今の時間でも賑やかさを残す建造物が一つ、南部の冒険者組合から依頼のために平原へ向かう冒険者たちを受け入れる、この周辺地域ではよく知られた宿屋の一つだ。
外から見える宿の個室の窓からは光を灯しているもの、すでに静かになっているものがある。冒険者組合からの通達よりピロー大森林に立ち入ることが禁止となった今、多少冒険者の数は減っているがそれでも宿が満杯になるほどには残っている。彼らの多くはまだ駆け出しの銅級冒険者。将来は王都に向かいさらに高位の冒険者として活躍をする可能性を秘めた者たちだ。
そんな中……場違いとも思える者たちが今この場にはいた。限られた才能の持ち主だけが到達することのできる領域。希少な高純度の魔鉱石を指す『ミスリル』の名を与えられた冒険者たち。大森林に起きた異常の原因解明のためやってきた彼ら、『不死鴉』の面々である。
「部屋は別にとっただろう? どうしてお前がここに来る必要があるんだ?」
「暇、ついでに言うとセルベスをからかいに来た」
どこか不機嫌そうな様子でアスベルは答える。その感情はセルベスに対する怒り……というよりは、事の不満足によるものであるようだった。
「馬鹿かお前は、それを事前に言われて俺がおとなしくからかわれるとでも思っているのか?」
セルベスはそう言って嘲るように軽く息を吐いた。そんなセルベスの調子など気にした様子もなく、アスベルはわざとらしく口を開いた。
「あぁ~なんでこの部屋こんなに暑いの……男どもは暑苦しくてやだなぁ~」
「無駄口叩くならさっさと帰れ、お前にはニーナがいるだろ……っ!?」
セルベスは思わずたじろいだ。アスベルはいかにも暑そうな様子で首筋を手で仰ぐと、するするとローブを脱ぎ始めた。何かするのだろうとの予感はしていたセルベスもさすがにこれは想定外だった。
「お、おい! 何やってるんだ、こんな場所で!」
「なにって、ローブを脱ぐだけだけど……こんなの暑くて部屋の中まで着てらんないよ」
アスベルはローブを雑に脱ぎ捨てると慌てた様子で自分を見つめるセルベスを見て待ちわびていたかのように言った。
「え~もしかして期待しちゃった? セルベスは想像力豊かだね~」
アスベルはからかうような視線をセルベスに向けた。構えていたのにも関わらず彼女の言う通り、結局思い通りにされてしまったことをセルベスは悟った。
「う、うるさい! ニーナはどうした! お前と同じ部屋だろう?」
「ニーナはどこかに行っちゃった」
アスベルは退屈そうに言った。すると先ほどから場の行方を沈黙とともに見守っていたナンが口を開いた。
「……何か言っていなかったのか」
「う~ん……どこに行くかも言ってくれなかったし、何か表情もいつもより暗かったかな……」
アスベルは口元に手を当てて思い出すようなそぶりを見せる。ナンは声の調子そのままで続けた。
「……あいつは昼間にも姿が見えないことがあったが……」
「それも不明、その時はすぐに戻ってきたでしょ? 多分今回もしばらくすれば戻ってくるよ」
普段から兜で頭を隠しているナンはその有無にかかわらず表情の読み取れない男であった。しかしわずかな声の調子の変化、そして口ぶりから彼がニーナのことを心配しているのは明らかだった。
対してどこか楽観的な様子のアスベル。それをどこか苛立った様子でセルベスは見つめていた。
「あれ? セルベス、もしかしてニーナのこと心配?」
「それ以上俺をからかうのはやめろ、その手には乗らないぞ」
彼もまたニーナのことを心配していた。しかし、彼の背負う『不死鴉」のリーダーという称号は単なるお飾りではない。セルベスにはニーナの心中を理解できるようだった。
「ニーナのやつもいろいろ考えることがあるんだろう。あいつは二度と自分の故郷に足を踏み入れることができない。フィアー教はほかのどの宗教よりも排他的だ。異教の類も一切受け入れない。責務を放棄して国を出たあいつが裏切り者と見られてもおかしくない」
二人は黙って肯定の意を示す。セルベスの言ったことを理解できていないものはこの場にはいない。ニーナの現在置かれた境遇がまともではないことは、彼女をよく知らない者の目から見ても察することは容易だ。
彼女がそれでもなお信徒の衣装を身にまとい続けているのは偏に彼女の信仰心故であるが、それを聖教国は良しとしない。彼女に信仰心がある限り、彼女を縛る見えない鎖は消えないだろう。
