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赤眼の吸血鬼  作者: カエルオオカミ
砂漠に巣くう姫
118/131

十年と王の血族

 血なまぐさい匂いの立ち込める地下空間。ここに閉じ込められた誰もがこの匂いに不快感を覚えることだろう。吸血鬼(ヴァンパイア)である彼女にとって、それは至福の芳香。しかし、手足を拘束された彼女には拷問に等しい所業だった。

 やがて、彼女のもとに一人の女が現れた。ふくらみのある衣類の背後に見えるのは巨大なシルエット。人ならざる者の象徴である翼を隠そうともしない。

「ふふ……さすがに何もできないようね、アクセリア?」

 長時間の拘束に頭を支配するむせ返るような匂い。暴力的な血の欲求にアクセリアの口元からは絶えず唾液が流れ落ちる。それを止めようにも、今の彼女にはあらがう術がない。

 だらしなく流れ落ちた唾液を見て、ルセイリアはさも楽しそうに笑う。そして眼前まで顔を近づけると、嫌らしくアクセリアの口元を舐めた。

「る……ルセイリア様……」

「あら、ちょうどいいところに来たわね。そこで待っていなさい」

 いつもよりも上機嫌な様子のルセイリアの声色に、男は少しほっとした様子で地面に跪いた。ルセイリアはその様子をちらりと見やると、どこかわくわくした様子でルセイリアに向き直った。

「血の硬質化は高位の吸血鬼(ヴァンパイア)の特権。吸血鬼(ヴァンパイア)同士で戦うことはあまりないから楽しかったわ。でもあなた、血を自分の魔力で操っているだけでしょう?  駄目よ、もっと工夫しなくちゃ」

 そう言ってルセイリアは姿勢を正して跪く男へ視線を向ける。その瞬間――ルセイリアは見慣れた笑みを浮かべた。男の姿勢が崩れた。

「例えば、私は血に加えて――」

 男は首を背後に向ける。方向は部屋の出口だ。走れば数秒で着くような距離……体よりも早く首が向く。体を先行した意思により思わず男は体勢を崩す。それでも男は目の前の化け物が逃げんと地面に掌をつけながらも走り出す。そんな男の意思をはるかに上回る速度で……巨大な質量が男のいた場所を突き抜けた。

「こうやって土を混ぜて魔法を発動する。硬質化した血をまとわせた土はなかなかの威力を発揮してくれるわ」

 どろどろとした液体が部屋に飛び散り、血の匂いのこびりついた壁をさらに彩る。蛇のように地面から生えた巨大な質量がルセイリアの傍までやってくる。その頭からは今もなお男だった者の液体が流れ落ち……強烈な匂いがアクセリアの脳を犯していく。

「あら、もったいないわね」

 ルセイリアは、べったりとこびりついた血液を自身の手首に垂らすと、アクセリアに見せつけるようにそれを口に含んだ。アクセリアは無色透明な唾液を垂れ流しながら、アクセリアをにらみつける。

「ふふ、その目……とても私の好みね。この状況でもこの冷静さ。賢い子は好きよ」

 ルセイリアはアクセリアの頬に手をのせながら言う。抑えることのできない口元の汚れがルセイリアの腕に移る。

「だからこそ、わざわざ人間の王都に忍び込んで何がしたかったのかも気になるわ。教えてくれるかしら?」

「……」

 アクセリアは唇の上下を強く付け合せると、ちらちらと移ろう眼前の瞳孔を睨みつけた。ルセイリアは小さくため息を漏らすと、まるで似つかわしくない邪悪な笑みを見せた。

「いいわよ、ちょうど私もあなたを可愛がりたいところだったの。アクセリア、あなたの別の側面も見てみたいし」

 ルセイリアはそう言って、アクセリアの背後に垂れる彼女の翼に触れる。そして包み込むようにゆっくりと指と指の間に挟み込むように彼女の翼を捕らえた。

「……!」

「さすがに知っているわよね? 私たちの弱点」

 まるで生き物のように動き、ルセイリアの手から逃れようとする翼は全く彼女から離れることは叶わない。静寂の中にバタバタと翼の暴れる音だけが響いている。アクセリアにどこか苦し気な表情が浮かんでくると、彼女はさぞ嬉しそうに笑うのだ。容赦のない力の込められたルセイリアの手元から鈍い音が発せられる。次の瞬間――ルセイリアは勢いよく手を引いた。急激にかかる過度な力に耐えきれなかったアクセリアの翼がいともたやすくちぎれた。

