冒険者の朝
「【雫の球】....」
そう呟いた少女が手をかざしているのは、水が半分ほど入れられた小さなコップに入れられた一本の植物。その形は、茎を中心としていくつかの葉をつけている....一見どこにでもありそうなもの...。しかし、その植物はほのかな青白い光を放っていた。
ふと...少女のかざした手のひらに、何やら小さな球体が現れた。それは、水滴....。よく見なければ分からないほどの小さなものではあるが、それは確かに水として....世界に存在していた。
現れたその水滴はみるみるうちに数を増やし....最終的には数十もの浮遊する水滴を生み出し、そして何事もなかったかのように消えた。
少女はしばらくの間、その水滴が現れ...そして消える...という光景を呆然とした様子で見つめていた。そして、はっと我に返ったように....
「で....出来た....やった!!私はやったんだぁぁ!!」
まるで小さな子供が喜ぶように、少女は手を頭上高く上げ、満面の笑みを浮かべて叫んだ。そして、その勢いのまま....彼女が座っていた木の椅子が勢いよく後ろへ倒れた。
「朝からうるさいぞ、レナ....。一体何をしてるんだ....」
バタバタと二階で騒いでいれば、下の階にも当然音は伝わる。ディーンはまだ半分しか開いていない目をこすりながら、眠そうな様子で二階へと上がってきた。
「あ....ディーンごめん。もしかして....起こしちゃった...?」
「もしかしてじゃないだろう?今何時だと思ってるんだ....って、まさかお前一晩中起きてたのか?」
信じられない.....という表情を浮かべるディーン。それに対して、レナはえへへ、と笑いを浮かべながら答える。
「うん、実はそうなんだ....どうしても今日中に完成させたくて....。」
そう話すレナは、誤魔化すように小さく笑っていたが....その瞼の下にははっきりと隈が浮かび上がっていた。
「お前....今日が何の日か分かってるのか?」
「うん....分かってた...けど...。」
呆れたように話すディーンに対して、目的が達成されたことでここまで続いてきた集中が切れたこともあって、コクコクと首を上下に動かしながらレナは答えた。
「お....なんだお前ら!!このトム様よりも先に起きてきてるなんて珍しいじゃないか!?」
まるで起きたばかりとは思えないようなテンションで現れたのは、三人のパーティーリーダーであるトムである。陽気なステップを踏み、ギシギシと木造と階段が音を立てた。
「どうした、レナ?なんか体調悪そうだな....?」
先ほどまで浮かべていたへらへらとした笑いを若干曇らせ、トムは心配そうな様子で話す。
「ううん、大丈夫....。ほら、この前魔草を取りに行ったときに言ったでしょ?新しい魔法の話。王国を離れる前に何とか完成させたくって....。」
そう話すレナの声はとても弱弱しい。それも当然だ。何しろ、ただの寝不足だけならばよいものの、レナが行っていたのは魔法行使。
新たな魔法の開発のために、夜通し魔力を消耗し続けていたレナには、もはや立つ気力すらなく、倒れた椅子とともに床に横たわったまま動けないでいる。
「まぁ、とりあえずお前はしばらく休んでろ。幸い出かけるまでにはもう少し時間がある。」
「うぅ....まことに申し訳ない...です....」
床に横になっているレナに対して、ディーンは呆れ返ったように頭を抱えながら言った。レナは心底申し訳なさそうに...しかし、動けない体の事もあって、仕方なく言葉に甘える....というようだった。
******
セリオン王国は大きく四つの区画に分けられている。最も広く、ほとんどの国民がそこで生活をしているという一般居住区。多くの人々が往来するセリオン王国だが、その国民の数は王都に次ぐ。
他国からやって来た者、王国内に商店を構えている者、関わらず多くの商人たちが所狭しと店を並べる商店街。王国内でも一番と言えるほどの賑わいを見せるその大通りでは、左右にはずらりと立ち並んだ店の数々....それだけでは収まらず、道の真ん中にまでも露店が広がっており、毎日のようにやってくる商人たちがしのぎを削っている。
そして、国民の10%ほどが生活をしていると言われる王国の裏。世界一の貿易国とも呼ばれ、常に賑わいを見せるセリオン王国.....しかし、それはあくまで表の姿である。現国王ミルド三世によって、かなり変化があったとはいえ、いまだに封建的な考えが残る。そんな選民思想を持った貴族たちの被害者とも呼べる者たちがそこには住んでいた。
貧民街....
