狼人の集落
三日前……
狼人の集落にて。
「長老が集落全員を集めるなんて、一体何事だ?」
「それはみんな言ってるよ。でも朝村長が言っていたから少なくとも嘘ではないだろう。」
今朝……日も完全に昇っていない時間。村長が突然、集落の中心にやってきたと思うと……
「ウバラ様からみんなにお話しがあるそうだ。準備ができしだい全員ウバラ様の家に来てくれ。」
現長老であるウバラ様は御年130歳。集落でも最年長である。亜人である我々狼人は、人間よりも長命とはいえ130歳まで生きることは非常に稀なことである。その上、多くは狩りなどで怪我を負い、若くして死ぬものも少なくない。
このアルジオ平原に今の集落ができたのは100年以上前であり、前の集落のことを知っているのはウバラ様だけである。話によると前の集落は、現地の人間たちにより亜人の大虐殺が行われ、逃げるように今の地へやってきたそうだ。
その際にここへやって来た者たちはウバラ様以外にも勿論いたのだが、既に彼らの事を知っているものはウバラ様以外にはいない。皆、ウバラ様よりも先に死んでしまったのだ。
それだけ昔から生きているウバラ様は、体も日に日に弱ってきており、集落で唯一の医者であるサビ様も、もって後一か月と言っている。そんなウバラ様が集落全員に話があるというのだ。どうでもいいことではないことは分かる。
「もしかしたらまたここを移動することになるかもな……。」
私の子供時代からの友人であるウェンが不安そうな表情を浮かべながら言った。その言葉の重みは、この集落のものならみな分かっている。集落の人数は30人ほどであり、もちろんその中には女子供もいる。集落の移動のような大規模な移動に耐えられずに、道半ばで息絶える仲間も多いのだ。
私には妻も子供もいるのだ。そんなことにはならないことを祈るばかりだ。
私はウェンとともにウバラ様の住む家の前に立った。すでに10人ほどが中にいるらしく、その間にも次々に集落の者がやってくる。
「それにしても……相変わらず大きい家だな……。」
その家は直径が20メートルほどの藁で作られた家であり、屋根が円錐状になっている。集落のものの家はみな藁でできている点では同じだが、大きさは倍である。ここには、ウバラ様以外にも、村長とサビ様が住んでいる。サビ様は動けないウバラ様の世話に加え、怪我をした集落の仲間の治療。村長は、集落およびその周辺の魔物などの様子などを把握し、集落全体をまとめている。
そうして村長を中心として行われる集落全体での話し合いなどは、全てここで行われる。まさに集落の中心であるのだ。
内と外を分ける長草で作られた幕を手で払い、中に入ったところ……そこには不自然なほどの静かさが立ち込めていた。
皆、様々な表情を浮かべているが、そこには共通して不安が浮かんでいた。家の中のすべての視線がウバラ様へ集まる……。
ウバラ様はというと、家でもひときわ大きな木の椅子に座っている。顔に刻まれた数えきれないほどのしわに、瞼に押しつぶされるようにして閉じられた瞳。それら全てが、彼女がどれだけの長い年月を生きてきたのかを表している。
ウバラ様の傍らには、村長とサビ様が控えている。サビ様はウバラ様を心配する様子で首元に手を回し、村長はどこか不安そうな表情を浮かべている。
私はウェンとともに、家の中の空いている場所に座り込んだ。集落内では一番大きな家とはいえ、集落すべての狼人が集まれば、殆どスペースはなくなるだろう。
そして次々と集落の者が集まってくる中……私はウバラ様の言葉を待つのであった。
それから10分ほど……。村長が一歩前に出て、家の中をぐるりと見渡す。そして、集落の狼人全員が集まったことを確認すると、しばらく間をおいて村長は話し始めた。
「……今回はウバラ様からの立ってのお願いであり、みんなを呼んだ。私とサビはすでに聞いている、どうか心して聞いてくれ。」
ゆっくりと、一語一語噛みしめるような村長の言葉は、全ての視線を集めた。
「ウバラ様……。」
サビ様が心配そうにウバラ様を見つめる。対するウバラ様はというと、まるで眠っているように反応を示さない……と思った時、ウバラ様の体がピクリと動いた。
しわだらけの指を震わせ、重く閉じられた瞳をゆっくりと開いた。開かれた瞳はほんの少しであったが、そこには強い光が宿っていた。
