無慈悲な試練
「武器が....ないって...?」
カルムが震える声で恐る恐る問う。カルムの目にはその姿は視界に入っていないが、耳元から答えが返ってきた。
「ま、シャナク様のことだ。素手で生き残れってことじゃないのか?」
「!?」
カルムの目からみるみるうちに光が失わて行く。それは絶望....そして、こんな状況へ追い込んだあの悪魔への怒りも含まれていた。自分の死は既に確定したようなもの....
どうやって素手で生き残れと...?ただの獣人である自分が?それも力のない子供に過ぎない自分が....
「おいおい...よそ見してると危ないぞ?」
「!?あっ...」
ふと聞こえた耳元の声にカルムははっとする。しかし既に時遅し....
バキバキ....グチュッ
不快な音が周囲に響き渡る。骨が折れ、肉が潰れる音....
それと同時に感じたのは自身の片腕に感じる耐えがたい痛みであった。
「あぁ...!!あああああぁぁぁぁぁ!!!」
「グルルルル....」
血走った眼を浮かべた狼の一匹がカルムの腕に噛みついたのだ。鋭く生えそろった歯は容易に少女の腕を潰し....骨を噛み砕いた。それでもなお彼女の腕から歯を抜こうとはせず、低い唸り声を上げるのであった。
「だから言ったろう?」
緊張感のない....呆れたような声がカルムの耳元で響く。痛みに顔を歪ませながら、彼女はその声の主に抑えがたい怒りを感じた。激痛に歯を食いしばりながら、カルムは自身の肩に乗る小さな蜘蛛を睨みつけた。
「まあ、そんなに睨むなよ....。こっちもお前みたいな奴の世話役に回されて迷惑してるんだ。」
小さな蜘蛛はキシキシと口を動かしながら続ける。その表情は蜘蛛ゆえか...一切変わることはないが、まるでカルムを嘲笑うかのような....そんな感情が込められていた。
「とにかく早いところ魔物にでも喰われて死んでくれ。そうすれば俺の仕事が減るからな。」
あぁ....結局この蜘蛛も同じか....。
カルムはそんな小さな蜘蛛の言葉を聞いて心底痛感した。シャナクを始めとした彼らは、自分の事など胴でもいいものとしてしか見ていないのだと。なんとなく予想はしていたが....自分の周りには味方などいないことを理解した。
「はな....して..よ!!」
カルムは狼の鋭い歯が食い込んだ腕を狼ごと振り回すと、すぐ近くにあった木の幹に向かって叩きつけた。森のなかでもかなり小さめな木であったせいもあってか、その木の幹は簡単に折れ、カルムの腕に噛みついていた狼は思わず彼女の腕から口を離した。
「.....!?!?」
「へぇ...やるじゃん?」
再び緊張感のない声が耳元から発せられた。しかし、カルムの耳にはそれは届かなかった。
「....どう....して?こんな...」
カルムは呆然とした表情でぽっきりと根元から折れた木の幹を....そして、かなり遠くまで吹き飛ばされた、先ほどまで自分の腕に噛みついていたはずの狼を見つめていた。
実際の所、カルムはこんなことになるとは想定していなかった。カルムを襲ったこの狼の魔物は彼女よりも一回りほど大きい。それ相応の重さもあり、幼い少女の力ではできて、木の幹に魔物を叩きつける....程度であると彼女自身考えていた。
しかし、実際にやってみれば、木の幹は真っ二つに折れ、狼の魔物は数メートル先まで吹き飛ばされてしまっている。
渡された片手剣を何の問題もなく持ち上げることが出来たこと....そして、それでいとも簡単に木を真っ二つにすることが出来たこと....。カルムはそのことを、あの剣に何か不思議な力があるのだと考えていたのだが....
