王の懊悩・少女の思案
見上げるほどの高い天井にぶら下がるのは、巨大なシャンデリア。その灯の一つ一つはガラスを用いて作られており、立ち並ぶ窓から取り込まれる日の光を反射し、シャンデリアはより美しく輝く。
とても、ただの廊下とは思えないこの空間も、大国――セリオン王国の中心。そこに佇む王城のものであると考えれば、おかしなことではない。
少女の通り道には、他に誰も通る者はいない。この巨大な空間には似つかわしくない静けさ……それがそこにはあった。しかし、窓の外から少し外を見れば……そこには王城を警備する兵士たちが今もなお、多忙な様子でいるのが分かる。そしてここから少し出れば、王城貴族をはじめとした、王国の上位権力者たちが、その仕事の量に頭を悩ませていることだろう。
王城の広い敷地内のほぼ中心に位置する国王の住まう一室。城の堅い壁に加えて、周囲のいくつもの塔からは、常に兵士たちが目を光らせている。王国で最も安全な場所とも呼ばれ、また同時に最も狙われる場所だ。
王の一室に通じるこの廊下は、誰もが立ち入れる場所ではない。外部からの攻撃に備えた、華美な装飾は一切省かれた強固な城壁による外観。にもかかわらず、無駄とも思えるほどの巨大な空間を占めるこの廊下は――
王――その存在の大きさを、王国に住むものすべてに示している……
小さな歩幅で進む少女の体が止まった。どこか、圧力を感じるような堂々とした姿で佇む巨大な扉。王の間へと通じるその扉に、少女は静かに息を吸うと……ゆっくりと扉に手を伸ばした。
「騎士団長……グルコス……」
「あれほど頼りになる戦力は他にはないでしょう。特に他国への影響は大きいかと……」
二人の表情を曇らせているのは、先日起きた王国の事件が原因だった。
「あの者の存在は他国への牽制にもなっていた。何より騎士団長として、王国という一つの場所に留まってくれる実力者というのは、そうはいない」
一国の王の所有物としては、少しばかり質素すぎると感じてしまうような椅子――そこに腰掛けるのは、セリオン王国の現国王であるミルド三世。そして、その傍らには宰相として王の補佐を行っているアレクス・デナート。アレクスから手渡された、大量の書類の束のうち一枚。ミルド三世はそれに目を通し、そして一層表情を暗くした。
「王都の神聖騎士団の力を借りるという手も考えましたが……」
「彼らの影響力はもはや一国の問題ではない……私一人の言では、やはり厳しいか」
神聖騎士団とは、ちょうど王国の聖騎士団の親のような存在である。聖騎士団は神聖騎士団の支部に過ぎず、当然その質も神聖騎士団の方が高い。その影響力はもはや王都の範囲に留まらず、あらゆる国々に亘る。王の地位を以てしても、容易に動かすことができないほどに――
「無駄だとは思うが……騎士団長にも匹敵する戦力…………ダイヤモンド級冒険者の居場所で、把握できている者は何人いる?」
「私が知る限り……二人かと。ですが、一人はどうやら依頼により現在はこちらから接触することは不可能かと。もう一人は…………」
アレクスがそれを口にするより前に……ミルド三世は小さく手を上げ、それを遮った。
「よい……言わなくても分かる。奴のことか……」
「はい……現在は王都の地下で収容されている様子…………」
二人ともそれ以上、そのことに言及するつもりはないようだった。ミルド三世はテーブルに広げられた書類のいくつかを手に取ると、軽く目を通すような素振りを見せながら言った。
「騎士団を一刻も早く立て直し、しばらくは王国の守りを固める。騎士団長に関しては……聖教国の聖女の力を借りることができることを祈るしかあるまい」
「賢者様の存在があるとはいえ、今回のことで王国に明確な隙が生まれたのは確かでしょう。そのうえ、王都で他国の協力を仰ぐとなれば…………」
王都で他国の協力を仰ぐ――それは強力な味方をつけることができる可能性と同時に、自国の弱点をさらけ出してしまうことにもなる。表面上は協力を宣言したとしても、その後、虚をつかれるなどということは往々にしてあり得る。
「それで、相手の情報に何か進展はあったか?」
「いえ、おそらくは副騎士団長の情報が全てであると……最も相手と接触していた、騎士団長はあの状態です。これ以上の情報は見込めないかと……」
「結局大した情報は得られず……か。話からするに、相手は人間ではないという可能性はかなり高いだろうが……目的もその背景も分からないとなると……」
聖騎士団に直接、使者を送り情報を得る。その結果は到底満足いくものではなかった。分かっている事実は曖昧なもの、その他は推測に過ぎない。他国に協力を仰ぐにしても……このあまりの情報の少なさは、とても彼らの心を動かすには値しないだろう。ミルド三世は思わず頭を抱え、場にはひと時の静寂が訪れる。
「陛下……失礼いたします」
その静寂を破ったのは、少女の声だった。それはミルド三世にもアレクスにもよく聞き覚えのあるものであり、ミルド三世は少しの間も開けずに――扉の外の少女に、部屋に入る許可を出した。
「イリーナか……此度の件はご苦労だった。おかげで重要な情報を得ることができた」
