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赤眼の吸血鬼  作者: カエルオオカミ
砂漠に巣くう姫
120/131

格の違い

 自分の行動が本当に正しかったのか……しかしそんな判断の時間すらシャナクにはなかった。ただ、今自分がすべきなのは……

「は……は……水攻めとはね……考えたじゃない、シャナク……」

 激しく(むせ)るルセイリアの姿。口元から零れ落ちる水には血すら混じっている。知ってはいたが……あそこまで有効だとは思わなかった。

 ルセイリアは恨めし気に周囲を見渡すと、周囲に出現させた血の刃を王宮内の柱の一つにぶつけた。二つが接触した瞬間、柱の大部分が砕け散り、崩れ落ちた瓦礫の山にあの華やかに飾られた宮柱の面影はない。

「まさか……吸血鬼(ヴァンパイア)に水があそこまで有効とはな……」

「正確には体内に入らなければ意味はありません。あれが油断しきっていたからこそ通用した戦法です」

「あの吸血鬼(ヴァンパイア)はどうしてこちらにシャナクさんがいることにすぐ気づいたのでしょうか? 魔力量では、魔法使いである私が一番大きいはずなのに……」

 ルセイリアは先ほど確かにシャナクの名前を口にした。しかしこちらの位置に気付いている様子はない。レナの疑問にシャナクは少し間をおいてから答える。

「周囲に私の魔力を持つ()()() を散らばらせているためでしょう。あちらとしては、私の魔力がそこら中に散在しているように思うはず。ですからこちらが大きな魔力の流れを起こさない限り、向こうもにこちらに気付くことは難しいでしょう」

「召喚獣……」

 レナは怪訝そうにシャナクの横顔を見つめる。

「ですから、あなたもあまり大きく魔力を乱すのは控えてください。先ほどの魔法と同じだけの魔力の流れを生み出してしまえば、警戒されている今ではこちらの位置に気付かれてしまいます」

「それは……そうですけど」

 大規模かつ高位の魔法を行使するとなると、その魔力消費量は多く、周囲に発生する魔力の流れも大きくなる。まだ魔力の扱いに慣れないレナではなおのことだ。

「私が補佐はします。私は、水魔法はあまり得意ではありませんので」

「……はい」

「その魔道具の影響もあると思いますが……あなたは魔力量だけは十分にありますので」

 三人は互いに顔を見合わせ、シャナクに視線を移した。一瞬で彼女が身にまとうローブを魔道具と判断したのは彼女で二人目だった。

「次は氷魔法を使います。翼を狙いなさい」

「弱点ですね……【氷柱(アイシクル)】!」

 シャナクがレナの手元に触れる。握りしめた杖がどうしても震えてしまう。それはレナの脳裏に残る記憶が……あの吸血鬼(ヴァンパイア) の存在と酷似しているためだった。レナの手元から放たれたのは二本の先の尖った氷の柱。速度は十分……しかしその軌跡はひどくふらふらとしたものだった。シャナクが鋭く舌打ちをすると同時、二本の柱は巨大な赤黒い質量に阻まれ、あっけなく砕け散った。

「そんな……」

 レナが言葉を発すると同時、乱暴にレナのローブを引いてシャナクが飛びのいた。それとほぼ同時……二人のいた場所を血色の槍が貫いていた。死を目前にしていた事実に、レナは思わず小さな悲鳴を上げた。