「!? ン……ッ!!!」

「へぇ……声も上げないなんて。ますます気に入っちゃうわ」

 翼の引き裂かれる激痛にアクセリアは歯を食いしばる。その苦悶の表情が、またルセイリアの心を満たす。翼は吸血鬼(ヴァンパイア)にとって痛みを感じる数少ない部位だ。同じ吸血鬼(ヴァンパイア)であるルセイリアは誰よりもアクセリアの苦しみを理解できるはずなのだが……彼女は笑い、悪意に満ちた残酷な笑みを浮かべていた。

 ドロドロと黒ずんだ血液が地面にとめどなく零れ落ちる。いつの間にかアクセリアの口元からも唾液に混じった血が流れ落ちていた。

「なぁに? あら、まだいい顔をしてるじゃない」

 眼球が震え、ぼやけた彼女の瞳孔は、いまだルセイリアを睨みつけていた。ルセイリアはちらりとアクセリアの背後に見えるシルエットを見つめ、無慈悲な笑みを浮かべた。

「まだもう一つあるわね」

 血に染まった片手を今度は彼女の左翼に触れさせる。密接したルセイリアの首元にアクセリアの不安定な息遣いがかかる。今度は翼の根本にするすると手を移動させ、暴力的な力が加えられる。息遣いが荒くなる――




「あらあら……もう千切れるものがなくなっちゃったわ。どうしようかしら……手足はもいでも痛みはないし……」

 黒いドレスがぬらりと光る。血で染め上げた彼女の四肢を見つめて、ルセイリアはさぞ面白そうに笑いを浮かべていた。疲れ切ったアクセリアの瞳はもはや彼女を見つめていなかった。

「し……失礼します」

 背後からふと聞こえた声。途端にルセイリアの表情に苛立ちが浮かぶ。

「……なに?」

「も……申し訳ありません。王宮に……侵入者が」

「あら、とうとう隠れていたゴミ虫が這い出てきたようね」

 そう言ってルセイリアは少し表情を緩ませると、ご機嫌そうに部屋を出て行った。自身の脇を通る彼女に男は震えが止まらなかった。体中から汗がにじみ出ても、男にはそれを拭うだけの余裕がない。やがて冷たい足音がやんだころ、男は震えながらゆっくりと頭を上げる。

「は……は、これも吸血鬼(ヴァンパイア)か? 人間だけでは飽き足らず……今度は、同じ吸血鬼(ヴァンパイア)か……? くそ……が……?」

 生気を失っていたアクセリアがじろりと前を見た。眼前には先ほどまで跪いていた男の首がへし曲がり……ゆっくりと横に倒れていく姿があった。

「おいおい、ここはずいぶんと血なまぐさ……っと、驚いたな。そんな気配はしなかったんだが……」

「あ……あの……アクセリア……様?」

 少女の問いに、アクセリアはわずかに目を細めた。





 ようやく訪れた好機をサルタは逃さなかった。盗賊団頭領ゴザックの派手な動き。そしてアジトの痕跡の発見。十年以上の調査からアジトの大体の規模と位置は把握していた。地下空間に広がる巨大な空間、それに向けた隠し通路も用意した。しかし出入口は見つからず、正確な位置も分からなかった。すべてが進んだのは……あの女が現れてからだった。

「(……何かしたらしいが、シレイは無事なのか?)」

 作戦決行の直前、黒幕の正体につながりそうな情報を得た。空を飛ぶ謎の存在。翼を持ち、中位以上の隠匿魔法を行使するという。単純な魔物ではそれほどの魔法を扱うことはできない。