「いえ、感謝をするのは私の方です。本来であれば使いを送るところを、私が行くことをお許しくださったのですから……」
イリーナはミルド三世に向き合うと、これ以上ないほどに深く頭を下げた。それを見たミルド三世は、若干複雑な表情を浮かべた。
「……時にイリーナ……私は王である前にお前の父親だ。ここは他の誰の目があるわけでもない…………たまには娘として私に甘えてもよいのだが……」
しかし、イリーナは表情一つ変えず……毅然とした態度で答えた。
「冗談はお控えください、陛下。私は娘としても、陛下を王として敬っております。これは決して変わりません」
「い……いや、そういうことではなく……私はお前にもっと普通の親子らしくだな……」
若干焦った様子でミルド三世は言った。イリーナはその表情こそ変えはしなかったが、少し考える素振りを見せてから、静かな声で言った。
「……であれば、娘として……一つ、私の意見を聞いてくださいますか……?」
「……意見?」
「はい。件の襲撃事件……その犯人についてなのですが…………報告には載せなかった事がいくつかあるのです」
イリーナの言葉を聞いたミルド三世は、若干その表情を硬くした。
「つまり……この情報は全て、ではないと……?」
それは先ほどまでの父親の顔ではなく……紛れもない、アレクスとの議論を繰り広げていた、王の顔であった。
「はい……あまりに不明確な情報ですので……ただ、重要でもあると感じたので、私の口から直接申し伝えられればと……」
その姿から発せられる王の気迫に、イリーナは少しも物怖じすることもなく……いや、むしろ先ほどよりも堂々とした様子であった。
「私がクライネル様から伺ったのは、相手の特徴についてです……」
そしてイリーナは真剣なまなざしを浮かべ、ゆっくりと話し始めた。
『赤い瞳?』
『はい……隠匿魔法で姿ははっきりとは見えませんでしたが、確かに片目だけが赤く光っていました』
オルクスの言葉に、場の全員の視線が一つに集中する。
『赤い瞳……それも片方だけなんて、そんなこと聞いたことありません……』
レイアの表情はどこかはっきりとしないといった様子であった。それはレオンも、話を出したオルクスでさえも同じで、この場の多くはその特徴に関する知識は持っていないようだった。一人を除いて――
『魔眼……』
それを口にしたイリーナの視線はオルクスの方は見つめておらず、どこか遠くに向いていた。しかし、それは真っすぐなものであった。
『可能性で考えるならば……ですが、私も魔眼については少し聞いただけなのではっきりとは断言できません……』
「なるほど、魔眼……か、聞いたことはある」
「生まれつき片目に魔力異常を持つ者が発現すると聞いたことがあります。ですが、魔眼を持つ者は決して多くはないとも……」
ミルド三世はアレクスの話を聞き、軽くうなずいた。
「……確かにこれは不明確な情報だ。話に聞いた、相手の魔力の卓越さも魔眼が原因であるというのならば納得がいかないこともないが……そもそも人間ではないという可能性を考えるのであれば、それは関係ないだろう……」
「ですが……相手の特徴としては十分です……」
「それには私もイリーナ様に同感です。片目だけが赤い者など限られてきます。ですが……」
場の話し合いが、いよいよ纏まろうとしたとき、何かアレクスは憂慮がある様子で閉じた唇をわずかに動かした。
「一つ気になったことがあるとするのならば……魔眼というのは、常にその特徴が見た目として表れているものなのでしょうか? 例えば、魔眼というのは何か特別な状況において現れるもので、普段は普通の瞳の色……もう片方と同じだとすれば…………あくまでそれが魔眼だとしたら、の話ですが」
「……魔眼について知っていそうな者ならば、適任の男がいるであろう。この王国で最も魔に通じている者など……一人しかいない」
アレクスの不安に蓋をするように、ミルド三世は自信に満ち溢れた表情で答えた。それに対し、アレクスもイリーナも心当たりがあるのか、無言でうなずいた。
話し合いの終わり、そして扉に手を掛け部屋から出る際の二度に渡って、恭しく一礼をして出て行った自分の娘を見つめながら、ミルド三世は椅子にぐったりともたれ掛かると、重い息を吐いた。
「全く……私の育て方が間違っていたのか…………」
「陛下……それはイリーナ様を否定することになりかねません」
アレクスの一言を聞いたミルド三世は、眉をしかめてアレクスを睨んだ。しかし、そこにはアレクスに対する怒りはなかった。先ほどの発言を含めた、今までの自分に対する怒りや後悔――そして王である自分にさえ理解の及ばない一人の少女の存在に対して懊悩する様子が窺えた。
「……私の考えとしましては、イリーナ様に足りないのは愛かと……」
「愛?」
「はい、それも両親の愛……イリーナ様には母親となる王妃様の存在がありません。陛下の父親としての姿もあまりご覧になる機会なく……恐らくあったのは王としての陛下の姿でしょう」
