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赤眼の吸血鬼  作者: カエルオオカミ
砂漠に巣くう姫
114/131

血に染まる宿

「また……嘘をついた」


 アクセリア様の動揺をいいことに……私は敬愛する主を騙した。普段の彼女ならばあの違和感に気づいたはずだ。その程度の取るに足らないことに私は取り乱さないし、自分の生死も口にしない。しかし……それを気づかれないように立ち回ったのは私だ。

「必ず戻ります……アクセリア様」






 どこか荒涼とした空気の漂っていた昼間に反し、宿は活気に満ちた色を見せていた。すでに日は落ち、宿は仕事から戻ってきた冒険者たちの喧噪(けんそう)で包まれていた。宿をたった二人で切り盛りする女将と少女は、すでに昼間の片づけを始めていた。

「すみませんね……もう夜も遅いことですから」

 少し不満の見える表情を女将は浮かべていた。明日から本格的な仕事を控えているティムは本音を言えばもう少し酒食を楽しんでいたかった。しかし、そんな我儘を押し通すほど彼は幼稚な人間ではなかったのだ。

 ティムの意思を読み取った冒険者たちは明らかに不満げな様子だった。そんな彼らを(なだ)めるようにティムは穏やかな声で言った。

「お前ら、そんな顔するな……今日はお開きにしよう」

 冒険者たちは表情に不満を滲ませながらも、ティムの言うことには黙って従った。場を満たしていた活気は嘘のように霧散し、後には穏やかな時間が流れ始めた。

「エマ、あんたが対応した三人はどうしたんだい? まだ帰ってきていないようだけど?」

「分かんない、夕方くらいに出ていくのを見たけど……」

 少女と女将の声がほんのりと屋内を流れていく。そんな頃だった――宿に一人の訪問者が現れたのは。その人物は深くフードを被っており見るからに怪しい様子だった。しかし、ここが過酷な砂漠という環境下にある以上、このような格好も自然のものとなってしまうのだった。闇夜を映したような漆黒のローブは完全に光を吸い込んでしまう。外側から見えるその人物の情報といえば……フードからはみ出した淡い桃色の長髪程度のものだった。

「お客様ですか……すみません、ここは今満室でして」

 女は初めに目の前に立った女将を見つめると、次に奥で群れる冒険者たちを、そして最後にカチャカチャと音を立てながら皿を片付ける少女のほうに視線を向けた。

「……そう。とても楽しげな声が聞こえたものだから……宴会かしら?」

 なんの違和感もないはずの女の物言いに、女将は何故か女の情欲を感じ取った。それはもはや本能的なものに他ならない。吐息交じりの女の声に女将は警戒心を強めていた。


「悪いね、ちょうどお開きにするところだったんだ」

 そんな女将に反し、ティムは何の疑いもなく女に近づいて言った。ティムはテーブルの上に乗った残り僅かな酒瓶を見て言う。

「まだ少し残ってるんだ……せっかくならここで飲んでいくかい? ちょうど俺たちもこれを飲んで終わりにするところだったんだ」

「あら、初対面で酒の誘い? ここは酒場じゃないわよ」

「はは! 出会いは一期一会と言うだろう? ここで会ったのも運命さ」

 ティムは宿の女将へと視線を移す。その視線の意味を理解した女将は少し迷ったような表情を見せたが、やがて仕方がないといった様子でため息をついた。

「……仕方ありません、今宿にいるのはお客様方だけですし……」

「お母さん! これも片付けちゃっていい!?」

「エマ! あんたはいいから早く寝な。明日も早いんだから」

「はーい、お母さん!」

 少女に向かってそう言った女将はまるで彼女を追いやるようにテキパキと仕事を引き継いでいく。その間も女将の視線はあの謎の女へと向けられていたのだ。

 やがて嬉々とした様子で木樽ジョッキに冒険者たちが酒を注いでいく。冒険者の一人が女にジョッキを差し出した。

「はいよ、お嬢さん」

「……ありがとう、でも……」

 女が不自然に言葉を途切れさせた後……それは一瞬の出来事だった。ジョッキを差し出した冒険者の体に赤い棒状の何かが出現した。喉からうなじにかけて体を赤い槍は、確実にこの冒険者を絶命させていた。

