集落の老狼人
延々と広がる草原と変わらない景色、それに変化が訪れる。私の目の前に映ったのは、建物らしき影。平らな平原にぽつぽつと小さな影が見え、その高さはどれも低い。一つ一つの家の大きさは小さく、全体の規模もそれほどのものではないのを見ると、この二人の集落はそれほど大きなものではないようだ。
ここまでの道のりは私が思っていた以上に大変だった。何しろ、ヴォンというらしいこの子供が道中……ずっと話しかけてくるのだ。こちらを恐れている様子はなく、自分の集落や種族のこと……ここまでであったことなどを私に一人で話し続ける。
どうやらこの二人の関係性は親子。そして、私と同じくあの森にいたらしい。魔草というものを手に入れるためと言っていたが、聞いたその外見から察するに、魔力を吸収しわずかに青白い光を纏っていた、あれと同じだろう。同じく光る木や石に関しては話が出なかったため詳しくは分からないが……それと似たものであることは間違いない。
他には、彼らが狼人という亜人の種族であるということ。そして二人を襲っていた五人組は人間というものらしい。以前に荷車とともに見たのも、姿形が似ているところを見ると同じ人間なのだろう。
人間と亜人の関係性はそれほど良いと言えるものではないということを聞くと……二人が襲われたのもそれに関係するのだろうか。
中でも特に気になったのは、魔力風という存在。彼ら狼人は森の異変をそれが原因であると考えているらしい。
魔力風というのは、魔力の濃い地域からその魔力が運ばれてくることであり、それによって大きくその場所の生態系が変化するということだ。具体的には、比較的弱い魔物が多かった地域に突然、強力な魔物が現れるようになった――ということだ。
それがあの森でも起きている……ということらしい。
……間違いなく私が何かしらの原因になっている……
ずっと飽きもせずヴォンが私に話しかけてくるのが鬱陶しいが、それ以上に得るものはあった。相も変わらず、もう一人の狼人――ヴォンの父親は私と目も合わせようとしない。あちらからも何か話を聞けるといいと思ったが……そう簡単にはいかないらしい。
それに問題はもう一つあった。それは日が明け始めているということだ。日光が私の弱点であるということは嫌というほど理解している。ここで完全に日が明けてしまえば、今度こそ私もただでは済まない。それにこの二人には私の弱点を知られたくはない。それはこの二人に限らないが、もしもここで私が日の光に弱いことを知られれば、それを利用してこの状況から逃れようとするかもしれない。
月は今やほとんど沈み、反対側の空が明るくなり始めている。幸い着ているものが肌をほとんど覆うドレスであったため目立った影響は今のところないが、それでも背中から飛び出した翼に当たる光が熱い……
さりげなく急ぐように伝えたところ、ほんの少しだけ歩く速度が速くなった。向こうも疲れているのだろう。何しろ彼は先ほどまで致命傷を負い倒れていたばかり。その傷は今は私が治したためほとんど残っていないだろうが、それでも消耗した体力までは回復できなかったようだ。
それにしても、なぜ私にあんなことが出来たのか……。確かに私は魔法を使うことが出来るが、それも攻撃手段としての魔法がほとんどであり、治癒魔法などは持っていない。というのも、私には再生能力があったため、そんなものは必要なかったためだ。
一体あの時彼に……そして私に何が起こったのか……
その事を私が考えることはこれ以上なかった。なぜなら、目に見える範囲にそれは見え始めていたからだ。
遠くで見たときには確かに小さいと感じたが、それでも集落というならばこの程度だろう。木で作られた土台と藁がそれを覆うようにして作られた小さな家。円錐状の藁の屋根に、扉のようなものはなかった。
自然のものをほとんどそのまま使って作られており、強い風が吹けば簡単に吹き飛んでしまいそうに見えるが、それなりに丈夫ではあるようだ。
藁の家は集落全体に一定の感覚であり、その数は十と少しといったところか……。その中でも、ちょうど集落の中心付近に位置しており、他の家とは明らかに異なるものがあった。その家は、他の家の数倍は大きく、ただ木と藁で作られた他の質素な家とは異なり、何かの動物の骨や革、植物などで装飾がなされている。
特に屋根の縁辺りに飾られた動物の骨を用いて作られたであろう装飾品。それがずらりと並んでいる様子は、みすぼらしいものではあるがこの小さな集落に住む狼人達が作ったと考えると、そこには私が考える以上の価値があるのだろう。
集落は静まり返っている……
