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赤眼の吸血鬼  作者: カエルオオカミ
砂漠に巣くう姫
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心の囚人

「あなた……カルム? ここに来たのはシャナクの命令……ですか?」

「は……はい」

 アクセリアの姿はカルムの記憶の中にある姿とは大きな隔たりがあった。髪の毛は大きく乱れ、服は破れ……それは本来の彼女とは程遠い、野性的な様相を示していた。口周りには唾液の跡に沿った肌のかぶれがくっきりと浮かんでいた。

 カルムはすぐにアクセリアの拘束を解こうとする。しかし、静かな水面に波を立てるように、遠慮のないクモの言葉が放たれる。

「……たく、かわいくねえな、あんたもシャナク様も……」

「ク……クモ……」

「自分からこいつがやってきた可能性もあるじゃないか。アクセリア様はシャナク様ばかりでもう一人の自分の眷属には見向きもしないのかい?」

 クモの無機質な複眼が一斉にアクセリアに視線を向ける。そこにはわずかな怒りが含まれていることをアクセリアは理解した。

「あなたはシャナクの眷属ですか? そう……生意気な害虫とかいうのはこういうことだったのでしょうね」

「害虫ねぇ……自分も蜘蛛には変わらないくせに……よく言うよ」

 ざらざらとした耳障りな声を上げながらクモは言う。その様子にアクセリアは自然と笑みを浮かべていた。

「ずいぶんとその子に情が移ったようですね」

「はぁ?」

「……シャナクの命令だと思うのは当然では? その子に私を助ける理由がそれ以外、どこにあるのでしょうか?」

 絶えず続いていたクモの応答がしばらく途切れる。硬質な顔は動かなかったが、その表情はどこか安心したようにアクセリアを見つめ、そしてカルムを見上げた。そんなクモの様子にカルムは疑問を覚えながらも、アクセリアの手足の拘束を解いていった。

「大丈夫……ですか……」

「最悪な気分……のどが渇いて……おかしくなりそう」

「み……水は……でもここには水なんてないし……」

 カルムがキョロキョロと周囲を見渡していると、クモがあきれたように言う。。

「おいカルム、吸血鬼(ヴァンパイア)に水なんて飲ませてどうする。ちょうどいい、そこでくたばってる人間でいいじゃないか」

「あら……ずいぶんと物知りですね?」

「少なくとも記憶を失ってるあんたよりは物知りだろうよ。こっちは下等な蜘蛛なりに精一杯生きてきてるんだ」

 薄暗闇の中でぼんやりと光るアクセリアの赤い目がクモを貫く。クモは背筋の凍るような感覚に舌打ちを打つと、おどおどするカルムに言う。

「しかしどうする? カルム」

「ど……どうする……って?」

「こいつは動くことすらままならない。このまま放っておけば勝手に死ぬぞ。お前が自由になれる絶好のチャンスだ」

 クモの言葉にカルムは表情を青ざめさせ、アクセリアはピクリと眉を動かした。カルムを縛っているのはアクセリアの命令を受けたシャナクだが、元を辿ればカルムはアクセリアの眷属だった。アクセリアがいなければ同じ眷属同士であるシャナクとカルムの間にはなんの繋がりもなくなる。

「でも……それじゃあシャナク様が……」

「こいつの眷属としてのお前とシャナク様の繋がりは切れる。俺さえいなくなれば 、あいつから逃げるなんてこと造作でもない。そもそも、シャナク様の力は、この吸血鬼(ヴァンパイア)あってのことだ。それがいなくなればどうなることやら ……」

 クモの提案にカルムは即答することができなかった。そう……この場でアクセリアを殺して自由になることも、このまま眷属として奴隷のように使われ続けることも。そんなクモとカルムの会話をアクセリアは静かに見つめていた。やがてクモを鋭く睨みつけながら口を開いた。

「……シャナクは生意気とだけ言っていたけど……それどころじゃないわね。忠誠も何もないじゃない……」

「血を与えただけの眷属なんてこんなもんさ。だからこそ、吸血鬼(ヴァンパイア)は眷属を作りたがらない。一から創造するのも、半端な吸血鬼(ヴァンパイア)には不可能だからな」

