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赤眼の吸血鬼  作者: カエルオオカミ
人間の国
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変貌

「アオォォーーーン!!」


 耳をふさぎたくなるような咆哮が辺りを支配する。

 カルムの前に現れたその巨大な魔物は、カルムの姿を見るやいなや、空を仰いで咆哮を放った。草木がまるでその魔物の咆哮に震えているかのように震え、さわさわと葉がぶつかり合う音がした。当然、カルムも例外ではなく....咆哮に恐怖で足がすくんだのか、全くその場から動けないでいた。


「(に....逃げないと。このっ....どうして!!!)」


 今すぐにでも逃げ出したいという気持ちとは裏腹に、足は一歩も動こうとしない。カルムは焦りと恐怖で、軽いパニック状態に陥っていた。その間も、黒い狼の姿をしたその魔物は、長い長い咆哮を続けている。

 ひょっとすると、森全体に響き渡るのではないか....とも思えるほどのその声は、まるで森の()()に対して放たれているものではないか、とも思わせた。



 そして、長い咆哮が止んだかと思うと、巨大な体に宿る二つの瞳がカルムを見下ろしていた。そこには、弱者を見下す嘲り...というものは一切なく、静かな怒りが感じられた。そして、自身へ向けられた明確な殺意というものを、なんとなくカルムは理解できた。


 しかし、黒い狼は一切カルムに襲い掛かるような動きを見せなかった。ただ...静かに見つめているだけだ。この時には、カルムは既に覚悟を決めたのか...冷静さを取り戻していた。

 自分の命など簡単に摘んでしまうことが出来そうな巨大な魔物を前に、恐怖を感じていなかったわけではない。


 カルムの足の震えは既に止まり、辛うじて動くことが出来るくらいにはなっていた。しかしカルムは動こうとはしなかった。逃げようと思えば逃げることは出来ただろう。しかし、彼女がそうすることはなかった。


 もしもここで動いたならば....認識する間もなく、カルムは殺されていただろうから。黒い狼の視線はカルムを見つめ、一切逸れることはなかった。まるで捉えた獲物は決して逃さない....とでも言うように。


「なんで....襲ってこないの...?」


 カルムはたった今、自分がこの狼に生かされているだけなのだということを重々理解していた。しかし、なぜ……こちらへ明確な殺意があるのにも関わらず、一向に襲ってくる気配はない。

 まるで何かを待っているかのように....



 その疑問の答えはすぐに現れた。



 ウオォォーン!!


 ウオオォォーーン!!


 ウオォーン!!



 あちこちから、先ほどのこの黒い狼の咆哮に応えるように、遠吠えが聞こえ始めた。声を聞く限り、数匹...というものではない。数十にも及ぶだろう。

 そして....完全に周囲を囲まれていた....


 薄暗い森の奥からギラリと視線が向けられる。カルムと黒い狼を中心として、周囲を数十にも及ぶ視線が取り巻いた。そして、どの視線にも共通するのは....明確な殺気が込められていたことだ。


「ひっ....!!」


 カルムは思わず小さな声を漏らした。次第に薄暗い森からその視線の正体が姿を現す。それは、数十にも及ぶ魔物の群れ....。先ほど三匹を相手にするのに苦戦をしていたあの狼の魔物が....とても数えきれないほどの群れをなして現れたのだ。


 死に物狂いで走れば、この黒い狼から逃げるくらいならば可能だったかもしれない。しかし、今となってはそうもいかない。すでにカルムは完全に周囲を囲まれていた。逃げるにしても、必ず狼の魔物と正面から当たらなければならない。そして、カルムの目の前に立つ、この巨大な黒い狼が黙ってそれを見ているとも思えない。


「(この魔物と....戦う...?そんなこと....できるわけが....)」


 この黒い狼がこの中で一番強い....というのは、まだ魔力の流れをはっきりと感じ取ることが出来ないカルムであっても理解できた。そうなれば、一番危険な相手に背を向けるのは良い判断とは言えない。しかし、どうあっても勝てるわけの無い相手に勝負を挑むのもまた....