一見誰も住んでいないように思えるが、恐らくは家の中で眠っている。まだ暗く、入り口が藁で隠されているために家の中ははっきりとは見えないが、私の目は確かにその中にいる存在を捉えていた。そして、その中でこちらへ向かって真っすぐ歩いてくる二人の影も……
「村長……」
私をここまで連れてきたヴォンの父親が言った。
「ヴェルド……一体何があった。」
村長と呼ばれた狼人は言った。集落の村長と呼ばれているということは、この集落内ではそれなりの力を持っているということか……。それもあるのか、その身に着けている衣類は心なしか二人のものよりも綺麗なように見える。
そしてヴェルド――村長と呼ばれた狼人はそう言った。ヴォンの父親の名前はどうやらヴェルドというらしい。名前も心なしか似ているように思える。
村長の問いに対して、ヴェルドは俯いて何も答えようとはしない。簡単には言えないような事だろう。彼らは森へ魔草を取りに行き、そして人間に襲われた。その上、私という厄介な存在も連れて帰ってきてしまったのだから……
村長の目には私の存在はどうやら映っていないらしい。ヴェルドの背に隠れるような位置にいるとはいえ、それでも少なくとも視界には入っているはずだ。それほどヴェルドに目線を集中しているということか……。しかし、魔力の流れは間違いなく感じているはずだ。それほど私の魔力は膨大で、その周囲で生じる魔力の流れも穏やかなものではない。まさか、魔力の流れを感じ取れないとでも言うのだろうか……
二人は黙ったままお互い口を開こうとせず、そのまま少しの時間が流れる。この二人の異様な雰囲気に子供ながら何かを感じたのか、ヴォンの表情に不安が浮かぶ。しかし、その均衡はすぐに打ち破られることになる。
こちらへ向かってくる人影は二人――一人は村長、そしてもう一人は……。
家の中からゆっくりと姿を見せた人影は……小さかった。いや、ただ小さいというのには語弊がある。実際にはその人影の腰は大きく曲がっており、小さな杖を片手にとてもゆっくりと歩いている。その速度は、背の小さなヴォンがゆっくりと歩いたとしてもまだヴォンの方が早い……と思えてしまうほどだ。
顔が狼であることはヴォンやヴェルド、村長と同じだがその顔は三人とは大きく違う。その顔にはいくつものしわが刻まれている。その瞼は大きく垂れ下がり、殆ど目を閉じているように見える。狼人の寿命がどれほどなのかは私には分からないが……この狼人がこの先長くはないということだけは分かる。
「ウバラ様!?どうしてここに!?」
狼人の村長が驚いた様子で言った。その見つめる先にいる、年老いた狼人はわずかに顔を上げ、村長、ヴェルド、そしてヴォンに対して順番に目をやるとしわが刻まれ、しわくちゃになった口を小さく開けて話し始めた。
「まずは……無事に……帰ってき……てくれてありが……とう。こんな……に早く帰って……きて無事な……ことは初めて……だよ」
途切れ途切れの声はしわがれており、おまけにとても小さい。何と言っているかを聞き取るのが私には精いっぱいだったが、不思議なことに三人はそんな様子を微塵も感じさせない。聞き取るのが精いっぱい……という様子ではない。年老いた狼人の言葉の一つ一つをかみしめるように聞き入っている。
しかし、そのしわがれた弱弱しい声には妙に力強さを感じた。集落の中で最も強い力を持っているのはあの村長だと思ったのだが、どうやらその村長でさえもこの老狼人に対して敬意を示しているようだ。さしずめ、この老狼人は集落のまとめ役といったところか。
「さて……」
そう老狼人は言った。そして視線を向けたのは、私。どう考えても私の存在はあの村長にも認知されていたはずだ。にもかかわらず、村長は一切私の存在に触れてくることはなかった。本当に気づいていなかった可能性も考えたが……どうやら今の狼人の村長の様子を見る限りそれはない。
老狼人が視線を向けると同時にちらりとこちらへ目をやった村長に驚いた様子はない。それは、まるでいることは分かっていたが、あえて触れなかった――というようだった。
老狼人のほとんど閉じられた瞼がわずかに開き、そこから覗いた小さな瞳が私の姿を見つめる。その姿は今にも崩れ落ちそうで、実際にこの老狼人は脆い。感じられる魔力もわずかなもので、生きているのが不思議なくらいだ。
しかし、その力強い瞳に見つめられた私の心はわずかに震えた。それと同時に、強い興味を私はこの狼人に覚えた。
「強大な……魔力の流れを……感じたのですが……どうやら……あなたのよう……ですね……。ヴェルド……いったいこれは……?」
その老狼人の言葉を聞いて、私は確信した。やはり、この狼人という種族は魔力の流れを感じ取ることが出来るらしい。とすると、その狼人の村長は私の存在を気づいていながら無視をしていたらしい。
