大森林の先には
セリオン王国の巨大城塞都市。八つの大門のうちの一つ、南東の第八門はピロー大森林に最も近く、平常であれば多くの冒険者たちを乗せた馬車が門を抜ける姿を見ることができる。
しかし現在、ピロー大森林は冒険者組合により原則立ち入り禁止となっていた。一人の銅級冒険者による証言、そして金級冒険者の調査を通しその可能性は濃厚となった。それは、ピロー大森林に吸血鬼が出現したということ。さらにその後、銀級冒険者一人を含めた銅級冒険者の一団が大森林へ向かい行方不明となった。
謎が深いまま事態だけが深刻化する現状、確かな実力を持った冒険者による大森林の調査が現在の冒険者組合の喫緊の課題であった。
そして現在――森へ向かったミスリル級冒険者『不死鴉』はとうとう謎の一つを明らかにした。それは、これから森深くへと向かう彼らの不安を増大させるものであった。
「これが話で聞いた銅級冒険者たちの成れの果てか……」
「やはり……亡くなっていらっしゃいましたか……」
かつて生きた人間であったそれ対し、ニーナは静かに両手を組み、祈りを捧げた。その表情はどこかやるせないものだった。
「これ……決まりだね。吸血鬼特有の【枯血死体】、これで吸血鬼じゃないっていうほうがおかしいね」
アスベルが顔を死体に近づけながら言う。そんな無遠慮なアスベルの行動にニーナは一瞬顔をしかめた。
「死体はあまり新しくなさそうだ。もしかしたらもうここにはいないかもな」
セルベスは軽く死体の様子を見てそう判断すると、さっさと次の場所へ向け歩みを進める。行方不明となっている冒険者は一人だけではない。そしておそらく銅級冒険者たちを導いたと思われる銀級冒険者の姿もまだ見えない。
そうしてセルベスは倒れた木を乗り越え先へと進む。倒木には細かい傷が無数に刻まれており、セルベスは嫌な予感がした。そしてその予感は的中する。目の前の光景にセルベスは思わず絶句した。
「こいつはひどいな……」
セルベスが思わずそうこぼしたのも無理はない。そこに広がっていた景色とはまさに地獄。ミイラのように干からびた枯血死体はもちろん。何か鋭いもので切り裂かれたように見える大木……加えて人間の死体である。
赤い絵の具で彩られたこの景色は異常であり……それでもなお、森は普段通りの時を刻んでいた。木々のさざめき、鳥の歌声――
「……!?」
その時、ニーナの小さな悲鳴が聞こえた。四人の中で一番慣れていないとはいえ、高位の冒険者であるニーナにとって多少のことは恐れるものではない。それこそ、人間の死体程度では。しかし、そんなニーナにとっても恐れるに値する惨状がそこには広がっていた。
「……これは」
「うえぇ……こんな風には死にたくないもんだね……」
そこに無造作に転がっていたのは細かく分断された金属の防具と大剣――それと肉片であった。体の部位はそれぞれで分割されており、三つに分かれた頭部の断面からは、とても直視できない光景が広がっていた。
「他と比べて装備が豪華なところを見ると、これが銀級冒険者のリベル・ストロークか」
「あっちの木は魔法でやったっぽいけど、これは魔法じゃないね。魔法なしでこんなにできるって……やっぱり吸血鬼は馬鹿力だね~」
魔法を使った後には必ず魔力が留まっている。それは強力な魔法であればあるほど顕著であり、ある程度の魔法使いであればそれを魔法の痕跡として感じることができる。今、ここに残留する魔力は周囲の草木に吸収され、神秘的な青白い光を放つ魔草を生み出していた。通常であればこのようなことにはならない。
「結構経ってそうなのにこの魔力濃度って、やばいよ……あっちのほうにも不穏なものが見えるし……」
そう言ってアスベルの向けた視線の先には何やら光るものが見える。ちょうど川の流れる辺り、そこを中心として青白い光が密集していた。高純度の魔草やさらに希少な魔木までもそこにはあった。