「俺たちは無事だ、レナ」

「もうここはばれました。少し移動しましょう……」

 シャナクはそういって脇で震えるレナを睨みつけた。




「レナ……大丈夫か?」

「俺たちは残念ながら何の役にも立てないからな……せっかく仇に出会えたってのに……」

 トムは悔し気に先ほどまで通ってきた道を振り返った。

「作戦は話した通りです……ですが先ほどの攻防を見る限り……無理でしょうね」

 シャナクはレナを見つめて小さく息を吐いた。そんなシャナクの態度が限界に達したのか、トムが口を開く。

「おい、こっちは協力してやってるんだ。そんな態度はないだろう」

「それは逆でしょう。私があなたの()()に協力しているのです。あの二人が殺されている間でも、お嬢様を助けるには十分な時間がありました 」

 トムは若干、不愉快そうな表情 を浮かべた。

「それはどうだか。そもそも、あんたと俺たちであの吸血鬼(ヴァンパイア)を殺せると思うか? 結局あんたは時間稼ぎをしたいんだ。俺たちを使ってな」

「……ちっ」

 トムの嫌悪のこもった言葉に、シャナクは冷たい視線を向ける。そんな激しいやり取りを収めるために、レナは二人の間に立った。

「やめてください。ここで言い争う余裕なんてないです。それに……そもそもトムは復讐なんて目的じゃないって言ってたでしょ? シャナクさんが情報を教えてくれたおかげでこうして知ることができた……それで充分じゃない?」

「…… 」

 遠くのほうで何かが崩れる音がする。そのたびにシャナクは自身の眷属が減っていくのを感じた。眷属が減れば魔力の発生源が少なくなる。そうなればこちらの位置が筒抜けになってしまうのも必然――

「やはり前衛が必要だろう……」

 ふと、そんな言葉をディーンがこぼした。




 かつては魔道具で栄えた王国、そしてそれに恥じぬだけの規模がこの王宮にはあった。柱の一つが崩れるたびに長い歴史が崩れ去っていく。そんな人間たちの事情など、吸血鬼(ヴァンパイア)である彼女には関係ない。

「次から次へと……小賢しい真似を」

 自身の膨大な魔力が作り出す魔力の流れ。そこから微弱な一人の魔力を探し出すことは困難だった。魔力量に恵まれた吸血鬼(ヴァンパイア)という種族はこのような繊細な魔力の扱いが苦手だ。逆に言えば、このような魔力をうまく利用した戦い方は、魔力量に乏しい人間が得意とするもの……

「ふふ、それが何?」

 実際には人間が吸血鬼(ヴァンパイア)に勝つ事例は少ない。上位吸血鬼(ハイ・ヴァンパイア)ともなれば……少なくとも彼女は聞いたことがない。

 ルセイリアは周囲に展開した血の刃のうちを軽く一振りする。軌道上にわずかに触れた彼女の頬が切り裂かれる。流れ落ちた血液は大地に染み込み……そこからまた新たな刃が出現する。黒ずんだ血の色を浮かべた巨大な剣は次の獲物を探して彷徨い歩く。濁流のごとく入り乱れる魔力の流れの中、ルセイリアは口元に笑みを浮かべた。

「なあに、シャナク。(おとり)でも用意したってわけ?」

 ルセイリアの視界に二人の人影が入り込む。その風貌は彼女の記憶にも新しい。

「まったく学習をしないのね、冒険者っていうのは」

「さあな、今回は違うかもしれないぞ?」

「そうそう。大した力もないのに威勢がいいのも特徴よ」

 ルセイリアが蔑みのこもった笑みを浮かべると同時、トムの視界を質量が横切った。それは刹那の出来事。トムが認識できたのはただ――ディーンが目の前から消えたという事実のみ。

「さて……あとはもうひと……り……!?」

 ルセイリアが言葉を途切れさせる。先の冒険者たちの衝突。そこですでに彼女の中では冒険者への評価が決まっていた。しかし……目の前の事実がそれを否定する。

 壁にたたきつけられたはずのディーンは、何やら巨大な黒い生物によって体を覆い隠されていた。全身をけばけばとした体毛で覆い、不気味に光る多眼が無機質にディーンの顔を覗き込んでいる。体を密着させ、首筋に獰猛な鋏角を噛み合わせながらも決して襲い掛かることはない。

「なるほどな……盾としては優秀すぎるほどだ」

「それも勝手に動く盾だ。見た目以外は最高だな」

 その蜘蛛の魔物が何を意味するのか。ルセイリアの中では一人の人物が浮かび上がっていた。苛立ちのこもった目つきで二人を睨むと、ルセイリアは容赦なく血の刃をけしかける。大気を押しのけ駆け抜ける暴力的な剣は目にもとまらぬ速度でディーンとトムの体を両断せんとする。しかしそのどれもが二人に密着する巨大蜘蛛によって妨害されている。

