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赤眼の吸血鬼  作者: カエルオオカミ
人ならざる者
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不吉な兆候

「二人とも! 下がれ!」

 いち早くその存在に気付いたトムは叫んだ。叫び声とともに、青色の液体が草むらから吹き出した。反射的に、トムは身を翻してレナをかばったが、液体が左肩を直撃し、一部は彼の顔にも飛び散った。

 防具のおかげで致命傷は免れたが、液体が触れた鉄の表面が驚くべき勢いで腐食し始めた。まばたきする間にあった鈍い光沢は消え去り、穴があくほどの錆が一気に這い上がってきた。

「くっ……!」

「トム!」

 ディーンはすぐにトムのもとに駆け寄る。顔に付着した液体がトムの肌を焼いてはいたが、幸いなことに肌に付着した液体は微量なもので、傷は浅く済んだようだった。

「大丈夫か!」

「ああ、なんとかな……直撃したのが防具でよかったぜ。だが……」

 トムの視線の先には気味の悪いスライムの姿があった。討伐推奨は銀級以上、攻撃すべてが当たり所によっては致命傷になりうる、それゆえの評価であった。青緑色の半透明の液体、不定形の塊がうねうねと体を伸縮させていた。塊の中央には二つの小さな目玉が浮かび、三人を凝視していた。

「……どうする?」

「相手が悪すぎる……逃げるしかないだろうな」

 トムは手に持った剣、負傷した肩、そばのディーンに目を移した。そして最後にレナに視線を向けると、しばらくの逡巡の後に言った。

「レナ!俺たちが奴の隙を作る!その間にあいつに炎系の魔法を叩き込め!」

 スライムは単純な武器による攻撃は通用しないが、魔法は有効である。中でも火にはめっぽう弱い性質を持っていた。トムの言葉を聞き、レナは自信に満ちた瞳で言った。

「分かった! 任せて!」

 レナは間もおかず魔法詠唱を始める。知能は乏しいスライムだが、魔力の流れには敏感だ。スライムはレナに向かって攻撃を仕掛ける。スライムの伸びた体が、まるで鞭のようにしなりレナを襲った。

「させるか……!」

 ディーンはすかさず剣でそれを弾いた。

「……!?」

 三人の耳に届いたのは鋭い金属音。すぐ後にスライムの体に弾き飛ばされるディーンの姿だった。

「本当にこれがスライムの硬さなのか……!?」

 スライムはその柔らかそうな見た目から、体を使った攻撃には注意する必要がないように思える。しかし実際には体を硬化させた攻撃が可能だ。その硬度も決して鉄製の剣に劣ることはなく、半端な防具であれば簡単に貫いてしまうほどであった。

「油断するな!」

 若干の焦りのにじんだ声とともに、トムは走り出した。スライムの注意を自分に向けるため、スライムの周りを駆け始める。スライムには、そのあからさまな行動をうっとうしく思える程度の知能はあるようで、その標的をトムに変えた。不定形の液体の塊から針のように伸びた体の一部が突き出し、しなる鞭となってトムを襲う。トムはそのうちの一つを受け止め跳ね返した。しかし反動でトムの体は態勢を崩す……

「ぐっ……!」

 すかさずトムの脇腹をもう一つの鞭が抉ったのだ。幸いなことに防具を身に着けていたことにより直撃は免れたが、強烈な衝撃に体は宙を舞い、地面にたたきつけられた。

 ディーンがトムのもとに駆け出した。レナは咄嗟にトムの名を叫んだが、今は魔法に全神経を集中させなければならない。魔法の詠唱が早口になっていく……

「大丈夫か!」

「防具の薄いところじゃなくて良かったぜ……」

 トムが攻撃を受けた部分は激しくゆがみ、鉄のプレートがスライムの攻撃の威力の高さを物語っていた。

 地面に座り込んだトムを追撃するべく、再びスライムがトムに向かって体を伸ばしてく。その姿を見たトムはちらりと視線を外し……ニヤリと笑った。

「今だ!」

 トムの声に続いて、ディーンは横に飛びのいた。その瞬間、レナとスライムの間から遮蔽物が取り除かれた。

「【火弾(ファイア・ボール)】!」

 レナは両手をスライムに向けて突き出した。手元から浮かび上がるように魔法陣が展開され、小さな火の玉が飛び出した。トムに意識を集中させていたスライムは、咄嗟にそれをかわそうとするが間に合わない。直撃した火の塊は小さいながらも、液体状の体に次々と燃え広がっていく。