 カルムは生死を懸けた決断を迫られていた。危険から目を背け、生き残れることを願って逃げるか....あるいは、無謀にもその危険に立ち向かうか....。どちらにしても限りなく生き残る可能性は低い....

 それは、幼い少女にはあまりに重い決断であった。すぐに決断できるものではない....。しかし、幸か不幸か....その決断は次の瞬間に決まることとなった。


「....!?!?」


 カルムの頭は一瞬理解が追い付かなかった。突然視界が黒一色に覆いつくされたのだから。


 カルムの視界を覆いつくしたのは、びっしりと黒い毛で覆いつくされた巨大な足。先端には恐ろしく鋭い爪が生えており、その大きさも異常というほかない。カルムの小さな体など、たったの一振りでズタズタに切り裂いてしまうだろう。


 まさにこの黒い狼の魔物は化け物と言わざるを得ない。恐らくは、たったの一匹....人間の国にでも入り込めば、相当の被害が出るに違いない。そんな化け物に目をつけられたカルムは、まさに不幸と言うほかない。



 そんな化け物の巨大な足から繰り出された一撃。それは、いとも簡単に草の生い茂った地面を抉った。表面を覆っていた草は一瞬で抉り飛ばされ、黒い土が露わになる。そしてそこにカルムは....いなかった。

 かなりの速度で繰り出されたその一撃は、カルムではとても捉えられるものではなかった。しかし、そこは獣人としての本能か....頭よりも先に危険を察知したカルムの体が、その一瞬のうちに横へ飛びのいたのだ。それは、以前のカルムでは考えられないほどの素早い動きであった。


「なっ....なに!?」


 カルムが自身の身に起きたことに気が付いたのは、彼女が宙を飛んでしばらくたってのことであった。宙を飛びながらも、カルムの目が捉えたのは、すぐ先ほどまで自分がいたはずの場所....。巨大な黒い足が突き刺さり、鋭い爪が地面に突き立てられている。

 もしも、少し体が動くのが遅れていれば.....カルムは背筋が凍る感覚を覚えた。


 カルムは宙で素早く姿勢を整えると、今度は地面を転がることもなく、うまく地面に着地することに成功した。カルムの視界には、獲物を仕留めることが出来なかったことに苛立った様子で低い唸り声を上げる黒い狼の姿が映った。

 すると、今までずっと黙り込んでいた小さな蜘蛛がカルムの耳元で囁いた。


「やるしかないみたいだな?」


 その声にはまるで緊張感がなく、これは他人事...とでも言っているようだった。


「言ってるだろ? お前が死んでくれれば俺の仕事が減るし、こちらとしてもお前がいなくなったところで....ってところだしな。」


「....。」


 キシキシと音を立てながら話すそんな小さな蜘蛛の言い草に、カルムは思わず耳を塞ぎたくなった。今すぐにでもこの小さな蜘蛛を潰して黙らせたいとも....。しかし、そんなことをしている余裕がないことは誰の目にも明らかだ。


「...っ!?」


 突然背中に感じた痛みにカルムは思わず飛びのいた。この中で最も危険な存在である黒い狼....それに対してカルムは特に警戒しており、常に視界の中にその姿を入れ、少しの動きも見逃さないようにしていた。

 確かにそれは正しいだろうが....その代わりに、彼女はそれ以外の周囲への警戒を怠っていた。完全にこの場を包囲する狼の魔物の群れが一切手を出してこない....などということはあり得ないのだから。


「グルルルルル....」


 低い唸り声を上げ、狼は低い姿勢をとってカルムの動きを注視している。それは完全な戦闘態勢。こちらがそうであるように、相手もカルムの事を警戒しているのだ。

 

 互いが互いを警戒し、動きを見せない。そんな状況がこの場には生まれていた。しかし、そんな均衡も長くは続かない。

 それは、まずこれは一対一の戦いではないということ。周囲にはカルムと相対するこの狼以外にも、同じようにカルムを狙い、息をひそめている者たちが多く存在しているということ。


 そしてもう一つ.....