 蜘蛛にはそれ相応の重量がある。二人も初めはその重量の影響を受けていたが、だんだんと体が重みにも――刃の速度にも慣れてくる。襲い掛かる刃を最小限の動きで避け、躱しきれないものを蜘蛛が素早く軌道に割り込んで防御する。じりじりと後退しつつも、二人はルセイリアの攻撃に対応できていた。

「大丈夫か? ディーン」

「あぁ、まだいける……あの動きにも慣れてきた。動きは速いが読みやすい。それだけに……冒険者たちは慣れる前に一撃で殺されたということだろう……」

「……」

 ルセイリアの攻撃が止まる。激しく息を切らしながらも闘志を失わない二人に対し、ルセイリアは無言のまま、眉をひそめた。

「どうした、吸血鬼(ヴァンパイア)様。人間風情に苦戦か?」

「……」

「それとも空の雲を維持するので精一杯か?」

「……ぷ」

 そんなトムの煽りに怒りも、不快感も見せることなく……彼女は笑った。

「なんだ……」

「これだから人間は馬鹿で飽きないわね。一体、今までが何だと思っていたのかしら? 空の魔法がただの雲だと本当に思ってる?」

「!?」


 夜闇(やあん)の漆黒の中、ぽっかりと浮かんだ三日月のように、ルセイリアの口元が歪む。

 トムもディーンも――状況を理解するのに時間はかからなかった。出せるすべての力を、足を動かすことに注ぐ。背中を向けた二人への追撃はなかった。ふと、王宮内を満たす白光が点滅する。大気が震え、鋭い閃光を発生させる。人間の足では決して逃れることのできない……極大の雷撃が地上に舞い降りた。




 ルセイリアは困惑していた。まずは二人のゴミを片付けた。今の雷魔法で周囲を満たしていた眷属はすべて殲滅……とうとうシャナクの魔力を発見した。どうももう一人、シャナクと一緒にいるようだが……人間にしては魔力が大きい。とはいえ、ルセイリアに比べれば遥かに小さい。彼女はそこまで真剣には考えていなかった。

「(……水? また面倒なことを……)」

 あまり知られていない吸血鬼(ヴァンパイア)の弱点として水がある。しかし他の弱点とは異なり、体外に触れるだけでは影響をもたらさないため、彼らもそこまで深刻には考えていない。しかし……ひとたび体内に入ってしまえば、焼けるような痛みが全身を駆け巡る。

「(多少魔力が乱れるだけ……そもそも体に入れなければいいんだから)」

 ルセイリアは口を閉じたまま周囲の魔力を探る。どんな手を使ったかは知らないが、二人は生きているようだった。彼女は緩み切っていた気持ちを僅かに引き締める。と同時に、胸の底から湧き上がってくる殺意に身を任せた。

 上位吸血鬼(ハイ・ヴァンパイア)であるとともに優秀な魔法使いでもある彼女は魔法陣に対する造詣(ぞうけい)も深い。この程度の魔法は強制的に解除することも可能だ。

「(……?)」

 さざ波一つ立たないルセイリアの心が僅かに乱れた。見たことのない魔法だ。すでに定式化された魔法ではない。しかしたかが人間が作った魔法である。彼女に解けないはずはなかった……

「……!? ぐぼっ……!」

 その瞬間、大量の流水がルセイリアの喉に向けて流れ込む。溶岩のごとく感じられる液体は頑強に守られた体の内部を容赦なく焼き尽くしていく。もはや彼女の余裕はなく、平坦だった心には大波が立つ。それは彼女にとっても予想外の攻撃。完璧に対処してあったはずの吸血鬼(ヴァンパイア)の弱点……

「日光……!」

 もはや彼女の頭には魔法陣の解除を考える余裕はなかった。




「やりました、シャナクさん! 成功です」

「え……えぇ」

 子供のような無邪気な笑みを浮かべるレナに、シャナクは内心複雑な気持であった。シャナクには計画があった。あの吸血鬼(ヴァンパイア)は彼女にとっても彼女の主にとっても大きな障害になりうる。絶対に排除しなければならない。