「どちらかというと……私はこっちに興味があるわ」

 そうして女は顔中に浴びた冒険者の鮮血をぺろりと舐める。途端に女の表情は嫌悪に満ちたものに変わった。

「……まっずい」

「な……な……」

「や……やめてくれ!」

 状況の緊急性を肌身に感じた冒険者の一人が素早く宿屋の外に通じる扉に駆け出した。しかし間もなく、その冒険者の上半身がはじけ飛んだ。そこにはやはり赤い槍がいまは虚空を浮かべる冒険者の体を貫き肉片を纏っていた。

「やっぱり……暑苦しい男共の血なんかじゃ満足できないわ……やっぱり」

 いやらしい目つきで少女を見つめる。少女はおびえた目で女を見返した。

「幼い少女の血……それに尽きるわ」

 女はまるで何でもないことのように悠々と少女へ向かって歩き始める。その行く手を巨大な長弓を携えた冒険者が阻んだ。

「……何者だ」

「あら? 察しがついているんじゃなくて?」

 ティムはその瞬間、自分が恐ろしい事実を目にしていることを実感した。この国にきてより影を見せていた違和感の正体は、今自分の目の前にいる存在なのだ。

「女将さん! エマちゃんを連れて上に逃げろ! この騒ぎだ……すぐにでも人が来る」

「ティム! ここは俺たちに任せろ! 遠距離のお前にこの場所は分が悪い」

「レイン……分かった、ここは頼んだ」

 ティムとレインを含んだ冒険者たちは慣れた様子の連携で素早く女を囲んだ。狭い屋内で周囲の空間を保ちながら、最大限の距離をとる。レインの背後に立ったティムは二人を守るように立つ。

「なるほどね……時間稼ぎをして助けを待とうと……でも残念。助けは来ないわよ」

「……なんだと!?」

「この宿屋全体に結界が張ってあるから、外に音は届かない。何が起こってるかなんて分りもしないわ。それに、この時間じゃ人通りもほとんどないわ」

 女は宿から見える屋外を見つめると薄い笑みを浮かべる。周囲を囲む彼らの存在など全く気にしていないとでも言うような態度だった。

「俺たちでやるしかない……俺が後ろから援護する」

「ティム……」

「世話になった二人を危険にさらすわけにはいかない」

 ティムは強く腕に込めた力で弓をつがえる。女は恐らくは人ではない。全くと言っていいほど()()を感じられないのだ。だからと言って魔法使いでもないティムには魔力を感じることはできず、相手の力量を図ることはできない。

 女はレインの陰に隠れたティムに視線を向けると、悠然と笑って見せる。返り血で赤く染まった指で自身の頬をなぞり、もったいぶった動作でそれを口に含ませた。

「素敵ね……命の保証はないのに逃げるどころか立ち向かう。それも昨日今日の付き合いでしかない相手のために。でも違うわ……」

 女の言葉を遮るように、弾丸のごとく突き抜けるティムの矢が一直線に女の胸元を捉えた。ティムの矢の着弾とともに彼ら全員が女にとびかかる……その準備ができていた。

 刹那――ティムの前方を飛んでいたはずの矢が冒険者たち全員の姿とともに消えた。長らく冒険を共にしていたレインの姿もそこにはない。ふとティムの脳裏に思い返されるのは確かに顔を掠った冷たい風――反射的なティムの回視(かいし)に答えはすぐに示された。

「……なっ!?」

 壁に勢いよくめり込んだ不気味なオブジェ。大小様々な固形物が練りあわされて作られたようなその赤い黒い物体は、どこか先ほど冒険者たちに猛威を振るった赤い槍に似ていた。壁にめり込んだ巨大な質量の先にはまるで何かが潰れたように紅い液体が滲み広がっている。そして先ほどティムが女に向けて放ったはずの矢はそのオブジェにめり込むようにして止められていた。金属を貫くティムの矢は、この深紅のオブジェにめり込むまでで止まった。

「……命の保証? そんなものはなからあるわけないでしょう? 下等な人間風情に」


 女はゆっくりとティムへ手を伸ばした。二人の間には距離がある――しかしティムは本能的に危機感を覚えた。不安ばかりが先行する脳内を何とか収め、ティムは次の矢をつがえようとした。瞬間……矢を握っていた腕の関節あたりに激痛が走った。

「う……ぐああぁぁぁ!」

 思わず倒れこんだティムの視界にはわずかに女の姿が映った。心底面倒くさそうな声で女は言う。

「耳障りな声ね」

 ティムは激痛に悶えながらも残った片腕を伸ばした。その先にはたった一人の娘を守る母親の姿が映っていた。

「に……逃げろ」

 床の岩が砕け散る音が聞こえ、床から突き出した赤い槍がティムの頭を貫いた。ティムの体はピクリと一度だけは跳ねると、後は天を仰ぐように槍の軌道に沿って動かなくなった。