 それは、決して目を離してはいけない存在....不意を突かれ、背後から攻撃されたこともあって、つい攻撃を仕掛けて来た相手に対して警戒を強めすぎたことが大きいだろう。


 カルムの少しの隙も見逃さまいとしていた獣が一瞬の迷いも見せずに動いた。


「うっ!!」


 横から薙ぎ払われたような鋭い衝撃にカルムは小さな呻きを漏らした。そのまま横へ大きく吹き飛ばされたカルムは、全身に走る強い衝撃とともに静止し、そのまま崩れ落ちるように地面に倒れこんだ。

 そんなカルムに対して少しの容赦もなく....一瞬の隙も見逃さない漆黒の獣が素早く地面を蹴ったと思うと、その勢いに任せてその巨大な前足で、少女の体を踏みつけた。


「ぐぅ”っ!!」


 口の中に感じる濃い血の味に、カルムはこれ以上の無い不快感を覚えた。それと同時に、腹を強く押し付けられたことによって、体の中から押し出された不快感に、カルムは思わず吐き出した。口から吐き出されたものに加え、今もなお、体から流れ続ける鮮血に周囲の地面が真っ赤に染め上げられた。


 バキバキと何かのへし折れる音が聞こえる。それは果たして、カルムの叩きつけられた木がへし折れる音か....はたまた、カルムの体が壊れる音なのか....それは今のカルムにはもはや判断できるようなものではなかった。意識のもうろうとする中、カルムは自身を今にも喰らおうとする黒い狼の、怒りに満ちた赤い瞳を見た。


「(ああ....もうこれで終わりなんだ....)」


 行方の分からない家族に会う....という目的があったからこそ、彼女は決して死ぬことは出来なかった。だからこそ、ここまで死に物狂いで生き延びてきたと言えるだろう。それは到底、幼い少女の耐えられるようなものではなかった。

 しかし今....この状況は、いくら何でも生き延びることが出来るとは思えなかった。体は黒い狼の巨大な足によって押さえつけられ、ピクリとも動かすことはできない。もしそうでなかったとしても、傷ついた彼女の体は既に限界を迎えているだろう。


 これで終わりだと....ついに諦めようとした時....。それを否定したのは、思いもよらない....あの小さな蜘蛛の一言だった。


「もしかしたら....この状況。お前なら何とかするかもな....。」


 その言葉は、今までのこの小さな蜘蛛の言動からは信じられないものだった。一体どうしてそんな言葉が出たのか....それは容易に理解できるようなものではない。

 しかし、生きることを諦めかけていた少女の心を再び動かすことのきっかけになるには十分だった。


「あああああぁぁぁぁぁ!!!」


「グルルルゥ!?」


 カルムは、唯一自由の利く両腕を動かし、自身の体を押さえつけている黒い狼の巨大な前足を掴んだ。辛うじて押さえつけられていないとはいえ、カルムのボロボロの体では、動かすことも厳しいはずである。しかし、そこから生み出された力は、とても今の死にかけのカルムが出せるようなものとは思えなかった。


 叫び声を上げながらカルムは必死に巨大な前足をどけようと自身の腕に力を込める。彼女が力を込めるたび、彼女の体にはより負荷がかかり、体が内部が壊れていく不快な音が鳴り響く。

 そうした声とともに、カルムの口からはだらだらと血があふれ出してくる。そんな全身を貫く痛みにも耐えた彼女にようやく天が味方をしたのか.....今まで微動だにしなかった黒い狼の巨大な足が、ほんの少しだけ横へ動いた。


「グルルルルル.....」


 苛立ったようにさらに力を込める黒い狼....。しかし、それはまるで意味を成さなかった。どんなにカルムを押さえつける足の力を強めても、一切その足の動きは止まることはなかった。


「グルゥ....」


 死にかけていたはずの獲物の異常とも思えるその力に気味の悪さを感じた黒い狼は、思わずその顔をゆがめた。そして黒い狼が一歩引いたことをきっかけに、カルムは完全に黒い狼の拘束から逃れた。

 息も絶え絶えに、まともに立つこともままならないその姿は、まさに瀕死の獲物に他ならない。しかし、その様子から感じられる異様な威圧感に黒い狼は小さな恐怖すら覚え始めていた。