 サルタの作戦では、王宮に突入した後、生きている者は救出する。隔離された王宮にはまだ王族を含めた人間がいる。これに対応すべくゴザックをアジトからおびき出せれば最善、でなくとも事前に用意した隠し通路からアジトに忍び込みゴザックを討つ。直前でアジトの位置が判明し つなげることのできた隠し通路は必ずしも十分とは言えず、地の利も向こうにある。可能な限りコザックは外に誘い出せるほうがいい。しかし問題は……

 黒幕の存在……ゴザックの背後にいる者の情報は非常に少ない。人でない可能性が高いが……

「フィグリス、そちらはどうだった」

「生きている者はいませんでした。皆……すでに死んで長い時間が経っています」

「そうか……こちらも」

 二人は玉座の間にいた。かつては華やかな装飾品に彩られ、様々な輝きを放っていた。それが今では過去のもの。埃にまみれ、褪色(たいしょく)した様子を呈していた。玉座に腰を据える王の存在。先ほどまで生きていたといってもおかしくはない姿。しかしそこには生気はない。

「何者かに魔法を掛けられたか……すでに死んでいるも同然だ」

「これでは……この国は」

「まだ、レディア王女がいる」

 レディア=デイ・アラスブ。現国王であったマネ=デイ・アラスブの娘の一人。当然、彼女が王になることは望まれないが……王家の血を引くもので残っているのは彼女のみ。王家の血筋を繋げ、この国を守っていくことこそが、このサルタたちの役目……

「……!」

 その時、サルタは確かに聞いた。

「こっちだ!」

「一体、サルタ様!」

「声が聞こえる、あれは……レディア様のものだ!」

 柱を挟んだ突き当りを曲がれば、先にまっすぐと伸びる廊下が現れる。飾られた絵画や調度品はどれもかつての王国の栄華を示した遺産だ。道中、それらをサルタは視界に入れては強く目をつぶった 。

「……ルタ!」

「レディア様!」

 ふと、廊下の向こうに小さな少女の姿が横切った。それはサルタの記憶の中にはっきりとあるもの。十年以上前に聞いたレディア王女そのものだった。そう……十年前、そのまま……





「【夢幻の魔道具】……どう? あなたの望むものは見れた?」

「な……な……な……」

 遺骸の山。そのすべては遥か昔に朽ち果てており、すでに肉を残しているものはない。色あせた衣服のみがかつての彼らの地位というものを示している。数人の使用人たちに囲まれるように息絶えているこの遺体が……レディア王女のものだ。

「なんだこれは……なんだこれはあああぁぁ!」

 憎々しい声の方に向けると、そこには見たこともない女の姿があった。黒を基調とし、赤い模様の入ったドレス。しかしその赤はどこか色はせている。顔を赤黒い液体でべったりと濡らし、それでもなお、煌めきを失わない不気味な桃色の髪。サルタは同様の感覚を知っていた。その瞬間、サルタの前にフィグリスが立ちはだかった。

「サルタ様! ここは私が……」

「……! 気をつけろ、奴は恐らくあいつの言っていた……!」

 サルタが言い終わる直前……フィグリスの姿が消える。視界には巨大な芋虫の体のような赤黒い質量が横たわっている。

「へぇ、生き残ったわね」

「サルタ様……! お逃げください!」

 一瞬、サルタは体がピクリとも動かなかった。そして確信を得たのだ。彼の仲間の話によれば翼を持ち、中位以上の魔法を使う存在。単なる魔物ではないと推測していた。なるほど、確かに目の前のこれは一対の翼を持っていた。

「く……貴様か、この国を貶めた元凶は……」

「さあ? でも楽しませてもらったとは思っているわ。たくさん小さな女の子の血をもらったもの」

「な……に?」

 喉の奥に何かが詰まってしまったかのように、サルタは言葉を紡げなかった。

「国一つ掌握すれば好きな時に欲しい子を手に入れられるでしょう? この国はいい場所だったわ」

「それで……そんなことで……この国を十年以上も?」

「違うわ。私が来たのはほんの数年前。すでに綻びのあった国を私の思い通りにするのは簡単だった。それに心外ね、そんなことだなんて……」

「おのれぇ! サルタ様から離れろ!」

 女の言葉を遮るように、フィグリスの剣が女の首元に吸い込まれていく。フィグリスは全く女の注意の外だった……そのはずだった。女の首に迫る剣の軌道を遮るように、一閃の赤い線が横切った。それだけで……フィグリスの剣は砕け散ってしまった。