ピロー大森林の環境は中心にいけばいくほど魔力濃度が高くなる。その性質上、高純度な魔力資源を得るためには森深くに行く必要があるのだが……現在四人がいる場所は森に入って一時間もしない場所。通常であれば魔草など見つけることも困難な場所だ。
「これも吸血鬼の影響か……」
「そう……ですね。信じがたいです、こんな場所に吸血鬼がいたなんて」
本来吸血鬼の生息域はピロー大森林でもなければアルステン地域でもない。彼らの主な生息域は【陰陽の森】。年中黒い霧に閉ざされた暗闇の森――魔力濃度は生身の人間が悪影響を受けるほどであり、当然生息する魔物も恐るべき強さと言われている。一説によれば吸血鬼の国がその森の中にあると言われているらしいが……
「……何か来る」
その時、黙して周囲の状況を窺っていたナンが口を開いた。それから間もなく、アスベルが魔物の接近を認めた。魔法使いとして、魔力の微妙な変化に鋭いアスベルよりも先に、ナンは魔物の存在を察知したのだ。
そして姿を見せたのは巨大な黒狼。魔狼の中でも特に力を持ったものだけが手にすることができる漆黒の体毛。周囲にいるものすべてに畏怖を与えるその姿はまさしく魔狼の中の王と呼べるものであった。
対して黒狼に対峙する四人といえば、自分たちよりも圧倒的に巨大な相手を前に平然としていた。
「これも吸血鬼のせい? こんな場所にこんなのが出るなんてね」
「だろうな。見たところここらの魔狼の親玉だと思うが、周りに子分がいないのは気になるな」
セルベスは冷静に黒狼を見つめ分析を行う。そんなセルベスの視線を浴びて、黒狼は不自然に一歩引いた。
「ねえねえ、あたしがやっちゃっていい? いいよね、ね? ぱーっとやっちゃうからさ!」
「やめておけ。お前の魔法じゃこの辺りが大惨事になること間違いなしだ」
アスベルが意気揚々と手を挙げて主張したがセルベスは軽く返した。その結果にアスベルは不満げであったが、代わりにナンが前に出た。
「俺がやる……任せておけ」
「お、出るのか!? ナンのあれが!」
「アスベルちゃん、なんか調子いいね……」
アスベルの大げさな口ぶりにニーナは呆れた様子で言った。アスベルはこれから起こる出来事に相当の期待を抱いているようで、そんな気配を感じ取ったナンは少々困惑したように黒狼に対峙する。
目の前に立った黒狼は目には見えない威圧感があった。のどかな森の空気は一変し、音楽を奏でていた鳥たちの姿はもはや見えない。
ナンは至極落ち着いた様子で背中の大剣に手を伸ばした。鞘と刀身が擦れることによって起こる重々しい金属音が響く。その音に本能的に危機感を覚えたのか、黒狼は咄嗟にその鋭い牙をむき出しにしてナンへ全身全霊の突進を行った。
質量同士のぶつかり合う衝撃――視界を軽く妨げる程度の砂ぼこりが生じた。興味津々でナンと黒狼の戦いを見ていたアスベルは真正面からその砂ぼこりを受けることとなり、いかにも鬱陶しそうな様子でローブについた砂を払っていた。
二人の衝突の勝敗は明白だった。黒狼の全身による突進をナンは片手で受け止めていた。さらにナンは黒狼の首元をつかみ地面に投げつける。驚きに目を見開いた黒狼はそんな感情を味わう暇もなく、いともたやすく放物線を描き、草花の咲き誇る大地へと吸い寄せられていく。籠手を介したナンの容赦のない一撃は黒狼の反攻を許さない。
頭から地面へ激突した黒狼はその余波で一瞬でも身動きが取れなかった。その瞬間をナンが見逃すはずもなく、戦闘開始から手を離すことなかった大剣をいよいよ引き抜き、そのまま一切軌道を止めることなく、剣を地面へ振り下ろした。衝突の瞬間、確かに三人は大地の震動を感じた。やがて、生気を失った黒狼の頭が空しく地面を舐めた。
「あらららら……あっさり」