 吸血鬼(ヴァンパイア)は強大な力を持つが、その力と引き換えに多くの弱点を持つ。一つは水、しかしこれは決定打にはなりえない。最大の弱点――それはあの吸血鬼(ヴァンパイア)自身もよく理解しているようで、すでに対策がなされていた。王宮の上空には、厚く黒い雲が覆いつくしていた。その暗い雰囲気は暗雲に沈む王国の現状を示しているよう。光も通さぬ暗雲の厚さはまるで壁のようで……日光から彼女をよく守っている。

 しかし、暗雲を展開できる範囲にも限界がある。暗雲の外には相変わらずさんさんと輝く日光が地上を照らしている。光の軌道を変えることは可能だ。この場で用意できるのは氷の鏡。それもただの氷ではいけない。凹凸を限りなく削った平らな氷を用意しなければならない。幸い、レナが氷魔法を使えたが、正直なところシャナクはあまり期待をしていなかった。そのような精密な魔法の扱いを彼女ができるとは思えない。


「(一体……)」

 事前に教えていたとはいえ、彼女の主の魔法すら解除したあのルセイリアが、この人間の魔法は解除することができなかった。ルセイリアの動揺もあっただろうが――

 本物の鏡に比べれば十分な反射ができない氷の鏡はわずかな光を届かせただけ……しかし十分な威力があった。水の中にも関わらず、どす黒い煙が立ち上る。肉の焼ける不快な音とともに焦げ臭い匂いが漂う。レナの魔法の中にとらわれたルセイリアは激しく体をねじらせながらもだえ苦しんでいた。

 その瞬間――シャナクは恐怖を感じたのだ。吸血鬼(ヴァンパイア)にとって、日の光というものがいかに恐ろしいものか理解した。シャナクの脳裏には彼女の主の姿が浮かぶ――


 一瞬の思考の裏。時間と時間の間の本のわずかな隙間。暴力的な魔力の鼓動が聞こえ、巨大な大気の塊が四人の呼吸を塗りつぶす。甲高い音が響き、冷気を帯びた粒が肌をなでる。その瞬間――意識を保っているのはシャナクだけだった。

「うううぅぅぅぅ……」

 焼け焦げた頬にぶるぶると震える手が触れる。頬の肉は灰の如く……崩れた宮殿の床に落ちた。地底深くから響き来るような重低音。ルセイリアの目には獰猛な獣の如き光が宿っていた。

「人間風情が……よくも……」

 崩れた瓦礫が生み出した霧の中……無数の死の槍が覗いた。そのすべてが四人の姿を見据え……血に飢えた獣の気配を漂わせている。三人はいまだに気を失っている。

「(そう……でも、時間稼ぎは十分……)」

 シャナクの瞳には諦めが覗いた。




 視界の側面から煙が押しよせる。轟音とともに崩れた瓦礫が飛び散ってきた。その瞬間、シャナクの視界にはわずかに――見慣れた獣の姿が映った。

「馬鹿ね、わざわざ殺されに来たなんて」

 無数の槍が次々に地上へ落ちる。そのたびに巻き上がる粉塵と轟音が大気を震わせ、この場にいる生物の精神をすり減らしていく。音は止まない――それどころかさらに大きく――

「このっ……ちょこまかと!」

 ルセイリアの怒りの滲んだ声が響く。粉塵の中……死を滴らせる刃を潜り抜け、ルセイリアに肉薄する姿が見えた。

「(……カルム、アクセリア様はどうしたの……)」

 シャナクの心中も置いて、カルムはルセイリアに猛攻を仕掛け続ける。強く大地を踏みしめ、体で地面を舐めながらカルムはルセイリアの足元へ迫る。剣を横なぎに振るえば、ルセイリアが空中に飛び上がった。初めてルセイリアが引いたのだ。巨大な翼を広げたルセイリアは天井付近にまで浮かび上がると静止する。