「あ……あんた! エマには指一つ触れさせやしないよ!」

「邪魔」

 それは一瞬の出来事だった。世話になった親子を命すら懸けて守ろうとしたティムの覚悟も、娘を守るために化け物の前に立ちはだかった女将の覚悟も、そのすべてが等しく無に帰る。そこには死者への敬意も何も存在しない。ただの圧倒的な暴力だった。

「あ……あぁ……」

 女は何でもないような顔で冒険者たちと女将を殺しつくした。そんな彼女の表情が少女を視線にとらえた瞬間、次第に恍惚としてくる。

「おか……あさん……」

「あぁ……いいわ。どうしてこんなに素晴らしいのかしら……」

「な……んで」

 少女の顔が恐怖に染まっていく。足の震えのあまりに少女が体勢を崩した瞬間、女は少女の首をわしづかみにした。そうして女は少女を力強く壁に叩きつけた。

「かは“っ!?」

 体の芯まで吐き出されてしまった空気を取り戻すように少女は必死に呼吸をしようとした。しかし吸えば吸うほどに、体の中からは粘り気のある血液が吐き出されるだけだった。

 女は不気味に感じるほどの笑みを浮かべていた。それはこの場には似つかわしくなく、少女が吐き出した血を顔に浴びてなお、笑みを崩すことはなかった。そして女は顔にかかったその血をいやらしく舌で舐めとった。

「あは……うふふ……このまろやかな舌触り……やっぱり血はこうじゃなくちゃね」

 血液交じりの唾液を滴らせながら、女の狂った顔はどこか遥かを見つめていた。

「ついでのつもりだったけど……悪くない収穫ね」

 息も絶え絶えな少女に再び向き変えると女は言う。

「その息遣い……その顔……でもまだ足りないわ」

 次の瞬間、女は少女の胸に手を刺しこんだ。メリメリとした不快な音とともに女の手は驚くほど簡単に少女の胸に沈み込んでいた。

「あぁっ……あ“あ”あぁぁぁぁ!!」

 苦痛に満ちた断末魔を挙げた少女は声とともにおびただしい血を吐き出した。骨の砕ける音が聞こえ始めてなお、女は一切その手を緩めることはない。やがて少女のむき出しとなった心臓を女は乱暴につかんだ。血に塗れた少女の小さな心臓は、ぴくぴくと小さく鼓動していた。

「あ“ア“っ……い”だイ……いだい“よォ!」

 人間の動きとは思えない不自然に柔軟な動きで女から離れようと少女の体は動く。手足の骨が折れる鈍い音、しかし少女の体は拘束から逃れた胴体を除いて全く動く気配がなかった。女の手に力が込められる。指が少女の心臓にめり込むたびに、内部で渦巻く圧力に敗れた血液が外へ飛び出してくる。女の鋭い指が冷酷にも少女の鼓動を妨害する。

 女はふと何かを思いついたように笑いを浮かべた。それはまるで少女のように無垢なように見えたが、顔中をぬらりと照らす鮮血が全力で否定していた。それから間もなく、少女の心臓は限界を迎えたのか、果実が潰れるように実にあっけなく崩れ落ちた。

「……ァ」

 顔中に体液をにじませながら、少女はごぶりと最後に大きく血を吐き出し、白目を剥いてこと切れた。そんな少女の胸元から腕を抜くと、女は実にわざとらしく言った。

「……あら、やりすぎちゃった。人間相手じゃ手加減が難しいわね」

 そうして女は何のためらいもなく息絶えた少女の首筋に顔を近づける。紅潮した顔に激しく上下する吐息を滲ませながら、女は歯をかけた。


 その刹那――女のうなじに光沢を放つ黒い刃が突き刺さった。

「……ねぇ、私の一番嫌いなこと、知ってる?」

 女は少女の首筋からゆっくりと顔を話すと低い声で言う。人間であれば確実に致命傷であるはずのその傷は、女の声を淀ませるにも及ばない。女の背後から現れた長身の影は小さく舌打ちをした。