アスベルはどこか拍子抜けといった様子だった。しかしミスリル級冒険者であるナンにとって、大抵の魔物はこの結果が妥当だろう。にもかかわらずナンはどこかはっきりしない様子だった。その感情が三人に伝播するのに時間はかからなかった。
「違和感があった……」
「違和感?」
「この魔物は恐れを抱いていた……」
やけに深刻な調子のナンに、アスベルは軽くため息をつきながら言った。
「それは別に普通じゃない? だってナンが自分よりも強いってことはひょっとしなくても分かるでしょ?」
「いや違う……こうして俺が攻撃を仕掛けるよりも前……そう、対峙した時からだ。あれは獲物を仕留めるというよりも……生き延びるため、必死にかかってきたようだった」
そして少しの空白――ナンは思案を巡らせる。やがて自分の中で口にするに値する答えができたのか、低いナンの声が響いた。
「まるで……人間に恐れを抱いているように」
「人間に? それはないでしょ。仮にもこの魔物……危険度Cくらいはありそうだよ。つまり、銀級じゃ太刀打ちできないってこと。人間に恐れをなすなんて考えられないよ」
普段無口なナンがこのように自分の意見を主張することは珍しいことだ。そのことを一番理解していたセルベスはナンの話を真剣に考えていたようだが、アスベルは明らかに面倒くさそうな様子だった。
そんなアスベルにセルベスが苛立ちを感じるのは普段の二人を見ていれば考えるまでもなく、ニーナは再び二人の間でいざこざが発生する予兆を感じていた。
「考えすぎならいいが……」
「そーそ! 心配性のナンの考えすぎに違いないね。それよりもあたしはあれが気になるんだけど?」
ナンの言葉を乱暴に区切ったアスベルはふとニーナのいる方向へ指を指した。突然指をさされたニーナは困惑していたが、すぐに自分の後ろに何かあるのではないかという考えに至った。
「悪いが俺にはお前が何を指して言っているのかわからん」
「……同じく」
「そりゃそうだよ。セルベスもナンも一切魔力を感じられない筋肉バカじゃん」
アスベルのどこか小馬鹿にしたような言い草にセルベスは思わず顔をしかめた。ナンは顔こそ防具に隠れて見えないが呆れた様子だった。
「あのね、魔力の流れ……その源が二つ感じられるの。一つはもちろん森の中心ね。でももう一つは向こうから……しかもこっちのほうが大きいよ」
アスベルは少し興奮した様子で言った。ピロー大森林のことを知っている人間であればこの状況の異常性がよく分かる。ニーナもアスベルほどではないが魔力を感じとることができるため、アスベルの言葉を聞いてはっとしていた。
そして三人は森を進んでいく。先ほどの黒狼の影響で小動物たちはすでに周辺には見えず、怖いほどの静閑が辺りを支配していた。一歩……また一歩と魔力の流れる方向へ進んでいくほど、アスベルの興奮は高まっていき――また他三人の緊張もまた高まっていた。
当初からピロー大森林の異変に興味を抱いていたアスベルは先に待っている何かに期待が隠し切れないのか、小走りで三人の前を走っていく。こうなってしまっては、もはや彼女に周りは見えていないため、三人は諦めたようにため息をつくばかりであった。
「~♪……!? うわ! なにこれ!?」
鼻歌を歌いながら先行していたアスベルの小さな悲鳴が聞こえた。その声にニーナは大慌てでアスベルのほうへ駆け寄っていった。
「ど……どうしたの!? アスベルちゃん……」
「みて、これ……穴」
「あな?」
そこには彼女の言葉通りの景色が広がっていた。人間の規模をはるかに超えるぽっかりとあいた穴。穴の深さはかなりのもので、森の木々の隙間から注ぐ木漏れ日程度では完全に穴の底を照らすことはできないでいた。おそらく夜であれば底は一切見えないことだろう。
森を流れる空気は吸い込まれるように穴に流れ込んでおり、そこには何か自然以外の作為を感じられる。当然、普通の人間が落ちればただでは済まない。
「これは……」