「それは……シャナクから聞いたの?」

「まさか? 吸血鬼(ヴァンパイア)に詳しい友人 がいるんだ」

 その言葉にアクセリアは何か脳裏によぎるものを感じた。しかし、そんな感情も朦朧とする意識の中にすぐに溶け込んでしまった。アクセリアは今にも消え入りそうな意識の中、不安げにこちらを見つめるカルムに問いかけた。

「……そうね、確かにこのまま私を放っておけば……死ぬでしょうね。あなたがそちらまで連れて行ってくれないと……私には地面を這いずる力すら残っていない……どうするの? カルム」

「わ……私は」




 アクセリアは体の半分が崩れてしまっている男の死体に歯を突き立てる。まだ死んでから間もない体からは生暖かい血液が流れだす。アクセリアは突き立てた歯から喉の奥へと血液を送っていく。零れ落ちた鮮血が彼女のドレスと硬質な地面を彩っていく。

「ちっ……せっかくのチャンスだってのによ……」

「だって……」

 クモの呆れたような声にカルムは視線を泳がせる。カルムにとってはアクセリアに対する恐れはあっても、シャナクに向けるような負の感情はなかった。男の顔の皮膚はすでに枯れ木のようにしぼみ、次に手足の色彩が徐々にはせていく様子が窺えた。完全に体内の血液が枯渇した死体を見て、クモは甲高い声を上げた。

「……恩は売っておくものね。でも肝心の血は全然足りないわ」

「それだけ飲んでおいてまだ足りないってか?」

「そうね……動くだけなら問題ないけれど……」

 アクセリアの淡々とした調子に、クモとカルムの間には緊張が漂い始める。アクセリアの瞳に宿る赤がより一層深まった。

「それで? 逃げるんなら夜まで待ったほうがいいんじゃないか?」

「そういうわけにもいかないわ。シャナクもいるし……目的も達していないわ」

 扉などのない開け放された部屋からアクセリアが一歩外に出る。するとすぐに数人の男たちの声が聞こえた。彼らは不幸にも何かに気づき、様子を見るためにやってきた者たちだった。暗闇の奥から聞こえる足音を聞き、そこに何か人影があることを確認する前に……アクセリアの足元から現れた鋭利な血の刃が脳天を貫いた。

「それに……こんなにたくさん食事が転がっているのに……それを見逃すわけにもいかないわ」

 洞窟内に耳をつんざくような男たちの断末魔が響き渡る。おそらくはアジト中に聞こえたであろうその声に気づき、カルムとその肩に乗るクモが勢いよく部屋の外へとやってくる。

 カルムのほうに振り返ったアクセリアの瞳はより赤く染まっていた。背中からまるで枯れ木の枝葉が広がるように、無数の蝙蝠がアクセリアの体から現れる。そして次なる獲物を求めて暗闇に包まれた洞窟を飛び去って行く。入り組んだ迷路のようなアジトの通路を一つ一つ埋め尽くし、無数の蝙蝠が蹂躙を開始した。

「ここの人間だけで足りるかしら……まぁ、足りなくても問題はないでしょうけれど。町に行けば補充はできるでしょうし……」

「そ……それは……」

 カルムが言いよどむ。すると次の瞬間にはアクセリアがカルムの目前にまで迫ってきていた。

「なぁに? 何か問題でもあるのかしら?」

「い……いや」

 アクセリアは鋭く目を細めると、今度はカルムの肩の上のクモに視線を移した。クモはカラカラと乾いた音をあげながら言う。

「そんなことをすればあんたの存在が知られることになるぞ。例えば神聖騎士団とかにな?」

「ちょうど吸血鬼(ヴァンパイア)がほかにいるのだから、彼女のせいにしてしまえば問題ないわ」

「ところがそういうわけにもいかないのさ。連中は魔力の残滓に敏感だ。そして当の吸血鬼(ヴァンパイア)は引きこもりときた。奴は町で直接人間を喰ったりしないのさ」

 アクセリアの瞳が少し遠くを見つめ、何かを考えこむようなそぶりを見せる。クモの無機質な目にはわずかな緊張が浮かんだ。しかしその考えこんだ表情も束の間、アクセリアの唇ににやりとした笑みが浮かんだ。