そんなカルムを前に、狼たちも予想外の事であったのか....吹き飛ばされた仲間を見つめ、少し怖気づいたように後ずさりをした。
一番驚いているのは、彼女自身ではあるが....そんな状況を見たカルムは、わずかな期待を抱いた。
「(このままあの魔物がどこかに行ってくれれば.....)」
先ほど噛みつかれた腕は、服の上からも分かるほどに深刻な傷を負っていた。黒を基調とした服の袖からはジワリと液体が染み出し....服に施された白の装飾を赤く染め上げた。
まず...この腕は使い物にならないだろう....。カルムはそう考えながら、あの魔物がここから去って行ってくれることを期待していた。
しかし、この出来事は多少、この狼の魔物を驚かせ自身を警戒させることに成功したのだが....しかし、そのまま逃げていく....ということにはならなかった。むしろ、仲間が一匹倒されたことに対して逆上した狼たちはより一層カルムへの殺意を高めることになった。
「グルルルルル!!」
「そ...そんな....。」
淡い期待が無駄であった事を痛感したカルムは、再び絶望の表情を浮かべる。とても武器無しで...そして、片腕が使えない状態で戦うなど不可能だ。ただですらカルムは戦闘などしたことがないのだから....
「やるしかないみたいだな?」
「...うぅ”....。」
次に何をするべきか....そんなことを考える間もなく、二匹の狼の内....一匹がカルムへと襲い掛かった。血走った眼を浮かべ、恐ろしい歯をむき出しにし....カルムの首筋めがけて飛び掛かった。
「ひぃっ!!!」
狼の殺気に当てられたカルムは、思わず横へ逃げるように飛び込んだ。しかし、そのおかげで大口を開けて襲い掛かった狼は、カルムの顔のすぐ横を飛んでいった。間一髪、カルムは魔物の攻撃を躱すことが出来たのだ。
しかし、その勢いにうまく姿勢を立て直すことのできなかったカルムは、地面を転がるようにしてゴロゴロと仰向けに倒れこんだ。対して、カルムを仕留めそこなった狼はというと、四本の脚をうまく使い、地面着地....地面を滑るようにして静止した。
「(すぐ....立ち上がらないと....!!)」
すぐにでもあの狼は次の攻撃を仕掛けてくるだろう。その上、敵はまだもう一匹控えているのだ。別に一匹ずつかかってくるようなルールなどない。いつこちらへかかってくるか....。しかし、片腕無しでは思うように立ち上がることもできない。
そうして、狼たちによる次の攻撃が開始された。
控えていたもう一匹の狼が血走った眼をカルムに向けながら勢いよく飛び掛かり、立ち上がることのできていないカルムの動く方の片腕をその前足でがっしりと踏みつけた。
「...っ!?」
抑えつけられた片腕を必死に動かそうとするが、魔物はかなりの力でカルムの腕を押さえつけているようでピクリともしない。
それもそのはずだ、カルムの腕を押さえつけるその狼の魔物は一切の油断がない。自身の全体重をその腕にかけているのだ。
それでは、誰が攻撃をするつもりなのか.....。その答えはすぐ近くにあった。
「グルルルルル....」
カルムが押さえつけられて動けない状況を待っていたかのように現れたもう一匹の狼。完璧なチームワークを見せるこの二匹は、確実にカルムを仕留めるつもりであるようだ。そこには、油断をしていた相手の思わぬ力への警戒と、仲間がやられたことに対する怒りが含まれていた。
ギラギラと不気味に歯を光らせながら、それはジリジリとカルムへ迫ってくる。足は何とか動かすことが出来るが、それでも片腕は動かず....無事なもう一方は完全に抑えつけられていて動かせそうもない。
「やれやれ....ようやく終わりかい....。」
疲れた...というような感情を含ませた声がカルムの耳元に響く。
そう....ここで自分は死ぬ....。集落が人間に襲われ、多くの仲間が死んだ。鮮明に思い出されるのは....自身の父親が無残に殺される姿....。それと同様に、多くの仲間が無残に殺される姿を彼女は目にしていた。
だからこそこんなところで死んでいる訳にはいかない....