「食事の時間を邪魔されること……シャナク?」

 シャナクは表情一つ変えないで女を見つめていた。

「気安く私の名前を呼ばないでいただけますか?」

「あなたの名前を知っていることに疑問はないのかしら?」

「思えば……私の眷属でもお嬢様の眷属でもない蝙蝠が紛れていた気がします……いつから目をつけていた?」

 シャナクが鬼の形相で女を睨みつける。そんなシャナクの様子を面白がるように女はにやりと笑みを見せた。異常に伸びた犬歯が血に濡れて(きら)めいた。

「セリオン王国の事件で興味を持ったかしら……王国内部で出回った情報、それに森に転がっていた死体から十中八九同族だろうとは思ったわ」

 女はまるで大切な思い出でも語るように、外界から隔てられた窓外の景色を見つめる。

「確信に変わったのはあなたたちの屋敷を見つけたときかしら? 銀髪が綺麗ね、あなたのご主人様は」

 ギリギリと何かが軋む音とともに、シャナクの口元から血が流れ落ちる。その瞬間、女の背後に黒い影が現れた。不規則に形状を変化させるそれは無数の蜘蛛だった。彼らは複雑に密度を変えながらあっという間に女の姿を覆いつくす。その間も、女に焦った様子は微塵もなかった。

「……残念ですね。ここにはお嬢様はおりません……」

「そのようね……」

 ふと女の口元だけが無数の蜘蛛の侵食から逃れたかと思うと、徐々にその密度は薄れていく。女の体に纏わりついていたはずの蜘蛛が黒いちりとなって崩れ落ちていき、後に残された女の姿には傷どころか汚れた様子すら見えなかった。シャナクは再び小さな舌打ちをした。

「一体、お嬢様に何の用ですか……」

 お嬢様という言葉を聞いて、女は意地の悪い顔でにやりと笑った。その瞬間、シャナクは背筋に何か冷たいものが這いずるような感覚を覚えた。

「ふふ……()()()()()に何の用かって?」

 シャナクはプルプルと体が震えるのを感じた。それが怒りなのか、恐怖なのか、はたまた動揺によるものなのか……彼女には判別がつかなかった。しかし何よりも明らかなのは……目の前のこの女はあまりに危険すぎる。これを放っておけば自分の主にどんな危険が及ぶのか分からなかった。

「見ての通り、私は小さな女の子が好きなの。でもそれ以上に……私の体質上、少女の血しか体が受け付けないのよ。もちろんそれ以外にも少女を狙う理由はあるけどね」

 そんなシャナクの焦燥に満ちた心中も知らず、女はどこか夢心地な目で話し続ける。

「あなたも見たでしょう? とっても可愛くて面白い。 あの子たちを殺す瞬間がとても……」

 しかしその言葉の一つ一つがシャナクにとっては気に障るものに他ならなかった。そして自身の主の影響か、いまいち実感のいかなかった外聞がぴったりとはまる感覚を覚えた。

吸血鬼(ヴァンパイア)とは……まさに聞いた通りですね」

「なあに? それって人間の間で出回っている吸血鬼(ヴァンパイア)の話? 自分だって吸血鬼(ヴァンパイア)の眷属の癖に何言ってるんだか……」

「アクセリア様はあなたなどとは違います」

「確かにあの子みたいな吸血鬼(ヴァンパイア)は見たことないけどね……何よりあの銀髪がとっても素敵……銀髪の吸血鬼(ヴァンパイア)は見たことがないわ。それにとっても可愛い容姿をしているし……」

 女はシャナクなど眼中にも入れずに自身の妄想にふける。口元を伝う(よだれ)を気にした様子もない。シャナクは焦りや不安を飲み込んで、自分の中で燃え上がる感情を覚えていた。

「同族の血は飲んだことがないけれど……試したくもなるわ」


 次の瞬間、シャナクが動いた。真正面に女に飛び掛かると、変形させた腕から伸びる刃を女の首筋に向かう軌道に乗せた。女はそんなシャナクに気づいた様子もなく、病的な夢現(ゆめうつつ)に支配された目を浮かべていた。

 シャナクは異常なまでに膨れ上がった怒りに支配されていた。先の主に対する侮辱が原因だろうか……それにしても明らかに平常ではなかった。女の肌に刃が触れる寸前……シャナクは手元に何か粘り気のある液体をかけられたような感覚を覚える。そしてすぐにその感覚は固い石塊に触れているかのよう……やがて刃とこすれる音が明らかに金属と同質のものになっていた。

