亜人の集落の悲劇
視界に見え始めたのは、巨大な崖。ここは、狼人たちに聖地と呼ばれている場所だ。広大な平原が広がる【アルジオ平原】には似つかわしくない、巨大な遮蔽物。
ちなみに、あの崖の向こう側には不思議な場所が広がっていることを私は認識している。魔物全般と比べれば、かなり大きめの魔力を持っているらしい竜。その竜が大量にいる景色は、まさに竜の楽園といったところだろう。
その竜の影響もあってか、この周辺は魔力が濃いにも関わらず、魔物の数が極めて少ない。そういった不思議さも、狼人の聖地となっている所以だろう。
そして、崖の見えるこの聖地を少し離れた場所....そこには、狼人の集落がある。上空から見た限り.....狼人たちはすでに寝静まっているらしく、外には誰一人としていない。しかし、何やら集落内には木を燃やした後などの残骸が転がっていた。丁度、祭りなどで騒いだ後の様子といったところか....。
少し前に、この集落にはヴェルドとその息子が戻ってきたはずである....。その記念にお祝いでもしたのか....小規模の集団となれば、一人ひとりが家族のようなものなのだろう。
「アクセリア様?こんな下等生物の集まりに何か用でも....?」
「....さぁ...借り?いや....単なる気まぐれね。」
「....そうですか...。」
シャナクは納得しきれない様子ではあったが、私の言うことに彼女は文句を言わない。黙って私のやることを見ているつもりのようだ。
借りならばすでに返した...。そのため、私がここに再びやって来たことも、これからすることも....何故なのかは自分でもよく分からない。つまり....ただの気まぐれだろう。
私は両手の手のひらを合わせると、小さく言葉をつぶやく。魔法の詠唱だ。
直後、私の足元に現れたのは、巨大な魔法陣。広範囲の魔法ではあるが、転移魔法に比べれば魔力消費は大したことはない。とはいっても、まだ万全ではない私には決して余裕をもって行える魔法ではない。
魔法陣からは、大量の魔力が放出される。と同時に、薄い膜のようなものが、広範囲に広がっていく。それは、小さな狼人の集落をすっぽりと包み込み.....それでもなおとどまることなく、広がっていく。
最終的には、集落の大きさのおよそ....数十倍にも及ぶ大きさの、半球状の巨大な膜が完成した。色は極めて希薄で、遠目でうっすらと見える程度のものだ。
「....これは...!?」
シャナクがはっとしたように目を見開き...言葉を漏らす。
広範囲結界....
広さを重視して作ったため、大した強度はないが....この周辺の魔物、森に生息する魔物にも通用するものだ。悪意のある魔力を寄せ付けず、立ち入らせない。それは....人間にも通用する。
悪意のある人間....それが彼らにとっての最も大きな敵だろう。
体中に脱力感が襲う....。せっかく体を休めて回復したというのに....またこれだ....。義理もないのにも関わらず、ここまでする必要があったのか....?