場の空気が一段落するとアスベルはおもむろに腰に括りつけた袋に手を伸ばす。そして二人の視線は彼女の持つものに注がれた。
袋は革でできた丈夫なもので、どうやら球体状の何かが入っているようだった。外から見る限り量はそれほどではない。せいぜい三つか四つといったところだろう。
そしてアスベルは二人に何も言わずに袋に手を入れるとその何かを取り出した。それは何の変哲もない赤い果実。両手でもかろうじて覆い隠すことができない程度の大きさに重量も片手でかろうじて持つことができる程度のもの。町の平民にとっても特に物珍しいものでもないだろう。
「……なんだそれは?」
「ニーナから、私たちで食べてって」
そういってアスベルは袋から取り出した果実を二人に投げ渡す。難なくそれを手に収めたセルベスはすでに果実を頬張るアスベルの持つ袋が空になっていることに気づいた。
「三つしかないじゃないか、ニーナの分はどうした?」
「一人で食べちゃったって」
当然、一人で食べたなどという状況には疑問が残る。四人で食べることを想定していたならばこの場には四つの果実があるはずだ。そして彼女ならばきっと先に食べていて、と言うだろう。何か用事があってこの場にいられないことを想定していたとしても、彼女はそこまで食に熱心な性格ではない。むしろ自分の分を人に分け与えるような人間だ。自分の分を先に食べるほどちゃっかりはしていない。
セルベスは彼女からの贈り物である赤い果実を見つめながら何かを察したように静かに息を吐いた。
「それにしても大した情報もなかったね……実際的なものは何にも、まだ推測の域を出ないね」
ふとアスベルは口に含んだものを飲み込みながら言った。
「森へ行って行方不明になった連中は十中八九死んでいるだろう。だが現状森に入ることは禁じられているため確認はできていないと……森へ一度向かった金級冒険者によれば吸血鬼とか? 信じられないな」
すでに果実を食べ終わったセルベスは部屋の角に置かれた小さな木の椅子に腰を下ろしながら言う。
「……ギルドマスターによれば銅級冒険者に吸血鬼の存在を確認した者がいたとも言っていた」
「今や戯言にしか思えないそれがかなりの可能性を帯びてきている……てわけか」
何やら深刻そうなセルベスの様子に対してアスベルはひどく楽観的であった。
「なんかわくわくしてきたね~」
「緊張感がなさすぎるな。死人が出るレベルだ。金級冒険者も命からがら逃げおおせたといったところだ。もちろん、お前の弟もな」
セルベスは膝の上で頬杖を突きながら吐き捨てるように言った。すると今まで何を言われようとその楽天的な思考を変えることのなかったアスベルが初めて表情に陰りを見せた。
しかしそれも一瞬のことでアスベルは何かを思いついたようにわざとらしく手を叩いた。
「ねえ、ちょっとだけお酒飲みに行こうよ」
「馬鹿か? 早く寝ろ」
「えぇ~! まだ時間あるじゃん、こんな微妙な空気で終わるのやだよ~!」
アスベルはすでに普段の調子に戻っていた。
「お前……一度飲みだしたら最後、泥酔するまで飲むだろう? そんな状態で明日を迎える気か?」
セルベスは呆れた様子で深く息を吐いた。一方のアスベルは興奮した様子でセルベスに詰め寄った。しかし彼女の行動と感情はどうやら一致していない。傍からその様子を見つめるナンは気づいていたが、彼女はいささか大げさだ。
「ちょっとぐらいいいでしょ!? くそ真面目は嫌われるよ!」
「誰がくそ真面目だ! 当たり前のことを言ってるだけだ」
セルベスは今にも自分の体に触れようという距離まで近づいてきていたアスベルに逆に掴みかかった。それを見たアスベルは一瞬予想外のことに驚くそぶりを見せたが、すぐに笑みを浮かべた。
やがて取っ組み合いの喧嘩にまで発展してしまったこの有様をみてナンはやれやれとため息をついた。どうやら彼女の思惑通りしんみりとした空気はどこかに行ってしまったようだ。
「……全く、ニーナがいないとこの有様か……」
町のどこかにいるであろうニーナの姿を思い浮かべてか、小さな部屋に取り付けられた窓からナンは外を眺める。昼間人通りの激しいこの辺りも夜には深々とした空気が立ち込める。