……悪意あっての行動ではないだろう。向こうも相手の魔力を感じ取ることが出来るというのならば、力の差は理解しているはず。私もできる限り魔力を抑えて行動をしているつもりだが、それでもまだ魔力の制御に慣れていないこともあってか、その多くは垂れ流しの状態だ。おおよそ、こちらを警戒して話かけるのを躊躇していた……というところだろう。
とうとう老狼人が私の話を出したことで、今まで黙っていたヴェルドも逃れることが出来なくなった様子で、とうとうその重い口を開いた。
その内容は、集落から魔草を手に入れるために森へ向かい、そこで予想以上の収穫を得られたということ。そしてその森の中で魔力の激しい流れを感じ、何か強大な魔物がいると考えて急いで森を抜けたところ、集落へ戻る道中で人間と遭遇しかなり危険な目にあい――そこを私に助けられたこと。
そして、最後にヴェルドは私をここに連れてきた理由を告げた。
それを聞いた狼人の村長は、とても穏やかではない表情を浮かべる。そこには不安の感情が一番強く感じ取れ、次いで恐怖……そして最後に何故かこちらに強い嫌悪の感情を示していた。気になったのは、そんな感情を抱いていたのは、この中でも村長ただ一人であったということだ。
「一体……何が目的……なのかを聞かせて……もらえますか、吸血鬼様? ここは……あなたのような……存在が来る……ような場所ではない……はずです」
対して、この老狼人から感じ取れる感情には恐怖はなかった。わずかな不安の様子はあるが、それでも臆することのない態度をとっている。今にも死にそうなこの老狼人が……この場で最も強い心を持っていることに――とても不思議な感じがした。
……ヴぁんぱいあ?
聞き覚えの無い……いや、この言葉は以前にも聞いたことがある。しかも二度……。
一度目はまだよく覚えている、あの人間が言っていた言葉だ。
『!!!……蝙蝠……吸血鬼か!』
ヴェルドとヴォン……二人を襲った五人の人間のリーダーが言っていた言葉。
『……翼……それに蝙蝠か……』
『……とすれば吸血鬼か……』
そしてもう一つは洞窟で出会った龍が行っていた言葉である。翼と蝙蝠――それが私を吸血鬼と判断した要因のように思える。確かに、私の姿とよく似ている人間という種族にはそのような特徴はない。
つまり、吸血鬼というのは人間とよく似ており……なおかつ翼を持ち蝙蝠を操る。それに、私の外見だけで老狼人がそう判断したのを見ると、かなり特徴のある見た目なのだろう。吸血鬼のみに当てはまる外見の特徴……というように。
「なぜ? 私がここに来るような存在ではないと?……」
私は老狼人の先ほどの発言から疑問に思っていたことを問いかける。私がこのような場所に来る存在ではない? 吸血鬼の食糧は血。私の考えでは、それさえ摂取していれば生きていくことが出来る。ただしその摂取すべきものが私の口には合わないというのだけが問題……
それはともかく、このような集落には確実に何か生き物が住んでいる。森や平原で当てもなく魔物を探すよりかは、こういった集落を襲う方がずっといいし、何と言っても数が多いし弱い……。獲物としては最適だろう。
そんなことを私が考えている間も、目の前で弱々しい姿で立つ老狼人は私の表情を窺っていた。そして、まるで私がそんなことを疑問に思っていることが不思議であるかのように小さく首をかしげると、私の疑問に答えた。
「吸血鬼は……人間の血……しか吸……わないはず……です……。血が目的で……ないとしても、私たちに……あなた様の……お役……に立てる……ようなことは……」
そんな老狼人の一言、その言葉が私の腑には落ちなかった。
人間の血しか吸わない? そんなことは私の経験が既に否定している。何しろ、人間の血など私は飲んだことがない。なのに私は生きている。それは、私が人間以外の血を飲んでこれまで喉を満たしてきたからに他ならない。
しかし、それがもしそうならば納得いく点もある。確かに今まで私が口にしてきた魔物の血は、どれも好んで飲めるようなものではなかった。吐きそうになるのを必死で抑えて飲んできたくらいだ。私はそれを、単純に自分の舌には魔物の血があっていないためだと思っていたのだが……
もしも私以外の多くの吸血鬼が人間の血を好んで飲んでおり、魔物の血など飲まないとするのならば……。しかし、あの老狼人は、吸血鬼は人間の血しか吸わない――と言い切っていた。ならば、なぜ私は人間以外の血を飲むことが出来ているのか……
幾度と私は思考を巡らせてはみるが、今は情報があまりに少なすぎる。これ以上考えても答えにたどり着くことはないだろう……。そのため、私は本来の目的を老狼人に告げることにした。
「……血が目的であるわけでは勿論ありません。……あなたは薄々気づいているかもしれませんが、私はあなたが言っていた――吸血鬼……というものをほとんど知りません。人間についても同様です。」