「今のうちに逃げるぞ!」

「ど……どうして!? 倒せるよ!」

「あの程度の炎じゃ無理だ! 水に入ればすぐに消されちまう!」

 トムの言葉通り、業火に包まれたスライムはその状況にありながら行動は冷静だった。すぐさま近くに流れる川に向かって移動し始めていた。

「追撃しようにも、あいつが動くことで引火した炎が危険すぎる。ここは逃げるのが得策だ!」

 トムはそう叫ぶと同時にスライムに背を向け全力で走り出した。ディーンはちらりとレナに視線を向けると、静かにうなずいた。そしてトムに続くようにディーンとレナもその場を後にするのだった。




 激しくなった息遣いを整えるため、三人は木陰で腰を下ろしていた。スライムが追ってくる気配はなかった。すでに時間は正午過ぎ、今すぐにでも都市に向けて出発しなければ、途中で日が落ちてしまう時間だった。

 何よりも冒険者が恐れるべきは夜に魔物の生息域を歩き回ることである。夜は人にとっては見通しが悪いが、そこで活動する魔物は夜行性特有の能力を持っていることがほとんどだ。そのうえここは森……ただですら見通しは悪い。

 特に息切れの激しいレナに合わせて三人は森を進む。

「ねえ……ここ……どこ」

 不安そうな表情でレナが言った。それを聞いたトムとディーンの二人ははっとしたようにあたりを見渡した。

 周囲は完全な森だった。迷わないために森の浅い領域を進んでいたはずが、スライムに遭遇したことでさらに森の奥へと入り込んでしまったようだった。

「まずいな……これは……」

 トムの素振りからは、慣れ親しんだ陽気さが消えうせ、焦燥感に見た様子が垣間見えていた。

「……とにかく、魔力濃度が低い方向へ向かえばいいはずだ。レナ……お前は魔力の流れが分かるな」

「うん……そんなに細かくは分からないけど……なんとなく魔力が少ないほうは分かる……たぶん」

 自身なげなレナの反応に、トムとディーンは若干不安な様子を見せた。

 魔法使いのような、魔力と密接に関わり合いを持つような人間は、その魔力を感じ取ることが可能だ。人間はもともと魔力との関わりが薄く、他種族に比べると魔力を感じ取る力に劣っているが、その中でも優れた魔法使いなどは他種族にも劣らぬ力を持っている。

 そしてレナは魔法使いとしての本来の実力以上に魔力を感じ取る力に長けていた。生まれつきか……はたまた、幼い頃の経験が原因か……

「どうだ?」

 目を閉じて集中しているレナに、トムは静かに問いかけた。レナはしばらくの後、目を開くと、瞬きを数回してから小さくうなずいた。

「大丈夫……なんとなく方向が分かったよ」

 それを聞いたトムとディーンは、顔を向かい合わせると、静かに安堵の表情を浮かべた。

「そうと決まればすぐに行動しよう。今から走っていけば真夜中の平原を横断する必要はなくなる」

「え……」

 トムの声を遮るように、突然レナが一点を見つめて硬直した。その方向には、多彩な木々が生い茂る森の一部がすっぽりと切り抜かれたように、不自然に草木が禿げた空間が広がっていた。その中心には、竜の巨体にも引けを取らない大きさの岩が鎮座していた。

「あ……あそこから……強い魔力が……」

 その声は明らかに怯えたように震えていた。巨岩から一切外れることのないその瞼は、まるで何か恐ろしいものでも見たかのように大きく見開かれ、震えていた。

「どうしたんだ、レナ……ここはそんな森深くではないはずだ……」

 ピロー大森林は端から中心までにかなりの距離がある。全面積を含めれば、国すら覆いつくしてしまうほどの大きさだ。人の足であれば中心まで移動するのにひと月以上かかるだろう。少し奥に進んだ程度で、そこまで奥地へ迷い込むはずはない。