「……妙だな」

「何が?」

 天井すれすれを飛びながら、ルセイリアが宙を軽くなでる。落ち着ける場所もないほどに崩れた床をさらに砕いて、光を殺す黒を浮かべた槍が無数に突き出した。直線的に天井に向けて突き出された槍はルセイリアの浮遊する高さまで届くことなく、なめらかな曲線を描いて顔を下に向けていく。その無数の槍、すべての軌道がカルム一人を目指して伸びていく。

「……っう!」

 単純な一点を目指した攻撃は躱しやすいが当たればただでは済まない。しかし、その回避に意識を傾けすぎれば、狙ったように側面からの攻撃が飛んでくる。吸血鬼(ヴァンパイア)に比べればなんとひ弱なカルムの体は、みるみるうちに傷を増やしていく。

「あれは……もう降りてくるつもりはなさそうだな」

「飛べない高さじゃない」

「だが……」

 クモが何かを言いかけて、言いとどまる。

「……いや、それならあいつはさっきの時点でカルムを……」

「クモ? 一体どうしたの。私はやるよ」

 カルムは静かに身をかがめる。絶えず襲い掛かる猛槍を躱しながらも、カルムはルセイリアを視界に留める。

「どうやらあの吸血鬼(ヴァンパイア)……何か直接攻撃できない理由がありそうだ。さっきから魔法ばかりで、ちっとも手を出さない」

「確かに……さっきも懐に潜り込まれたのにわざわざ引いた……」

 あれほど膨大な魔力を持つ吸血鬼(ヴァンパイア)だ。身体能力もカルムの比ではないはず。わざわざ引かずに直接カルムを攻撃すればよいはずだ。

 カルムは静かに瞼を閉じる。視界を閉ざしていても、今のカルムには槍の軌道が分かる。先端から発する死の匂いを感じ取れる 。ルセイリアは先ほどからほとんど動いていない。しかしカルムを襲う槍の数は増え続けている。

「……?」

 遠くからはよく見えない、ルセイリアの表情がわずかに動いたように見えた。カルムの毛は逆立ち、淡い青の光を放ち始める。口からは獣の吐息が漏れ、ルセイリアを見据えたその目は赤く、獲物を捕らえた猛獣の視線を向けていた。

「……ふ」

「カルム……!」

 クモの声に呼応するようにルセイリアの表情が動いた。その顔は一変して愉悦に染まっており、瞳は性的な色を呈していた。カルムは空中を突き抜ける。無数の槍は目標を失い、地面に叩きつけられ、わずかに本来の軌道を逸れた刃がカルムの肌を切り裂いた。

 それでも――止まらない。細剣の軌道はルセイリアの首筋を狙い……


「あぁ……いいわね。あなたのその顔……」

 巨大な殺意を前にして、ルセイリアはまるで可憐な少女のごとく手を合わせ、キラキラとした喜色を浮かべた。しかしその目は……ひどく淀んだ(けだもの)のものだった。


 次の瞬間――カルムは地上に叩きつけられていた。鋭くとがった瓦礫の山が彼女の肉体を容赦なく削る。それでもなお、カルムは素早く飛び上がる。その目には理性はもはや残っていない。

 ゆっくりとルセイリアが地上へ降り立つ。その不自然なまでの気品のある佇まいは見るものに畏怖すら与える。

「思い出したわ……あなた、猫人(ネム)でしょう? 珍しい色ね。それにその表情……人間だったらよかったのに……」

「グウゥゥゥゥ……」

 獣のような低いうなり声をあげながら、カルムは姿勢を低くする。全身でほとばしる魔力が稲妻となって具現化し、逆立った毛並みにさらなる鋭さを与える。片手で持った剣を地面に圧しつけ、相対する敵をその目に捉える――

 強化されたカルムの感覚器官でも追いつかないほどに……張り巡らされた意識の網を影のようにすり抜けて……ルセイリアの顔が眼前に移る。

「でも、いたぶる楽しみはありそうね」

 カルムの動きが止まる。赤く染まった瞳にわずかな理性の色が宿った。それは激情に隠されたわずかな恐怖の感情だった。しかしその恐怖はすぐに塗りつぶされる。カルムの振るった剣はわずかな乱れもない曲線を描き、軌道がルセイリアの首を突き抜ける。