「こんな穴の話はギルドマスターの話にはなかったな。だが、明らかに異変と関係しているだろうな」
アスベルの話によれば魔力の流れはここから強く感じるという。今回のピロー大森林における異変は魔力濃度の異常な増加。その原因は吸血鬼である可能性が高い。すなわち……この穴の先に噂の吸血鬼がいるということになる。
「ちょ……ちょっと! アスベルちゃん何してるの!?」
「何って? 降りるんだけど」
「おい、何馬鹿やってる! まずはその穴の先が安全かどうかを……」
「そんなの行けば分かることでしょ?」
セルベスとニーナの静止も聞かず、すでにアスベルは縁に足をかけて穴を降りようとしていた。もしこの先に吸血鬼がいたとすれば、アスベル一人で先行するのは危険すぎる。そんなセルベスの心配も虚しく、アスベルは穴の底に向けて飛び降りた。
「大丈夫! 何にもいないよ~!」
「馬鹿野郎! そんな余裕かましてないで周囲を警戒しろ……!?」
セルベスがそう叫んだとき……いきなり穴の中から耳障りな鈍い音が響き渡る。メリメリと何かを押し分けるような音は、始めはセルベスたち三人の足元から聞こえ……やがて穴の中へと移っていく。またその音に匹敵するだけの震動が三人を襲った。
「く……魔物だ……」
「あの野郎、言わんこっちゃない!」
三人の前に姿を現したのは巨大な植物の魔物。赤い花弁のような器官をもったその魔物は耳をつんざくほどの甲高い声を上げて三人を威嚇し始める。
「クシュルルルルル!」
花弁部分の繋がる荒々しい棘の生えた茎は穴に向かって通じており、どうやら壁から生えているように見える。おそらく先ほどの揺れはこの魔物が地面の中を進んでいたものだろう。
「うわ!? なんかでっかい花がたくさん出てきたよ!?」
「そっちもか……」
穴の奥からアスベルの声が聞こえた。どうやら現在、三人と対峙するこの魔物は穴の中にもいるようだ。アスベルの口ぶりからするに、それは一体二体程度のものではない。
そしてアスベルの声を聞いて、この植物の魔物は穴の方向へと振り返った。すなわち、三人よりも一人を複数で相手するほうが得だと感じた魔物が標的を変えたのだ。
「……あの魔物、アスベルちゃんのほうに行こうとしてるみたい……」
「ちっ……こいつだけでも俺たちで対処するつもりだったが……」
この魔物はその体の大きさ故、移動速度がかなり早い。人間の足では到底追いつくことができず、三人を完全に無視したこの植物の魔物はあっというまに穴の中へと引っ込んでいった。相手の能力がわからない以上、セルベスは下手に懐に潜り込むわけにも行かなかった。
穴の底からは絶えず甲高い声が響いている。
「仕方がない……俺たちも穴の中に行くしかないか」
「……本当か?」
「あの魔物が多分壁から沢山出てきてるんだよね? 食べられたりしない?」
ニーナの不安げな表情を見てセルベスは再考した。しかし、これ以外に良い手が見つからないのも事実だった。今は一刻も早く四人が合流することが先決である。セルベスは仕方なく決断をした。
「まったく……あいつが無茶なことをしなければ……」
そしてセルベスを先頭とした三人がいよいよ穴へ飛び込もうとした、まさにその時――真っ赤な火柱が天高く上がった。穴の縁をかろうじて残す程度の巨大な火柱。熱された周囲の空気を吸うだけで喉が焼けてしまいそうなほどの圧倒的な熱量。地獄の業火にも等しき火炎の魔法が穴の底から吹き上げたのだった。
先頭にいたセルベスはその影響を真正面から受け、もしもあと少しでも穴の奥へ足を踏み入れていたら炎の餌食になるところであった。
「終わったよ~! セルベスもそんなところにいないで早く降りてきなよ!」
まったく緊張感のない、いつものアスベルの声が穴の底から若干反響しながら聞こえる。
「あいつ……」
満面の笑みでこちらに手を振るアスベルを見つめるセルベスが何かを決心したのを、ニーナは確かに感じた。




