狼人の聖地
集落に戻ってきた私は、まずヴォンと妻のもとへ向かった。
荷物を取りに帰るためと、もう一つは最後に出かける前に顔を合わせておきたいという気持ちもあった。
二人には私が人間の国に行くことは伝えていない。
ただ、しばらく留守にする、ということだけを伝えた。
ヴォンがどうしてかとしつこく聞いてきたが、何とかごまかした。
次に私は、ウェンのもとへ向かう。
ウェンは特に多くは語らなかった。
ただ、
「無事に帰ってこい。」
そういって、私を送り出してくれた。
これで、私のやるべきことは一つを残して終えた。
私は集落を出る。森へ向かった時と比べると、見送ってくれるということもなく私は人知れず集落を後にする。
無理もない。このことは集落の者のほとんどに秘密になっているのだ。
数日にわたるウバラ様の葬式....大半は祭りのようなものなのだが...。
集落の者たちの大半はその後片付けをしていた。
皆が目まぐるしく動き回っている中、私は一人ある方向へと歩き続ける。
その方向とは、ウバラ様を入れた棺桶が安置されている場所である。
その場所へ向かっていくにつれて、周囲に常にあわただしく動き回っていた集落の者たちは少なくなっていき、ついには歩いているのは私だけになった。
当然のことだ。ここは集落の狼人にとっては聖地なのだ。
周囲の景色は、平らな平原から一変し、高低差のある景色に変わっている。地面には花畑が広がり、遠くの方に見えるのは、途方もなく広がる巨大な崖である。
この景色を見るのは今日で二度目である。
一度目は、日も昇ったばかりの朝早くに、吸血鬼様のもとへ行ったとき。
そして今日で二度目...。
聖地と呼ばれるこの場所に来た理由は、村長とサビ様にここに来るように言われたためである。
本来であれば、集落の中でも限られた者しか立ち入ることが許されないこの場所に私が来ているのは、今回の人間の国への旅について、二人が話したいことがあるということだった。
私はそれからしばらく歩き続ける...。
依然として巨大な崖は遠くの方に見え、近づく気配が全くしない。
聞くところによると、あの崖下に行ったものは集落の者ではだれもいないという。
それは、ある一つの理由のためである。
そして、私の目の前には湖...いや、海とも言ってもよいほどの巨大な湖が広がり始める。
そう、崖のもとに向かうにはこの湖を渡る必要がある。
ただ、とてつもない大きさとはいえ、亜人であり身体能力も人間よりも優れている狼人であれば、泳いで渡ることも可能であるように思える。
それにもかかわらず、渡りきれたものは存在しない。
この湖には何かがあるのだろうか?
こうしたこともあり、今ではこの湖を渡ろうとするものはいない、というわけである。
私はある方向をふと見つめる。
そこには、明らかに不自然な景色が広がっているのである。
冬でもないのに、湖の水が凍っているのである。
湖だけではない。
その周辺の地面、さらにはそれは崖の方向にも広がっており、崖の下側の一部が凍り付いている。
ここからかなり遠くの方であり、こちら側は大して凍ってはいないのだが、それでも目に入る奇怪な光景...。
つい目を奪われてしまったが、すぐに視線をこちら側へ移す。
そこに広がっているのは、ウバラ様の入っていたものと同じ、無数の木の棺桶。
そしてその中心に立っているのは、村長とウバラ様だった...。
「ようやく来たか、ヴェルド。」
村長が私に向けてそう言う。
村長とサビ様は無数にある棺桶のうち、一番新しく見える棺桶を囲むようにして立っていた。
それぞれの棺桶は、藁がかぶせてありほとんど隠れてはいるが、中にはかなり古いものもあった。
「一体ここは....。」
私は二人に尋ねる。
すると、サビ様がそれに答える。
「知らないのも当然です。ここは代々長老と村長しか本来は立ち入ることができない場所。私は特別にここに来ることを許されています。」
代々、長老と村長しか立ち入ることを許されない場所...。
話だけは聞いたことがある。
「その顔だと、やはり話だけは伝わっているようだな。」
「村長が立ち入ることを許されているとはいえ、私もサビ様も棺桶を運ぶために手前までしか来たことがない。ここまで来るのは初めてだ。」
なんと、村長も初めてだと言う。
となれば、一体誰がここの手入れをしているのか。
改めてよく見ると、それぞれの棺桶には花が添えられている。つまりは誰かが定期的にやってきているという事になるのだがいう事になるのだが...。
長老と村長しか来ることを許されない...とすると、ウバラ様ということになるだろう。
では、一体ここは何なのか?