 カルムの一撃がルセイリアを傷つけることは叶わなかった。刀身のふれた部分からは確かに刃をなぞるように血の線が刻まれ、血が流れだしている。しかし、それより先に刃は動かない。それはちょうど……鋼鉄に剣を擦り付けているようだった。

「カルム! 避けろ!」

 クモの声が聞こえたのか、あるいはカルムがルセイリアの動きに反応できたのか。頭部を狙って斜め下に振り下ろされた刃がカルムの頬をかすり――そのまま突き抜けた軌道は彼女の片腕を両断した。

「ガアァァ!!」

 カルムは思わず態勢を崩した。失われた腕だった場所は今もなお耐え難い激痛をまき散らしているはず――それでもなお、カルムの戦意は失われていない。それは理性を失った獣故……

 片腕を失ったカルムは残された力を乗せて剣を薙ぐ。純粋な力のみが込められた刃はルセイリアの胸を切り裂き、裂けたドレスの布とともに真っ赤な血が飛び散った。僅かとは言え、胸を剣で裂かれたルセイリアは表情一つ崩さない。まるで何でもないことかのように……

 その瞬間、カルムは残された片腕に強い力が込められる感覚を覚えた。それは地面から突き出した巨大な蛇の如き、土塊だった。

「グルルル……」

 カルムは低いうなり声をあげる。土塊はピキピキと音を立てながらその形を崩していく。ルセイリアの流した血が滴り落ち、土塊を彩っていく。土塊が巨大な本体から小さな土屑を落としていく。そして――カルムの腕がねじ切れた。

 突如、力を増した土塊は……いつの間にか深紅に染まっていた。 両腕を失ったカルムはうなり声をあげ、地面に伏した。理性は失っていても、体はもはや限界だった。

「何してる! 殺されるぞ!」

「あらあら、何の声だと思ったら……」

 倒れたカルムに向かって一匹の蜘蛛が駆け寄る。それを絡めとるように地面から生え出した血の帯が捕らえた。それを自身の前まで連れてくると、さも面白そうにルセイリアは笑った。

「くそ! 離せ、蝙蝠野郎!」

「随分と口が悪い蜘蛛ね」

「……今度は俺の血を狙ってやがるのか!」

「あはは! ジョークのセンスはあると思うわ、あなた」

 ルセイリアは血に濡れた口元をにやりと歪める。刹那――クモを捕らえていた帯が彼を投げ捨てた。黒っぽい小さな体は崩れた王宮の壁に小さな穴を開け、帯はか細いクモの足をもぎ取っていた。

「ぐぅっ! ちく……しょう」

「落ち着きなさい、そこの猫人(ネム)を殺してからあなたもバラバラに引き裂いてあげる。しゃべる蜘蛛は珍しいもの……少しは楽しめそうね。そうしたら、次はあの人間三人。そしてシャナク。ふふふ……大切な眷属が死んで、アクセリアがどんな顔をするか楽しみだわ……」

 ルセイリアはひどく興奮した様子で吐息を荒立てる。彼女の一対の翼が不規則にゆらゆらと震える。零れ落ちる唾液が口元の血を洗う。

「ちっ……この変態吸血鬼(ヴァンパイア)が……」

「それは心外ね。これはただの嗜好……食事の好みくらい、誰にでもあるでしょう?」

「俺はお前のその気持ちの悪い言動に対して言ってるんだ……」

「……どういうこと?」

 するとそれまで薄かったルセイリアの興味がクモに向く。彼女から感じられる雰囲気が変わる。そこには隠しても隠せない、怒りの感情がにじんでいた。

「……吸血鬼(ヴァンパイア)ってのはみんなお前みたいな連中なのか? あるいは……お前が特に()()()()の変態野郎ってだけか…… 」

「……?」

 ルセイリアが急に黙り込む。静かに顔を俯かせ、その表情は窺うことができない。ふと、鋭い舌打ちが聞こえる――それと同時に、クモは強い衝撃を受けて吹き飛ばされた。ルセイリアが、直接クモを蹴り飛ばしたのだ 。