部屋の光を吐き出す窓から顔を出して見た隣の窓に明かりはない。そこは本来アスベルとニーナがいるはずの部屋であるため当然だ。その先にいくつか並ぶ窓には明かりがついているもの、いないもの……この部屋は角部屋であるためもう片側は存在しない。
二人の言い争う声を後ろから受けながら、ナンは夜の闇の向こうを見つめていた。
そして時の巡りの影響を受けないのは町並みの中、一際目立つ存在であるこの建造物。昼夜構わずいかれた冒険者たちの騒ぐこの空間。出世のレールに真っ直ぐ乗っているような若者たちにこんな真夜中に馬鹿騒ぎをする暇などない。
ここに住むのはそんな人々が思い描く凛然とした冒険者像とはかけ離れた存在。自分の立ち位置を理解した者たちが日々の楽しみを享受する……そんな場所だった。
敗者たちに大きな悩みなどはない。日々を生き、日々を楽しむ。単純明快な目的を持つ彼らは傑物にはなれずとも凡人という立場において最大限の幸せを得ていた。
一方、勝者たる彼女は大きな悩みを抱えていた。多くのものを捨て、強大な存在を敵に回した。彼女は凡人であることを止めた者のみが味わう苦悩をその身をもって体現していた。
建物の入り口には二重の扉が備え付けられていた。ニーナは手前にある木製のスライドドアに手をかける。古びた蝶番の軋む音がしたが、それ以上に彼女の耳を覆ったのは壁の向こうから聞こえる賑やかな喧噪だった。
奥の二番目の扉は完全に外の視線を遮り、木製でありながらどこか重々しさを感じる様相がそこにはあった。空気にわずかに含まれるアルコールの匂いにニーナは思わず顔をしかめた。外の扉に比べ内の扉は劣化がそこまで進んでいなかったようで扉はとても滑らかな動きを見せた。
屋内にはちょうど五つのグループができていた。彼らはそれぞれ三人から六人ほどでまとまって一つのテーブルを囲んでいる。彼らの身に着けているのものはいずれも絹や革が素材である、丈夫ではあるが決して戦闘などには向かないものばかり。おそらくは依頼の帰りにここに立ち寄ったなどではなく、単にここに屯するために来たといったところだろう。
「お~い! こっちだ!」
ふと喧噪の中を一人の男の声がすっと通り抜けた。位置的には受付カウンターに近い場所から。そして声の投げかける方向から、ニーナはどうやら自分に向けて放たれた言葉であること感じ取った。当然、この場にニーナの知り合いなどいるはずがない。彼女のパーティーメンバーは今頃宿屋にいるだろう。加えて、彼ら以外に彼女の友人と呼べる者はそう多くない。
ニーナは懐疑的な視線を向けながらも声のした方向に向かって歩き始める。そもそも彼女がここに来た目的のためにも、まずは受付カウンターに向かう必要がある。ついでに自分を呼ぶ誰かの正体を明らかにしてもよいのではないかとニーナは考えていた。
そして視線の先――まるでニーナの行く手をふさぐかのように椅子を通路側に寄せた一人の男がそこにはいた。男はスキンヘッドに顔に大きな傷跡という容貌であったため、初めて男を見た者からすればまず距離を置きたくなるような存在だろう。しかしニーナは職業柄様々な人物を目にしてきていた。そして彼女自身、外見で人を判断しない人間だ。
「あんた一人か、もし時間があるなら俺たちと飲まないか? こっちは俺も含めて三人しかいないもんでどうも話が盛り上がらなくてな……」
そう話す男とテーブルを挟んだ向こう側には、二人の男が何やら心配そうな表情でこちらを見つめていた。一人は小柄、もう一人はやや大柄といった印象だ。目の前の男も含めるならば大中小とバランスがいい。
「申し訳ありませんが……私は聖職者ですので、お酒は飲むことができないのです」
目の前の男は言うまでもなくニーナとは今まで全く関わりのない男であった。しかしニーナの目から男を見た感想を言うのであれば、男は悪い人間ではないだろう。とはいえそれらに関わらず、ニーナは男の誘いを断るほかなかった。
「はぁ……まぁ、なら仕方ないか。まったく聖職者ってのも大変だな、こんなうまいものを飲めないなんてなぁ。なんだ、あんたのところの神様ってのはこいつを禁止してるってわけかい?」
男の口ぶりは少し皮肉じみたものだった。
「正確には酒類の禁止は教会によるものですが……これに関しては多くの聖職者たちの賛同を経て実現されています。つまり自主的によるものです」