「(あぁ....これが....。)」
ヴェルドの言っていたことを、少しだけ理解できた気がした。『自分を犠牲にしても守りたいもの』というのは、こういうものなのだろう。
しかし....ヴェルドの言っていたものとは少し違うか.....。
結界魔法を発動し、全身にだるさを覚えるなか....ふと、肩のあたりに感じる感触。そして、それは私を包み込む....。
「....無理をしないでください....楽にしていてください....。」
空中で私の体を支えるのは、シャナクだ。彼女は、相変わらず何を考えているのか分からないが....その表情にはうっすらと笑みを浮かべていた。
彼女は私を丁寧に抱えると、再び屋敷へと向かって空を飛び始める。私は一切、翼を使っていないというのにもかかわらず、景色はみるみるうちに動いていく。
普段であれば、こんな状況を黙って見ているわけにもいかない。他人に体を預けるなんて考えられない。そんなことは相手を信用しきってでもなければできないことだ。少なくとも、私は今まで会ってきたどの相手に対してもそんなことを許容するつもりはない。出会ってまだ数日のシャナクは言うまでもない。
しかし....この時だけは、彼女を払うこともせずに、ただ私は体を預けていた。体が疲れていたこともあるだろう。だるさで頭がはっきりと働いていなかったこともあるだろう。
それから、私の目が覚めたのは数日後のことであった....。
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「おーい!!こっちだ!!」
「父さん!!」
「母さんと....あの子はどうした!!」
「そ....それが....。あいつらに捕まって....。」
「な...なんだと!?」
アルジオ平原....。アルステン地域の中でも、最も魔物の危険度が低く....それでいて人間が立ち入るには少し危険が大きいと言われる場所である。その要因は、普通の人間....セリオン王国へ向かう商人たちなどにとっては魔物は弱いとはいえ危険には違いない。
またその広大さゆえに、王国とその他の国をつなぐ整備された道以外を通ることは危険である。何しろ、景色の変わらない平原では道に迷いやすいためだ。
しかし、人間にとっては立ち入ることの難しい平原の存在は、逆に考えれば人間から離れて暮らす者たちにとってはこれ以上ない住処でもある。
長く抗争を繰り広げてきた亜人と人間の間では深い溝がある。奴隷としての利用価値を亜人に見出した人間たちは、亜人を虐げてきた。そのため、亜人にとっては、人間から離れることが最も安全なのである。見つかれば、奴隷として捕まることが容易に想像できるのだから。
しかし、平原には多くの亜人が集まっている....そんな話を黙って聞き逃す人間たちではない。危険を承知で亜人の住処を探し出し....そして捕まえるのだ。
「思った以上に大量だな!!」
「へへへ....こんなに亜人共が残っていたとはなぁ。これはでかい儲けが期待できそうだ!!」
逃げ惑う亜人たち....。藁と木で作られた質素な家は、火をつければよく燃える。貧弱な木で作られた柱など、武器を持った者達にかかれば、簡単に壊すことが出来てしまう。
ここに、一つの亜人の集落の平和が壊されようとしていた。
「ぎゃああああぁぁぁぁ!!」
「おじさん!!!」
獣の耳を生やした一人の亜人が、また一人地面に伏した。その背中には、巨大な赤い斬り筋が刻まれていた。
「ちっ...死んじまったか....。」
「おい!!何やってんだ!!そいつらは大事な商品なんだ!!生きたまま捕えるってことを忘れたか!!」
「わりぃわりぃ....こんなんで死ぬとは思わなくてよ。亜人ってのはかなり強ぇんじゃなかったのか?」
「それは戦闘系の亜人の話だろうが....こういう人間に近いような奴らは足したことはねぇ。」
「わりぃわりぃ。だけどよ....見ろよ?亜人のガキだ。あいつ一匹で今死んだ奴、何匹分になると思う?」
「....確かになぁ。亜人の子供の流通数は少ない....。それに、こいつらなんて力もねぇし....奴隷としては不向きか....。」
「だろぉ!!だがガキとなりゃ使い道はいくらでもある!!」
そう言って、男はヘロヘロと地面に座り込んだ様子の亜人の少女をギロリと見つめる。
「ひぃ!!」
「しかも雌だ。こいつは大儲けだ!!」
そう言って男が少女に近づこうとすると....横から二人の亜人が現れた。
「うおおおおぉぉぉぉ!!!」
「これ以上、ここを滅茶苦茶にされてたまるかぁ!!」
そうしてやって来た二人の亜人は、一人は少女に近づく男に体当たりをする。
「うぉ!!」
続く一人は、後ろに控えていたもう一人の男へ....。
「な...なんだ!!うあぁ!!」
二人の亜人が飛び込む中....一人の亜人が少女の元へと向かう。
「大丈夫か?カルムちゃん....。」
「エモおじさん.....。」
「大丈夫だ....カルムちゃんのお父さんとお兄ちゃんは二人とも今頃集落の外に逃げきれてるころだ。捕まったみんなを助けるために、もう少しでおじさんの仲間もやってくる....。だから、心配するな....。」
「うええぇぇぇん!!怖かったよ~!!」
少女は涙で顔を濡らしながら彼に抱き着く。幼い少女にとっては、自分を守ってくれる大人...彼にすべてを託すしかないのだ。
「よくも....俺たちの仲間を!!」
「くそっ...こいつ!!離れやがれぇ!!」
自身が信用する大人たちの声が聞こえる。恐らくは、自分を守るために今も必死に戦ってくれているのだ。彼の話によれば、仲間もすぐにやってくる。捕まった者達も助けることが出来る。集落は捨てることになっても、また家族と一緒に.....。
「待ってましたぁ!!お頭ぁ!!」
「よっ!!俺たちの希望!!」
少女のそんな気持ちは、無残にも打ち砕かれた....。
バシュ!!