「ここが一体なんの場所なのか、お前も見当がついているのではないか?」
それは、おそらくだが見当はついている。
無数に広がる木の棺桶。それが意味するものは...。
「遺体の安置場所...。」
そう、ここに広がる棺桶とは...。
集落で死んだ、狼人達である。
私達の集落では、集落で死んだ仲間達は必ず葬式で弔われる。
しかし、葬式の後はろくに家族のもとへ運ぶわけでもなく、どこかに運ばれて行ってしまうのだ。
それを聖地に運んでいっている、ということは集落の者はみんな知っているため、誰も何も言わないのだ。
「安置場所...というのも間違いではありません。しかし、ここは集落の者たちの魂を自由にしてやるための場所というのが正確です。」
そう、サビ様が私の言葉に応える。
「これまで、この地へ我々がやってきてより百年以上。ウバラ様を含め、長老たちはこの仕事をしてきたのです。」
ウバラ様の入った棺桶は、長老の手によりさらに奥の方へ運ばれていく。
湖沿いに広がる無数の棺桶。その中にひときわ目立つ装飾をなされた棺桶が五つ並べられていた。
「これは、先代の長老たちの眠る棺桶です。」
そう、サビ様は小さく言う。
そして、ウバラ様の棺桶がその五つの棺桶のうち、一番新しく見えるものの隣に並べられた。
「これを。」
サビ様から渡されたものは、青と赤の花で飾られた植物のつるでできた輪である。
見れば、サビ様も村長も似たようなものを持っている。
二人はそれをウバラ様の棺桶に供える。私もそれに続いて同じようにその輪をウバラ様の棺桶に供えた。
「ウバラ様...今まで、本当にご苦労様でした...。」
村長がそう言うと、私たちは手を合わせ、亡きウバラ様への感謝の意を示したのだった。
「ところで、なぜここに私を?」
最後の、一番古い長老の棺桶に花を供え終えたところで、私は村長に尋ねる。
「ああ、遅くなって悪かったな、ヴェルド。初めに言っておくべきだったな。」
村長がそう答えると、サビ様が懐から何かを取り出した。
それは小瓶に入った赤い液体である。
小瓶には弱い魔力が込められているのが分かる。
「一体...それは?」
「これはある人間の旅人からもらったものです。」
「人間!?」
私がそう驚くのも当然のことである。
なぜなら、亜人と人間の関係は知っての通り最悪なのである。
無論、人間が私たちに何かをくれるなどということはあり得ないのだ。
「変わった人間でした。何かに役立ててくれと。」
「となると...一体それは...。」
「....人間の血です。」
「!!!」
思わず驚きが顔に出る。
「人間の血は別に薬に使えるわけでもありません。ですが、亜人と人間が交流したという数少ない貴重なことです。いつも人間との和解を考えていたウバラ様へ感謝の意も込めて一緒に棺桶に入れようと思っていたのですが...。」
この言葉の先は予想できる。
人間の血...
それから導き出されることなど一つしかない。
もしも彼女が...人間の血への衝動を抑えられなくなった時に...といったところだろう。
「あの吸血鬼様は、吸血鬼が人間の血しか吸わないということに驚いている様子でした。記憶がないということも考えて、おそらくかなりの間、人間の血を飲んでいないと思われます。」
たしかに、考えてみれば彼女はウバラ様が吸血鬼が人間の血しか吸わない、ということを話した時に、驚いた様子だった。となればサビ様の話は辻褄が合う。
「なぜ、あの方が人間の血を飲まずにああして平然としているのかは分かりませんが、吸血鬼には、人間の血への欲求が必ず存在しているはずです。」
「.....」
このことは予想していた。彼女が人間の血への欲求を抑えられずに暴走すること。
もしその際は、私が身をもって対処するつもりだったが私が無事でいられる保証などない。
となれば、これはこの旅において私の命を救うかもしれないものだ。
私はそれをサビ様から受け取った。
しかし...
私は素直にこれを受け取ることが出来なかった。
これは亜人と人間との交流の証。そしてそれを誰よりも望んでいたウバラ様への贈り物である。
そんな大切なものが、果たして自分の命と釣り合うものなのか...。
「とはいえ、それを使うことがないことを祈るばかりです。」
「私はこの旅には反対です!本来であればヴェルドについていく義理はないはずです!」
村長は私のことをかなり心配している様子だった。
「ですが、これはヴェルドが決めたことです。我々が外から口出すことではないでしょう。」
サビ様が村長の目をじっと見つめて言う。
「バルト...あなたは誰よりもウバラ様のことを信じていたはずですよ?」
サビ様がそう言うと、村長は下を向く。
そして絞り出すような声で...
「私はどうしても信じきれないのです...吸血鬼を...。
全てを力で制しようとするあの種族を....。」