豊かな王国に住んでいるのにもかかわらず、平民の枠に収まりきることが出来なかった者たちの成れの果て....そこには、壁のあちこちに穴が開いているようなボロボロの家々が立ち並んでおり、道端で生活をしている者など当然のように存在している。ゴミが散乱し、そこに秩序などは存在しない。そして、そこに住む者たちは皆、毎日を困窮に喘ぎながら生活をしている。
そして、貴族街....。その名の通り、王国の貴族たちは皆そこに住んでおり、中心....王城に近づくほどに、爵位の高い貴族が住んでいる。貴族の住居である巨大な屋敷は、同じ王国に住んでいるはずの平民たちにとっては、まるで夢のようなもの。
そんな貴族たちにとっては、自分たちの居住区には、平民は立ち入ることすらも許せないようで、ひとたび平民が立ち入るなどすれば、瞬く間に大騒ぎ....王国兵士がやってくるほどの事態になってしまう。
少し道を逸れれば広がる別世界。様々な顔を持つセリオン王国において、一般的な家々が立ち並ぶ....その一角にどこかみすぼらしさを感じられるような木造の家が佇んでいた。二人の男がギシギシと音を立てながら、階段を下りてきた。
「この家ともしばらくの間、お別れだな....。」
ディーンがどこか寂しそうな表情を浮かべながら言った。
「あぁ、少しぼろいが....三人で住む分には十分すぎる広さだ。用意してくれたレナには感謝だな!」
そう話すトムの表情は、普段見せるような軽い印象はなく....そこには今までパーティメンバーである二人を導いてきた、パーティーのリーダーとしての顔があった。
「レナの話によれば....今まで自分の面倒を見てくれた人がお金を出してくれた...だったか。たしかに古いがこれだけの大きさの家ならかなりの額になるはずだ。」
彼らが三人が出会い、パーティーを組むことになったのは、ちょうど今から一年ほど前。その時は、三人とも冒険者になったばかりでまだまだ未熟。トムに関しては、同じく冒険者であるジオンから冒険者になる以前から付き合いがあり、冒険者について学ぶこともあったため、一概には言えないが....少なくとも、レナとディーンに関してはそうだろう。
「全く...一体誰なんだ、その面倒を見てくれた人ってのは....。レナに聞いてもおしえてくれないしなぁ...」
「あいつにもいろいろと事情があるんだろう....。それを言ってしまえば、俺も似たようなものだからな....。」
ディーンは苦笑いを浮かべながら呟いた。そんなディーンの口ぶりに、トムはディーンの顔を訝しげに覗き込んだ。
「そう言えば....ディーン、お前の話も詳しく聞いてなかったな....。言いたくない理由でもあるのか?」
トムは真面目な表情でディーンに問いかけた。そんなトムの問いかけに、ディーンはわずかに下を向けていた顔をトムの方へ向ける。
「いいや、大したことじゃない....言うタイミングがなかっただけだ。というよりも、お前が自分の事を話しすぎなんだ。」
「おう!俺とジオンさんの話ならいくらでも聞かせてやるぜ!!」
「よせよせ....それはもう何十回も聞いた....。」
場の空気を読んでいないとも思われるトムの返しにディーンは苦笑いを浮かべて答えた。
そしてしばらくの時間が流れる。互いに顔を逸らし沈黙が続いていた中、ディーンがふと口を開いた。
「俺の生まれ故郷は....聖教国アルピスってところだ。聞いたことはあるだろう?」
聖教国アルピス.....言わずと知れた宗教国であり、アルピスの国教でもあり、世界中で最も多く信仰されている宗教....フィアー教の発祥の地でもある。
世界中に多く存在する神々の中で唯一、全知全能と称され、生きとし生けるすべての生き物は、絶対神フィアーの祝福を受けているとまで言われている。
「....なるほどな、随分とまた意外なとこが出てきたな....。アルピス出身...と言うと、やはりディーン。お前もフィアー教の.....」
「違う!!俺は断じて違う....」
トムが言い終わるよりも先にディーンは否定した。その表情からは、この場に流れるただならぬ空気を感じられた。
「俺は....絶対神の事は信じていない....」
互いに言葉を続けることが出来ず、気まずい空気が流れる中....。ディーンがとうとう口を開き、呟いた。その言葉を聞いたトムは、わずかに首を傾げた。
「へぇ....アルピスの人間は、そこに住む者全てがフィアー教の敬虔なる信徒だと聞いていたが....。まあ、実際俺もそんなことはないだろうと思っていたけどな。一人や二人...お前みたいなやつがいてもおかしくはない。」
いつになく真剣な表情をしたトムは、落ち着いた様子でディーンを見つめていた。大してディーンは、まだどこか、わだかまりがあるような顔をしていた。