アレクスの言葉に、ミルド三世はうんざりするほど心当たりがあった。自身のたった一人の妻であり、イリーナの母親である王妃。彼女は娘を産んですぐに死んでしまった。当然、イリーナの記憶に彼女の存在はないだろう。そして自分といえば、イリーナに対して見せてきたのは王の姿ばかり。
実際、イリーナには王族としての立ち振る舞いや心持はもちろん――それだけではなく、王として、国を治めていくための教育をしてきた。そこに、彼女の幼さなどの考慮はなかった。
「とはいえ、イリーナ様が道を踏み外すことなく、あそこまで立派なお姿をお見せになられるのも、また王としての陛下の姿なのでしょう。イリーナ様には陛下に対して尊敬の念はあれども、父親として甘える気にはなれないのです。それに――」
アレクスの言葉は半ばで途切れた。そこには次の言葉を言うか言わないか……そんな気の迷いが窺えた。
「……そもそも、イリーナ様は理解しておられないのではないでしょうか? 親子とは何かを……」
その顔には、言わずとも小さな少女への哀れみの感情が含まれていた。それを見ることはミルド三世にとって、自分が娘に与えることができなかったものを明白にしているようだった。
「陛下は子供のこととなると何もわかってなさらない。陛下こそ、一人の王である前に、父親としての自分の姿を今一度……考えるべきではございませんか?」
『そういえば、今回の襲撃とは別に冒険者の間で話題になっているものがあるようですね……吸血鬼が出たとか?』
『大森林の件ですか…………私も詳しくは聞いていないのでよく分かりませんが、どうやらその件で森の調査を行うことになったようですね……」
『はい……一度金級冒険者のパーティーが調査を行ったようですが、改めてミスリル級冒険者による再調査が行われるようです』
オルクスの目配せに、レイアは自身に求められた問いに答えた。イリーナは指を自身の顎に軽く触れさせると、少し考える素振りを見せた。
『……その件、王国の襲撃と何か関係はないのでしょうか?』
『……と、いいますと?』
『吸血鬼は魔力にも身体能力にも優れていると聞きます。それに、吸血鬼は不老不死。見た目が幼かったことにも説明がつきます…………』
イリーナの眉根を寄せた表情はまさに真剣そのもので、この話が決して冗談などではないということを示していた。しかし、オルクスの表情は微妙なものだった。
『確かに王女殿下のおっしゃることにも一理あります……しかし、その可能性は限りなく低いでしょう。第一、王国は吸血鬼の生息域とはかなり離れています。正直、吸血鬼が大森林に現れたという話も信じられません』
オルクスは視線を若干落とし、考える素振りを見せる。
『それに、吸血鬼がこんなことをする動機が分かりません。彼らは組織による行動も遠回しなやり方も好まない性質…………今回の件は明らかに王国を崩そうとする意図を感じました。しかし、彼らの行動原理はそう複雑なものではありません。人間の血を得られればよいのですから……』
イリーナの意見に対するオルクスの反論は、吸血鬼の性質を理解した上で、的確なものだった。もしも人間の血を得ることだけが目的なのであれば、彼らはわざわざ危険の生じる王国を狙おうとはしない。もっと小さな村や集落、あるいは小国を狙えばよい。セリオン王国の足元にも及ばない――かろうじて国としての形を保っている小国などいくらでもあるのだ。
オルクスの反論を受けたイリーナは、若干表情を暗いものにした。オルクスの的確な反論には納得をせざるを得ないようで、それはレイアとレオンの二人も同じようで、レイアはイリーナの様子を窺いながらオルクスに同意するように小さく頷いた。
「(やはり、この話は陛下には話さなくて良かった)」
今回の王国の襲撃が、ピロー大森林での異変と関係している。それがなおかつ吸血鬼によるもの。そんな自分の考えは浅はかなものであった――わざわざ王に対して進言する必要がないほどには…………
「吸血鬼は不老不死…………」
イリーナが思わずそう口にしたのは、不老不死――その言葉に対する疑問に対してであった。生物である以上、死なないということは決してない。しかし、吸血鬼の異常な生命力と寿命の長さ。それは、人々の間で吸血鬼は不老不死であるという共通認識を持たせるに十分だった。
「(かの吸血鬼王は……千年以上前から今も生きているという話ですし…………吸血鬼の習性に関しても知識足らずのものばかり……)」
イリーナは悔しげに唇をかみしめた。思えば、自身が吸血鬼に関して意見をするには知識が足らな過ぎた。もしもあそこで、自分がもっと吸血鬼に関する知識を持っていたとすれば、あのような無駄な意見をすることもなかったのではないか……そんな考えがイリーナの心中では渦巻いていた。
「(また、陛下に大図書館に行くことの許可を頂けたらよいのですが……)」
イリーナは、巨大な廊下に立ち並ぶ窓から外の景色を見つめる。そこにはいつも通りの王城内、そして視線の先を埋め尽くす建物の立ち並ぶ王国の風景が広がっていた。
「何か……気になる。こんなに短い期間に二つも大きな事件が……本当に偶然?」