 なにもこの黒い狼が他に敵がいないというほど強い魔物である....というわけではない。むしろ、この森....ピロー大森林には、この魔物よりも強い魔物などいくらでも存在する。とはいえ、確かにこの周辺ではかなりの強さを持っていることは確かであり、森へ訪れる冒険者たちも容易に相手が出来るような魔物ではない。


 そんな魔物が弱者でしかない獣人の少女に恐怖すら覚えていた。その信じ難い事実に、魔物自身も不思議でならなかった。なぜ、こんな存在に恐怖を覚える必要があるのか....


 そんな自分たちのリーダーである黒い狼の様子に疑問を覚えながらも、群れのリーダーに手を貸すべく、森のあちこちに潜み機会を疑っていた狼たちが一斉にカルムに飛び掛かった。

 

 その数はおよそ10以上....。全てがカルム一人を狙い、息の根を止めんと血走った瞳を向けている。一点を目指して飛び掛かったのであるから、当然狼たちは山のようにカルムを覆い隠した。その中で行われているのは、恐らくは一方的な虐殺。一人の獲物に対して、10を超える捕食者。しばらくすれば、見るも無残な姿になったカルムの姿が現れる....そのはずだった。



 現れたのは、地面を覆いつくす血の海。そこには、10以上いた狼たちが無残に引き裂かれ....ある者は体中を切り刻まれ....ある者は体の部位と部位が分断されてしまっている。そして、最後の一匹となった狼....体のありとあらゆる場所に深い切り傷が刻まれ、今にも息絶えようとしているその体を.....一本の腕が貫いた。


 魔物の死体の山の頂上から狼の体を貫き、まるで天を仰ぐようにしてあげられた血塗られた腕。その先に生える小さな手からは、その大きさにそぐわない巨大な爪が生えており、その五本の爪....全てが真っ赤な血に染め上げられている。


 そして、死体の山をかき分けるようにして現れたのは、一人の少女の姿。ビリビリに破けた黒の衣装から覗くのは、自然で生きる獣人としては似つかわしくない青い毛。それらは暗闇に対し、弱い青の光を放っており、体中の毛....全てが大きく逆立っている。落ち着いた青であったはずの瞳は真っ赤に染まり、それはまるでこの魔物たちの血を浴びて赤く染まってしまったかにも思えた。


 少女の姿には、もはや弱者としての獣人の姿はなかった。それは、この黒い狼と同じ....一匹の捕食者として、本能のままに行動する....獣そのものだった。


「グルルルルル....」


 カルムの異常な変貌ぶりに、より一層警戒を強めた黒い狼は、再び攻撃の隙を窺おうありとあらゆる感覚全てを.....カルム一人に向けた。


 しかし.....


 それは一瞬の事だった。カルムが体を小さく縮め、片足を地面に立てた。何か攻撃を仕掛けてくる....ということは黒い狼も理解していた。しかし、そこから起こった出来事には理解が追い付かなかった。


「グアァ!!?」


 空中に真っ赤な鮮血が飛び散った。カルムの鋭い爪が黒い狼の片目を抉ったのだ。一瞬何が起こったのか理解出来なかった黒い狼も、すぐに自身の視界が半分になったことに気が付いた。そして、この一連の攻撃を行って、平然と自身の傍らに着地をしたカルムの姿を捉えた。


「グルウゥ!!!」


 素早く黒い狼は自身の巨大な前足をカルムへ向けて叩きつけた。衝撃が地面を伝わり、周囲の木々にまでも影響を与える。巨大な爪が地面へ深く突き刺さり、当たれば確実にただでは済まないだろう。

 

 しかし....そこに手ごたえはなかった.....


 刹那....黒い狼は捉えた。自身のすぐ目の前で宙に浮かぶ、青い獣の姿を。そしてその青い獣が確かに自分を....その大きく見開かれた赤い瞳でじっと見つめていたことを....




 その間....決してカルムの傍を離れることなく体に潜んでいた小さな蜘蛛がボソリと呟いた。


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