バシュ!!
突如として響く不穏な音。
バシュ!!
「(え...。)」
突然自身を支えていたものが....力を失ったように地面に倒れこんだ。
「エモ....おじさん....。」
目の前に映るのは、血に染まった視界に血塗られた頼れるものの姿。力なく倒れたその姿に....少女の目い映ったのは.....本来あるべき場所から外れ、地面に転がっている彼の頭であった。
「う....うああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
思わず叫ぶ少女の弱弱しい体に、容赦なく打ち込まれたのは、一つの拳である。
「か...はぁ!!」
あまりの衝撃に少女は血を吐いた。
「こいつか?全く....うるせぇクソガキだな。」
冷たくつぶやいた大柄の男は、容赦なく少女の首を掴むと、自分の胸の位置まで上げた。
「...ぁ....ぅ....。」
「なるほどな.....確かに高く売れそうだな....うるせぇガキではあるが....。」
「....うぐぅ!!」
そうして繰り出される二度目の拳。それは再び少女の腹に吸い込まれ、少女は血を吐いた。
「お頭、一応商品ですので....あまり傷つけると....。」
「あぁ....そうだな。つい、やっちまった....。」
男は少女を掴んだ手を放す。少女は力なく地面に叩きつけられると、そのまま動かなくなった。
「....死んじまいましたかね....。」
「一応生きてはいるな....。これ以上無駄口は叩かないだろうよ....。おい、お前ら!!こいつも連れていけ!!」
「へぃ!!お頭ぁ!!」
「おい、お前ら!!新しいお仲間だ!!」
「カ....カルムちゃん....。」
「おい....嘘だろ....。」
手足を縛られ地面に投げ捨てられた少女は、力なく地面に横たわっていた。それを見てショックを受けるのは、すでに捕まった亜人たち。彼らは商品....つまり奴隷として売られるために捕まえられている。そのため、殺されることもなく、こうして生かされているのだ。自分たちの今後の運命を想像しながら....。
「っカルム!!」
一人の亜人が少女の元へと向かう。手足を縛られ、まともに歩くことが出来ないながらも、ゆっくりとゆっくりと少女の元へ....。
バシッ!!!
「あうっ!!」
その場にいた一人の男の振るった鞭が、彼女を打った。
「何、無許可で動いてんだぁ?あぁ?」
それを黙って見つめる他の亜人たち。口は閉じているが、目はその光景に釘付けとなっている。今にも爆発しそうな.....。
「そういやぁ....こいつら。ずっと一緒に行動していやがったなぁ....。もしや親子か?ギャハハハハハ!!こいつは傑作だ!!」
「貴様ああああぁぁぁぁぁぁ!!」
ついに怒りを抑えられなくなった一人の亜人が男へ向かって飛び込んだ。
「こ....こいつっ!!」
手足を縛られているのにもかかわらず.....体全体を動かし、必死の形相でこちらへ向かってくる。何としてでもこちらを殺してやるというその勢いは、男をたじろがせるには十分であった。
「う、うおおおぉぉぉぉぉ!!!」
「おらああああぁぁぁぁぁ!!!」
その姿に同調するように、他の亜人たちも同じように全身を動かし、今にも男に飛び掛からんとする。
「こいつらぁ!!このっ!!このっ!!」
バシッ!!
バシッ!!