「....俺の育った場所は、アルピスの中でも地位の低い弱者たちが住んでいる場所だった....。まぁ、この王国で言うなら....貧民街みたいな場所だろうな....」
どこか遠くを見つめるように、ディーンは所々傷が入った木造りの壁に取り付けられた小さな窓を見つめる。外には、まだ日が昇り始めたばかりのためか、若干薄暗い雰囲気の残る空....そして、まだ朝早いというのに、相変わらず賑わいを見せる王国の人々の声が聞こえた。
「でも決して悪い場所ではなかった....この王国とは違ってな....」
ディーンは窓の方を見つめたまま、近くにあった椅子に腰を掛け...続ける。
「宗教の力ってのは凄いもんだ....毎日を生きるための食べ物すら碌に無いってのに、どうしてか...そこでの神を信じる人間の顔ってのは、みんな穏やかなんだ....。必ず神様が助けてくれるってな....」
力のない者は....自分を助けてくれるかもしれない、神という強大な存在に救いを求める。そこでは、治安は不思議と保たれる。生きるために他人を貶める....そんな感情すらなくしてしまうほどに、その国では異常な信仰が存在していた。
「....思えば、あの国で誰よりも信仰の厚い信者...ていうのは、巨大な教会で、高価な衣服を身に着けて祈りを捧げてるような奴らじゃない。毎日を慎ましく生きて....ほんの小さな祈りを捧げているだけの人間たちの方がよっぽど信心深かったよ.....」
ディーンは言葉を誰に向けて言うでもなく....ただ、空に向けて呟いているだけであった。しかし、トムはしっかりとその言葉の一語一語を聞いていた。
「でもな....!!神ってのはつくづく理不尽なもんだ....。結局誰一人として救われる人間はいないんだからな!!」
吐き捨てるように言ったディーンと、そんな彼をずっと見つめていたトムの顔がようやく向かい合った。そして、ディーンは絞り出すような声で続ける。
「.....俺の知り合いは全員笑いながら死んでいったよ....明日こそは神様が助けてくれるってな。結局誰も助けてくれなかったけどな。」
「.....」
「その頃からだったな....俺が神を信じなくなったのは....。もしそんなものがいるって言うなら、こうして苦しむ人間なんて出てこないはずだからな....。もしいたとしても....それを助けないっていうなら....それは人間たちを助けてくれる神ってわけじゃないだろ....?」
ディーンのその言葉には、どこか同意を求めているようなそんな感情が感じられた。そんな感情を真正面から向けられたトムには、一切顔の変化はなく....しかし、そこには自身のパーティーの仲間であり、そして一人の友人であるディーンに対して、真剣に向き合っているということがひしひしと感じられた。
「....悪いな。こんな話をお前にしちまって....。」
ディーンは我に返ったように、申し訳なさそうな顔で言った。トムはしばらくの間の後....口を開いた。
「俺は...たとえお前にどんな過去があろうと、お前を一人の友人として思うのは変わらない。」
「トム....」
「ありがとうな、そんな大事な話を俺なんかにしてくれて。」
トムはそう言うと、まるで今まで時が止まったように静まり返っていたこの空間を再び動かすかのように....部屋の隅に置かれていた防具と剣を手に取った。どちらもかなり使い古されているのが分かり、鉄でできた防具には、ところどころ錆が出てきている。
「三人でパーティを組んでもう一年か....。そろそろこれも新調しないとな。何せ、冒険者になって以来一度も変えてないからな。」
トムは感慨深げに所々刃こぼれをしたそのボロボロの剣を見つめていた。
「今までも依頼で王国外へ行くことはあったが....今回はなかなか遠出じゃないか?まとまったお金も手に入ることだし、今まで貯めてきた分も含めて、一度装備を買いなおすのもいいかもな....。」
「俺はこの冒険者になって初めて使った装備として思い入れはあるけどな....そうも言ってられないか....」
二人はお互いに顔を合わせると、表情を緩ませた。
「なあに、このトム様に任せておけ!いい伝手があるんだ。」
「伝手...?そういえば、お前の防具は俺のものよりも数段、質が良いように思えたな....。俺も前衛だが、お前は俺よりもずっと攻撃に積極的だったじゃないか?」
ディーンのその言葉通り....同じく部屋の壁に立てかけるように置かれていた彼の防具はトムの物よりもさらに傷も錆も多い。ディーンの両手剣に関しては、柄の部分が半分欠けてしまっていた。
「王国を出る前に先に会っておくつもりだ。そうだ....お前もレナと一緒に来ないか?」