「こんな...ところで....!!」
絞り出すような声でカルムは叫んだ。それと同時にジリジリとカルムへ近づいていた狼は勢いよく地面を蹴り、地面へ仰向けに倒れるカルムへめがけて飛び込んだ。
「へぇ....お前、なかなか面白いじゃないか?」
「....え?」
それからは一瞬だった。自分の事を押さえつけていたはずの狼は、まるで何か巨大な爪か何かで切り裂かれたかのように腹を大きく裂かれ....絶命していた。
ボロボロに噛み砕かれたはずの腕に感じるのは、生温かい感触。先ほどまでは一切の感覚がなかったはずだったのにも関わらず、今はしっかりと腕の感覚があり、その先の手の感触もはっきりと感じることが出来る。
そして、指に触れたのは柔らかい何か....。冷え切っていた体に温かい感触。思わずカルムはその感覚に心の安らぎすら感じた。しかし、その感情はすぐに他の感情に支配される。
「....っ!?」
カルムの腕は狼の腹に深くめり込んでいた。それは、先ほどまでの記憶であれば、自分を殺すものであると考えていたもの。
腹から腕を生やした狼はピクリとも動かない。そしてそれは、仰向けになったカルムが天高く空へ掲げていた自身の腕を地面に横たわらせるのと一緒に、鈍い音とともに地面に横たわった。
ゆっくりと立ち上がったカルムは、狼の体に半分ほどもめり込んでいる自身の腕をゆっくりと引き抜いていく。グチュグチュと嫌な音が耳を触る。そして、狼の体の中から現れた彼女の腕は、真っ赤に染め上げられていた。しかし、その赤に染まった異様な姿以上に、カルムは別の疑問を抱いていた。
「なんで....動くの...?さっきまでは....」
そこにあるのは、多少の痛みは伴うものの、何の問題もなく動かすことのできる自身の腕。それは、先ほど魔物に骨までかみ砕かれたとは思えないほど綺麗な姿をしていた。
腕を染め上げる赤から覗くのは、傷がまだ数えきれないほど刻まれているとはいえ、どれも浅いもの。先ほどであれば、肉は裂け骨が覗いていたほどであったというのに....
そこでカルムが思い出したのは、少し前の事....。シャナクによってつけられたいくつもの傷が....少し後にはすっかり治っていたこと....。
「なるほどねぇ....。それが眷属の力ってやつかい。」
疑問を浮かべるカルムが聞いたのは、今までどこにいたのか....魔物との交戦中も彼女の体に張り付いていた様子の小さな蜘蛛の姿であった。
「...眷属?」
聞き覚えの無い言葉にカルムは首を傾げた。
「そうだ。血を介して行われた契約....それによって主の能力の一部を受け継ぐ....その代わりに主に絶対服従の配下....ってところだ。ちなみに俺はシャナク様の眷属だ。つい最近拾われたんだ。人蜘蛛っていうんだが....たしか、シャナク様も俺と同じ人蜘蛛だったか....。ま、底辺種族の俺とは格が違うけどな....。」
「.....。」
小さな蜘蛛の言葉をカルムは静かに...ただ黙って聞いていた。そこには、自分の知識の中にはない未知の事に対する戸惑い....そして、自身がその眷属....というものになってしまったのかもしれないという考えが生まれてしまった。
なぜ、集落が人間に襲われ....捕まっていた自分が、どこかも分からない場所に連れてこられ、今は死にかけている。そして何より....自身の身に起きた変化がその可能性をより大きいものへとしている。
「あぁ、ちなみにお前はシャナク様の眷属じゃないからな?」
「え....」
「当たり前だろう?シャナク様がお前みたいな獣人をわざわざ眷属にすると思うか?」
こちらを小さく嘲笑うようにキシキシと音をたてる小さな蜘蛛の姿に、カルムはむっとした表情を浮かべた。
「お前と眷属の契約を交わしたのはアクセリア様だよ。」
「アク...セリア?」
その名前にカルムは聞き覚えがあった。何度かシャナクの口からも出たその名前。黒いドレスの銀色の髪の少女の姿は、カルムの眼に強く焼き付いていた。
「まったく....高貴なる吸血鬼様が下等種族として見られる獣人を眷属にするなんてな....」
小さな蜘蛛はぶつぶつと呟いた。当の本人は何気ない独り言....といったようだったが、それをすぐ近くで聞いていたカルムは、その言葉の中で一つ気になった事があった。
吸血鬼....