鞭の音が響き渡る。向かい来る亜人たちを男は手に持った鞭で打つ。圧倒的優位に立っている存在にもかかわらず、その様子には男は恐怖すら覚えていた。鞭に打たれ....地面をこすり、体中に傷を覆いながらも、構わずこちらへと向かってくるのだ。
「く....来るなぁぁぁぁ!!!」
バシュ!!!
その瞬間....すべてが凍り付いたように静寂が襲った.....。
「....何騒いでやがる.....。耳障りだ....。」
「す....すみま....!!」
バシュ!!!
その場には二つの首が転がった。一つは初めに男へと向かった亜人....一つはその男のものである。仲間すら斬り捨てたその男は、血塗られた自身の大剣を一瞥すると、剣を鞘に収めた。
「....いいんですかい?お頭。せっかくの商品をまた殺しちまって....。」
「一匹二匹減ったところで変わらねぇ....。それよりも俺の機嫌の方が大事だ。」
そう言って男は地面に横たわる少女を蹴り飛ばした。
「そんなにそいつといたいなら勝手にしろ。次騒いだらおまえも殺す。分かったな....。」
男はそう言って、彼女を一瞥....そして男の仲間の方へと向くと....。
「野郎ども!!俺は仕事がある....。こいつらはお前らに任せる。」
「「「「「へぃ!!お頭ぁ!!」」」」」
「....と思ったが....最後の仕事があるみてぇだな。」
「....えっ!!」
「うおおおぉぉぉぉぉぉ!!今助けるぞ!!!」
「あなた!!!どうして!!!」
「....お....とう....さん?」
辛うじて意識を取り戻した少女の目には、ただ一人.....こちらへ必死の形相で向かってくる....自身の父親の姿だけが映っていた。
「こいつっ....止められねぇ!!」
「今までの奴らとは違うぞ!!!」
弱いとされているこの集落の亜人。彼もその一人のはずなのだが.....ここで起こっている光景は、一匹の亜人が近づく者、すべてを吹き飛ばし....こちらへ向かってくる様子であった。
「....ほぅ....戦闘種か?猫の獣人にもそんな奴が紛れていたとはな.....。」
大柄の男はそう呟くと....少女とその母親の方へと目を向ける。
「.....そうなると...お前らの価値も変わってくるな....。」
「お頭....あいつは危険です!!俺たちでは....。」
「騒ぐな....。俺がやる。」
そう言って男は自身の持つ大剣を空高く上へとかざす。その姿を見た少女の母親は.....何を思ったのか。本能的に感じたのだろう....次に起こる事を....。
「あなた!!来ちゃダメ!!!」
「うおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!」
「【地断斬】.....。」
次の瞬間.....男が振り下ろした大剣から伸びる巨大な斬撃。それは地面を割り....斜線上にいたすべてを吹き飛ばし、斬り裂いた.....。
「きゃあああああぁぁぁぁぁぁ!!!」
その場に残っていたのは、まっすぐ大剣の斜線上に沿うように抉れた地面。そして....なおも必死の形相で、自身の妻と娘を助けるために向かう亜人の姿.....それが縦に真っ二つに分かれる姿であった。
「....おとう....さん....?」
バキッ!!
「え....?」
「黙れ....言ったはずだったが?何をうるさく喚き散らしてやがる。まぁ....お前の価値をちょうど見直したところだ。殺しはしないで置いてやる。」
少女は自身の父親が無残にも死ぬ姿.....そして、母親が自分の夫の悲劇を悲しむことすらできずに、力によってねじ伏せられる姿を同時に見たのであった。
もはや、少女に残されたのは一人の兄のみ.....。しかし、そんなことを考えるだけの余裕など、彼女にはなかった。それ以前に彼女の心が壊れるにはこれで十分すぎるほどであった....。
「....ぁ....ぁ....ぁ..ぁ..ぁ..ぁぁぁぁ....。」
声にもならない呻き声を上げながら、少女は気を失った。周囲では彼ら亜人たちを嘲笑うかのように、思いがけない収穫に笑い、互いに後にやってくる財を何に使うのか....楽しそうに話す様子が繰り広げられていた.....。