「俺が前に出て確認してみる。絶対にここを離れるなよ」

 トムはいつになく真剣な表情で二人に言う。

 魔力の発生源が魔物であるのならば、現状は非常に危ういものと言える。何か強大なものがいるのだとした場合、今すぐにでも逃げたほうがいい。しかしここで逃げるんではなく、一度確認をするという行動をとったのは……あえて言うのであれば好奇心だろう。トムはこのパーティーのリーダーであり、メンバーを守らなければならない立場にある……と同時に一人の冒険者でもあるのだから。そしてそれはディーンも一緒だった。ただ一人……魔力を感じ取れるレナだけが、今すぐにでも逃げるべきだと理解していたのだ。

「なんだ……嘘だろ……」

 そこにはピロー大森林でも、中心部地域に生えないでろう、巨大な魔鉱石があった。もしもこれが、本来あるべき場所にあったのであれば、単に喜ばしいことだろう。しかし、この場所は違う。魔力濃度に分不相応に巨大な魔鉱石の存在。それはすなわち……巨大な魔力を持つ存在を示唆している。その事実が三人の脳裏に走ったと同時……本能が激しく警鐘を鳴らした。今すぐにでも逃げろと……

「隠れろ! 早くそこの岩陰に!」

 なぜ魔力を感じ取ることのできないトムが最初に反応できたのか。それは冒険者としての本能によるものだったのか、あるいは強大すぎる魔力が、魔法使いでないトムにすら影響を与えたことによるものなのかもしれない。

 とにかく、トムが言い終わる間もなく、見上げるほどに巨大な岩が砕け散った。周囲に飛び散った岩の破片に、勢いよくかぶさるように辺りを埋め尽くす砂煙。少し先も見えなくなった砂煙の中、岩陰に隠れていても、ビリビリと伝わる不快な感覚。


 これが、魔力なのか……


 そう――魔力を感じ取ることのできないはずのトムとディーンすら、脳裏によぎるほどだった。それほどまでに、周囲を満たすこの魔力は暴力的だった。

「……あ……ぁ……」

 肩の震えがだんだんと増していき、途切れ途切れの呼吸が漏れ聞こえてくる。レナは這いあがってくる涙を抑え込み、今にも叫びだしそうな感情を必死に堪えていた。トムにもディーンにも今のレナを心配するだけの余裕は残っていなかった。全神経を危機に注がなければならなかったからだ。やがて砂煙の中から、それは正体を現した。

 黒一色に身を包んだそれは、一見ただの少女にしか見えなくもなかった。しかし、背中から生えるについの黒い翼と、まるで人形のような無機質な表情がそれを否定した。そしてさらに恐ろしいのは、彼女の周りに舞う蝙蝠の大群の存在だ。その数は三十ほどで、黒い渦を描いて飛び交っていた。それはただの蝙蝠ではない。群れを成して人間の血を吸いつくす獰猛な魔物だ。

 黒い翼……無数の吸血蝙蝠……やがてたった一つの答えが浮かび上がった。


 ――吸血鬼(ヴァンパイア)


 人間の血を啜って生きる、人によく似た魔物である。しかし、その力は圧倒的で低位の吸血鬼(ヴァンパイア)であっても、その討伐には金級の冒険者数人の力が必要とされる。

 そして三人の目線の先にいる少女の放つ存在感といえば……到底、低位の吸血鬼(ヴァンパイア)が放つものとは思えなかった。少なくとも銅級の冒険者に過ぎない三人が太刀打ちできる存在ではなかった。


 三人は必死の思いで身を潜めていた。魔物は、その多くが人間の魔法使い以上に魔力の感知に優れている。魔法使いでないトムとディーン、魔法使いとしては未熟なレナにできることは――自身から発せられるすべての音を断ち、自分という存在を完全に消すことだけだった。

 吸血鬼(ヴァンパイア)はしばらくの間、ただ宙に浮かんでいた。しかしそれは長くは続かない。突如、吸血鬼(ヴァンパイア)は身を反転させ、三人とは反対方向を向いた。そして力強く宙を蹴ると、目にもとまらぬ速度で空を飛び去って行ってしまった。


 一瞬の出来事が過ぎ去った。三人には何が起こったのか、理解するのにもしばらくの時間を要した。ただ、何とか命の危機を逃れたことを安堵するしかなかった。

 吸血鬼(ヴァンパイア)は三人の存在に気が付かなったのか、もしくは気づいていたが気に留めるほどの存在とは思わなかったのか。いずれしろ、今の三人の意思は一致していた。

「必ず生きて戻るぞ……」

 トムの言葉に、レナとディーンは無言でうなずいた。


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