「じゃあ私がルセイリアと戦うのはやめたほうがいいのかしら? それで私の魔力を撒き散らしてしまったら元も子もないもの」

 不気味に光る赤い瞳には自信が窺えた。その目を見つめているだけで、クモは自分の中に湧き上がる異様な嫌悪感を覚えていた。クモは小さく舌を打つ。

「……実際のところもう手遅れさ 。何せ、アクセリア様……たった今、あんたは魔力を撒き散らしているじゃないか?」

 クモは諦観を含んだ口調で言った。アクセリアは静かにクモを注視し、それから視線をカルムへと転じた。そして少しの逡巡の後に、アクセリアは落ち着いた様子で口を開く。

「……いいわ、カルム。あなたの我儘 を聞いてあげる。でもね、代わりにあなたに聞いてほしいことがあるの」

 アクセリアはカルムの耳元でささやいた。彼女が言葉を発するたびに漂うのは濃厚な血の匂い ……そして空気に触れた肌の体温が一気に下がる感覚をカルムは覚えていた。

「あなたは王宮に行ってシャナクを助けるの。シャナクではルセイリアに勝てないもの」

「へぇ、それはカルムを使い捨てにするということか?」

「それは違うわ。()()()()()()()()()、私はカルムに期待しているの」

 そう話すアクセリアの言葉には、どこか冷たい感情が含まれているのをクモは感じていた。 それだけ言い残すと、アクセリアはさっさと二人の元を去っていった。




「ちっ……どうも気に食わない奴だ」

「クモ……そんなこと言っちゃ……」

「驚くほど雰囲気が変わりやがる……吸血鬼(ヴァンパイア)ってのはみんなあんななのか? 」

「……」

 クモの言葉に何か思うものがあったのか、カルムは先ほどまでアクセリアがいた場所を眺めていた。

「カルム……お前行くつもりか?」

「うん……どうせ逆らえないでしょ? 私はアクセリア様の眷属なんだから」

 どこか諦めの含まれたような言葉……カルムは確かにその中にわずかな別の感情が生まれているのを自覚していた。

「それに……あの人、私のことを信頼してくれてる」

「はぁ? そうは見えなかったがな?」

「ううん……だってあの人、シャナク様にしか……なのに 」

「……」

 カルムの目は彼女が置かれた状況を思えば不自然なほどに輝いていた。それを良い兆候と見るか、あるいは……クモは初めてカルムに対して偽りの感情を浮かべた。

「クモも信頼されてるみたい」

「は! それは光栄だな」

 クモはカラカラと渇いた声を上げる。そこには一切の感情はなく……渇いていた。






 生に大した未練はない。それに死への恐怖もなかった。 耐え難い苦痛を味わって、死ぬ寸前にまで追い詰められて、そのまま死ぬのであればいくらか楽だというものだ。ただ私は、あのカルムという亜人がどんな選択をするのか……その興味があるだけだった。

「あれは……シレイ? 死なれても困るわ……」

 厚い砂岩の壁を突き抜けたはるか向こう……見覚えのある二つの魔力が寄り添っているのが見えた。そして全く隠す気もない膨大な魔力の流れ……怪物のように膨れ上がった蒼天色の塊がゆらゆらと揺らめいているのが分かる。

 視界が再び冷たい天井へ移る。光の届かない洞窟内を満たしていた松明の光も今は消え、心地の良い血の匂いだけが私を満たす。この場の一切は枯れ果てていた。私には意味をなさない暗闇の向こう……酔ったように不安定に飛ぶ蝙蝠が一匹……

「あぁ……シロ、いたのね。探したって、言いたげな顔ね?」

 さも心配したというように、シロは私の周囲を飛び回る。最近……このシロのことがだんだんと分かってきた。悪意がないのだから余計に……

「なんて……お前、ずっとあの部屋にいたじゃない? 」

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