「……つまり、あ……なたは……それらに……ついて……もっと、くわ……しく……知りたい……ということ……ですか……」
すんなりと私の言わんとしていることを理解したのか、老狼人が途切れ途切れの言葉ながら、非常に簡潔に答えた。そんな老狼人の言葉に、今まで沈黙を貫いていた村長が目を見開いて言う。
「まさか!? 人間の国を襲うつもりでは!?」
人間の国……? そんなものがあるのか……
国という規模であれば、ここよりもずっと多くの情報を得られることだろう。特に吸血鬼についてもっと詳しく知ることが出来るかもしれない。そして、吸血鬼が人間の血しか吸わないという話……正確にはそれを好んでいるという方が正しいのかもしれないが、場合によっては人間を襲うということはあるだろう。流石に国を襲う――ということはないだろうが。
狼人の村長は何故か過剰すぎるほどに必死だ。何をそこまで必死になることがあるのだろうか……。自分たちは人間じゃないだろうに……。
「……あなたが知る必要はありません」
そう一言だけ言うと、それ以上村長が口を開くことはなかった。しかし、その目には明らかにこちらへ敵意を向けている。なぜ、そこまで私を敵視するのか理解できない……。少なくともこちらはヴェルドとヴォンの二人を助けた、そちらは恩を受けた存在であるはずなのに……
老狼人はそんな私と村長の様子を見て、小さくため息をつくと、再びそのしわの刻まれた口を小さく開き、言った。
「あなたが……何者で……あれ……ヴェルドと……ヴォンを救ってく……れたの……は事実です……。それにあ……なたは集落に危……害を加える……気もないようです……ね」
「ウバラ様! もしあの人間の国が襲われるようなことになれば私たち狼人も危険にさらされることになります! あの国は、私たち亜人を許容している数少ない国なんです!」
狼人の村長はそんな老狼人に対して激しく反論をする。自分たちを許容してくれる国が危機にさらされるのは困る……ということか。それを聞く限り、人間と亜人の関係はそこまで良いものではない……ということか。
相も変わらず村長は私に向けて敵意のある目線を向けてくる。
……元々この集落に対して確実に何も手を出さない……などということは考えていない。場合によっては滅ぼしてしまうのも考えている。もしも他にも私に敵意を向けてくる狼人が多く、そして何か問題が生じる可能性があるとするのならば……
そこまで考えて、老狼人の落ち着いた言葉に私は再び外界に意識を戻した。
「バルト……私を信じて……ください」
見れば老狼人は村長に向けて、まるで小さな子供を諭すかのように静かに答えた。この老狼人は、やはり集落の中では一番の発言力を持っているらしく、バルトと呼ばれた狼人の村長はそれ以上反論することはなく、諦めたようにそのまま家の中へと戻っていった。そして、去り際にも私に敵意のある目を向けていた……。
「もうす……ぐ日が昇……ります……。日の光……は苦手……でしょう、私にどう……ぞついてきてくだ……さい。ヴェルドもヴォンも疲れたでしょう、中へ。」
そう言って、老狼人はヴェルドを連れてゆっくりと家の中へ戻っていく。その足取りもやはり遅く、その歩きに合わせるようにしてヴェルドは老狼人の横を歩いていく。
ヴォンは今までずっと私の横を離れることはなかったが、今までのやり取り……そして決して私が歓迎されていないことに何かを察したのか、私に何度か目線を送りつつも、ヴェルドの背中についていく形で家の中へと消えていった。
……私が日光に弱いということはどうやらあの老狼人には分かっていたらしい。今まで、私はその弱点を知られない為に気を付けて行動をしていたが……無駄だったか……。相手は私よりもずっと吸血鬼について知っているようだったし、他の弱点も既に知っているかもしれない。もしかすると、私の知らない弱点でさえも……。
出来るだけ多くの情報を手に入れるために、今まで会ったことを振り返る。思い返してみれば、吸血鬼の存在は思った以上に周知の事であるのかもしれない。
龍、人間、そして狼人。それほど関わりが深いようには思えない三つの種族全てがそのことを知っていた。人間の国へ行くことが出来れば、ここで得ることのできなかった情報も得ることが出来るだろう。
頭の整理がついた私はゆっくりと歩みを進める。人間、狼人……そして龍か……。今のところ出会うことが出来た、意思疎通の可能な三つの種族。
……どらごん? 何それ……?
まるで当然のように受け入れていた事への疑問は、次の瞬間にはまるで何でもないことであったかのように私の頭から消えていた。