 吸血鬼(ヴァンパイア)の濃厚な魔力が込められた一撃はたやすくクモの体を破壊した。壁にたたきつけられ、倒れるクモ。ルセイリアはさらに乱暴につかみ取る。ルセイリアの顔には今までの余裕の感情はない。何かが彼女の心に触れたのか……そこには深い怒りが映っていた。

「ぐあぁ……」

「気が変わった……先に生意気な蜘蛛をばらすことにするわ。どうせ……あれは」

 ルセイリアが視線を後ろに向ける。そこはカルムが倒れていた場所だ。カルムの姿は――なかった。

 刹那――ルセイリアの胸から白く光沢する刃が突き出した。滲んだ血が破けたドレスを染める。一瞬ルセイリアは理解が追い付かない様子だったが、すぐにそれがカルムによるものだと気が付いた。胸を貫通した剣にかろうじて体重を預けて立つカルムの姿を視界に入れる。

「……まだ動けるのね」

 心底鬱陶(うっとう)しいといった様子をルセイリアは隠そうともしない。しかし次の瞬間、ルセイリアはまるで先ほどのことは忘れてしまったかのように目を見開き、口元には笑みを(たた)えた。

「あぁ、そういえば……最近連れてこられた亜人にあなたに似たようなのがいたわ。思えば……あれは猫人(ネム)だったのね。気づかなかったわ 」

 カルムは視線を落としたまま……しかし確かにルセイリアの言葉に耳を傾けていた。ルセイリアは震えの生じたカルムの手を感じて、冷酷に笑った。

「……だって、確認する前に殺してしまったもの。」

 ルセイリアの顔が邪悪に染まる。クモのかすれた声が名前を呼んでいた。しかしカルムには届かない。彼女の頭には……目の前の吸血鬼(ヴァンパイア)しかない。

「グアアアァァァ!」

 理性を完全に失ったカルムが叫ぶ。異常なほどに伸びた牙をむき出しにし、烈しく迫るその姿は本来、猫人(ネム)という種族には似つかわしくない。目前にまで迫る獣を前に、ルセイリアは三日月型にゆがめた口元を崩さない。

 それでもなお、彼女の牙は届かない。ルセイリアの体から突如として突き出した無数の槍がカルムの全身を貫く。突風のごとき勢いはそれだけで凪いでしまったのだ。


 それでも……カルムは動く……

 肉が断ち切れ、骨が砕かれる痛み。そのすべてを無視して彼女は進む。ルセイリアは動かない。しかしその口元からは笑みが消えていた。


「……!」


「……!」




「カルム!」


 クモの声が聞こえた時にはもう遅かった。カルムは背後の存在を初めて認識した。

「いい剣を持ってるわね。あの人間ほどじゃないけど……」

 目の前のルセイリアは自分の背後にいるであろう何者かに視線を向けて言う。カルムは何が起こったのか、まるで理解できなかった。あの状況で、突然新手が現れるのだろうか。いや、そもそもルセイリアに味方をするような者が……




「……どういうこと」

 シャナクは困惑していた。倒れていたはずの三人。そのうち二人の様子が変だ。立って動いている……それだけ聞けば目を覚ましたのだからこちらにとっては好ましいことのはず。しかし――

「どうして……カルムを……あの人間」

 明らかにトムとディーンの二人は異常だった。白目が真っ赤に染まり、時折漏らす声はまるで獣のようである。加えて、今もシャナクの傍らに倒れているレナは何ともないのだ。明確な証拠があるわけでもないが、このような異常事態の原因になりうる人物がここにはいるのだ。その人物――ルセイリアはシャナクの視線に気が付くと、にやりと意地の悪い笑みを見せた。

「なかなか愉快な能力でしょう? これは」

「なにを……」

「知っていて? 高位の吸血鬼(ヴァンパイア)はそれぞれ固有の能力を持つの。多くは血に関係した能力が多いけれど……私の場合はこんな風に他人の血に魔力を混ぜることで操ることができるの。気を失った相手は私の傀儡になるのよ」