ニーナは淡々と事実を述べた。男は返答の中身の方向性こそ想定はしていたが、実際のニーナの答えは男の表情に不満の意を浮かべさせた。男にしてみれば、理由はどうであれ自分の愛する酒を禁じられることに対し少しでも不平不満を垂れてほしかったに違いない。しかし事実、彼女の属する集団は不満を示すどころか喜んで奨励しているという……
「それはお嬢ちゃん、あんたもか?」
「そういうことです。もっとも私は生まれたころより聖職者になる道が決められておりましたので、お酒を飲んだこともありませんし飲みたいとも思ったことはありません」
「なるほどなぁ……そいつは残念だ。これのうまさを共有できない人間がいるとはなぁ……」
その言葉に従うように男はテーブルの上に置かれた木樽ジョッキの持ち手に手をかける。ジョッキの中は半分ほどが満たされていたが、それを見て男は少し寂しそうな表情を浮かべた。
ニーナはそれをまったく別の文化を持つものとして見ていた。自分とは為すこと考えること全く別の存在。しかし彼女はそれを非難し排他するような狭い価値観は持っていなかった。自分と相手の間に絶対的な壁を築きつつもそれを穏やかな目で見つめる程度の温厚さを兼ね備えていた。
「そうですね……私にはお酒の美味しさを知ることはできませんから」
彼女の失敗はその壁の先に一歩でも踏み出すことができなかったことだろう。彼女は自分の信ずるもの、その一点においていささか強情であった。
軽い会釈とともに立ち去るニーナを男は変わらぬ表情で見送った。
「ま、気が変わったらまたここに来てくれや。俺たちは大体ここにいるからよ」
返答はなかった。ニーナは一瞬だけ足を止めるような仕草を見せたが、すぐに歩きを再開した。この時間帯は奥に引っ込んでいる受付の一人である男がひょっこり顔を出すと、ニーナの顔を見て何やら驚いた様子を見せる。そして一言二言会話を交わした後、再び男は奥へと引っ込んでいった。
やがて現れた別のギルド職員にニーナが連れられて行くのを見て、今まで不安げな表情を浮かべていた小柄な男が口を開いた。
「おい、あれが誰だか分かって話しかけたのか?」
「あぁ? そりゃ分かってるに決まってるさ」
小柄な男はとにもかくにも心配性な人間であった。先ほどまでの二人の会話には肝が冷えたことだろう。
「今日やってきたミスリル級冒険者パーティー……その一人だ。俺たちみたいな万年銅級が易々と話しかけられる相手じゃない」
「そんなこと関係ねえよ。とにかく一人でいる女がいたから酒に誘った。それがミスリル級だろうが聖職者だろうが関係あるか?」
対してこのスキンヘッドの男は豪胆かつ大胆、あるいは適当なのかもしれないが……
「そりゃ羨ましいね、その度胸……ぜひ冒険者業にも活かしてもらいたいもんだ」
大柄な男は冗談がましく言う。それを聞いてスキンヘッドの男は小さく笑った。
「それは無理な相談ってもんだ。俺たちゃもう40近い老いぼれだ。俺たちだけじゃない、ここにいる奴らほとんどそんな感じだ。」
男は周囲を見渡しながら二人に話す。現在この冒険者組合で屯している者に本気で冒険者をやっているものなどいるのだろうか。せいぜい町周りに現れた魔物とも呼べない害獣の類を駆除する、あるいは剣を抜くことすらないような雑用。あったとしても城壁の少し外の平原の魔物を狩る程度だろう。それでも稼ぎは平民基準では冒険者は良いほうだ。
「ま、家族養っていけるくらいには稼いで、娘が自立したら嫁と一緒に店でも始めるかな」
「いつか有名な冒険者になるなんて息巻いていたお前は果たしてどこに行ったのやら……」
「おいおい、所詮はガキの戯言さ。俺は理解したのさ、自分の立ち位置ってのをな……」
男の言葉はまるで過去の自分を卑下していたが、今の自分を否定するようなことはなかった。
「そう考えると、俺たちなんかよりもずっと強いのかもしれないが若い冒険者が、何があるのかも分からない今や立ち入り禁止の大森林に調査に向かわされるとは……嫌な時代になったものだな」
「死ぬのは老いぼれだけでいいってか? そりゃ古い考えだ」
「それもそうだ……おかげで俺たちの立場がますますなくなるな」
そうして彼らの酒は会話とともに進む。アルコールの香り漂う中、男たちの笑い声が鳴り響いた。