「集…落の皆…、今回は…私のために集まってくれてありが…とう……。」
途切れ途切れの声で、ウバラ様は言葉を紡ぐ。
「今回…皆を呼んだのは他…でもない……森に…魔力…風が訪れた…。」
そうウバラ様が言った瞬間、家の中にどよめきが起こり始める。魔力風……それは貴重な薬の材料となる魔草をとれるチャンスであるのだ。
ウバラ様の話というのはこのことだったのか……そんな安心故か、集落の者の顔が明るくなり始める……が、ウバラ様が再び口を開いた。そこには、決して安心で終わらない……深刻な様子が窺えた。
「前年の……魔力風とは様子が違う。何か…強大な者が現れたのかも…しれん。場合によって…は集落を捨てることも覚悟…してほし…い。」
その言葉は、集落の者が最も恐れていたことだ。集落を捨てる……すなわち集落を移動するということだ。まだ幼い子供もいる。家族がいるものは皆、蒼白な表情を浮かべる。
「様子を…見に行ってきて…ほしいのだ。それに……貴重な…魔草も手に…入れてきて……ほしい。」
ウバラ様の言葉は、非常に簡潔なものだった。異変の起こった森の様子を見に行くこと……それに薬にもなる魔草を手に入れること。
ウバラ様はそれだけ言い終えると、再び口を閉じ椅子に深く座り込み、その瞳を閉じた。サビ様が心配そうにウバラ様の肩を支える。
そして、今度は村長が一歩踏み出した。その顔には、変わらず暗い感情が窺える。
「……そういうことなのだ、誰か森へ行ってくれる者はいるか?」
答えの分かり切った問い。村長のそんな弱弱しい言葉に、誰も出る者はいない。当然のことだ。森は我々狼人にとっても危険な場所である。ただですら危険であるのに、今回はウバラ様も言っていた、強大な者……が現れる可能性だってある。誰が好き好んでそんな危険に立ち向かおうとすることか……いくら集落のためとはいえ……。
しばらく家の中に沈黙が流れる。このままずっと沈黙が流れ続けると思った矢先……誰かが立ち上がる音がした。
「おれ……俺が行くぞ!」
よく聞き覚えのある声がした。嫌な予感がした私は、恐る恐る声のした方へ首を動かした。
そこには……私の息子であるヴォンが立っていた。
「ヴォン!本気で言っているのか?」
私はヴォンに向かって言った。父親ならば当然の事だ。どこに自分の息子をそんな危険な場所に連れて行きたがる親がいるのだろうか。
「もちろん本気だぞ!父ちゃん!俺、集落の役に立ちたい!」
ヴォンの毅然とした態度に押され、私は思わず一歩退いた。そこには、ヴォンの決して曲がることのない強い意思が感じられた。
ヴォンは、子供ながら常に集落のことを気にかけており、子供の中では人一倍、強くなるための努力をしていた。自分の身の丈には合わない石槍を必死に振り回して……。
そこには、常に食糧の不足しているこの集落の現状が大きく関係しているだろう。そして、狩りに出かけた仲間が傷ついて帰ってくる姿を見て……。時には村の男たちの狩りにもついていこうとしていたこともある。
しかし今回はそれとは危険性が違う。間違いなく一人で行けば生きて帰れないだろう。
「お前には危険すぎる!」
「じゃあどうするんだ!今回を逃したらもう魔草を手に入れられるチャンスはないかもしれないんだぞ!」
そう、ここ数年……集落では病気が蔓延してきている。それも体の弱い女子供がかかりやすく、それを治すために魔草を取りに行った男たちが皆帰ってこない、ということもある。
確かにこのチャンスを逃せば当分魔草は得られないだろう。しかしそれでも魔草を取りに行こうとするものが少ないのは、この病気は働き手である男たちがかかることはほとんどないためである。魔草をとるために男たちが死んでしまっては元も子もない。
「母ちゃんだって……。父ちゃんは母ちゃんを助けたくないの!?」
「……。」
そう……。
その病には私の妻もかかっている。一年前にかかってから日に日に体が弱くなってきている。ウバラ様の話のために、妻もヴォンと一緒に来ているが……やはり無理しているのだろう。それでもまだ病気にかかっている中ではましな方かもしれない。ここに集まった者たちの中には、一人で歩くことすらままならず、誰かに支えられてきている者もいる。