「でもやっぱり人間以外の血は美味しくないでしょうね……それにあの子の体をあまり傷つけたくもないし……」

 そうしてようやく気が付いたように、女はシャナクへ視線を向けた。彼女を捉える深紅の拘束具はいくら彼女がもがこうとびくともしない。シャナクは迷いもせず許容を超える力で腕を引いた。硬質な板がメリメリと砕折(さいせつ)される音が響き、片方の腕がねじ切れるように拘束具の元から離れた。

「私が一生、あの子を飼ってあげる。それならあの子を好きな時に私の好きなようにできるし……あぁ、そうなるとひどい目にも合わせたくなっちゃう……ま、吸血鬼(ヴァンパイア)ならどれだけ傷つけても元に戻るだろうし……いっか」

 シャナクの顔が憤怒に染まる。使いものにならない腕に代わり、残った脚で女の胸元を打ち抜く。過度な運動に耐えかねた彼女のドレスが破り切れる。しかし……それが女の元に届くことはなかった。

中位吸血鬼(ミド・ヴァンパイア)の強いほうってところかしら……眷属にしては大したものね。無から作られた眷属でしょう、あなたは?」

 突如、側面から出現した巨大な質量にシャナクの半身が吹き飛ばされる。衝撃に頭蓋の砕ける音がシャナクの脳に響き渡り、そのまま宿の壁にシャナクは叩きつけられた。

「でも残念。私は上位吸血鬼(ハイ・ヴァンパイア)なの。国でも30人もいないわ。中でも私は強いほうだったけど……」

 頼りないはずのレンガ造りの壁はシャナクを受け止めてなお、ヒビを刻むに留まっていた。そんな異常すら今のシャナクには気にする余裕がなかった。ぼやける視界に女の姿を捉えると、自分に残された僅かな力で女を睨みつける。

「……」

 あたりの空気を(かす)める家屋の残骸を浴びながら、女はわずかに余裕の表情を崩した。だらしなく垂れていた涎を指で拭き取ると、まるで忌々しいものを目にするようにシャナクに視線を向けた。

「あなたは邪魔ね。少し静かにしていてくれる」

 脚を失ったシャナクに追い打ちをかけるように、何もない無機質な壁から突如無数の赤い槍が突き出した。肉をいともたやすく貫く深紅の暴力がシャナクの弱り切った体を蹂躙した。

「あ“ぁ”……ぁ“!」

「はぁ……面倒くさい」

 悲鳴を上げる彼女の体を容赦なく血の刃が貫いていく。その数はみるみるうちに増えていき、彼女の体という体を細断していく。その間――女はシャナクに視線こそ向けていたが、そこに興味は微塵も感じられなかった。

 やがて、動かなくなったシャナクを後目に女は再び少女のほうに向き変える。その表情は見慣れた笑みに染まっていた。

「さて……アクセリアが戻ってくるのを待ちながら、私は楽しみを満喫しましょうか……」

 欲にまみれた荒い息を吐きながら、女はグラグラになった少女の首に口をつけた。器用に折りたたまれ彼女の翼が喜びに打ち震えている。そんな楽園から、ふと現実に引き戻されたように、女の動きが止まった。足元には芋虫のように地面を這ってきたシャナクの姿があった。血の池に顔を半分埋めながら、シャナクは先端の()げた腕で女の足を咎めた。

「アク……セリア……様に……ゆび、いっぽんたりと……も」

「……」

 静寂の中に鋭い女の舌打ちが響きわたる――

「……二度目はあなたが初めてだわ」


 次の瞬間――耳をつんざくような轟音とともに、天井を突き破って巨大な雷撃が落ちた。一瞬の出来事だった……床を深く貫き、周囲には焦げ臭いにおいが立ち込め、残留した稲妻のかけらが空間を満たす。口元に引っ付く家屋の粉塵を不快そうに払いながら、女は天井を見上げた。シャナクの声は聞こえなくなった。

「思わず……! 結界にヒビが……音が外に漏れていないといいけど」

 女は微かに焦りの見える声を上げると、まだ血を流し続けている少女の遺体を蹴り飛ばす。少女の体は乱暴に吹き飛んで壁に叩きつけられる。かろうじて繋がっていた顎が、首とは別の方向へ飛んで行った。

 女は面倒くさそうに息を吐くと、青白い魔方陣を展開した。数秒もたたぬうちに半球状の結界が修復された。

「興が冷めちゃった……でも楽しみは取っておけたわね……」

 焦げ臭い匂いの立ち込める中、女は足元に転がる異形の蜘蛛の死体を踏みつぶした。

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