それはカルムも聞いたことぐらいはあるものだった。人間の血を主食とする種族....それ故に、常に人間と争いが絶えないと言われている。勿論、人間と吸血鬼の対立には他の理由も存在するのだが、そんなことはカルムが知ることではない。
何より、カルムにとって重要であったのは、吸血鬼という存在が自分のような獣人には到底関わり合うはずのない存在であったこと....。吸血鬼はその特性ゆえに、彼らが住処としている場所は非常に限定的だ。
少なくとも、集落で細々と暮らしていた自分が出会えるような存在ではなく、そもそもこんな場所に吸血鬼がいること自体があり得ない。
そのことは、まだ幼いカルムにも十分に理解できることであった。
しかし、カルムがそれ以上そのことについて考えることは叶わなかった。何しろ、今カルムが置かれている状況はのうのうと物事を考えている余裕などあるものでは決してない。今にも死がすぐ近くにやってきてもおかしくない....そんな状況なのだから....
そして、カルムに忍び寄る影がまた一つ....
「あ”あ”っ!?!?」
ふと足首に感じた激痛にカルムは思わず悲痛の声を上げた。彼女は警戒こそしていたが、小さな蜘蛛との会話によって生まれた疑問...そのために思考を割かれていたこともあってか、自身の背後にまで注意が渡っていなかった。
そのため、一番初めに倒したと考えていたもう一匹の魔物....それが実際にはまだ動けるということまで考えが至らなかった。
「っ...このっ!!!」
カルムは激痛に耐えながら、近くに見えた大きな岩に向かって走ったかと思うと、勢いよく自身の足首に噛みついた狼の魔物を叩きつけるようにその大岩に向かって蹴りを放った。
カルムの蹴りによってピシリと一本のヒビが大岩に入った。それと同時に、大岩に体を叩きつけられた狼は、とうとう力尽きたようにカルムの脚から口を離すと、ズルズルと岩にもたれかかるようにして地面に崩れ落ちた。
「はぁ...はぁ...」
荒い呼吸をしながらカルムは赤い血に濡れた自身の足首を手で押さえた。魔物の鋭い歯型がとても痛々しくカルムの肌に刻まれ、そこから赤い血が流れ出していた。
これも....先ほどの腕のようにすぐに治ってしまうのだろう。カルムはそのことをなんとなく理解していた。もしも本当に自分が眷属というものになってしまったのだとすれば、自分は吸血鬼の力を受け継いだ事になる。
それがもしもこの再生能力なのだとすれば、吸血鬼というのはなんて便利な能力を持っているのだろう....そんなことをカルムは感じていた。集落では大きな怪我を負うなんてことがあれば、それは一生背負って行くものになってしまう。しかし、そんなこともこの再生能力があれば何の問題もないのだから....
しかし、だからと言ってこうして自身の傷を増やしていくことが何の問題もないというわけではないということをカルムは理解していた。いくら傷が治るとはいっても....こうして痛みは伴うのだから....
ビリビリと痺れるような痛みを感じる足首を押さえながら、カルムは片足を立てるような形で地面にしゃがみ込んだ。勿論いつまでもこうしているわけにはいかない。次にいつ魔物が襲い掛かってくるか分からない。
カルムは、既にボロボロでかろうじてぶら下がっているだけのような状態の白いエプロンを脱ぎ捨てた。ちょうど、水の流れるような音を聞いたカルムは、痛む足を一度水で冷やそうと思い、水の音が聞こえる方へと歩いていく....
一歩...また一歩と進んで行くたびに、水の流れる音は大きくなっていく。もしも、彼女の問題を上げるとすれば、彼女はまだ魔力の流れをろくに感じ取ることが出来ないほど幼かったこと。
しかし、一番は....彼女の運の悪さが原因だろう。
流れる水の音に惹かれカルムが目にしたのは、月明かりに照らされ美しく輝く川の姿。静かに...そしてある場所は勢いよく。水の流れの緩急があるその川は、その場に佇む影の存在が無ければ、とても心安らぐものとなったことだろう。
カルムの前に川とともに現れたのは、巨大な狼。黒い毛におおわれたその魔物がゆっくりと振り向き....鋭い瞳をカルムに向けた。