ヴォンの隣には、相変わらず顔色の悪い様子の妻がいる。そんな姿を見た私は覚悟を決め、村長の方へ向き、答えた。
「ヴォンが行くなら私も一緒に行きます。ヴォンを無駄死にさせるわけにはいきませんから。」
私がヴォンも一緒に連れていくことにしたのは、自分の母親を助けたいというヴォンの気持ちを村長したからだろう。本来ならばそんな危険な場所に連れていくわけにはいかない。しかし、今のヴォンを止められる気もしない。
父親として、子供の安全を第一に考えるのであれば、ここでヴォンを一緒に連れて行くのは間違っている。力ずくでも止めるべきだろう。しかし……父親として、ヴォンの気持ちを尊重したいという思いも私には同じようにあった。
「ヴェルド……。」
私の隣に座っていたウェンが私を見つめていた。そこには、私を心配する気持ちが確かにあったが……今の私を止める気もないようだった。
私は黙ってウェンの方へ向き、頷いた。
次の日の朝……
私とヴォンは森へ向かう準備を終え、家を出るところであった。背中には魔草を入れるための革袋を背負い、腰には石でできた短剣を差している。戦うためのものではない。あくまで魔草を採ったりする際に使うものだ。
もしも戦うためのものであれば、リーチの長い石槍を用いるのが普通だ。しかし、今回は狩りが目的ではない。もしも魔物が現れれば、私はすぐに逃げるつもりだ。とても少ない荷物……しかし、これで十分だ。むしろ重い荷物を持っていくのは邪魔にしかならない。
「あんた……。」
妻が心配そうに私に言った。元気そうに見せているが、できることならば横になっていたいはずだ。
「心配するな。すぐに二人とも無事で戻ってくるよ。」
もしかすると、妻は私だけでなくヴォンも失うことになる。そんな危険な場所にヴォンも連れて行く……そんな私のわがままを聞いてくれて、妻には感謝するばかりだ。
そんな妻に手を振り、私は家の外にでた。そこには、集落の男たちがわざわざ全員駆けつけてきていた。皆揃って心配そうな表情を浮かべているが、私の後から家の外に出てきたヴォンを見つけると、さらに不安そうな表情を浮かべた。
そんな中……真っすぐと私の方へ向かってきたのは、ウェンだった。
「やばい奴にあったらすぐ逃げろよ。俺たち狼人は足は速いからな。」
ウェンは笑いながら、私の肩をポンと叩いた。
「覚えておくよ。逃げられればいいんだけどな……。」
「はは、縁起でもないことを言うなよ……。」
私のそんな言葉に、ウェンは笑いながら答えたが……その笑いには、明らかに私を心配していることが表れていた。
続々と集落の者たちが集まってくる中、私は奥の方へと視線を向けた。すると、ウバラ様が村長とサビ様に肩を支えられながらやってきた。腰は大きく曲がり、手には木の枝で作った杖が握られている。立つのもやっとだろうに……
「ヴェルド……。何が…あっても命…を大切に……。」
弱弱しい声で答えると、すぐにウバラ様はせき込み始めた。サビ様は、すぐさま崩れたウバラ様の体を支えると、村長とともに戻っていった。
既に体はボロボロだろうに……。自分とヴォンを気にしてここまでやってきてくれたサビ様の行動に、私は大きく勇気づけられた気がした。
「ヴォン。父ちゃんの役にしっかり立てよ!」
集落の男たちが大きな声でヴォンにそう言う。皆、私が小さいころから共に育ち……そしてともに狩りをしてきた仲間たちである。既に先に逝ってしまった仲間たちも……皆に励まされている気がした。大勢の集落の者たちに見送られながら、私とヴォンは村を後にした。
すでに遠くの方には森の端の方が見え始める。集落の者たちも、皆理解しているはずなのだ。しかし、どうにか私たちを明るく見送ってくれたことは本当にありがたく思う。
そう……。
今まで森に行った者たちが一人も欠けずに帰ってくることはないのだ。数年に一度、魔草を取りに行くために集落の男たち10人ほどで行くのだが、半分も帰ってくることはない。今回は魔力風があるため、比較的魔草が取りやすいだろうが、それでも危険なのは変わらない。
そして今回はたったの二人、そして一人は子供である。
生きて帰れる可能性は半々……決して高くはない。そのことを私はヴォンに言うことなどできず……森へと向かっていくのであった。