 などと、ルセイリアは嬉しそうに笑いながら言う。

「さあどうするの? 今からこの二人はあなたたちを襲うわ。その人間を操れなかったのは不思議だけど ……関係ないわね、殺してしまえば同じだもの」

「簡単なことです……あなたの言うように、殺してしまえばいい」

「あら、あなたにはこの手は通用しないのね。でもね、そちらの子はそれを納得するのかしら?」

「……は?」

 シャナクはルセイリアの言葉に視線を足元に向ける。シャナクの傍らにはレナが倒れている。しかしそのレナは苦しそうな声をあげながらも、視線の先はシャナクに注がれていた。思うように動かない体を無理やりに持ち上げ、顔を必死にシャナクに向けて言う。

「やめて……ください。二人は……」

 シャナクは短くした舌を打つ。こんな人間の言うことを聞く必要はない。シャナクはすぐに意識を戻した。あの二人を殺すために……

 しかしその一瞬の隙がシャナクの命取りとなる。

「……なっ」

 トムとディーンの二人が眼前にまで迫ってきていた。その全身にはルセイリアのものだろう魔力が覆い、元の二人をはるかに超える身体能力を発揮させていた。シャナクの警戒はルセイリアにはあった。しかし、取るに足りない存在であるはずの二人には注がれていなかったのだ。

 ディーンの振るう大剣がシャナクを斬る。決して万全ではないシャナクにとって、それは致命傷にはならずとも、重い一撃には変わりなかった。

「ぐ……ふ……」

 背中に強い衝撃が走る。口内を気持ちの悪い感覚が埋め尽くす。シャナクはもはや限界だった。

「トム、ディーン! やめて……」

 シャナクの耳にはレナの悲痛な叫びだけが届く。

「うふっ……あはは! やっぱり絵になるわね……この能力は」

 ルセイリアは夢心地に目を細める。シャナクはすでに立つことも叶わず、膝をついた。しかし目だけは依然としてルセイリアを憎々しげに睨みつけていた。

「この……」

「ねぇ、実はね? この能力はこれだけじゃないの。言ったでしょう? 気の失った相手は私の傀儡になるって……でもね、気を失っていなくても通用するのよ。むしろ私の能力はこちらが本領でね、感情を自在に操ることができるの、わずかに抱いたものを私が増幅させる形でね……」

 ルセイリアの口元が左右に伸びる。その瞬間、シャナクは抑えきれない強い感情の波に襲われた。それは恐怖。圧倒的な力の差、勝ち目の見えない絶望感。その中でわずかに芽生えた恐怖が……ルセイリアの能力によって増幅されたのだ。シャナクの体の中……心の奥底に食い込むように、ルセイリアの淀んだ魔力が侵食していく。


 場を支配する濁った魔力の流れはいつの間にかこの場にいるすべての存在に影響を及ぼしていた。傀儡になることは逃れたレナも、荒れ狂う感情の波から逃れることはできない。矮小な人間は冷たい地面に体をうずめて震えることしかできないのだ。


 かつて栄華を極めたアラスブの王宮はもはや見る影もない。他国では触れることすら躊躇われる魔道具もここでは単なる調度品の一つだった。王宮を彩るそれも瓦礫に埋もれてしまえば等しく虚しい。

 ここで死んでいった者たちの無念が湛えるように、王宮の硬質な床面から漏れ出す極寒の冷気が生きとし生けるすべての存在の体温を奪っていく……




「……そういうことね。あの違和感……()()に影響を与えるなんて恐ろしい能力ね」

 場を貫く無機質な音色。その声にルセイリアが振り向いた時には……彼女の胸を鋭い血の針が貫いていた。

「……!?」

「その……能力? 私にもあるのかしら」

 彼女の声に呼応するように、周囲の温度が落ちていく。いつの間にか場を満たしていたはずのルセイリアの魔力と彼女の魔力が拮抗していた。そしてこの冷気が彼女の魔法によるものと気づくまでに時間はかからなかった。

「アクセリア……様」

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