「ぐあぁ!」

「フィグリス!」

 女は何もせず、ただ佇んでいるだけだ。にもかかわらず、いともたやすくフィグリスの体が宙を舞う。華麗な模様を飾った柱にフィグリスの体が直撃し、数十年の歴史ある王宮が削れる。一本の柱を失った王宮は何とも脆く、徐々にその綻びが王宮全体に伝播していく。

 刹那……何が起こったのか、サルタには理解できなかった。天井からぶら下がる明かりを灯した水晶。そのすべてが砕けちり、床に敷いてあったはずの絨毯が浮かび上がる。その時、サルタは真に理解した。この目の前の()()()は……到底人の手でどうにかできるような存在ではないと……

「……まだ生きてる? 思いのほか頑丈ね。まぁ……そうやって二人でまとまっていてくれると殺しやすくて助かるわ」

 女の言葉の一つ一つが、サルタを心の底まで冷え切ってしまいそうな気持ちにさせる。そして今、自分のいる場所を改めて認識する。

「サルタ様……私は平気です。あのような一撃で死にはしません」

「馬鹿め……この状態でもう一度受ければただでは済まないぞ!」

 フィグリスは決して弱くはない。しかしあの女を相手にするにはあまりにも力不足だ。それは実力どうこうの話ではない。種族として、そもそも存在の格が違うのだ。

 そして……背後に目を向ければ、そこには絶望しかない。無数の赤銅色の刃が地面から突き出している。まるで二人の血を渇望しているかのように……不気味に光沢する死の刃が不気味に覗いている。

「(くそっ! こんなところで死んでたまるか!)」

 ようやく黒幕が姿を見せたのだ。目の前のこれをどうにかしなくては、国は救えない。しかしどうするのか……サルタにはもはや手がなかった。あの【砂漠の殺戮者】の頭領ゴザック。確かに手ごわい男だが、どうこうできない相手ではない。しかしあの女は……あの吸血鬼(ヴァンパイア)はどうだ。下位(ロウ)……なわけはない。中位(ミド)……下手したら上位(ハイ)かもしれない。そうなれば、()()の神聖騎士団に頼るほかない。しかしたった今……この状況を切り抜けなければそれもかなわない。

「(【障壁の魔道具】は……だめだ、この量は耐えきれない)」

 攻撃を魔力の盾により自動的に防御する【障壁の魔道具】。彼の着ている鎧がそれだった。しかしそれでも一撃でフィグリスを倒したような攻撃を耐えきれるようなものではない。

「これまでか……」

 サルタの言葉にルセイリアは冷酷に笑う。無数の刃がようやく現れた獲物を見て、さぞ嬉しそうに身を震わせている。その間は永遠のように感じられた。ルセイリアの意識、そのすべてがサルタとフィグリスの二人に注がれ、余裕に満ちた仕草には警戒が皆無であった。

「が……ごぽ!」

 その時だった。絢爛豪華な王宮の一室、その景色が突如として濁流に飲まれていく。水の流れは激しく、王宮の以外たちとともに二人の体は流されていく。

「み……水!?」

 すでに部屋の外まで押し流されたサルタの耳にはルセイリアのひどく動揺した声だけが届いた。高い天井にも届かんとする荒波に死すら意識した。しかし、不思議と二人を押し流していく濁流には優しさがあった。気づけばそこは王宮の入り口近くであり、ルセイリアの姿はない。サルタもフィグリスも、次の行動に迷いはなかった。

「……天はまだ我々にチャンスを与えてくださったようです」

「フィグリス……奴を討つぞ」

 そういってサルタは王宮の外へと足を踏み出した。まだ日も高いのにもかかわらず、地上に届く光はわずかだった。天を――不可解な曇天が覆っていた。

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